4  「紫煙」

街の一角にある古びた喫茶店。
そこの店主は今日もなんだか気が重たい。
というのも、最近になって
大通りを挟んだ向かい側に新しくケーキ屋が出店したのだが、
そこの客の入りがすこぶるいいようなのだ。

「ふーむ」
店主は髭をなでる。
刻は夕方、沁みるような夕日が街に影を作る。
買い物帰りの女性だとか、そんなかんじのが
向かいのケーキ屋に次々と入っていく。
ガラガラの店内の風景を見慣れた店主にとっては
なんともいえぬ心境にならざるをえない。

向かいの店、
ケーキ屋とはいうものの、
それと兼ねてカフェもやっているらしく、
そこの珈琲がまた美味いそうだ。
これは、ここの喫茶店の数少ない常連客である
A氏が教えてくれた。

「ふーむ」
また同じように店主は髭をなぞる。
例のごとく夕日が向かいのケーキ屋を
あかるく照らしている。
それとは逆に、日の向きのせいでもあるが
うちの喫茶店の前は影ができていて、
うまく現状をあらわしているようにも感じ取れる。

店前にでていた店主は
煙草をとりだしながら扉をあける。
扉の鈴が鳴る。
一人しかいないウエイターがこちらを一瞥するが
客でないことがわかるとぷいと視線を手元に戻した。

「はぁ」
なんでこうなのだろう。
ため息をついてカウンターにどかっと
すわりこむと、くわえ煙草に火をつけて
ふーっと息をはいた。
そして向かいのケーキ屋についてもう一度考えてみる。



大通りに面しており、たしかに立地条件は悪くないのだが、
なにぶんケーキだ、あの世界は厳しいものだ、
有名なパテシエがいるとは聞いてないし、それに駐車のスペースも少ない、
まぁ、ぼちぼちってとこだろうな。
そんなふうに目論見していたのだが、
開店してからというもの連日客足が途絶えることはない。

近場だし、同業者というわけでもないがおんなじ様なもの、
そんな認識にとらわれていた店主は
向かいの店に足を運びづらい部分があった。
だがしかし。
評判がいい理由が必ずあるに違いないのだ。
まぁなんだ、視察というわけではないが、
このままでは喫茶店の状況も芳しくはないので
今度、様子見にでも行ってみるか。
「よし」
店主は灰皿に煙草を押し付けると
立ち上がり奥のほうへと消えていった…







ケーキ屋の店主はこう言ってのけた。
「出店前日、街で不思議な人と出会いましてね、すれ違い様だったんですが
あんた、なんか始めるつもりあろうって聞いてきたんです。
歳は初老くらいの男性だったんですがね、私も次の日開店だったもんですんで、
ええはいと、見ず知らずの人にですよ?ふふっ、そう答えたんです。
すると見たこともない煙草をその人が差し出してこういうんです、
これを吸えば、きっと成功する。ただし、吸わずに捨てれば失敗するぞ、ってね。
いやはや、なんの冗談かとも思いましたが、相手にふざけている様子もなかったもんで。
つい受け取ってしまいましてね、いや、今考えても馬鹿だとしか思えないんですが…」
ケーキ屋の店主は苦笑しながらそう話した。

ケーキ屋の店主は、むかいの喫茶店の店長のことを
すでに知っていて、ケーキ屋の店内に入るなり挨拶をしてきた。
ないないに、偵察、そんなふうに考えていた喫茶店長は驚いたが、
ケーキ店長はこれがまた好人物で、
互いに同じにおいを感じたのだろうか話もはずむのだった。

「それで、お吸いになられたんですか」
喫茶店長が聞くと、ケーキ店長は苦笑を浮かべながら答えた。
「ええ、吸わないと云々と、まるで脅迫のよいうなものでしたから…
それに成功すると言われて悪い気はしませんでしたし。
吸ったんですよ。」
「ほう、じゃあ、その効果はたしからしいですな。」
喫茶店長は薄笑いだ。
「なに、まだわかりませんよ。」
謙遜だろうか、ケーキ店長はそんなことを言った。

「ところで、お煙草はお吸いになられますか」
ケーキ店長は話を切り替えそう聞いてきた。
えぇ、と喫茶店長が答えると、ケーキ店長はちょっと失礼、と
いったん席をはずし、店の奥から小さい箱を持ってきた。

「これでしてね。」
ケーキ店長は言った。
「実はそのときもらったのがこれなんですよ。
自分は煙草を普段吸っていませんで、全然しらないブランドなんですが…」
喫茶店長は長年煙草を吸ってきたが、喫茶店長にも
その箱に書いてあるラヴェルに見覚えはなかった。
「海外製でしょうかね、見たことない煙草だ。」
喫茶店長がこういうと、頭を書きながらケーキ店長が言った。
「いやー、もしお吸いになられるんでしたら、貰ってはいただけないですかねぇ。
普段吸わない私がもっていてもなんですし…それに捨てるわけにもいきませんので…」
「い、いいんですか」
喫茶店長はごくりと生唾を飲み込んだ。
あまり信仰深いほうではないが、
見てのとおりケーキ屋は繁盛している、
それが煙草と関係なかったにしろ、
何かしらにあやかりたい…
そんな風に考えていた喫茶店長からすると、
ケーキ店長の言葉はありがたいものだった。
「ええ、ええ。まぁ何かのげんかつぎにでも…」
ふふ、とケーキ店長は笑った。
「じゃあお言葉に甘えて…」

それからしばらくして、喫茶店長は自分の店へと帰った。


藁をもつかむ、とも言えなくはないこの店長の行動は、
喫茶店長の心理的部分に影響されていた。
もともとそんなに入りのいい喫茶店ではなかったし、いつも経営はギリギリ、
向かい側にケーキ屋ができたから喫茶店の客がそっちに流れたとか、
そんなものでもなかった。
しかし、あまりに客が入る向かいの店をみて、
喫茶店長はどこかジェラシーとか、その手の感情を感じていたのだろう。
何事にも積極的、そんな人物ではなくむしろ無気力、ネガティブな性格ではあったが、
ここ最近の出来事で店長としての性分に目覚めたらしかった。
無論本人にそんな自覚はない。









喫茶店長は早速吸うことにした。
くわえて、火をつける。
紫煙が一筋、天井に向かってスパイラルを描きながら伸びていく。
あまい香りが店内にただよう。
しゅう、と音がする。
煙草の音かな、と喫茶店長は思った。
だが違った。
見ると、さっきまであったウエイターの姿がない。
あれ、外に出たのだろうか。
でも扉の音はしなかったし…


ちりん。

扉の音がなった。

ウエイターかな。

視線をやる。

ウエイターでなく女の客3人だった。

あれ珍しいな。

「ここ、やってるんですか?」

女のひとりが尋ねてくる。

男は急いで煙草をけすと、甘い香りはそのままにカウンターへと戻った。

「はい、営業していますよ。」

わたしナポレオン、そんな声が店内に響いた。








その日以来、ウエイターは姿を見せなくなった。

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