第8話  一年生で二人目の

 ゴールデンウィークも明け、虎の子学園のしばしの休息も終わる。快晴の中、生徒たちが次々に登校してくる。
「おーっす、お早う」
「おう、お早う」
 早朝から元気良く投稿してきた護が話しかけたのは、クラスメイトの錦織忠彦(にしきおりただひこ)だ。
「あれ? お前クラブは?」
「今日は放課後だけ」
 雑談をしながら教室に入って行く。いつもは早く来て、すぐに野球の練習に向かうのだが、今日はのんびりと家を出て、ゆっくりと教室に来た。
「芦屋ぁ!」
 教室に入るなり大きな声が響いた。その声の持ち主は悠子。何やら怒り気味の様子だ。
「遅い、ずっと待っててんで!」
「な、何やねん」
「兎に角、日比野君ももう行ってるから、はよ部室に来て」
 一瞬えっ、と思いながらも、確かに今日は朝練は無く忘れていた訳ではない――と心の中で繰り返しながら、悠子の後を追って行った。

 校舎の隣、道を隔てたところに野球部グラウンドがある。その道を正門側に辿りグラウンドのホームベース側裏に、部室がある。
 護が部室にやってきた頃は、大勢の野球部員が既に集まっていた。部室で何かがあったのは分かったが、何があったのかは分からない。護は優哉を見つけ、尋ねる。
「日比野、何があったん?」
「芦屋君。一年の金田君のロッカーが荒らされてて、グラブとかユニフォームがズタズタにされてるらしいねん」
「え、俺のんとか、他の奴らのは?」
「他は何にも無いそうやねんけど……」
 被害にあった金田は、少し離れたところで座り込み顔を下に向けている。その周りに数人慰めに行っているものもおり、その中には溝口の姿もあった。結局誰がやったかは分からず、その場は収まった。

「ではさよなら」
 一年九組担任磯村の優しい声で、その日の終礼が終了した。この学校では、放課後に割り当てられた生徒が、割り当てられた場所の掃除をすることになっている。優哉は無いが、護は本日は掃除当番である。優哉は先に部活へ行き、護は教室の掃除をすることになった。
(あーもう。さっさと終わらせて部活行かな。事件のこともあるやろし)
「芦屋」
 突然声を掛けられ、護は驚く。声を掛けてきたのは錦織だ。
「芦屋、土曜学校終わってから、遊ばへん?」
「あ、悪ぃ。今週は練習で埋まってんねん」
 護は申し訳無さそうに断ったが、錦織は大して気にしていなかった。
「ところでお前って、クラブ入ってへんの?」
「入ってへんよ」
 護は別にどうでもいいことを尋ね、自分でも何故それを尋ねたのか分からなかった。

 掃除が終わり、護は走ってグラウンドへ駆けつける。きっと朝の事件のことが、まだ続いているだろうと思った。だが到着してみると、それはいつもと変わらない光景だった。全然騒いでいる様子も無く、だからといっていつもより暗い雰囲気があるわけでもなかった。
 部室に入っても、同じく変わった様子は無かった。だが護と同様に、掃除等で遅れてきた部員などは、状況の普通さに戸惑っていた。
「高橋、何で皆、こんな普通なん?」
「俺かて知らんわ。来たらいつも通りやもん。芦屋こそ何か知らんの?」
「知らんから高橋に訊いたんやんか」
 同じ一年生の高橋も、解っていなかった。高橋は被害にあった金田と、同じクラスであると、護は記憶していた。
 すると戸を叩く音が聞こえた。
「皆、ええ?」
 護が部室に残っている部員に、訪問者を入れていいか尋ねる。この部室に入るときにノックをするのは、女子マネージャーしかいない。
「いいっすよぉ」
 ドアを開けて入ってきたのは、溝口と、女子マネージャーの大場であった。溝口は重たそうな箱を抱え、大場は小さな箱を持って入って来、部室の隅に置いた。
(丁度いいや。訊いてみよう)
「溝口先輩、ちょっとええですか?」
「ん? なんだい?」
 護が溝口に声を掛け、部室に居た他の一年生は、何を訊こうとしているのかすぐに分かった。
「金田は、どうしたんですか?」
「金田君か。彼なら、さっき野球部を辞めたよ」
 その言葉に、部室に居た一年生の驚きの声が上がる。この部室に今、上級生は溝口と大場しか居ない。
「ごめん、芦屋君。まだやることがあるから」
「あ、いえ。引き止めてすみませんでした」
 溝口は、大場と一緒に部室を出て行く。まだ部室ではどよめきが起こっている。そこに、満が入ってきた。彼は先に部活を開始していたグループだ。
「よう、槙原」
「芦屋か。金田のこと、知ってるか?」
「今、溝口先輩から聴いた」
「そうか」
 どうやら満は、グラブを取りに来たらしい。自分の鞄のファスナーを開けている。
「そや、芦屋。溝口副キャプテンと言えばな、ゴールデンウィークの時の東郷戦の時、あの人だけが制服でベンチ入りしててたんや」
 護は満のほうを向く。
「事情を訊いたら、訊かんでくれって、訳言うてもらわれへんかってん」
 満は護を振り仰ぐ。
「何やあの人、いつもなんかおかしない? 今日みたいに、いつもユニフォームに着替えんと、ジャージで雑用ばっかやってるし。副キャプテンやのに試合にも出えへんし。マネージャーでも無いやろ?」
「そやなぁ……」
 最初から思っていた疑問。この頃は閉ざされていたその思いが、今開かれた。無性にその答えが訊きたくなる。
「芦屋、さっさと着替えへんと、監督に怒られんで」
 はっと気が付き周りを見回すと、他の部員は既にグラウンドに出ており、自分だけが制服で立っていた。
「俺先行ってんで」
 満が部室を出て行き、護は大慌てで着替え始めた。

<<<   >>>