第9話  一年一学期の中間試験

「日比野、クラブ行こ」
 いつもの平日。今日も護は、いつものように優哉を誘う。しかし優哉はその催促を断った。
「何でや日比野。今週お前掃除か?」
「ちゃうよ芦屋君。忘れたん? 今週から中間試験前でクラブ休みだよ」
「はぁっ!?」
 護はすっかり忘れていた。試験前にクラブは休みになることは勿論、高校初の試験があることも。試験の開始日は水曜日であり、今日は月曜日。通常は試験一週間前から、クラブが休みになるシステムだが、野球部は先週の土曜日まで活動を続けていたため、護は気付かなかったのである。
(な、何てこった……)
 野球推薦で入学した護にとって、試験は最も恐れていた存在。授業中は寝ている時もあり、その所為で起きてるときに話を聞いても全く分からない。クラブは遅くまであり、家に帰ったら夕食を摂って体を洗い、次の日の朝練に備えて早く就寝する生活が続き、勉強などしてもいなかった。
「やべぇ……。まじでどないしよ……」
「芦屋ー、日比野君ー」
 呼ばれて振り返ると、ドアの向こうに悠子が立っていた。護は悠子のところに駆け出し、目の前で止まる。
「三輪、丁度良かった! 勉強教えてや!」
「えっ……!?」
 唐突に尋ねられ、悠子は戸惑うしかなかった。

 まだ日が傾いてない内に帰るのは、いつぶりだろうか。いつも聞こえる野球部の叫び声も、今日は無い。そして、護、優哉、悠子の三人は、並んで歩いている。
「しゃーないな。ほんなら、明日の放課後にやったるわ。――日比野君も?」
「うん、一緒に教えてもらいたいな」
「ええよ」
 そして暫く歩くと、悠子は二人から離れて、自転車置き場のほうへ向かった。護と優哉は遠くに住んでいるので、電車通学であるが、悠子は近所のため、自転車で通学している。
 悠子が自転車で、手を振りながら二人を追い越し、正門を出て行った。

 翌日放課後。一年九組から人が出て行く中、隣のクラスから悠子が入ってくる。今日は早速勉強を教えてもらう。勿論悠子と優哉は、一週間前から試験勉強を始めていたが、護は初めて手を付ける。悠子は二人に教えながら、自分の勉強もこなす。
「三輪、ここは……」
「ここはね、――」
 だがいかんせん、授業をまともに聞いていなかった護は、つまづくところが多く、悠子はなかなか自分の勉強に移れないで居た。しかし悠子は愚痴も言わず、護と優哉の勉強をみた。護は今まで手を付けていなかったため、翌日の試験の教科の分だけを、勉強するしかない。明日はいきなり、護の苦手な数学と科学だ。

 水曜日、試験はいよいよ始まった。一限数学、二限科学。時には鉛筆を置き、時には頭を掻く。昨日は帰宅した後も、夜遅くまで勉強を続けた。俗に言う一夜漬けというやつだ。しかし野球漬けになっていた生活、殆ど手に付かなかった勉強、全くと言っていいほど筆は進まない。
(くそ、まじやべぇ。けど、昨日三輪に教えて貰った分は分かるわ)
 そのような状態の中、試験日一日目は終わった。
「あかん! 未知の領域や」
 教室に居た生徒が半分ほどに減った頃、悠子は教室に入ってきた。
「芦屋、どうやった?」
 護が突っ伏している机に駆け寄りながら尋ねる。
「おう、三輪に教えてもらった分は完璧やで」
「自分でやった分はあかんかったん?」
 ああ――と答えて、護はまた突っ伏す。悠子の後ろからは、優哉が結果を報告する。どうやら優哉も、悠子に教えてもらった分で維持しているらしい。だが優哉の方は、護と比べれば試験勉強をしている期間が長いので、少々差は出るだろう。
「さ、芦屋、今日の分やんで」
「もうちょい休ませてや」
「私は別に構わんけど、勉強時間が短くなるんはそっちの方やで」
 その言葉に触発され、護は慌てて準備をし始めた。今まで勉強をしてこなかった護は、中間試験の期間、ずっと放課後に勉強しなければいけなかった。このような状況に陥ってしまえば、野球すら憎いものに変わる。ただそれも、試験中の間だけの感情であるが。

 虎の子学園は試験終了後に土日祝日を除いて、試験期間から一日引いた日数を、試験終了日翌日から休みとしている。この試験休みの間に、教職員は答案用紙の採点を行う。そして休み明けに、答案用紙を一斉に返却する。この試験休みの間は、一部のクラブは既に活動を再開しており、野球部もその例外ではなかった。
 そしていよいよ、授業が再開した。
「いよいよ返って来るんかぁ」
 護は呟く。授業ごとに、その教科の答案用紙が返って来る。少し離れた優哉を見ても、憂鬱そうな顔をしているだけであった。元々護は、野球のお陰でこの学校に入れたのだし、優哉もぎりぎりで合格して入学したのだ。定期試験は今後も大きな壁になるだろう。
「芦屋」
 出席番号二番の、芦屋の答案用紙が返って来る。

 数日後の昼休み、外は長雨。四限目に最後の答案用紙が返って来たばかりの、護の心境を表しているような雨だった。
「芦屋君、大丈夫?」
「だいじょうぶー……」
 護はしっかり気が抜けていた。そこへ悠子がやってきた。
「芦屋……、生気が抜けたみたいやな」
「おーう三輪。チョベリバって感じや」
 ようやく体を起こして悠子の方を向いたが、何か諦めたような気配が感じられた。ところで護が使った”チョベリバ”とは、”超ベリーバッド”の略らしい。都心では女子中高生を中心に流行っている。
「チョベリバ言うてる場合やないって。兎に角、何点やったん?」
 護は学年順位表を取り出し、広げて置く。
 現代文四三点、数学三六点、科学五一点、生物五四店、英語A三九点、英語B四十点、現代社会五二点、家庭科四八点。八教科合計三六三点、学年総合四〇〇人中三二八位。
「芦屋、あんた高一の一学期中間で、欠点二個ってのやばいよ」
「そうやんなぁ……」
 虎の子では欠点が三つになると、保護者懇談に呼ばれる。幸い護の親が呼び出されることは無かった。
 結果はどうあれ、護は悠子のコーチに救われたのであった。

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