scene93  闇に呑まれた魂

「お終いだな」
 ジュラはそう言いながら、カーシックを固めた岩石を崩しにかかる。やり方はとても粗雑で、中のカーシックがどれだけ損傷しても構わないと言う風だった。乱暴に岩を破壊しながらカーシックを発掘していく。やがて周りの岩を全部砕き終わると、カーシックの遺体が力なく地面に倒れこんだ。四肢は関節ではないところからありえない方向へ屈折しており、至るところに青あざを作っていた。首も九十度に折れ曲がって、眼は鋭く見開いていた。胴や頭の形も原型をとどめておらず、歪になった輪郭や、皮膚を破った肋骨からも、岩の圧迫は相当なものだったと受け止めることができた。
「へっ、ちょろいもんだな。さ、帰ろうか、ジュラ」
「そうだな」
 遺体にはそれ以上触れようとはせず、あえてそれを残してこの場から立ち去ろうとしていた。ジュラは踵を返して歩き始めたが、その後ろには新たな殺気が感じられた。それに気付いて視線を後ろに向けようとしたときは既に遅く、飛び掛ってきたそれによって地面に取り押さえられた。
「なんのつもりだ、ジョンソン!」
「へへ、へ。あんたの言いなりになるのはもうごめんでなっ」
 仰向けのジュラにマウントを取っているのはジョンソンだった。その表情は鬼のように険しく、彼の右手は固く拳を握っていた。
「お前、何がしたい。早く上をどけ!」
「嫌だね。俺様はお前が心底嫌いなんだ。今日の昼は、演技とはいえ思い切りお前を蹴ることができて、最高に気持ちよかったぜ」
 不意にジョンソンは拳を振り落とし、それはジュラの左頬を捉えた。殴られてすぐに、彼の左頬は青く腫れ上がった。ジュラは視線をジョンソンに戻す。
「それだよ、その眼! 俺はお前より上なんだと言わんばかりのその態度が気に入らねぇんだよ!」
 ジョンソンは固く握ったその右手を、今度は高々と振り上げて渾身の力で、ジュラの顔目掛けて振り落とす。その眼には殺意が満ち溢れており、あわよくばこのまま気の済むまで痛めつけてやろうと言う思いがひしひしと伝わった。しかしその拳が直撃する瞬間まで、ジュラは涼しい顔をしてジョンソンと拳を見つめていた。
 インパクトの瞬間、鈍い音が体の内部を伝って聞こえてくる。それと同時のタイミングで、耳からも似た音が聞こえてきた。刹那間を置いたあとに、雷に打たれたかのような鋭利な痛みが、ジョンソンの右拳を襲った。
「ぐおぁっ!!」
 一瞥しただけで、右手が異常であることが分かった。一瞬にして一回り以上腫れ上がり、手の甲が凸凹に圧縮されたように変形していた。骨折と言うには、言葉が余りにも状態より弱いような気がしてならない。
「て、てめえ、何しやがった!!」
 ジョンソンの声に先程のような強い語気はなく、どこか弱々しさを見せている。激痛に耐えながら必死に言葉を出しているようだった。
「何って、岩石と同等の硬度を皮膚に適用しただけだぜぇ?」
 ジュラは不敵な笑みを浮かべると、一〇〇キロは超えるであろうジョンソンを軽々掃い飛ばして、ゆっくりと立ち上がる。上手く着地できなかったジョンソンは右手を痛打し、あまりの激痛に悶絶している。だがそれでもジュラを見据える。
「どういう……ことだ――? 魔法石でも、そんなことはできない……はずだ」
「そこまで知ってるなら、すぐ分かるだろ。真魔石を使ってんだよ」
 ジョンソンは目を丸くする。世界で五種類しか存在しないと言われている真魔石を、目の前の人物が所持していると言うのだから。しかし魔法石の力を持ってしても不可能な事象を目の当たりにしたため、ジュラの言を信じざるを得ない。今までの現象を見てみると、地属性の真魔石と言う確率が一番高い。そのジョンソンの考えを読んだかのように、ジュラは真魔石を取り出して説明を始める。
「今のは地属性の真魔石の力さ。第十九番界のトーラーのブリックってやつが持ってたらしいけど、取り上げてやったんだよ」
 大人しく話を聴いていた(正確には攻撃ができなかった)ジョンソンは、あからさまに多弁であるジュラの様子に、これからの行動の予測が簡単に推測できた。
(必要以上に細かいことを話してきやがるってことは……俺様はここで殺されるのか……!?)
