第6話  あれは嘘、これは本当?

 紅白戦が、先程終わった。レギュラー、準レギュラークラスの部員が中心で行われたため、一年生で試合に出たものは居なかった。先日護に投球フォームの弱点を指摘した溝口は、試合に出場するどころか、依然練習にすら参加しなかった。毎日雑用をこなしていた。
 上級生が試合している間、他の一年生部員が隅のほうで練習していたが、護と優哉だけは別行動を取っていた。
「どうやった? 日比野。なんか分かったか?」
「他のポジションは分からへんけど、僕は稲穂先輩ばっか見てたから」
 二人は試合開始から終了まで、たまにストレッチをしながら観戦していたのである。時々他の一年生に声を掛けられるが、適当にいなしていた。上級生の試合を見て、何か技術を盗めないかと模索していたのである。
(何やあの二人。ずっと試合見とって……)
 投球練習をしながら、洋一が怪訝な様子で見ている。
(まあええわ。その間に俺がレギュラーへの道に近づくんや)
 立ち上がった二人の許に、溝口が近づいてきた。
「どう? 少しでも改善の余地は見えた?」
「溝口先輩。出来ませんわ。由良とか槙原にも見てもらうんすけど、やっぱむずいです」
 護が考え込むと、グラウンドから一人の上級生が駆けてきた。まだ左手にグラブをはめたままだ。
「溝口副キャプテン、俺のプレーはどうでしたか」
「いい動きをしていたよ。五回のあの当たりを取れるのだから、流石だね」
「ほんまですか! ありがとうございます」
 溝口より少し背丈がある彼は、目の前の先輩を敬っていた。
「稲穂先輩、ナイスプレー」
「お、日比野やんか。見てくれてたんかぁ、ありがとな」
 稲穂はスタメンでフル出場した。打撃成績は四打数一安打だったはずだ。そこに犠打が一つ加えられる。守備ポジションは勿論セカンド。新入生歓迎戦のときのノックで、優哉が初めて見た、そのままの動きが試合で出ていた。
「そういえば、話し中やったんですか? なんか割って入ったみたいな――」
「大丈夫だよ。気にしなくても」
 ここで優哉が稲穂に問いかける。
「稲穂先輩、先輩は溝口先輩の球、打てますか?」
「え?」
「あっ」
 訊き返してきたのは稲穂で、思わず声を出したのは溝口だった。護が稲穂に話す。
「溝口先輩が俺の投球フォームを見て、クセがある言うたんですよ。そんでポジションは投手やって、球を打ったんです」
「あはは、何や溝口副キャプテンに騙されとんでそれは」
 溝口はやれやれというような顔で、腰に手を当てている。言っている意味が分からない二人は、溝口に問い返す。そこに再び稲穂が口を挟む。
「溝口副キャプテンはショートやで。ピッチャーやっとったって、聞いたこと無いで」
「え!?」
「いやいや、もうばれちゃったか。僕のポジションはショートだよ。ピッチャーは中学のときにやってただけで、高校に入ってからは一度も就いたことが無い」
 護は正直ショックを受けた。自身のフォームの弱点を指摘した投手の球を空振りし、実はそれは遊撃手であった。
「ごめん、芦屋君。騙すつもりは無かったんだけどね」
 しかし護は立ち直った。全て自分の未熟さから、これが成った。弱点がある自分、内野手の球を打てない自分。今は落ち込んでいる暇なんかない。この悔しさから立ち上がるための、実力を付けることが先だ。
「先輩、今から投げ込みやってきます!」
 突然そういい残すと、護は走り去る。待ってよ――と呼びかけながら、優哉も追いかけていった。そこには溝口と、稲穂だけが残る。残された二人の表情は、やおら険しくなった。
「橋田は、今日は大丈夫だったか?」
「ええ、やと思います。けれど、今年はもうせえへんでしょう」
「そうだな。流石に今年は、本人にとってもあってはまずい」
 一年生の練習風景を見ながら、二人は話す。
 ぎゃあ――という奇声が上がり、彼らは投球練習をしているあたりを見た。既に人だかりが出来ていたそこに、二人は急いで駆け寄る。輪の真ん中には、一人の部員が、頭を抱え込んでうずくまっている。
「どうした? 誰か見ていたものはいるか?」
 溝口が問いかけると、目撃者が発言する前に、当事者が名乗り出た。
「あの、俺がやってまいました」
 沈んだ声の持ち主は、橋田智久キャプテンの弟、橋田洋一だった。溝口は、状況を聞きだす。
 投球練習中、洋一の投げた球は、あらぬ方向へ向かった。投球練習をする場所が悪かった。キャッチャーの取れないその球は、後ろでキャッチボールをしていたこの部員の頭に当たってしまったという。
 説明が済んだ頃、騒ぎに気付いた他の上級生部員や、監督、マネージャーが集まった。出血は無かったもののかなり痛がっていたので、監督本人が自分の車に乗せ、病院に連れて行くことにした。そこに球をぶつけた橋田洋一と、その兄でありキャプテンの橋田智久も同行することになった。その間の統率は、副キャプテンである溝口に委任された。
「そうきたか、てな感じやったですね」
「ああ、可哀想に。近いうちあの子はやめるだろうね。原田君は、歓迎戦でいい投球をしてくれた、注目の左腕だったのに」

 後日、原田が退部したという事実が、一年生の間に広まった。再起不能とささやかれたが、同じクラスの部員が異常が無いことを確認していることもあって、その噂は消えた。一年生ナンバーワンのサウスポーが、野球部から消えた。
 洋一は何事も無かったかのように、練習を続けている。故意に当てられたという噂も、原田本人の口から、橋田にたくさん謝られたと言われては、ただのデマだとかき消された。
「由良、どうや? 見えんくなってきてる?」
「んー。まあ前よりましになってきたでぇ」
 腕の振りを常に意識しながら投げる。僅かだがその効果は出ているようだ。横で日比野は、壁当てで練習をしていた。そこに近づいてきた部員は、洋一だった。
「やあ、日比野君。練習どうや?」
「橋田君。うん、いい感じだよ。ところでこの間は――」
 大変だったね――と言う前に、橋田の制止が入る。
「言わんでくれ。気が滅入ってまう」
 その表情は悲しそうだった。このとき優哉は、彼は本気で悪いことをした、と思っているのだと感じた。
「ところで芦屋は何やってるん。ゆっくり投げ込んでるようやけど」
「投球フォームのチェックをしてるんや。出所の見難いフォームを作ってるねん」
 ふーんと、洋一は護を見る。
(あの程度か。あれやったら俺のほうが実力は上やな)
「じゃあ日比野君、練習頑張りや」
「うん」
 洋一は、護の投げている横を通り過ぎた。

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