scene91  助太刀のジュラ

 トオルは真っ先にジュラの許へと駆け寄った。ジュラは蹴られた箇所をしっかりとガードしていたが、あの強烈な衝撃の前に、全てを殺しきれなかったようだ。蹴り飛ばされた瞬間ジュラの身体はやや浮き上がったものの、しっかりと地に脚をつけて立っている。
「大丈夫。カーシックを逃がしといてよ」
 ジュラはなおも痛そうに腹部を押さえている。
「おい、大丈夫かよ……」
「安心しな。長い間ナンパ師やってっと、こういうことはたくさんある。オレに任せな」
 額から冷や汗を流しながら、ジュラは真っ直ぐ暴漢を見据えていた。腹を押さえていた手をそっと解くと、背筋を伸ばす。横で心配そうに眺めていたトオルに離れるように手で合図を出すと、攻撃の体勢になる。トオルはジュラの指示通りにその場から身を退いて、カーシックに飛び火がないように壁の役割を努めることにした。
「おい木偶の坊。オレが相手してやる。負けたら身を引きな」
「けっ。すぐに力に訴えるとは、短慮だな。けど俺様は、そんなバカどもを打ちのめすのが大好きなんだ。悪く思うなよ」
 巨漢はジュラを威圧しながら見下ろして、厚い唇でにやりと笑う。お世辞にも爽やかとは言えないそれに、顔色を変えずにジュラは立っている。
「そっちこそな」
 言葉と同時に巨漢に向かって走り出し、大きく踏み込んだジュラは、地面を蹴って宙へ飛ぶ。ミサイルの発射を思い出させるその素早い動きに、巨漢はただ目を見開くしかなかった。一度瞬きをすると、そのときには強烈な一撃がジュラの拳によって巨漢の顔面に叩き込まれていた。見た目のインパクトとは裏腹に、軽い音が辺りに響く。打撃があまりに強すぎるのか、殴られて刹那の呼吸の後、巨漢は軽く飛ばされて倒れる。
 身体は大通りに投げ出され、人波の中へ紛れる。突然倒れてきた巨漢に、若者が多いせいか、足を止め騒ぎ出す人がすぐに大量に発生する。
「逃げるぞ!」
 ジュラはトオルらを促して即刻走ってその場を離れた。

