scene86  世代交代

『これが儂の知る、九〇〇年前のセントラル世界戦争の全容じゃ』
 一通り語り終えて、ドローサットは二つ咳をする。
「クラムエドールは、世界を壊して、組み直した人なのね……」
『ああ、じゃが壊したのは真魔石のためだがのう』
 ドローサットは長話に疲れきったのか、力なくベッドに身を任せる。
『ドローサットお爺さん。それじゃあ、クラムエドールって人がなぜ真魔石を手に入れようとしたかは分からないんですか?』
 ラディーンがそう問いかけると、ドローサットはただ首を軽く横に振るだけだった。
 トオル達にとって分かったことは、確かにクラムエドールは実在し、九〇〇年も前の戦争に名前を残し、後に行方不明となったことだけだ。あまりに情報に乏しい。かつて真魔石を全種類集めた先人の動機や、その後起こした行動などが聴ければ、大きな収穫となったかもしれない。
『しかしあれですね。ジナーヴァの言うとおりクラムエドールが生きているならば、最近の真魔石の落ちつかない様子も何か関係があるんじゃないかと思えますね』
『うむ、確かにな。酷くはないが僅かにどよめいている』
「え? どういうことですか?」
 アリエットとウォクロスの会話に、エミが割って入る。
『最近真魔石の叫びがよく聞こえるのだ。ここ数年、いつになく歪みが生じている気がしてならぬ』
『そのようじゃ……』
 ドローサットが力なく声を上げる。眠気に負けそうなまどろんだ声を出して、目を閉じながら喋り続ける。
『三〇〇年前のあの時から、僅かじゃが歪みかけていたのは分かっておったが、最近はそれが顕著になってきておる』
「歪み? なにか起こるんですか? それはやっぱりよくないことですよね……?」
『ああ……そうじゃ……』
 落胆した様子で、弱々しい息を吐いてドローサットは言う。しかし様子がおかしいことに、セリオスが気付く。
『ドローサットさん? 大丈夫ですか。先刻よりも顔色が優れないように存じますが』
『……ああ――』
 答えたドローサットの声はあまりに弱々しかった。異変に気付いた全員が側へと寄る。見ると顔は土気色が増し、地属性の真魔石であること以上に茶色身を帯びている。既に虫の息で、耳を澄ますとひゅうひゅうと苦しそうな息づかいが聞こえる。
『お爺ちゃん! どうしたの!? しっかりしてよ!』
 呼びかけに反応しないドローサットに、ネイフィオは既に涙目になっている。しかし依然ドローサットは誰の呼びかけにも反応しない。それどころかますます息づかいは弱々しくなってきて、生気も目に見えて薄れ始めていた。やがて身体の輪郭が薄れていくように見え始めた。
「ドローサットさん! 一体どうなってんだ!? 身体が消え始めてきてるんじゃねえのか、これ!?」
『ああ、そうだ。消え始めている――』
 ジナーヴァは冷静に受け答える。他の精霊たちも、ネイフィオ以外はドローサットの事を静観している。それは諦めているようではなく、溢れ出そうな感情を必死で押さえ込むような、悲しい目で彼を見つめている。なおもわめくネイフィオを、ラディーンは後ろから抱き込む。ウォクロスはドローサットから目を逸らして、部屋の隅のほうへ体を向ける。アリエットとセリオスとジナーヴァは、ただずっと彼を見続けている。その様子を見てトオル達も、ここは騒ぐところじゃないと悟ったのか、ただ黙ってドローサットを見つめ続ける。
 やがて彼の体がぼやけてくると、内側から光を放ち始めた。一点の穢れもなく、純白で清潔な光が、じんわりとドローサットの身体から零れ始めている。彼の体が大体ぼやけたところで、ネイフィオのわめきは止んだ。周りの雰囲気と、精霊特有の何かを感じ取ったのかもしれない。するとジナーヴァは少しだけトオルのほうに体を向けた。
『お前らは運がいい。人間が滅多に立ち会える場面じゃない。今から起こることは、”世代交代”だ――』
「世代、交代――」
 徐々にドローサットの身体が放つ光は強くなっていき、目をつむらずにはいられない強さになる。それでも瞼から光が透けて、薄い赤みが視界を覆う。横から、目を開けてみろ、というジナーヴァの声が聞こえて、トオルらは皆警戒しつつゆっくりと瞼を持ち上げる。強烈な光に包まれながらもそれは全く眩しくなく、むしろ周りが全て白で染められたようだった。その中心で、ドローサットの身体は僅かに浮き上がっている。すると彼の体は次第に消えていく。そして中心部に、淡く青白い光の球体が残る。ほんのりと優しくも強烈な光を放つそれは、暖かくも冷たくもあり、しかし絶妙なバランスであり続けることで強固で安定した印象を与える。光体は徐々に形を変え始めて、それがどのような形かはっきりしたのは光が収まり始めてからだった。
「赤ちゃん……」
 メイリは微かな声で呟く。まぶしい光が落ち着きを取り戻して収束する。周りの景色も、白から元の土の壁へとようやく戻っていく。光の中で次第に鮮明になる輪郭線は、赤ん坊の形をしている。やがて光は消え、ベッドの上には赤ん坊だけが残った。事が落ち着くと、堤の切れたため池から流れ出る滝のように大きな声で鳴き始めた。ラディーンがいそいそとその赤ん坊を抱きかかえ、慣れた手つきであやしている。それでようやく、皆の緊張が解かれていった。ドローサットを失った悲しみは大きいものの、新しく生まれた命に対して心から祝福するようで、周りの空気までもが穏やかになっていく。それに釣られてトオル達も自然と笑みが浮かぶ。
「あ、あの、アリエットさん? も、もしかしてこの赤ん坊は――」
『ああ、その通りだよ。この子は新たな地属性の精霊さ』
 カーシックは柔らかく笑顔を浮かべた。死の瞬間に立ち会うのがとても恐ろしく、ジナーヴァに促されたときも彼だけは目を開けようとしなかった。赤ん坊の泣き声で、ようやく生誕の事実を知ったくらいだ。それほど母の死は彼の心に深く傷をつけていた。
「精霊はこうやって代々生き続けていくんですね」
 あやされていた赤ん坊は、すやすやと気持ち良さそうな顔で眠りについていた。

