scene73  策謀は踊る火の中に

『燃えてるな』
『そうだね』
 皆の頭上で、突然声がした。全員が見上げると、そこに居たのは火の精ジナーヴァと、水の精ネイフィオだった。しかしただ一人村長だけはその存在に気付かず、全員の手が止まったことに驚いて消火を催促している。
『ついに村長の奴、俺らの声が聞こえなくなっちまったのか。清い心を失った証だな』
 ジナーヴァのその発言に対して、村民たちは全員が一斉に村長のほうを向いた。一斉に向けられた視線に村長は一瞬おののくが、なおも消火しろと叫んだ。そして我に返った村民が、彼に頼んだ。
「ジナーヴァ、ネイフィオ、頼む、村長の家の火を消してやってくれ!」
 その言葉に他の村民も続く。村長はこのことによって精霊が今ここの居るのだと気付いた。そして彼らの居るところとは違う宙を見つめ、両手を握って懇願した。
「ああ、お願いだ、私の家をー!」
 この願いに、ジナーヴァもネイフィオもただ無言で彼を見下ろしているだけだった。
「どうだ!? 火は消えたか!?」
 嬉々とした表情で村長は家のほうに振り返るも、火の勢いは収まることなく焼いていった。
「何故! 火を消さないぃー!」
「ジナーヴァ、ネイフィオ、火を消してくれ!」
 村長は最早自己を喪失しそうになり、村民は精霊に消火を頼み続けていた。
『聞け、皆』
 ジナーヴァの普段とは違う雰囲気の声に、一同は静まり返る。サイレンも止み、火が家を焼く音だけがその場に響いた。
『村長は、俺らの住むこの村を、リゾート開発を計画している業者に売ろうとしたんだ』
 その言葉に村民たちからどよめきが起こる。
「見たこと無い精霊だな……なのに何でそのことを知ってるんだ?」
「私が教えたのよ」
 トオルが呟くと、メイリがそれに答えた。
「昨日の帰りに精霊たちと遇って、ハウパンドとかの事を話したの」
 村民のざわめきは収まらず、我に返った村長はそれを不思議そうに眺めていた。
『そしてね、こないだからハウパンドっていう業者を村中案内してるんだってさ』
 言葉を続けたのは、いつもの明るさが消え冴えない顔をしている、ネイフィオだ。
「村長、……これは、本当なのか――!?」
 一人の男が声を震わせ、怒りを抑えながら村長のほうを向く。
「な、なんのことだ。何を話していた。それより早く消火を――」
 村長は既に清い心を失い、精霊たちの姿は見えず、声も届いていない。今彼らが話していた内容は聞き取れていない。
「リゾート開発のことだ!!」
 その声に村長の動きは止まった。先程まで泣き叫び、自宅が着実に燃えていくのを慌てふためきながら見ていたというのに、その瞬間に驚きの表情に支配された。その表情は、何故知っているのかと無言で問いかけているかのようだった。
「精霊たちが教えてくれた。村長のやっていたことを」
 その瞬間村長の体の力は抜け、両手を地に付いた。様子から察するに、反省はしていないだろうが、やけになって開き直ることはないだろう。その通り、村長はすぐさまそれを認めた。
「お前はもう、この村の村長なんかじゃない。だから、家の火を消す義理も無い」
「そんなことを言わないでくれ! ――そうだ! 書類とかも書斎にあるんだ! それを守らないと!」
「大半は村役場にあるはずだ。それに、書類なんかまた新しく作り直せばいい」
 村長、もとい、チョンメルヘルは言い返す言葉が見つからないのか、そのまま黙りこくってしまった。その場に居合わせている村民や消防団の皆が黙り、家を覆い焼いている音だけが聞こえた。

