scene90  提示された情報交換

 やがて陽は若干傾きかけ、街はより一層若者でごった返すようになってきた。休養と娯楽のためにヤングロードに遊びに来たのに、満員電車の中にいるような人込みでは逆に疲れてしまう。時間的には少々早いが、メイリとエミはホテルへ戻ることを決めた。行き先を全く逆のほうに変えると、ジュラは不思議そうに尋ねてくる。
「あれ? もう帰るの?」
「ええ、どんどんごった返してきたし。ちょっと早いけど、人込みの中では私はいい思い出がないのよ」
 メイリはビルの間から見えるまだ青い空を仰いで、なぜか暴漢からレイトに救われたときのことを思い出していた。
「へぇ、そうなんだ。エミちゃんはそんなことないんだ?」
「ええ、私は別に。ただあんまり人込みは好きじゃないです」
 ジュラは軽く微笑んで提案する。
「じゃあ静かな場所へ行かない? 人気のない公園とか、町外れの森の中とか」
 ジュラの声が微かに冷気を帯びた。しかしその変化は、メイリもエミも微塵も感じ取れない極微かなものだった。ジュラ自身はそれを諌めすぐにその気を消し、それは誰にも悟られることは無かった。だがメイリは、単語の並びだけで、別の意味で慎重に発言を受け取る。
「なにそれ? そんなとこ連れてって、やらしいことするんじゃないでしょうね。残念ながらお断り。私達はもうホテルに戻るわ」
「そ、そんなっ。やらしいことなんてしないさ。オレはもうちょっと遊んでいたいなーと」
 ジュラはやや動揺を見せる。本人は本当にそんなつもりはないので誤解を解くのに必死になるが、逆にそれがメイリの疑いを加速させた。メイリの眼の疑惑の色が濃くなっていくほどに、ジュラは余計に焦っていく。
「怪しいわね」
 メイリは既にジュラにその気がないことは感づいていたが、意地悪するのが楽しくなってきたらしい。エミがその意地悪癖の発動に困った顔を見せるが、それに気付いているのかいないのか、お構いなしにジュラを弄ぶ。
「あ、エミ、メイリ、こんなとこにいたのか」
 声の主は、前から歩いてきたトオルとカーシック。二人は街をぶらつくついでに、帰りが遅い二人を探し回っていた。
「結構買い物してたんだな。やっぱ女って買い物好きなー。長すぎだぜ」
「買い物は予定を変更して、ちょっと遊んできたのよ」
 エミの言に、ようやくトオルは見知らぬ男の存在に気付く。
「誰だ?」
「ジュラって言うナンパ師よ。恐れ多くもこの私を落とそうとしたわ」
「ちょ、メイリちゃん――!」
 ジュラは苦笑いを浮かべて汗を一筋流す。
「えー、メイリを落とそうとしたのか。はあ、こんな奴にトライしちまうなんて、気の毒な奴だなぁ」
 トオルは心から気の毒な表情を浮かべてジュラのほうを見る。若干哀れみの目を向けていると、メイリから鉄拳が飛んできた。重い音と共に拳がクリーンヒットすると、トオルは一回転して豪快に地面に倒れた。
「さて、ジュラ。この子がカーシック君。で、あれがトオル」
 指先を微かに動かしながら、仰け反って倒れているトオルを無視して、メイリは二人の紹介を始める。この豪快な初対面に、ジュラはただぽかんと口を開けるしかなかった。トオルはのっそりと起き上がると、やんわりと反論する。
「おい、いきなり殴んのは卑怯じゃねーか」
「あんたの口が悪いのがいけないのよ」
 いつものように始まったトオルとメイリの些細な喧嘩を横目に、カーシックはジュラに挨拶をする。
「初めまして、カーシックと言います。背は大きいですけれど、十四歳ですので……」
「へえ、本当に大きいな。よろしく頼むよ」
 ジュラとカーシックは軽く握手を交わした。ジュラはその瞬間、内心でほくそえんでいた。
(こいつは、簡単そうだな……)

