scene87  精霊の笑顔

 メイル・リシアシルファ村にも新しい朝が訪れた。ドローサットの死から一日。いつもと同じ時間が流れ、いつものように汽車の警笛が村中に響き渡る。いつものように村人たちは朝食を摂り、仕事に出かける準備をする。他の街へと仕事に出る大抵の村人は、警笛が聞こえてから自宅を出る。駅までは歩いて十分ほどかかるが、朝の始発は三十分駅に停車する。この村の駅には無人改札すらない。この村に来るときは通常通り切符を買って、降車前に車掌に切符を見せる。この村から出るときは、列車に乗ってから車内にて車掌より行き先までの切符を買うことになっている。このシステムはメイル駅でしかやっておらず、そのためいつの時間にこの駅に止まろうとも、そのやり取りのために三十分もの停車時間を取っている。そして再び警笛がなる頃に、列車は街へと走っていく。
 トオルはその二度目の警笛で目を覚ました。昨夜もテネシーの家に泊まらせてもらった。しかし彼女の家にもそれほど部屋が多くあるわけではなく、カージックと同じ部屋で眠ることになった。窓から射す陽の光が暖かい。ベッドもふかふかしている。この一つしかないベッドにどちらが寝るかで、昨夜はカーシックとの譲り合いがあった。俺は大丈夫だとトオルは床で寝ようとしていたが、年上の人にそんなことをさせるわけにはいきませんと、カーシックがさっさと床で寝てしまったのだ。こうなると彼の厚意を無駄にすることは出来ず、渋々ベッドへと潜り込んだ。見るとカーシックはおらず、もう既に起きたらしい。トオルはベッドから出て、階下のリビングへと降りていった。
「おっそーい、トオル」
 降りてすぐ、トオルはエミにねめつけられる。
「いいじゃんか別に。早く起きなきゃならないわけでもなし」
「それでも遅い」
 リビングにはエミのほかにメイリとカーシックも居た。言われるまでもなく、トオルが一番最後に起床したようだ。
「それより、私とメイリさんは、ラディーンさんとネイフィオちゃんたちと遊んでくるから。じゃね」
 寝起きのトオルにそのようなことを一通り言うと、二人はそそくさと出かけて行ってしまった。
「じゃあ僕も」
「え? カーシックも遊びに行くのか?」
「い、いえ。僕はこの村の調査をしたいんで、精霊の方たちに色々案内してもらおうかな、と」
 そのようなことを言うと、カーシックもどこかへと出かけて行ってしまった。一人家に取り残されたトオルは、遅めの朝食を摂ることにした。

「シルクレアちゃーん。元気かなー?」
 メイリとエミは赤ん坊を見てすっかり頬を緩めている。この赤ん坊は、昨日ドローサットの死と共に生まれた新しい命、新しい地属性の精霊だ。地属性にしては珍しい女の子で、シルクレアと名づけられた。
 精霊の赤ん坊は、その属性の自然の使いであるとともに真魔石を管理する責務を負うため、成長が人間に比べてとても早い。生後一日ではいはいが出来るようになり、生後一週間で立つことが出来るようになる。生後三週間もすると通常会話が可能になり、生後一ヶ月で浮遊が出来るようになる。生後一年もすれば、見た目は人間の三歳と変わらない。水属性の精霊ネイフィオは現在九六歳だが、外見は人間の十歳ほどで、幼少期の成長と差異が出る。暫く成長して真魔石管理の責務が果たせる年齢になると、今度は成長が遅くなって、外見と年齢を整合させるような性質があるためである。このため精霊の人間的な外見は、年齢の十分の一である。
「ネイフィオちゃんも、これからはお姉ちゃんね」
 エミのこぼしたその定番の台詞はネイフィオにとっては新鮮だったらしく、顔はみるみる高潮していってほてった様子だった。
『ネイフィオちゃん。私もあなたが生まれたときは嬉しかったわ。その前は女性は私だけだったし。私がネイフィオちゃんを愛しているように、ネイフィオちゃんもシルクレアちゃんを愛しましょう』
『うん。あたし、シルクレアの面倒いっぱい見るよ。それで、一緒に遊びたい』
 ネイフィオは満面の笑みを浮かべて、楽しい将来を想像しているのか、ずっとシルクレアを見つめていた。

