最終話  開幕

「皆揃ったか?」
「監督、全員揃いました」
「よし」
 グラウンドのホームベース付近に、部員全員が集められた。このように整列するときは、決まって何らかの発表があるときだ。今回の内容は発表せずとも、部員全員が分かっていることだった。
「よう聴け!」
 監督の大声から、待ちに待ったそれが告げられる。
「明日から、全国高校野球選手権の地区予選が始まる。我虎の子学園の初戦の相手は、新渡戸高校や。対して強ないとこやけど、油断すんな」
 そう、いよいよ明日から、高校野球の予選が始まるのである。かと言って対戦がすぐにあるわけでもない。去年甲子園に出場した虎の子学園は、シード校として、三回戦からである。なので実質試合は五日先である。
「では今から、レギュラーを発表する。呼ばれた者は返事せぇよ!」
 ここでレギュラーが読み上げられる。今まで努力した結果が、こちらにも現れる。護も当然レギュラーを狙っている一人だが、一年生は選ばれる確率が非常に低い。しかもここのような選手層の厚い高校では尚更だ。
 そして中村監督は、順々に選手名を挙げていく。
――三年、橋田智、磯田、五十嵐、井原、田辺、草壁、斉藤、三村、手島、井沢、丸山。二年、稲穂、水上、倉山、脇、菅井。一年、橋田洋、槙原――。
「以上十八名や」
 監督からの発表が終わると、部員達の間からはざわつきが起こった。その原因は、二人の一年生だった。虎の子学園で一年生でレギュラーに入ることは、とても凄いことなのだ。しかし他の部員らはすぐに納得した。
 この二人は一年にしては、近年稀に見る実力の持ち主なのだから。それともう一つ、理由があった。それは監督の口から発せられた。
「これはまだ暫定的なメンバーや。試合内容によっては、入れ替えもありうるからな」
 この入れ替え戦によって、一年生は落ちるだろうと、皆が考えたからだ。

 この日はレギュラーメンバーの発表の後、練習は終了した。護と優哉、由良も、槙原の周りに寄る。
「凄いやん、槙原。一年でいきなしレギュラーやもん」
「んなことないって。どうせ入れ替え戦で落とされるんやもん。それまでや」
 満は謙遜するが、嫌味には聞こえない。彼は性格もいいから、これは本当の気持ちだ。
「でもな、俺は残るために必死に頑張んで」
「頑張りや!」

 時が流れるのは早いもの。早くも地区予選が始まり、虎の子学園の試合当日になった。レギュラーの面々は落ち着いている。特に三年生となると、それが顕著だ。要するにこの段階の相手は楽勝なのだ。
 スタメンが発表された。一番右翼、磯田。二番二塁、稲穂。三番投手、斉藤。四番遊撃、橋田。五番一塁、五十嵐。六番三塁、田辺。七番左翼、草壁。八番捕手、井原。九番中堅、脇。
(そりゃあそーやんなぁ)
 満はベンチの横に突っ立っている。
「槙原」
 満のことを呼ぶのは、橋田キャプテンの弟、橋田洋一だ。
「まさかお前、スタメンに選ばれる思ってたんちゃうやろな」
「アホ。んなわけないやんか。この中で選ばれたら奇跡や」
 事実、満は毛頭そのようなことは考えていなかった。しかし、初戦の楽勝の相手ならば、勝敗が決まった場面で出番があるかもしれない、そうは思っていた。

 初戦の相手は地元の無名公立高校の南泉高校。間も無くプレイボールだ。
「はよしてや、もう」
「三輪、そんな急がんでもまだ平気やって」
 護、優哉、悠子の三人は、観戦に来ていた。そしてスタンドに出ると、適当な席に座る。地方予選の初戦。観客は勿論、関係者くらいしか来ていない。その為球場は閑散としている。
(来年は絶対に出たんねん……)
(来年こそ、芦屋君と一緒に……)
 スタンドの護と優哉は、心の内で密かに闘志を燃やしていた。
「始まんで」
 悠子の声に二人ともフィールドを見る。既に両校とも、ホームベース付近に整列していた。三人とも席を立ち上がり、フェンス際まで行く。
「お願いしますー!」
 いよいよ虎の子ナインにとっての夏が始まった。
「南泉高校相手なら、多分楽勝やな」
「うん。槙原君、出てくるかもしれないね」
 先攻は虎の子学園。打席には一番打者、磯田が入る。その途端、護達の後ろから、大歓声が飛んだ。見ると、他のレギュラー落ちしたメンバーや、マネージャー達がそこに固まっていた。打席を見返すと、丁度美しい金属音がした。打球は低い弾道で、左中間を破った。
 大歓声の中、虎の子集団の中から一人、三人のところにやってくる。
「ほら皆、上に行こ。他の人もあそこに固まってるよ」
 二年生のマネージャー、大場鶫が誘う。三人は誘われるがまま合流する。丁度その頃、次打者の稲穂が打席に向かって歩いていた。
「稲穂先輩ー、打ってくださいよー!」
 護は大声で叫ぶ。静かな球場にその声は響く。稲穂は軽く護を一瞥し、打席に入った。そしてその期待に応えるかのように、右中間を破るタイムリースリーベースヒットを放った。虎の子応援団は二人で取った一点に、早くも騒ぐ。

「やっぱ、虎の子は強いなぁ」
 泉南高校側のスタンドに、一人ぽつんと座っている少年が居た。キャップを深くかぶって、顔は判別しにくい。
「橋田と槙原やったな。一年生は」
 呟くと鞄からノートを取り出してメモをする。
(大阪の将来有望一年は槙原やな)
 そしてぱらぱらと前のページをめくる。
(横浜は松坂、沖縄は新垣、高知は藤川、三重は古木。この辺りやな。一、二年後、甲子園に出てきそうなんは)
 少年は立ち上がると、もう一度グラウンドを見下ろす。今は三番打者、斉藤の打席だ。
(どの相手もいい戦いが出来そうやな。まあ、甲子園で、胡桃川学園と当たったらの話やけど)
 少年はそのまま球場を後にした。

 初夏の陽気は少年たちを照らし、彼らにとってはそれは野球シーズンの到来を示すものだ。今、新たな戦いが始まった。学生生活を野球に捧げ、将来も野球に携わるために、遮二無二努力する球児。彼らの希望は、いつかきっと叶うだろう。努力を忘れない限り。

 夏は、永遠に続く。


 終わり

<<<