第2話  去年の敵が一緒にいる

 新一年生にとっての始業十分前。野球強豪校の虎学ならではの話題が、男子の中で出ている。既に一部の男子は、“野球”という共通のテーマで、仲間が出来ていた。
 朝練の終わった野球部員が加わり、話が始まる。
「この間の阪神巨人の三連戦、和田のタイムリーが効いたな」
「八木が怪我で二軍ってのは痛いな」
「川尻は今年はイケそうやな」
「中継に葛西は欠かせへんわ」
 虎の子学園と言うだけあって、在校生の阪神ファン率は圧倒的だ。しかしその輪の中に、阪神ファンでない者が二人。
「おいおい、藤井寺での本拠地初カードで三連勝は?」
「うん、開幕戦は高村投手が投げて西武に勝ったやん」
 話が止まり、皆が護と優哉の方に顔を向ける。
「それ、近鉄の話?」
「そうや」
「俺、近鉄のこと全然知らへんねん」
「俺も。てか、何で近鉄?阪神やないん?」
 返って来る言葉は冷たいものばかり。
「何やねん、最下位なのは一緒やんか。何がちゃうねん」
「近鉄やで、近鉄。阪神の方がよっぽどええやん」
「近鉄の方がエキサイトな試合をするよ!」
 ドアがスライドする音がし、この阪神近鉄論争は終わった。

 野球部の練習で一年生は、ひたすら基礎練習を行ったあと、球拾いをすることが定番であった。
 縫い目の解けたボールを見つけ、丁度近くに居た溝口副キャプテンに、護は処置を尋ねに行った。
「溝口副キャプテン、このボールどうしましょう?」
「はは、副キャプテンなんて付けないでくれよ。照れるじゃないか」
 そう言いながらも手に取ったボールを預かり、始末は彼で決めることになった。
「溝口先輩、籠、持って来ました」
 やってくるのは、野球部の女子マネージャー。二年生の大場鶫(おおばつぐみ)。彼女の長い黒髪は、一つに結われている。
「ああ、ありがとう」
「いつも練習の時は辛いですね」
「いや、そうでもないよ。後輩達が頑張っている姿が見れるから」
 忘れられ掛けている護はちょっと不思議に思った。
(『大変』なら分かるけど、『辛い』?)
 するとようやく彼女が護の存在に気付いたようだ。
「あ、済みません。お話中でしたか?」
「いや、済んだところだよ」
 護はとっさに挨拶をする。彼女はすぐ言葉を返した。
「二年の大場鶫です。芦屋君ね、よろしく」
 護は直感した。この二人、お似合いだな。
 自分の持ち場に戻っていく間、ふと護は首をかしげた。
(溝口先輩、何で雑用ばかりやってるんやろう…)

 見つけたボールは、手前で別の部員に拾われた。不意に顔を上げ、相手を確認した。
「やあ日比野君。調子はどうや?」
「橋田君。…うん、まあまあかな」
 最初は緊張気味に話していたが、次第に落ち着いてきた。背が高く、鋭い眼光だが、見かけで判断してはいけない。
「俺な、キャプテンの弟やねん」
「あ、本当だ。苗字が一緒や」
「俺は絶対レギュラーになってやんで。日比野君、君もライバルや」
 そう言い残すと他のボールを拾いに行った。
 優哉は正直、キャプテンの弟にライバルと認められたことを、喜んだ。
 上級生の打撃練習が終わり、同時に一年生の球拾いも終わる。
 一年生はグラウンドの片隅に集められた。監督からは以後の指示が出され、溝口副キャプテンの口を通して伝えられた。この日は軽い練習で、明日からいよいよ各種の練習に取り掛からせるという内容のものだった。
 指示通り一年生はキャッチボールを始める。各自持参してきたグラブが始めて音を立てる。
 護の相手は優哉。肩に自信のあった護だが、しかし他の部員とどっこいどっこいであった。
「あれ?日比野、グラブ買い換えたん?」
「うん、気付いた?今日からこれを使うんねん。まだまだ硬いけどとても手に馴染むんや」
「へぇ、俺は去年からのをそのまま使うで」
 優哉の手には真新しいグラブが輝いている。新鮮味は無いが、護には使い慣れたグラブがある。
 足に軽い感覚が当たった。足元にはボールが転がっており、駆けて来る一年生部員。ボールを拾いその部員に渡す。優哉の方に向き直ると、その部員から声を掛けられた。
「お前、松葉中の芦屋やないか?」
「え」
 振り向いた先には確かに見覚えのある顔。そうだ、思い出した。広瀬中の四番打者だ。
「広瀬中の槙原か?」
「そう、良う覚えてたな。一度しか試合してへんのに」
 遠くに居た優哉も、当人と気付いたようだ。
「そうか、お前らも入ってたんか。―また、練習後に話そな」

 空には月が昇りたそがれも過ぎた頃、練習は終わる。帰路についた三人は盛り上がっていた。
 槙原満(まきはらみつる)。中学三年の時、一度試合を行ったことがある。満は最終回に逆転サヨナラホームランを打ち、護、優哉のいた松葉中学校を負かしたことがあった。
「そうか、じゃあ芦屋と日比野の二人しか虎学に来てないんやな」
「ああそや。俺達しか来てへん」
「でも推薦で入ったんは芦屋君だけで、僕は受験で入ってん」
 そうなんだ、と、満は頷く。
「俺も推薦で入ったんや」
 夜の黒が濃くなっていくが話は終わりそうにも無い。

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