「ウォクロスさん、アリエットさん」
 カーシックは、旧ホーリー邸宅付近にて、二人を発見した。
『おや、カーシック君。今日は眼鏡をかけているんだね』
 カーシックは歴史や情報収集の際、いつものたどたどしさが無くなる性癖がある。
「折り入ってお願いがあります。この村について色々調べたいので、案内をお願いします」
『――へぇ。いいよ。興味を持ってくれることはありがたいことだから』
 アリエットは一つ返事でオーケーした。ウォクロスも黙って頷く。カーシックは深くお辞儀をすると、早速二人に森の奥へと案内された。暫く歩くと、ぽっかりと開けた空間が現れ、そこだけ陽光が切り取られたように差し込んでいる。そしてその中心に、祠が立っている。
「……祠?」
『うむ。紛れも無くそうだ。廃れていなければ、また適当な祠でも無い。重い意味を背負っているものだ』
 カーシックは息を呑む。精霊がここまで重く紹介する祠に、威厳を感じたからだ。村の人も存在は知っているが、滅多に近寄らない場所だあるそうだ。
『そう、この祠とは――』

 トオルは何もやることがなく、とりあえず村の中を適当に散歩していた。青い空とそよ風が気持ちよく、ここしばらくてんやわんやだったことを思い出して、軽く笑った。同時に久々にのんびり出来ることに、少しの幸せをも感じたのだ。
『お、トオルじゃないか』
 突然自分の名前を呼ぶ声に驚いて後ろを振り向くと、そこにはジナーヴァとセリオスが居た。
『おやおや、幸せそうな顔をしているじゃありませんか。私にも少し、その幸せを分けていただけませんか?』
 セリオスは不敵な笑みを浮かべながら顔を近づけてくる。背筋に激烈な寒気が走ったトオルは、これ以上は出ないんじゃないかという速さで二歩後ずさった。冗談ですよ――とセリオスは笑うが、トオルはまだ鳥肌が立ちっぱなしだった。
「怖えーよ。セリオスはそんな感じがしなくないから冗談な感じがしねーんだよ」
『失礼ですね。私は男でも相手は選びますよ』
「やっぱ危ねーじゃんっ!」
『あっはっは、セリオスいいぞ! トオル、お前の反応はなかなか笑えたぞ』
「うるせ!」
 ジナーヴァは大笑いして、セリオスも悪戯を心から楽しんでいるようだった。ここ二、三日のあの出来事のあとにこれほど楽しみがある二人を見て、トオルも思わず釣られて笑ってしまった。

 時刻は十二時になろうとしている。トオル達がこの村を出る予定の時間だ。列車の汽笛が村中に響き渡って、それを知らせてくれる。列車の発車時刻は、汽笛を目安にしてあと三十分だ。トオル達は既に準備を整えて駅に向かうところだ。村から出ようとすると、突然呼び止める声がした。
「皆さん……」
 振り向いてそこに居たのは、村の人と精霊たちだった。
「俺たちの村を救ってくれてありがとう」
「一生あなたたちのことは忘れないわ」
 村の人たちは我先にとお礼の挨拶を述べようとして、ざわめきのようになる。けれどもトオル達は、その言葉が全て理解できるような気がした。やがてそれが納まってくると、空中に居た精霊たちからジナーヴァが一歩前へ出る。
『お前ら、目的果たせよ!』
 彼は力強くその言葉を放った。
「任せとけ!」
「私達が、リシアさんの汚名も返上するわ」
 村の人たちはますます笑顔になり、トオル達は盛大な見送りを受けて駅に向かって歩き始めた。

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