scene94 背中合わせの非日常
太陽が青い空に昇り始めて、いつもと変わらない朝がやってきた。いつもよりも雲が多くて、天候が悪化すれば雨が降るのではないかと程度だったが、朝の時点でそのような心配は要らなかった。
「――あれ?」
目を覚ましたトオルは、横のベッドが空なことに気付く。時計を見ると九時半を示している。
(ああ、もう起きて飯かなんか食いに行ってんだな)
普段より寝覚めの遅いトオルは、よくほったらかしで先に朝食を摂られることがある。しかしそれも日常茶飯事。今では完全に慣れてしまって、微塵も不機嫌になることはない。ベッドから這い出ると顔を洗いに立ち上がる。洗面所に行くまでに、カーシックのベッドをもう一度見る。
(シーツまで整えて飯に行くなんて、几帳面な奴だな)
ビジネスホテルといえど、ここにはなぜかレストランもある。宿泊客にとっても外に出なくても食事が取れてありがたいが、経営者側にとっても懐から小銭を落として行ってくれるのはありがたいに違いない。
エミとメイリが壁際の四人用のテーブルに着き、サラダとサンドイッチという菜食中心の朝食を摂っている。そこへトオルが現れる。
「あ、おはようトオル」
「ああ、はよ」
適当に挨拶をして、食券を買いに踵を返したときに、メイリに呼び止められる。
「カーシックはまだなの?」
「え? 先に来てるんじゃなかったのか?」
メイリは来てないわよと首を振ると、三人揃って不思議な顔をする。あのカーシックが何も言わずに突然姿を消すなんてことはありえない。やがてトオルは、昨晩のことを思い出す。テレビを見ながらだったので、あまり鮮明ではない。
「そういえば昨日の夜、遅くなったら先に寝てろっつって、どっか出かけてったっけ」
「え、それじゃあカーシック君は、それからまだ帰ってきてないってこと?」
三人の顔に徐々に焦りの色が浮かび始めてきた。夜に外に出て行って帰ってこないのならば、どこか別の所で一夜を明かしたか、トラブルに巻き込まれた可能性が高い。
「あんまり芳しくないわ。トオル、ちゃっちゃと朝食摂って、出かける準備よ」
「はいよ」
メイリから直接急ぐことを示唆されながらも、トオルはオムライスセットの大盛りを買っていた。
トオルは朝食を脅威のスピードで平らげ、そそくさと部屋に戻る。三人とも魔法石をしっかりと持ち、ホテルの外に出る。いつもどおりの人通りだが、どこか様子が違う。殆どの人が同じほうへ向かって歩いていく。中には走っていく人もおり、その光景はトオルの興味を掻きたてた。
「なんだなんだ? 有名人でも来てるのかな?」
状況をわきまえない発言をメイリが注意していたところ、見知った男が走ってきた。焦りの表情を浮かべて、額には汗をかき、息を切らして走ってきたようだ。その男はトオルらの前で立ち止まり、膝に手を付いて肩で息をしている。
「ちょ、丁度良かった! メイリちゃんたち、大変だよ」
「ジュラ、何かあったの?」
「あ、あっちで、殺人事件が……!」
その言葉を聞いた瞬間、三人の脳裏にカーシックが過ぎった。とても嫌な胸騒ぎを覚える。全く関係のないことかもしれないが、”何となく”と言うには強すぎる直感が頭の中をぐるぐると回り続ける。
「まさかとは思うが、……急ごう!」
トオルはメイリとエミを促して、人の流れが多いほうに向かって走り出した。よく見るとさっきよりも流れに交わる人が多くなっている。ただ事ではない感がひしひしと伝わってきた。走り去るトオルらを見つめ、ジュラはその場に立ち尽くしたまま、小さくなっていく背中を見つめている。やがて不気味に微笑むと、逆のほうへと歩き出した。
人の流れるほうへと走り続けていると、同方面に向かう人々から様々な会話が聞こえてくる。
「死体があるらしいぜ」
