第7話  一番乗りの黄金週間

 五月四日。ゴ-ルデンウィークの真っ最中だった。この日の練習は休みだ。しかし、レギュラーメンバーはそうでなかった。
「水上君、今日の調子はどうかな?」
「あ、はい、まあまあです」
「何をいってるのさ。こういう時は嘘でも絶好調です、とか言わないと」
「あ、そうですね……」
 ちょっと気の弱そうな部員、二年生の水上敬重(みずかみたかしげ)は、溝口に励まされてバスのステップに足を掛ける。これでバスには選手全員が乗り込んだ。最後に、溝口とマネージャー四人が乗り込んだ。
(いよいよ対外試合か。今年はなかなかの戦力が揃っているから、今日の相手には勝てそうだ)
 虎の子ナインは、今年度初めての対外試合に出発した。

 バスから部員が降りる。着いた場所は私立東郷高等学校。力関係は、全くの互角と言ってもいいくらいのものを持っている。今回はたまたまこちらが出向く番であった。降り立ったそこは、野球部グラウンドの前。大きさは虎の子学園のグラウンドと、大体同じ広さである。
「初めての対外試合か……。試合には出られへんやろうけど、ちょっとでも技盗まなな」
「甘いな。盗むだけじゃ。それを自分のもんにせな」
 二年三年生の中に混じって、一年生が二人だけ居る。一人は一年生ナンバーワンピッチャーであり、キャプテンの弟でもある橋田洋一。もう一人は一年生の中でも並外れたパワーを持つ、槙原満。同行できた一年生はこの二人だけ。
「よし、ほなここの野球部に挨拶に行くで」
 監督の声が聞こえた。

 早速試合が始まる。先攻はこちらで、稲穂は二番セカンド、キャプテン橋田は四番ショートに入った。副キャプテンの溝口は、制服姿のままベンチ内に居る。勿論一年生二人はベンチだ。
 虎の子の一番バッター磯田が出ると、すかさず稲穂は送りバント。そのあと四番橋田がタイムリーで、一点を先制した。鮮やかに一点を取った虎の子だが、後続が倒れて東郷の攻撃となった。
「水上君、いつもの力をだしなよ」
「はい……」
 溝口の言葉にも、弱々しい返事しかしない投手が、マウンドに上がった。
「あの先輩、どないな球投げるんやろ」
 満の頭にも残っていない先輩。見た目も投球練習もいまひとつぱっとしなかった。
「水上君は変化球の使い手だよ、槙原君」
「え、でも溝口副キャプテン、あの人歓迎戦投げてないですよ。ここで使うんですか?」
「彼はあの時休んでいたんだよ、学校を」
 えっ、と思いながらも、とりあえず水上の投球を見なければ、実力は分からない。今も然程好調には見えないが、何故先発なのだろうか。東郷のトップバッターは左打席に入る。水上は右投げ。小さく振りかぶり投じられた球は大きく外れ、キャッチャーは飛びついて取る。
(大丈夫なんかな、水上先輩)
 満の不安は当たる。二球目の高めに入った緩めのストレートは、綺麗にセンター前に弾かれた。
「副キャプテン、ほんまに大丈夫なんすか? 顔色悪く見えますよ」
「ははは。次からは監督に訊いてみれば?」
「ちょっ、ちょっと待ってくださいよ。訊かれへんから訊いてるんやないですか」
「うるせぇよ、槙原。黙って見といたらええやんか!」
 洋一に咎められて意外性に驚きつつ、戦況を見た。
 既にカウントはノーストライクツーボール。今度は歩かせるのかと見ていた。水上の投げたボールは外角から曲がってきた。東郷の打者はそれを引っ掛け、ゲッツーに打ち取ったのである。
「彼はああして毎試合、初回は併殺を狙っているんだよ。その方が気分的に楽みたいなんだ」
 槙原はようやく分かった。しかしトップバッターが出た時、逆に張り詰めたのが相手側であったのは、何回も水上のこのパターンにしてやられているのが伺える。毎度併殺打を打たないように頑張っているにもかかわらず、打たされてしまう東郷の打者はどうなんだろうか。
 その後一対〇のまま試合は進み、五回には虎の子五番の五十嵐に一発が飛び出した。その一発で火が点いたのか、次々と点を重ねて行き、八回終了の時点で七対一という大差をつけていた。九回表は八番からの攻撃だった。
「橋田、裏で投げさせんぞ。肩温めとけや」
「はい」
 監督は九回裏の投手に、橋田洋一を指名した。橋田は驚きながらもすぐに冷静さを取り戻し、キャッチボールを始めた。水上は六回を終わったところで降り、今は違う投手が投げていた。
 虎の子は一番打者がツーアウトから辛うじて出塁したものの、稲穂がセンターフライで倒れた。
「チェンジ」
 主審の声と同時に、フィールド内の選手が入れ替わる。そこには対外試合初登板の洋一も居た。兄、智久は後ろでショートを守る。
(あれほど心強いバックはおらんなぁ)
 満は思う。兄でありキャプテンである者が後ろに居れば、これほど精神が安定するものはない。洋一はこの回トップの打者を打ち取ると、続く打者を打ち取った。次は四番打者。
(そやな、駄目元勝負や)
 洋一は大胆にもインコースを直球ばかりで攻め入った。一二〇キロ後半の球は、打者の手元で伸び、余計に速く感じた。しかし投じた四球目は見切られ、センターへの大きな本塁打となった。その後五番打者はしっかり打ち取って、ゲームセットとなった。

「やっぱちゃうな、スタメンレベルは。俺も精進せな」
「なんやお前、対戦せんで分かるんか。俺みたいに戦ってから言いな」
「お前それ皮肉やろ」
 バス内で満と洋一が話している。そこへ監督から声が掛かった。
「橋田洋一、ちょっと来い」
「はい」
 三つ前の席に洋一は移動する。すると入れ替わりで溝口がやってきた。代わりに席を空けたのだろうか。しかし橋田智久も移動しているところを見ると、巡り巡って来たようだ。
 ここで満は、思い出したように疑問をぶつける。
「そういえば副キャプテン、何で試合に出えへんかったんですか?」
「ん? いや、別にこれといった理由はないんだけどね」
「理由無いんやったら、何で出えへんのです?」
「そこは……訊かないでくれ」
 明らかに動揺していた。それが何故かは分からないが、頼まれたとおり訊かないことにした。
 呼ばれた洋一は、監督の隣に座る。通路を挟んで向こうには、橋田智久も座っている。
「お前は明日から控え投手や。まずは中継ぎから頑張れ」
「はい」
 洋一は、レギュラーメンバーに選ばれたことになる。十六人の内の一人に。
(やっぱり俺は一年生で最初や。他の奴らなんかより、よっぽどええわ)
 バスはもう少しで、虎の子学園に到着する。

<<<   >>>