 数百メートル走ったところで、もういいだろうと、皆脚を止めた。
「あの、ジュ、ジュラさん、ありがとうございます」
 カーシックは彼の前まで行き、深々と頭を下げる。
「すいません。ぼくのせいで殴られて――」
「あーあーいいってことよ。君らの仲間と遊ばせて貰ったお礼として」
 ジュラは笑って、なんでもないかのように言う。
「あーら。それじゃあお礼をする相手が違うんじゃないの?」
 メイリに軽くねめつけられて、ジュラは苦笑いを浮かべる。
「なー皆ぁ。やっぱりジュラと情報交換してもいいんじゃねーか? 今だってでっかい借り作ったしさ、悪い奴じゃないだろ?」
「そうね。悪い人ではなさそうだし……。もう一回考えてみてもいいかもね」
「だよなー! さっすがエミ、話が分かる!」
 トオルの再提案とエミの突然の方針変換に、メイリは戸惑う。続けざまにカーシックからも再考を支持する言葉が出て、メイリはため息をつくしかなくなった。
「分かったわよ。あんたたちの好きにしな。私のことは気にしなくていいから」
「よっしゃ! 俺は絶対、情報交換賛成派!」
 本来は必要ないのだが、再考のお許しを貰ったトオルは、ジュラと情報交換、あわよくば仲間にしようと言う考えの現実味が増し、一気にヒートアップしている。
「メイリさん……?」
 背を向けてしまったメイリに、エミは少し罪悪感を持ちながら話しかける。多数決の場において孤立するのは、非常に辛いことだ。図太くて無神経な(と、エミは考えている)トオルは、先ほどの孤立した状況でもなんとも思わなかっただろうが、強気な半面脆いところもあるメイリはそうではない。エミは心配そうにもう一度声をかける。後ろからはカーシックも目を向けている。
「気にする必要ないのよ。私の意見ばかり通すわけにも行かないし」
 メイリは心からそう思っていた。濁りのない瞳がそれを示唆する。
「ごめんなさい、メイリさん。私は、これでいいと思ったから――」
「だーかーら、気にする必要ないって。真魔石捜索において、中途加入の仲間は信用ならない。私個人の考え方だから」
 メイリは明るくそう言う。エミにも笑顔が戻ってくる。
「レイトのときは別よ。私は彼を信頼したから、仲間を増やした――ってか、私が仲間に入ったんだけどね」
「え? なんでいきなりレイト君が?」
「ん? 例え話よ。言っとかないと、また後で訊かれたとき面倒だし」
 メイリとエミはお互い笑いあう。どのような結論に至っても、文句がないという証だった。
「カーシック。あんたも遠慮は要らないんだから、ばんばん意見言いなさいよー」
「あ、はい」
 一通り話し終えた後、メイリは笑いを止める。そしてその場からジュラへと向かって歩き出す。ジュラとトオルはお互いの世界の共通点や相違点、文化の違いなどで談笑していた。それを遮って、メイリはジュラに声をかける。
「ちょっといい?」
 ジュラはトオルとの話をやめてメイリのほうを向く。
「明日、午前十時、ここで。その時にこちら側の結論を話す」
「明日の朝十時だね――?」
「ええ。遅刻厳禁。一秒でも遅れれば話は却下よ」
「オーケー」
 心なしか、メイリはジュラの瞳の色が深くなっていくのを感じた。三八界でも珍しい、赤みの強い褐色の瞳。一緒に遊んでいるときは何も感じなかったが、気を抜くと取り込まれてしまいそうな重く深い眼をしていた。
「じゃあね。私は遅刻を期待しているわよ」
「はは。メイリちゃんってば冷たいなー」
 メイリは、帰りましょう、と声をかけて、その直線の道を、走ってきた反対のほうへと歩き出す。巨漢から逃げてきたときに、ついついホテルのあるほうへと走っていた。もうここからはそんなに遠くはない。トオルはジュラに大きく手を振って歩いていく。それにジュラも手を振り返す。
 夕陽が空をオレンジ色に染め始めている中、小さくなっていく後姿の四人と、それよりも伸びた影を、見えなくなるまで、ジュラはずっとそれから眼を離さなかった。

 辺りはすっかり暗くなり、ホテルから見える街並みはビルのネオンや窓から溢れる光で輝いている。とはいっても、トオルらが泊るホテルは背も低く、全てを見渡せる高さは持っていない。ホテルの前を通る道の明かりが、今見える殆どを占める。
 カーシックはその窓から見える景色を、どことなく懐かしく感じた。以前どこかでこれと同じような景色を眺めたことがあるわけではなく、ただネオンや看板や街灯が照らす街を、まだ減らない人波を見て、平和というものを感じ取っているだけなのかもしれない。それは紛れも無くデジャヴだが、今はその感情に浸っているのが心地よかった。同室のトオルはユニットバスで汗を流している。微かなシャワーの音がカーシックに聞こえていた。
 突然、その音に混じって、明らかに違う物音が聞こえた。柔らかい何かが擦れる音。脆くも鋭いその音は、リンクを滑るスケートの音とよく似ていた。
「…………?」
 音のしたほうはドアの前。座り込んでいたベッドから立ち上がり歩み寄ると、ドアの下の隙間から滑り込ませたと思われる、一通の封筒が落ちていた。カーシックは丁寧に拾い上げると、宛名として自分の名前が書いてあるのを見つけた。
(一体誰からだろう? セントラルにぼく宛の手紙を出す人なんかいたかな……?)
 中の三つ折で一枚だけの手紙を取り出して開く。そして内容を目にした途端、自分の血の気が引く音が聞こえたような気がした。

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