第5話  護のクセ

「もうちょい続けようや」
「そうだね」
 第四土曜日のこの日は、学校の授業は無い。しかし野球部の練習だけはしっかりあった。午後四時には練習は終了したが、護は居残り練習をすることにした。
「悪いな、由良。つきあわせてしもて」
「んーん。全然構わんよ」
 護と一緒に居残りをするのは、優哉と由良。元々は護と優哉と、二人だけで居残りをするつもりだったが、捕手のポジションを専らにしている部員を探し、由良を誘うことになった。由良も練習は好きで、温厚な性格から付き合いを厭わなかった。
「じゃあ、始めよか」
 護が投手、由良が捕手、優哉が二塁手と、各々のメインポジションに着いた。
「んじゃ、一球目行くで」
 護の投じた球は、由良のミットではじける音がする。
(これが芦屋君の球か…)
 速球はだが、球の速さより、球の伸びに自信がある護。由良が捕球する際に、ミットの位置が少し上がったのが見えて、満足する。由良は護に返球する。この間優哉は何もやっていないが、二塁のポジションには着いている。護が二球目のストレートを投げるが、それは外に外れる。その瞬間優哉はセカンドベースに向かって走り出す。由良は受け取ったボールを、素早く二塁に転送する。送球を取った優哉はベースでタッチプレイの素振りを見せた。
「やった、いい感じで出来た」
 優哉は素直に喜ぶ。その後は投球練習、刺殺練習を繰り返しながら、時間は過ぎていった。
 丁度一段落したときだった。
「あ、まだやってるんだ」
 こちらへ歩きながら話しかけてきたのは、既に制服に着替えた、溝口副キャプテンであった。
「溝口先輩、お疲れ様っす!」
 野球部の慣わしとして、三人が頭を下げる。
「三人残って居残り練習か。これは、来年が楽しみだな」
 手を口許に当てて、優しく笑う。
「あ、そうや。溝口先輩、俺の球、見といてください!ええか、由良」
「ええで」
 大きく振りかぶり、ミットに目掛けて伸びのある直球を投げ込む。大きな音を立てて、由良のミットに収まった。
「どうですか、溝口先輩!?」
 真剣な眼差しで溝口を見つめる。
「とても良いよ。球に伸びがある」
「じゃあ、どうして。歓迎試合のとき、俺を使ってくれなかったんですか」
 全てはこれを訊くために、本気で球を投げた。あれ以来、一年生で練習試合に参加できたのは、投手の橋田と、外野手の槙原だけである。新入部員歓迎試合では、出場しなかったのは護だけなので、護は一度も試合をしたことが無かったのである。それで日頃からストレスが溜まっていた。中学生の時は、逆に休める試合が無かったくらいであった。
「それが訊きたかったのか。いいよ、教えてあげるよ」
 あっさり了承し、セカンドベース付近に居た優哉を呼び寄せ、バッターボックスに立たせた。
「芦屋君、思い切りストレートを投げ込んでくれ。そして日比野君は、思い切り打ってくれ」
 互いに頷く。思えば護と優哉の対決は、中学時代にもなかなか無かった。
 ワインドアップモーションから放たれた球は、ストライクゾーンのど真ん中を捉えようとしていた。この場合はこの球で対決なのであろう。左足を踏み出し、優哉はスイングする。球はバットの上っ面に当たり、金属音を奏で護の上空に上がった。それを護はしっかりと受け取る。
「よっしゃ、打ち取ったで」
「ああ、ピッチャーフライや」
「どうですか、溝口先輩。日比野を打ち取ったで」
 溝口は軽く笑い、護に近づく。
「凄く良かったよ。本当に。で日比野君、芦屋君の球はどうだったかな?」
「え、凄く伸びがあって、打ちにくかったです」
 護と優哉は、どこが悪いのか分からなかった。しかし、直接捕球する由良だけは、何か分かっているようだった。
「芦屋君、バッティングは得意かな?」
「平気ですよ。俺はバッティングも得意ですから」
「じゃあ、バッターボックスに立ってくれ」
 分かりました―と、護は優哉と入れ替わる。マウンド上では、鞄を置いた溝口が肩を回している。見るところ溝口が投げるようだ。
「溝口先輩が投げるんすか?」
「ああ。僕のポジションはピッチャーだよ。手加減しないから、君も思い切り打ってね」
(溝口先輩は、ピッチャーやったんか…)
「さっきと同じ、一球勝負だ」
「―はい」
 胸元まで小さく振りかぶる。スリークォーターからミットのど真ん中に球が投げられる。しかし、溝口の腕の振りに、護は違和感を感じた。リズムが狂った。腕が出てくるのが遅い。ボールが手から離れるのが遅い。護はバットを振る。
(打ちにくっ…)
 球はミットのふちに、何とか捕球された。護のバットは空を切っていた。
(この球、めっちゃ捕球しにくい…)
 そう思いつつも、由良は違いを感じ取っていた。
 球の速さは護とそう変わらない。むしろ彼の球のほうが遅く感じた。しかし、全くタイミングが合わない。かろうじて当てたつもりが、かすりもしなかった。護はそれを、訊かずには居られなかった。気付いたときは、問いかけの言葉が、口から出ていたようだ。
「君の球は、バッターの前でしっかり伸びているけど、僕との違いが分かったかな?」
 護は思い出した。タイミングの取りづらい、溝口のフォームを。
「日比野君。芦屋君のフォームの方はどうだった?」
「えっと、リリースの瞬間がはっきりと分かりました」
 護はショックを受けた。いくら伸びがあっても、リリースのタイミングが分かっては、当てられ易くなる。
「投球練習を見て、すぐに分かったよ、君のその癖は。だから試合で使わなかった。その癖を直さない限り、簡単には打ち取らせてくれないよ」
「んなあほな…」
 思わず出た言葉からは、悔しさが滲んでいた。
 しかし―と話を続けたのは、溝口だった。
「その癖さえ直せば、体の成長した二年生の夏くらいには、レギュラーを取る力はあるよ」
「ほんまですか!?」
 溝口は頷くと、グラウンドを出て行った。
「よっしゃ。日比野、バッターやって、俺の球見てくれ。由良も頼むで」
「ええよ、俺も練習になるし」
「僕も、芦屋君の球を打つ!」
 颯爽と練習を続ける三人。野球部グラウンドの横には、正門から校舎へと続く道がある。下校する生徒がグラウンドを覘く。
(いくら練習したって、俺より凄い一年はおらん―)
 橋田キャプテンの弟、橋田洋一は、三人をよそ目に、正門を出て行く。

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