 ずっと穴の中に居たせいか、地上に出たときの太陽の光が普段より眩しく思えた。空にはいい具合に白い雲が散らばっており、整ったバランスはとても優美だった。小高い丘から見下ろしたメイル・リシアシルファ村は、最初の印象と全く同じく、静かで穏やかでどこか高貴なところを感じさせている。緑の中の赤い屋根はなおも映えていて、見るのをやめるのが勿体無いくらいだ。トオル、エミ、メイリの三人は、その景観に遠い故郷への思いを馳せていた。
「――俺たちさ、帰れるかな?」
「何弱気なことを。帰ってやるのよ。真魔石を集めて、絶対に」
「そうよ。昔からトオルは往生際が悪いじゃない」
「な、何だと!?」
 エミは笑ってその場をごまかす。いつものような喧嘩漫才は始まらずに、山脈に向かって、トオルは必ず地球に帰ることを誓っていた。
 村に下った後、精霊たちから頼まれていた通り、ドローサットの死と新しい地属性の精霊が誕生したことを伝えた。村の人たちは死を悲しみ、同時に誕生を祝った。ここでトオル達は、精霊と人間の違いをはっきりと見たような気がした。精霊たちは、悲しみを浮かべながらも新しい生命の誕生に喜び、祝福した。一方人間は、誕生を祝福する傍らで、それを覆い被せるようにしてドローサットの死を悲しんだ。悲喜の出来事が同時に起こったときの態度が、人間と精霊ではここまで大きく違うのかと、トオルらはなぜか納得してしまった。
 すぐに村中に知れ渡ったドローサットの死は、村一体の彩度を落としたような感じを出す。本来ならトオル達もそこに混ざって居るはずだが、精霊の反応との違いに、どちらの感情にもなることが出来なかった。エミはゆっくり目を閉じる。
(やっぱり人間と精霊では感情の構造が違う。精霊たちがセントラルを離れた原因の”環境の悪化”は、人間たちの心も関係しているのかも――)
「おっし!」
 トオルは突然声を上げる。それは一瞬、広場の噴水の水の音が聞こえなるくらいだった。
「いつまでも落ち込んでちゃ始まらねぇ! 元気だそう!」
 トオルは三人に向かって気丈に振舞う。でももしかしたら、トオルの場合は本当に気持ちを入れ替え終わって居るのかもしれない。三人は薄っすらと笑みを浮かべて、うん、と頷いた。

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