scene96  善悪の使者

 応接室に飛び込んできたのは、紛れもなくジュラだった。部屋に飛び込んでくるなりすぐにメイリらの許へと駆け寄る。
「ジュラ、あんたなんでこんなところにいるのよ!?」
「それはこっちの台詞だ。もうここにいる必要はねぇだろ」
 そう言うとジュラは、目の前で座ったまま状況を静観しているボートを睨む。
「こいつらは何もやってねぇぞ!」
 ジュラは怒気をあらわにして怒鳴り込む。その声に編みこまれた心からの思いが、ボートに届いたかどうかは本人しか知らない。ボートはゆっくりと立ち上がる。そして軽く笑う。彼自身の笑顔は、単なる笑顔として受け取ればとても紳士的で、見る者誰もが安堵するかもしれない。しかしメイリらにはそれはそう映らず、裏には真魔石探しの敵として牽制を受けている風に感じた。
「安心するがいい。この子らは容疑者ではない」
 ボートの言葉にジュラの迫力がやや納まり、内心でほっとしているのが感じ取れる。だが表情は変えない。
「被害者の仲間として話を聴いていただけだ。それと、加害者は既に死亡している。この事件はもう解決している」
 説明を完全に聞き終わった後に、ジュラはほっとため息をついて、ようやく緊張を解く。
「君たちはもう帰ってくれて構わないよ。貴重な時間を取らせてしまってすまないね」
 ボートは決まりきった言葉を並べて、ようやくメイリらを解放した。全員の緊張が解けて、この堅牢な檻からいち早く帰ろうとしたところで、ボートは引き止める。
「新しくやってきた彼は、君らの仲間か?」
 三人はその質問に咄嗟に足を止め、瞬時にそれに対する回答を模索し始める。ジュラはまだ仲間とは言い切れないが、友達と言うには弱い存在ではなくなっていた。しかし、友達だと言えばジュラもまたボートに事情聴取されるだろう。そのようなことをさせないために、メイリが代表して違うことを告げようとしたとき、それよりも早くジュラが反対のことを口に出す。
「友達だ」
 メイリは小声でバカと言うが、ジュラはそれに全く反応を示さずにボートを見据える。物怖じせずにボートを睨みつける勇気は立派だが、今この場面では必要ないことを必死に伝えようとするが、三人のその思いが届く前にボートがぴしゃりと言い切る。
「そうか、ならお前も事情聴取だ。――下手に断れば公務執行妨害だぞ?」
「ああ、別に事情聴取でもなんでも、お好きにどーぞ」
 なぜこうも喧嘩腰なのだろうとメイリとエミが頭を抱えるのにもかかわらず、つかつかと部屋の中へ向かってジュラは向かう。トオルだけは開き直って、ジュラに負けるなと声をかけている。それに対してジュラは、手だけを軽く振って応える。
「君らは帰りなさい。吉報を待っているよ――」
 その言葉を残すとボートは不適に笑い、応接室の扉を閉めた。そしてすぐに、側にいた派遣員が建物の出口へと案内を始める。ジュラが心配ですぐ側で待っていたかったのは山々だが、この期に及んでBEに対して反抗する態度を示せば、ボートに強い牽制をされるのは想像に難かった。そのため大人しく建物を出て、外でジュラを待つしかなかった。

