2  「ふたりの会話」

「酒が飲みたいな。酒を持って来い。」
男は妻にこう言ったが、妻は知らんぷりだ。こういった感じからして妻は夫に対して愛想を尽かしている感じだが、本当のところはわからない。
「ああ、飲みたいなあ。」
ただ注目すべきところはここで、大抵の男は無視されたことにたいしてなんらかのリアクションをとるだろうが、この男なんの動きも見せない。ただ、飲みたい飲みたいと喚くだけ。このあたりからこの男の性格を判断して頂けると幸いである。

「ちょっと貴方。」
今まで無視をしていた妻が声をかけた。
「酒。」
まるで会話になってないが慣れているのだろうか、妻は話を続ける。
「貴方が働いてくれないからお酒も買えないのです。いいえ、お酒どころか普段の食べ物もよ。まさに明日もわからない生活をしているんですよ。なのにさっきから聞いているとお酒お酒って。貴方最後にご飯を食べたのはいつかわかってるの。」
この内容からこの夫婦がどのような生活をしているかわかるだろう。男の腹の虫がぐーとなったが、さて最後に食事したのはいつなのだろうか、男はそんな妻の問いにはまったくの反応を示さず、ごろんと横になって一言。
「酒が欲しい。」
中毒なのだろうか、しかしまともに飯も食えないような人間が中毒になるほど酒が飲めるのかというと、それはどうか知れない。

妻は比較的小さくため息をつくと、すっくと立ち上がってこう言い放った。
「2日何も食べてないからお腹が空いてるの。貴方が今日食事できるくらいのお金を稼いできたら、その稼ぎのいくらかはお酒を買うために使いましょう。いいこと?」
つかずはなれず、妻の言い方には感心するが、男はぼんやりと立ち上がって外にでていった。どうやら働きに行くらしい。
「頑張ってね。ちゃんと稼ぐのよ。」
後姿を眺めながら妻は言った。


部屋には妻ひとり。
何をするでもなくじっと座っていたが、やがて時計のコチコチという音にも飽きる程度の時間が過ぎた頃に立ち上がり、戸棚から酒瓶を取り出した。瓶には飲むには十分な量の酒が入っていて、なみなみと瓶のなかで揺れている。
「やっと食事にありつけそうだわ。」
女は独り言か、ぼそっといって一口飲んだ。
「かわいそうに。あげればいいんだよ好きなだけ。」
酒瓶はそう言った。どうやら妻は独り言をいったのではなく酒瓶にむかって話かけたらしかった。
「ああでもいわないと働かないもの。まったく、行き倒れるか生き延びるかってときなのにお酒しか眼中にないんだわ、あの人。」
「へへ。確かにそうだな。酒がなかったら今頃あんたと旦那は死んでるよきっと。」
酒瓶は笑ってそう言った。なかに入っているお酒が波を立てた。
「ただ、俺みたいな酒瓶からすると、からっぽにしてくれる奴は大歓迎だがな。やっぱこうやって生まれたからには豪快に飲んでくれないとな。」
「いいよ、あんたは気楽で。こっちは命がかかってんだよ。」
言うと妻はまた一口。

こうやって夫がいない間、妻は酒瓶と一緒に語っているのであった。酒瓶と人間はその運命からか、運命なんてものがどんなものかはわからないが、どことなく馬が合うらしい、話が弾んでいる。
小さな笑いも起こり語り合いも盛りあがったころ、妻がポツリと言った。


「夫といるよりあんたと話してるほうがずっと楽しいわ。ねぇ、わたしあいつとはわかれるから結婚しない?」


酒瓶は小さく笑ってこう答えた。

「それもいいかもな。じゃああんたは中の酒になってくれ。これでずっと2人、くっついたまま離れることもないぞ。」



「ほんと?嬉しいわ。ありがとう。」








狭い部屋に酒瓶が1本あるのみ。
夫はまだ帰らない。

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