第3話  新入生歓迎戦 -初めての試合-

「よぉし。全員揃ったな」
 監督の太い声がグラウンドに響く。
「では各自練習を始めろ!」
 球児たちの溌剌とした声が轟き、四散していく。 入部してから一週間経ち、一年生もすっかり慣れた。
 この日は土曜日で、午前中で授業が終了していた。そのため時間に余裕があり、新入生歓迎の部内戦が行われることになった。
 一年生も二、三年生も、自らを奮い起こしている。監督は一年生の中学時代のデータや、練習を見て、オーダーを組む。
 はじけるような音が響いているのは、投手陣が投球練習を行っているからである。新入生歓迎試合を前に、力が入る。その中で一際速い球を投げる者が居た。
 手から離れたボールは、ミットに吸い込まれて音を立てる。
「速ぇ…」
 護は驚愕し、及ばないことを感じ取った。恐らくその球速は一三〇キロ前後だろう。 橋田は黙々と投げ続ける。キャッチャーの手前で、球はしっかり伸びてきている。
 同じ速球派投手として負けられない護は、ミット目掛けて投げ込む。だが、橋田のそれとは目に見えて劣っていた。
「まあまあ、いつか追い抜かせばええやん」
 歩いてきて護に話しかけたのは、キャッチャーの由良良春(ゆらよしはる)。いつも笑顔を絶やさない、和みを与えてくれる部員だ。
「いつかって、のんきなこと言ってられんわ。俺はレギュラーを取るんや」
「何言っとんの。俺やってレギュラー取りたいわ」
「やろ?やったら負けてられへん。“善は急げ”って言うやんか」
 興奮した護の肩を軽く叩いて落ち着かせる。
「まだ橋田の上には先輩達が居るやろ?“急がば回れ”。あと三年あるし、その間に追い抜かせばええやん」
「…そやな」

 打球音で強さを判断し、バウンドの手前か跳ね際にすくい上げるように取り、素早く一塁に投げる。
 ダイヤモンドでは内野手の練習の番である。引き続き溝口副キャプテンがノックを続けている。
 少々難しい打球だが、これくらいは取れないと内野手とは言えない。一二塁間に弾む打球をすくい上げ、すぐさま一塁に投げる。待機場所に戻りながら自身で反省する。
(今のはもうちょっと高く投げるべきやった)
 優哉は反省もそこそこにポジションで待機する。今は別の人の番。
「稲穂か…」
 ノッカーはくぐもると、鋭い打球を放つ。
(これは無理だ!)
 優哉が思った刹那、影は飛び、確実にボールを掴んでいた。そのまま上体だけが起き上がり、確実に一塁にボールは転送されていた。
「凄い…」
 思わず出た一言は、彼に聞こえた。起き上がって優哉の方へ来る。
「この位なら取れるよ。もうちょっといったら分からんなかったけどな」
「凄いですね、…ぁ」
 優哉ははっとし、申し訳なさそうな顔をした。まだ名前を知らない。それを察したのか、彼から話す。
「ああ、名前やな。俺は稲穂慶斗(いなほけいと)、二年生や。君は?」
「僕は日比野優哉です。よろしくお願いします!」
 軽く頭を下げたときに、彼の左腕に長い傷跡が見えた。直ぐに監督に呼ばれて、どういったものかは訊けなかったが、それは手の甲から肘にまで達していた。

 再び監督の前に整列する。
「では今から、試合を始める。各チーム、ベンチにオーダーを置いてあるから、それ見て動け。監督は二、三年チームは橋田智久、一年チームは溝口に任す。主審は俺がする。各塁審は二、三年チームから出してくれ」
 一年生チームのスターティングオーダーに護と優哉の名前は無かった。中継の枠に護、代走の枠に優哉の名前があった。そして先発投手に橋田洋一。五番打者に槙原が入っていた。
 護は不思議なことが一つ。その対象はオーダーではなかった。
(何で溝口先輩は試合に出ぇへんのやろ…?)
 試合は一年生チームの先攻で始まった。上級生チームの先発投手は、エース宮本。ここで活躍すると監督にアピール出来るため、積極果敢に初球から振って行く。だが勿論学校一の投手の球に、中学から上がったばかりの一年生が当てられる筈も無く、あっさり三者三振に終わった。
 上級生チームの攻撃になり、橋田がマウンドに向かう。
「おい橋田!」
 ベンチから飛んだ声に後ろを振り向く。その前には護が仁王立ちしている。
「お前は今から俺のライバルや」
 一年生ベンチは失笑に包まれる。橋田はふっと笑って言い返す。
「勝手に言っとき。俺は名も知らん奴なんかを相手にするほど、暇やない」
 橋田は再びマウンドに向かって歩き出す。その背中を見ながら、護は誓った。いつかあいつを追い越す、と。
 しかし上には上が居る。
 橋田は上級生の洗礼を受けた。ようやくスリーアウト目を取ったのは五失点してからだった。失意のままマウンドを降りてくる橋田には最早、護も声を掛けられなかった。
 一年生投手陣の中では確実に実力は一番上だ。その投手が一イニング五失点。やるせなさがベンチを漂っていた。
 溝口副キャプテン監督はそれでも橋田を代えずに、三回まで投げさせた。失点は十一点、得点は零点。二回に五番の槙原が右翼への大飛球を打っただけである。
(橋田はこの回で終わった。溝口先輩、俺に投げさせてくれへんかな)
「監督、ピッチャーを原田に代えます」
 左腕の原田がマウンドに向かう。護の内心は、指名されなかった残念と、打たれずに済む安堵が交差していた。
 金属音が鳴り響き放たれたボールはグラブに収まり、51回目のアウトが宣告される。三十八対二。上級生チームの勝利である。一年生チームは終始圧倒され続け、大量失点という結果になってしまった。
 護の登板は無く、優哉は八回から守備に就いた。

「今日の反省点を踏まえ、自らを精進しろ!今日は解散!」
 監督のその言葉で、本日の練習は終わった。だが護には納得の行かない点があった。
 先程の試合で使われなかった選手は、一年生の中では護だけだったからである。監督はあの溝口副キャプテンであっただけに、その不満も大きかった。
(溝口先輩、どうして俺を使わなかったんや。俺やったら―)
 俺だったら―抑える自信があったのに―とは、心の中とはいえど、思えなかった。きっと打ちのめされていただろう。
 溝口副キャプテンに起用されなかった悔しさと、想像でも打たれてしまう自分に、護は嫌悪した。

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