scene82  VSハウパンド (6) [A fire and Fire]

 その影は、ゆっくりと近づいてくる。それが近づいて来れば来るほど、禍々しい気が、トオルたちを襲った。そしてメイリにとって、それは何度か経験したことのあるものだった。
「――ファイヤー……」
 金の髪に赤い眼。首に下げた炎属性の真魔石。それは明らかに、ファイヤー・エドウェイズだった。
「本当に生きていたなんて……」
 エミは目の前の光景に絶句した。ニュースでしっかりと言っていた。ファイヤーは死んだ、と。そして、彼が生きていると知ったのは、この世界に来て、メイリから告白されたときだ。メイリの真剣さに、半信半疑だったが、それは紛れもなく本当だった。
「おぉ前かぁ! 私の計画を、邪魔する者はぁ!」
 ハウパンドは、普段からは想像も付かない形相をして、ファイヤーを怒鳴りつけた。彼はそれに一瞥をくれて、あえてそれを無視するようにしながら、更にこちらに歩いてくる。そして、ハウパンドの目の前で歩みを止めると、彼の真正面に立った。
「てめぇか。ここに火ぃ点けた奴は」
 ファイヤーは、ハウパンドを見下げている。ハウパンドはファイヤーよりも背が低い。
「お前かぁ。私の計画を邪魔する奴はぁぁ」
 先程と同じ言葉を言っている。既に理性は飛んでいるのだろう。ハウパンドはファイヤーに物怖じせず、――そのような感情は飛んでいるが――焦点の合わない目で真っ直ぐ見上げる。ファイヤーは鋭く睨むと、胸倉を掴みあげた。
「私に何をする気だぁ。精霊を使って、お前を焼き殺してやるぅ」
 ハウパンドは気持ち悪い笑みを浮かべると、ポケットから魔法石を取り出す。そして能力を発動しようとした瞬間だった。
「糞野郎が」
 ファイヤーが独白すると、燃え出したのはハウパンドのほうだった。それは、ファイヤーが点けた火であった。ファイヤーは、悶え苦しんでいるハウパンドの顔に強烈な一撃を拳で加えると、倒れ掛かったところで、腹を蹴り上げた。ハウパンドは、地面とほぼ水平に勢いよく飛ばされ、十メートル先で落下した。彼は意識を失っているようで、ぐったりしている。体の炎は消えていたが、服はぼろぼろに焦げて、至るところに火傷を負っていた。
「生き地獄を味わえ」
 ファイヤーはそう吐き捨てると、メイリのほうを向いた。
「よう。また逢ったな。詮索好きの嬢ちゃんよ」
「何が嬢ちゃんよ。歳はそう離れてないんだけど」
 ファイヤーは、あっそう、とだけ言う。メイリは真剣な顔でファイヤーを見つめる。その眼を見てファイヤーは、軽く溜息をつく。
「また何か言いたげな顔してるな。――言いたきゃ言えよ」
「――あんたは、なぜそいつに攻撃したの? 因縁があるわけでもなし」
 ファイヤーは頭を掻く。
「あいつは俺を殺すと言った。だからやっただけだ」
「でも最初の言葉から見ると、火を点けたから攻撃したって感じだけど」
 ファイヤーは眼を見開いて、痛いところを突かれたかのような表情をして、再び溜息をついて俯く。
「関係ねぇだろ」
「何で殺さずに、半殺し程度なの?」
 喧嘩腰で次々と質問を投げかけるメイリに、エミは踏み込みすぎだと制止をかける。メイリにとっては、今は余計なお世話だったが、彼のことを知っている者なら怖さも分かる。止めに入るのは当然のことだ。
「どーでもいいだろ」
 曖昧な返事しか返って来ず、メイリはますます険しい顔になる。
 すると、突然何かが横を遮ったかと思うと、ファイヤーはそれを間一髪で避ける。それは地面すれすれで空中に旋廻すると、彼の上空で静止した。ファイヤーに攻撃した者は、ジナーヴァだった。
『お前のような、非人道的な奴に、真魔石を持たせるわけにはいかない』
 ジナーヴァは空中から、蔑むような眼でファイヤーを見下ろす。それに対してファイヤーは、少し笑い、ジナーヴァを睨みつける。その威圧するような眼に、ジナーヴァは屈しないように精神を落ち着ける。
「んなこと言われてもなぁ。俺にとってもこれは大切なもんなんだよ。師から譲り受けたな」
 そこまで言って、ファイヤーははっとしたかのように口を噤む。思わず喋りすぎたらしい。
『師?』
 その言葉を聞いてジナーヴァは、怪訝な表情で問い返す。ファイヤーはそのことを訊かれたくなかったのか、地面を一蹴りして間を置く。
「何でもねぇよ」
『その師ってのはまさか、……クラムエドールのことか!?』
 虚を突かれたかのようにファイヤーは眼を見開き、素早くジナーヴァのほうを振り仰ぐ。ジナーヴァもまた、思い当たったかのように口を開いている。
「――てめぇ! なぜそれを……!?」
 お互いが驚いているところに、突然トオルの大声が響いた。そこで二人の会話は途切れ、様子を窺っていたエミとメイリもトオルのほうを向く。
「ファイヤーっつったら確か、レイトが教えてくれた! セントラルで出会い頭にぶつかった奴か!」
 トオルはファイヤーに指を差して叫ぶ。トオルがセントラルに行って間もない頃、日が沈んだ後に住宅街を歩いていたら、曲がり角でぶつかった。ファイヤー死亡のニュースが流れたのちに、教えてもらったことだが。
「ああ、賞金首のレイト・セールメントと一緒に居た奴か。――そういえば、そのレイトはどこだ?」
 トオルと共に行動しているはずのレイトが見当たらないことに気付き、ファイヤーは辺りを見回す。どこを見てもそのような人影は見当たらず、なおかつ気配も感じ取れない。少なくとも、この付近には居ないことは分かった。視線をトオルに戻すと、若干渋い表情をしてこちらを見ている。ファイヤーは推測する。
「そうか。見限られたな? あまりに力が伴わないんで捨てられたんだろ?」
「違う! レイトは、BEからの手を逃れるために、――別れた」
 トオルは俯く。ファイヤーは、ふぅん、と飲み込むと、体を翻す。
「奴はどこへ行った?」
「――知らない」
 役に立たないな――とファイヤーは吐き捨て、そのまま歩き出した。
「待って、そんなことを訊いてどうする気?」
 ここまで萎縮して押し黙っていたエミが、突然口を開いた。初対面の女に呼び止められ、思わずファイヤーは後ろを振り向く。
「――どうする気って、てめえには関係ねーだろ」
「何でレイト君の場所を聞いたの? まさか追っかける気じゃ」
 ファイヤーは再び前を向くと、一つ溜息をして、エミの問いには答えずに歩き出した。エミは何とか答えを聞きだそうとまだ喋り続けているが、彼はそれに関心を示さずに歩き去った。やがてファイヤーの影は、黒く焼け焦げた校舎の中へと消えていった。同時に、あの禍々しい気も消え去った。

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