3 「交渉人」
どうぞ、との声があったのでドアノブに手をかける。
中に入ると見知らぬ男がひとり、部屋の中にいた。
「こんにちは」
男が言った。こちらはそっけなく返事をする。
部屋は思ったより賑やかだった。
何やらわからない奇怪な絵画、変な形の花瓶、そして壁紙の幾何学的な模様。
もっと閑散としていて埃っぽいかと思っていたのだが、予想とは違った。
窓からは太陽の光が差し込んで部屋全体を照らしている。
普通、こういう部屋の本棚にはくたびれた様子の本がびっしり埋まっているはずだが
隅にたたずむそれには一切の本がなく代わりに模型らしきものがぽつんとおいてある。
それと、
「ちょっと」
見やると、男が不機嫌な様子でこちらを睨んでいた。
少々観察が過ぎたか、いや見れば見るほど面白いというか、奇抜な部屋だったのである。
「失礼」
言って手前のソファーに腰掛ける。硬いソファーだ。
こほんと堰をならし男は始める。
「お前がここに来た理由なら重々承知の上で・・・」
どうやら能書きのようだ。聞きなれるともはや耳に入らないどころか相手が話していることさえ忘れそうになる。これは話し手が悪いのではなく、自分の頭がそう切り替えているからだ。
相手に聞こえないようにふんと鼻をならしまた興味深い部屋に視線を巡らせていると
「お前と話すことは何もない」
などと聞こえたものだから驚いてしまった。自分の太ももをさする。自分は動揺しているのだ。
しかし会話を拒否される例なんていくらでもある。まずはこちらから話さなくては。
「まあ、世間話でも。そんなに構えていたら肩がこる」
言いつつ薄ら笑いを浮かべて男を見る。ぎろりとこちらを睨みつけている。
「構えているほうはお前のほうじゃないか」
言われた。そんなつもりはないのだが。
「これはしつれい」
「別にしつれいでもなんでもないが」
なんだ。口数は少なそうだがただ黙ってるだけではなさそうだ。なんなんだ。
「いいスーツですね」
当たり障りのなさそうな話題へときりかえるか。
男は派手な色をしたスーツを着ていた。地味じゃなく派手。センスは悪い。
「そう思うか?ならお前がこれを着ればいい。これを着て街中を歩けばいい。」
男は続ける。
「俺にはこのスーツはそうとう悪趣味なものと思えるんだが」
「それは、確かに・・・」
「俺は嘘つきはきらいだ」
男はチェアーでくるりと半回転して背中を向けてしまった。
男の前には大きな絵画。先ほど部屋に入ったときに奇怪だと感じたそれである。
誰か有名な画家がかいたのであろうか、しかしながら、一体何が描かれているのかはまったく見当もつかない。
「この絵は褒めないのか」
男が口を開いた。褒めようにもどういえばいいのやら。
「素敵ですね、ぐらい言えんのか」
素敵だとは到底思えないが、男が話しかけるのでこちらも応答する。
「誰か有名な方が描かれたのですか」
「お前はその画家の名で善し悪しを決めようとするんじゃないか」
「しかし画家の名も十分な基準にはなりえませんか」
「素人が」
「素人ですから」
「これは俺が描いたんだ」
「絵をお描きになるんですね」
「現に目の前に絵があるのにそういうことを聞くのか」
「普段のことを聞いたんですよ」
「お前に話してなんになる」
なんにもなりませんね、といえばここで会話はとぎれるだろう。どうにかして続かせよう…
「何を描いた絵なんですか」
男はまた半回転してこちらを向きなおした。一瞥をもらった。
煙草をくわえつつこう言う。
「絵を描いたものに対してそれを聞くのはどうかと思うが」
「残念ながら私には何が書いてあるのかわからないので」
「お前にはわかってもらいたくないなあ」
言うと火をつけ煙を吐く。次の瞬間ごほごほと咳き込む。
煙草を吸ったことがないのだろうか。煙草で咳き込むなんて。しかしじゃあなぜ煙草を…
「大丈夫ですか」
身をのりだす。背中でもさすろうか、酷い堰だ。煙草をすったからといってもこれはあんまりだ。
「お前は自分の心配をしたほうがいい」
男は片目に涙をにじませて言うと、またごほごほと堰をする。
按配が悪くなったのか、しかし今は試験中…
何がなにやらわからない。構図としてはこうだ。
奇抜な部屋でひとりの男が激しく咳き込んでいて、もうひとりの男が何もせずに突っ立っている。
ここから何を見出せばいうのだろう?自分は何をすればよいのだろう。
頭の中をぐるぐると思考がめぐって、
気がつけばいつの間にか男はしゃんとしていて、
おもむろに引き出しからペンを取り出すと、
チェアーの後ろにあった絵画に大きく「負号」と書いた。
どれだけの力で書いたのか、ペンの先端がつぶれインクが飛び出した。
絵画にかかったインクがつつつ、と垂れていく。余計に何の絵かわからなくなった。
もしかしたら誰にもわからないのかもしれない。この男以外には。
最後に男がインクをふき取ろうとハンカチを取り出すのを見て、部屋を後にする。
はれて、交渉人の最終試験におっこちたってわけだ。
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