 目の前の成り行きをただ傍観しているだけだったトオルらは、片付いた話ながらも真剣な顔を崩さなかった。丁度その時、カーシックが息を切らしてようやく到着した。
「カーシック、あんたって遅いね」
「そ、そりゃあ、ぼくの魔法石は、ワープ専用、何ですよ? メイリさん」
 カーシックは両手を膝の上に乗せて、苦しそうにしている。
「ところで、火事なんですか? 何が、げ、原因、なんですか? まさか、放火とか?」
 息を切らしているカーシックは、言葉も途切れ途切れだった。しかしこの言葉で、メイリにある考えが浮かんできた。
「ごめん、私ちょっと急ぐから!」
 突然そう言い放ったメイリは、とてつもない速さで走り去っていった。
「おい、メイリ! ……あいつ、どこ行きやがったんだ?」

 メイリは魔法石の力も使い、全速力で走っていた。
(放火。だとしたら、考えられることが一つ。――炎属性の真魔石の所有者、ファイヤーによる犯行)
 犯人をファイヤーに絞り、細く長い形をしているこの村を走り抜ける。丁度村の墨のほうにあったチョンメルヘルの家から、もう一歩の端まで、四キロメートルはある。精一杯脚を動かしながらも、彼女はまた思考を続ける。
(もしファイヤーが犯人だとしたら、何が目的なの? 窃盗を主として活動しているあいつにとって、放火に何の意味が?)
 広場に差し掛かった頃、上空に一人の精霊が姿を現した。
「セリオスさん!?」
『お嬢さん、あなたはもしかして、誰かを追っているのでは?』
「うん、そうなの! なにか知らない!?」
 セリオスはあたかも誰か伝える人が現れるのを待っていたかのように、頷いてすぐに口を開いた。
『先刻、清い心を持たぬ男が一人、ここを通り過ぎていきました。妙に焦っているようで、不審以外に言いようが無かったですね』
 メイリは彼からその男の逃げていって方向を聞き出し、そのほうへと向かう。
 ここで彼女は、自己の推理の矛盾に気が付いた。精霊は全員、先程ファイヤーと顔を合わせており、覚えていなくともあの禍々しい気は忘れられないはずだ。にもかかわらず、彼が清い心を持たぬ男と言ったのは、ファイヤーではないからではないのか。
 そのようなことを考えてる間に、目の前に人影を発見した。速度をやや落としてその男の前に回りこむと、向きかえって立ち止まり、道を塞いだ。その男は急に現れたメイリに驚き、急停止した。
「あんたは、――ハウパンド。何をそんなに慌てているの?」
 ハウパンドは急な展開に暫く理解できていなかったが、含み笑いすると冷静に口を開いた。
「おお、あなたは。――とりあえずそこをどいてくれませんかね? 次の列車に間に合わなくなりますので」
「あら? 列車なら先程行ってしまいましたよ? そうですね、火事が起こって皆が気付き始めた頃に汽笛が聞こえました」
 メイリは実際にはその汽笛を聞いていないが、自身ありげに言った。
「あ、ああ、そういえばそうでしたねぇ。皆騒いでましたし、私も聞き逃してしまったのでしょう」
 ハウパンドは顔にたくさん汗をかいており、その状態で焦りながらメイリに話を合わせてきた所為か、そこに冷や汗が混じっているように見えた。その返答にメイリは口許を緩める。
「あんたが放火の犯人だね! 今すぐ来てもらうわ!」
 メイリはハウパンドの腕をしっかり掴むと、逆の方向に引っ張ろうとした。
「な、何を言う! 私が犯人な訳あるか! 証拠を見せてみろ、証拠を!」
 最早その焦り具合が証拠といってもいいくらいなのだが、ここは言い逃れできない証拠を提示した。
「嘘をついたから」
「な、何の――」
 その時村中に大きな昼の汽笛が鳴り響き、ハウパンドの言葉を遮った。
「放火している間、緊張と集中で音が聞こえなかったんだと思い込んだでしょ。逃亡中に話を合わせるのは、犯人の心理だしね」
 通常ならまさか引っかかるはずも無いメイリの罠。対象が犯行と逃亡という非常事態だからこそ成功した話術。それでも危険な綱渡りではあったのだが。
 この言葉に、ハウパンドはその場に膝を落として、小さく、私がやった――とだけ呟いた。

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