 焦燥が表情に出ていたのか、ジュラはぴたっと話をやめて、少しずつジョンソンに歩み寄る。
「知ってしまったからには生かしておけない――ってね、そんなの建前。元々お前は殺すつもりだったんだよ」
「なっんだと!?」
「最後に考える時間をやるよ。何のためにオレがこんな回りくどいことをしたと思う? お前の言うとおり、手紙で呼び出すくらいは自分で出来る。だがそもそも、そんな面倒なことなんてしないで、オレが脅せば早いんだがな」
「そういことか……っ! 俺様を使ったのは、出来事を極自然に見せるためか!」
 ジュラはジョンソンの目の前に立ち、眼だけで彼を見下している。月明かりで逆光になったジュラは、一層迫力を増している。
「遠からずも当たらずって感じだな。――だからお前は、削除対象なんだよ」
 ジュラが手を差し出して何らかの力を使おうとしたとき、ジョンソンは隙を突いてジュラに体当たりを仕掛ける。
「死んで堪るかっ!」
 しかしその必死の悪あがきも簡単に避けられ、ジュラは中空で一回転している。そのまま脚を突き出して、ジョンソンの頭頂部に激烈なかかと落としを叩き込んだ。真魔石によって、岩石並みの硬度と重量を得た右足は、即死させるのには充分な威力を持っていた。頭部は長さが半分になり、鼻の辺りまで完全に陥没。背骨をも破壊して明らかに胴の長さが縮んでいる。衝撃は随所に伝わり、両足の膝関節は完全に破壊され、外れた大腿骨の端がすねの下部までずれ込んでふくらみを作っていた。付近には飛び散った脳漿が転々としており、その破壊力を物語っている。
「標的の周りにいた人物の目撃証言、宛てられた手紙の筆跡。殺害方法や状況に不審な点があろうとも、このたった二点の証拠で犯人はお前と断定され、よくある殺人事件として処理されっからだ」
 ジュラは二つの遺体を前に、顔色一つ変えることなく、淡々と話の続きを喋る。傍聴者は、孤高の月とざわめく森の木々。
「だいたい最初からお前は捨て駒だ。魔法石も持たねぇくせに仲間面しやがって、糞うぜぇんだよ」
 ジュラは既に息のないジョンソンの身体を思い切り蹴る。壊された身体は蹴られた形に折れ曲がる。くたびれた人形のようだった。
 生を奪われた二人の遺体は、それでもなお傷口から血を流し続けている。止まらない血は地面をじわじわと赤く染め上げてゆく。カーシックとジョンソンのそれに何ら違いはないように見えたが、ジュラにはカーシックのほうが赤く鮮やかでいるように見えた。今まで一度も穢れたことのないような、純粋なもののようだった。これを見ていると、初めての感覚に襲われるような気がしていた。心の中のわだかまり、葛藤、呵責。
(なぜだ? なぜオレは、罪悪感を抱いているんだ……?)
 人を殺すのは初めてではない。むしろ手馴れている。しかし、手にかけてきた者の中で、カーシックだけが唯一かたぎの潔白の者だった。
(まあいい。気のせいだろう。そのうちこのうざったい変な気分も消え去って、いつものオレに戻るさ)
 ジュラは無理矢理気持ちを押さえ込んで、目の前の状況を見据える。いくら状況証拠がジョンソン犯人説を支持していても、当人がこうも不自然な死を遂げているのでは、捜査打ち切りが伸びなくもない。現場に適当な細工を施さなければならない。
(大体でいいだろう。あとは何とかなる)
 ジョンソンの遺体付近に、彼が握って凶器に使うことができる程度の石を作って置く。そして隕石に似た物質を構成して、まるでそれが落ちてきて当たったかのように、彼の潰れた頭の中に放り込む。潰れた脳を更に潰す音は、もう聞き慣れている。そうのように簡単なトリックを仕掛けておき、その場を立ち去ることにした。
(これで命令通り、任務は遂行した。後は適当にやるだろ。これ以上手は加えねえから後始末はてめえで何とかしろよ、ゴシュジンサマよ)
 ジュラは乱雑にポケットに手を突っ込むと、笑いはせずとも軽い足取りでその場を歩き去った。

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