scene69  旧邸宅

 決して快晴とは言えなく、やや雲の多い晴れとなった。この日はトオルの提案で、旧ホーリー邸を訪れることになった。そこには既に誰も住んでいない。リシアが処刑されて数日後に、ホーリー家は遠方に引っ越してしまったからだ。
 邸宅は村の大体が一望できる小高い丘に建っている。村の広場からは、木々の上に顔を出すかのように見えており、その姿はまるで宮廷のようだったという。
 テネシーの案内により邸宅の門前に到着した一行は、その様に、ある種の驚きを感じた。聞いていたイメージとは大分違い、建物中をツタが覆って、古い洋館の雰囲気が漂っていた。
「それじゃあ私は仕事が有りますので。帰り道は一本道ですから分かりますよね?」
「ええ」
 そう言うとテネシーは、一人先に街へと引き返して行った。

 門は完全に閉ざされて、中に入ることは出来ない。しかし荘厳さはひしひしと伝わってきていた。
「でも、周りは何も無いのね」
 エミは周囲を見回して言う。この小高い丘の上には、この旧ホーリー邸のたった一軒しかない。この邸宅の両脇は森が広がっており。奥まったほうでは地面が上に向かって伸び、山を作っていた。この山は、村を囲っている山岳の一部のようだ。
 そして邸宅の向かいには、広い草原があった。テネシーから聞いた話によると、この草原は元々ホーリー家の庭であり、馬や牛などが飼われていたらしい。一言で言うならば牧場跡である。その中にエミは、不審な人影を発見した。
「トオル、メイリさん。あそこに誰か居る」
 エミに指を差すほうに、二人は振り返る。そこには確かに、二つの人影があった。
「行ってみましょう」
 歩いて近寄ろうとすると、向こうもこちら側へ歩いてくる。その人影はなにやら話をしながらこちらへ向かってくる。会話に夢中でこちらには気付いていない様子だった。
「お前は!」
 影の正体が分かり、トオルが声を上げたところで、相手も気付いたようだった。
「おやおや、お前は昨日、私の仕事を邪魔した奴じゃないかね」
「何言ってるんだ。お前が迷惑なのは明らかだっただろ」
 列車内で大音量を聞いていた細身の男、ハウパンドは、一つ小さな溜息をつく。
 トオル――と、エミに小さく声を掛けられ、諌められる。
「ところであなたは、何をしにここへ来ているんですか?」
 駅前で見た村長と一緒に居ることを確認して、メイリは下手に回って問いかけた。村長が、教えるわけにはいかない――と言いかけたのを、ハウパンドは制止する。
「まあ君たちも都会から来ているようだから、おいしい話だと思うよ」
 彼は人差し指を額に当てると、薄く笑みを浮かべる。
「ここは空気も綺麗で、自然がいっぱいだ。そんなところに住めたら最高じゃないか?」
 確かにそれはそうだ。環境のいいところに住めて、それを不快に感じる人は、よっぽど奇特な人しか居ないだろう。しかしまだ、この男が何を言いたいかは分からない。
「だから、それを皆で共有できたらたくさんの人が幸せになるだろう? だから私は、多くの人が一定期間滞在するための、便利な施設を作ろうと思っているのだよ」
 彼は手を大きく広げ、計画の壮大さを体でも表していた。
「つまるところ、リゾート計画ってやつですね……?」
「――そうだよ」
 メイリの指摘に、ハウパンドは再び口の端をあげる。
「分かるだろう? 都会の空気を吸っている君たちになら分かるはずさ。この自然の素晴らしさが。だからここは是非観光地にする必要があるんだよ」
 自然の素晴らしさと、観光地にする必要があるというのは、全く直結しないものだ。
「ねぇ? 村長さん?」
「ああ、はい、そうですね。――ということだよ、君たち。我が村の活性化のためにも、宣伝してくれたまえ」
 この二人は、都会――のほう――から来たトオル達に計画を話して、宣伝広告にしようという算段らしい。
「しかもこの村は、女神伝説に、精霊が住んでいるという伝説があるらしいじゃないか。話題性も抜群で、まさにうってつけの場所じゃないか」
「伝説?」
「知らないのかね、昔、村を救った少女の伝説。それと、精霊というものが住んでいるという伝説を」
 ハウパンドは精霊が住んでいることを、伝説だと思い込んでいるらしい。ということは、精霊が見えない、清い心の持ち主ではないということだ。ならば、このリゾート計画の話にも、何か裏があるのかもしれない。ないとしても、そのような施設を建設して環境が維持できるとは思えない。
「なんでそんなことをする!?」
「何がいけないんだね? 私がやっているのは、復興事業だよ?」
「ハウパンド様、そろそろ――」
「おう、そうだね」
 後ろから村長に耳打ちされ、彼は体の向きを変えた。
「それじゃ私は、別の土地を見に行くよ。なんなら君たちも来るかい? 私の壮大な計画の第一歩を」
「行くかよ!」
「そう――残念」
 ハウパンドはそう言い残すと、村長と一緒に丘を下る坂道を下りて行った。
「メイリ、お前いきなりゴマすったろ」
「はあ!? 何であんな奴にゴマすらなきゃなんないのよ!」
「だってよ、突然敬語使い始めたじゃないか」
「黙れ!」
 二人が去った後、トオルがメイリの行いに突っ込みを居れる。メイリは当然言い返し、最後には手が出た。
 この村の危機とも取れる情報を手に入れてしまった三人は、ハウパンドらと再び出くわさないようにと時間を置き、そして丘の坂道を下り始めた。

 坂を下る途中、列車の汽笛が村に響いた。一日に数回しか走らない列車の汽笛が響くことは、時間の知らせにもなる。しかし時刻表どおりに運行されるとは限らないこの村では、大体の時刻を知ることぐらいしか出来ない。今回の汽笛は大体、十一時から十三時を知らせるものだ。
 トオルを先頭にして坂を下る一行は、丁度半分の道のりを歩いたところだった。
「そういえば、テネシーさんが言ってたわね。汽笛がなる頃が昼食の時間ですよ、って」
「え、そうなの?」
「トオルは一番遅くまで寝てたもんね」
 トオルとエミの会話が交わされる後ろをメイリは歩いていた。そしてふと横を見たとき、ただならぬ気配を感じた。
(……? なにか分からないけど、感じる――)
 メイリの見つめた先は、何も無い茂みのように見えた。しかしそこには確かに、獣道が存在していた。エミとトオルは、立ち止まった彼女に気付かずにどんどん遠ざかっていく。メイリ自身もそれは全く気にせずに、一点を集中して見続ける。
(行くべき――?)
 考えている途中にもかかわらず、足が前に出た。そして獣道を進んでいった。心音は次第に高鳴っていった。歩いていくたびに近づいてくるものは、森以外に何も無かった。これは森の中へと続く道なのだろうか。曲がりくねったその道は、まるで大蛇の上を歩いているようで、距離を進むにつれて緊張感が高まっていく。
(一体何が……私の緊張感を昂らせるの――?)
 いよいよ森の入り口に着いたとき、メイリは自分の目を疑った。

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