「殺人事件が起こったんだってぇ」
「うそー、こわーい」
誰も彼もが同じ内容のことを話しており、最早この先に何があるかは疑いようも無くなった。辺りにいる大勢の人間は大体が野次馬だろう。こうして走って現場に向かっているトオルらも、やってることは野次馬と変わらないのだが、現場に行って確かめてみるまではこの変な胸騒ぎを抑えることが出来ない。むしろこの第六感が全くの的外れで、単なる野次馬となるだけならばどんなにいいことか。
やがて人だかりが見えてくる。ここまで来ると走ることはできない。人の間を縫って徒歩で進むしかない。ここまで来ると野次馬の会話の内容も詳細になってくる。耳に入る何もかもが、トオル達にとって毒であり、それが一層不安を助長させていた。特に、一番聞きたくないことが、次々に耳に入ってくる。
「背が高い人が――」
「――は大きい人で……」
外見的特徴と言う点に関しては大雑把でありがちだが、要らぬ不安を掻き立てるには充分な材料だった。そしてあと数層の人波を掻き分ければ辿り着けるところまで来た。必死にぎゅうぎゅうの人込みを割って前に進む姿は、それこそ厚かましい野次馬そのものだ。
ようやく人を掻き分けて最前列に出ると、既にBEの検死官が入っており、捜査を開始している。そのたくさんの捜査官の隙間から遺体が見える。――背が高い、細身、ホーリーでアリエットに悪戯に染められた茶髪。それは紛れもなくカーシックだった。
「カーシック!!」
知らないうちに叫んでいたらしい。周りの野次馬がトオルらをじろじろと見ている。不自然な輪郭の体、胸から突き出ている肋骨。全身に広がる青あざ。見ているだけで痛みが伝わってくる。昨日まで元気でいたカーシックは今、無残な姿となって地面に打ち捨てられていた。
「知り合いかい?」
捜査中の派遣員が尋ねてきたので無言で頷く。身元を確認して欲しいとロープの中に入れられ、間近で顔を確認する。もしかしたら勘違いかもしれないと願ったのもむなしく、それはカーシックがもう生きていないという事実を固めるに過ぎなかった。もう一人の遺体の確認も要求され、指を差される。カーシックのほうに集中していたので、三人とももう一つ遺体があることに気付いていなかった。
「ただ、女の子二人は見ないほうがいい。そして君も、トラウマになるのが嫌だったら、見ないほうがいい」
トオルはただ無気力で、今は何を見てもカーシックの死に勝るものはないだろうと、一人で確認へ向かう。野次馬から中が見えないようにブルーシートがめくられ、中を覗き込むと、頭が半分ほど陥没して内容物がぐちゃぐちゃに飛び出た巨漢が横たわっていた。思わず眼を覆おうとしたが、その顔には見覚えがあった。頭部は完全に破壊されているが、鼻と口の形、衣服、その輪郭から想像できる眼の形。それらから、カーシックに因縁をつけた巨漢が思い立った。
「そうですか、あちらの被害者に因縁をつけた相手ですか……」
BEの派遣員は渋い顔をして証言をメモする。
「あの、犯人の手掛かりは見つかりましたか?」
トオルはうつむいたまま尋ねる。
「犯人なら多分、こっちの被害者だろうね」
「えっ」
「お友達の後ろポケットから、こっちの男の直筆のメモが入っていてね。それに呼び出す場所と時間が併記されていた。それと凶器に使った岩も、もう特定できている」
迅速な事件概要確定に感謝したいところだが、犯人が亡くなったことが分かった今、ぶつけようのない悲しみと怒りが頭の中を右往左往していた。
「後で話を聴きたいから、彼女らの所で待っててもらえるかな?」
「はい……」
トオルは脱力を感じながら、不安気にこちらを見るエミとメイリのところへと戻る。
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