 ボートは扉を閉めると、先程自分が座っていた椅子に再び着席した。ジュラはまだ立ったままだ。沈黙は、ジュラの笑みによってすぐに途切れた。
「これでいいんだろ?」
 ジュラはボートの眼を見て尋ねる。
「ああ。注文どおりだ。ご苦労だったな」
 ボートは満足そうに笑みを浮かべている。さっきと同じ不敵な笑みを。
 ジュラはその顔を見ると、部屋の隅に向かって歩き出す。そして窓の縁に手をかけて、眼下の景色を見渡す。地上二十メートルにある六階の窓からは、見上げることの出来るビルがいくつも見えている。しかしそれほど密集しているわけではなく、圧迫感はない。
「やつらのファーストインプレッションは、お人好しってところですかねぇ」
「ああ、それは聴取しているときに感じたよ」
 ジュラとボートは視線を合わせないまま会話をする。その内容は事情聴取ではなく、情報交換といった雰囲気が漂う。
「曲者はメイリって奴ですよ。ナンパしてみたんだけど、気ぃ許させるまで結構苦労しちまって」
「そうか、お前はそう感じたか、ジュラ。私とは意見が違うな」
「何?」
 ジュラは思わず振り返る。ボートは椅子に座ったまま同じ姿勢を続けている。視線はまだ合わせない。
「一番厄介なのはエミという少女かもしれんな」
「はぁ、エミちゃん? 何でそうなるんっすか?」
 ジュラは本気で分からないという顔をしている。ようやくボートは彼を一瞥し、そしてその表情に苦笑を浮かべる。それに対してジュラは少しむっとする。
「あの少女は私に対して戦線布告をしてきた」
「え、あの大人しそうな子が……!?」
「エミという少女は洞察力に優れている。そして集中力も半端ではない。少しでも矛盾点を露呈してしまえば、そこを突かれて、瞬時に我々の嘘を見破ってしまうだろう。――ジュラ、お前との関係もな」
「んな……」
 ジュラは面食らっている。ボートは、今度はその表情を見ても苦笑しなかった。しかし代わりに、真剣な表情を浮かべる。それを見てジュラもまた真剣な表情を作り直す。空気が淀んだまま、動きを止める。そしてボートが口を開く。
「計画阻害勢力の侵入、殺害任務の第一段階の成功、ご苦労。引き続き任務を続けよ」
「はっ」
 ジュラは背筋を伸ばして、歯切れよく返事をする。
「第二段階ではエミの殺害。そしてメイリの殺害。この計画を速やかにかつ慎重に遂行せよ。――見たところによれば、仲間一人の死で相当参っているようだ。近いうちであればそれだけ殺り易いだろう」
 ジュラは再び、威勢のいい返事をする。その様子は、下っ端の派遣員と同じで、この組織での統長への絶対服従がどれだけ重要視されているかがよく分かる。
「この二人の殺害は半日以上の間を置くな」
「分かりました。動揺が大きいうちにってことっすね」
 ボートは笑みを浮かべて、その通りだと声の調子を変えずに言う。ジュラとの会話中ずっと着席したまま姿勢を変えなかったボートだが、ここに来てようやく立ち上がった。
「特にエミのほうはあの集中力だ。恐らく魔法術者としての素質があるだろう」
 ボートは軽く笑って付け足しのように言う。ボートのいる場所はどこも空気が冷たく重くなるが、今は真剣な話をする前の常態に戻っている。
「了ー解。――トオルはラストっすよね?」
「トオルというのか、あの少年は。ああ、そいつはラストだ。驚くほど安全パイだ」
「やっぱり? オレもトオルはすぐに安パイだって判断したんっすよ」
 ジュラは悪戯を楽しむ子供がするような笑顔を見せる。
「真魔石はまだ借りてていいっすよね?」
「問題ない。まだまだ赤子同然だ、お前が取られるはずもない。あの様子なら気付いてもいないだろう」
 だろうな、と納得したような表情を浮かべて部屋を出ようとすると、ボートに呼び止められる。
「なんすか? また」
「――あいつらが以前同行していたメンバーに、レイト・セールメントがいる」
「な、マジかよ!? あのこないだ懸賞金額が一位に上がったばっかのレイトが!?」
 ジュラは驚愕して、身体を翻しボートのほうを向く。
「だが今はいない。大方、使えない奴らだからだろうと切り捨てたのだろうが、一応頭の隅に置いておけ。常に気にする必要はないとは思うが、万が一接触があった場合は早急に伝えろ」
「――了解……」
 不穏な表情を浮かべたまま、ジュラは応接室を足早に出て行った。

<<<   >>>