 メイリに呼ばれて、ジュラは後ろを振り向く。
「じゃあ、私達はホテルに戻るから。あんたはもう好きな女の子ナンパしに行ってもいいわよ」
「え? 何言ってんのさ。オレはメイリちゃん一筋だよ~」
「寄るな。嘘付くな嘘を」
 ジュラは両手を前に出してメイリに抱きつこうとしており、メイリは手首を掴んで必死に押し戻している。ふとジュラは、メイリが首からぶら下げているペンダントに目が行った。ジュラはそれにすぐ違和感を覚えて尋ねた。
「メイリちゃん、そのペンダント、もしかして魔法石?」
「ええそうよ」
 ジュラはふーんと頷くと、数秒そのペンダントを見つめる。そしてメイリの目を見る。
「これ、真魔石じゃあないよね?」
 この問いに、メイリや周りにいたトオルらも反応した。
「い、いきなり何よ? 私はそんな高尚なものは持ってないわよ」
「そうかー、そうだよなー。そんな簡単に見つかるわけないよな」
 ジュラは目線を外して、残念そうな表情を浮かべる。
「ちょっとジュラ。もしかしてあんたも真魔石を探しているの!?」
 メイリは思わず、ジュラの胸倉を掴みそうな勢いだった。咄嗟にそれは制したものの、顔は強張って鋭い剣幕が表に出ていた。
「――あんたも、ってことは、メイリちゃんたちも?」
 メイリははっとして顔を背けた。真魔石を探していることを隠したいわけではなく、ただその言葉に過剰反応してしまった自分が恥ずかしくなった。ジュラの問いに対してのその無言の態度は、彼のそれを是と回答することに等しかった。この反応を見て、ジュラは薄っすらと笑みを浮かべる。
「へー、そうなんだ。ねーねー、今収集活動の具合はどうなの?」
 メイリは完全に口を閉ざしてしまっているので、他の三人に顔を向ける。それほど重い話ではないのにもかかわらず、トオルらの顔には緊張が表れていた。
「こればかりは、仲間以外に教えるなんてことはできねぇな」
「そう。じゃあ、オレ情報あげるから、それなら教えてくれない?」
「ああ、それなら――」
「駄目よ!」
 持ち掛けられた交換条件にあっさり乗ろうとするトオルを、寸前でエミが制する。
「こちらの提示するものと、同等の価値の情報でなければ教えるわけにはいきません」
「――属性が謎とされている真魔石の、それを教えてやってもいいぜ」
 この言葉には、メイリも身体を僅かに動かした。
「属性は分かってるんだけど、肝心の所在地が目星すら付かない。一種類だけでいい。大体の場所を教えてくれ」
 ここまで踏み込んだ話になると、周りを歩く人波が気になってくる。言い換えればライバル同士が対峙していることになる。緊迫してお互いの心の内を探りあう四人に対し、それをまるで外で見ているかのようなカーシックが場所の移動を提案し、それでようやくその通りから分かれる人通りの少ない路地に移動した。

「俺は、あの条件なら飲む」
 四人はジュラとは少し距離を置いて、道の隅で相談しあっている。
「何言ってんのよ! 嘘か本当かも分からないのに飲むわけには行かないでしょ!」
「もうちょっと頭を使いなよ、トオル」
「済みませんトオルさん、ぼくもメイリさんたちと同意見です……」
 トオルの意見は皆から集中砲火を浴びて却下された。それでトオルは標識の柱にもたれかかってふて腐れているが、今は誰も気にしていない。
「どう? オレの条件は飲んでくれる?」
 ジュラは見てて呆れるような気楽な笑みを浮かべて尋ねてくる。しかしそれには何も反応を見せず、真剣な顔でメイリは回答する。
「交渉決裂よ」
 ジュラは、なーんだ、と言って肩を落とす。それを見てメイリも息を吐いて緊張を解く。
「私たちだって並大抵の道を通ってきたわけじゃないのよ。自力で探しなさい。ナンパのように」
 最後には笑みを浮かべる。ジュラもそれには笑って返す。
「さ、帰りましょう」
 エミがそう行って、四人は路地に向かって歩き出した。交渉の場から一番遠くにいたカーシックが必然的に先頭になる。すると路地の出会い頭に、カーシックは彼の身長をも凌ぐ巨漢とぶつかった。
「わあ!」
「ぐあ」
「す、すす、済みません……!」
 カーシックはしりもちを付いており、ゆっくりと顔を上げると、強面のその顔がさらに怒りを増した表情の男が、逆光を浴びてこちらを見下ろしていた。
「おいてめえ。なにぶつかってきてんだよ? コーヒーが服にかかっちまったじゃねーか」
 確かに手には缶コーヒー(文明が発展し正しくは缶ではないが、便宜上缶と表記)を持っており、原色が配色されたコントラストが強い花柄のポロシャツにはコーヒーのしみが付いている。カーシックは腰が抜けた上に、目の前の展開に若干パニックに陥り、何も返答できないでいた。
「何か言えってんだよっ!」
 巨漢はその太くたくましい脚でカーシックを蹴り上げようとしてきた。トオルがカーシックを庇おうと駆け寄ろうとしたが間に合わない。
 鈍い音がしたかと思うと、巨漢は既に彼を蹴り上げていた。しかし蹴り上げられていたのはカーシックではなかった。
「ジュラ!」

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