scene54  僕がどのような人間か……

「すいません、何かあったんですか?」
「ああ、ここで……あれ?」
 後ろから誰かに話しかけられたのだが、振り向いても誰も居ない。空耳だったのだろうか。
「ここなんすけど」
 声は下から聞こえてきた。下を向くと遥かに背の低い人が立っている。
「小っさ!」
 思わず声を上げてしまい、慌てて口を手で塞ぐ。ようやく理解できたのはその時だった。彼らは異世界から来たのだと。話しかけてきた少年は目に見えて頭に来ていたが、怒りを抑え込んでいる。そこで話しかけてきたのが、隣に居る二つ括りのポニーテールの少女だった。こちらは彼よりも小さい。
「何かあったんですか?」

 メイリは野次馬の一人に話しかけた。
「何があったかは分からない。ただ、大変なことになっているんだ」
 彼から帰って来た言葉はそれだけだった。少ないヒントでは状況を把握することが出来ず、現場が覗ける場所が無いか、人込みの周りを迂回する。その途中で、トオルは昨夜の出来事を思い出した。
(――ここ、昨日俺が牛を斬った場所じゃねーか?)
 確かに見覚えのある空き地まで、野次馬が囲っている。現場は空き地の半分まで侵食して、それを野次馬が覆い隠すような形になっている。
(まさか牛斬ったのがやばかったとか――?)
 若干冷や汗を背筋に感じながらも、人だかりの端まで来て、ようやく中の様子を確認することが出来た。それは牛のことではなかった。
 店の置くから負傷した大人が出てくる。店の前の道端で応急手当を受けている者まで居る。その傍らで、さも石ころのようにそこにあるのが自然な風に、不可解に切断された牛の体は横たわっていた。その牛を相手にする暇はないらしい。
「もしかして、今朝言ってたニュースの現場……?」
 エミが呟いて、三人の頭の中にニュースの映像が流れ込む。この悲惨な現場に、ただ言葉を失うしかなかった。
 だがここで、トオルの脳裏にあることが浮かんだ。――この場所に呼んだのは、レイトだ――。空き地に呼びつけたレイト、そこで不可解なことを行わせる。その目の前の店舗では、傷害事件。
(まさか……)
 頭の中にはもう、一つの答えしか浮かんでこない。これを確認するために、その現場に背を向けた。
 突然歩き出したトオルを慌てて追いかけるメイリとエミ。真剣な面持ちで早歩きする彼には、話しかけ難い雰囲気が漂っていたが、理由を聞かない限りは行動の原因が分からない。
「トオル、一体どうしたのよ」
 エミの言葉にも答えず、トオルは足を休めない。
「トオル、何か答えなさいよ!」
 メイリの強気な言葉にも、今の彼を止めることは出来なかった。だが分かっていることが一つあった。向かっている先は、宿泊先のホテルであること。

 繊細で整った指が、テレビの電源を入れる。チャンネルは変えず、企業コマーシャルが流れ続けるテレビを、レイトは黙って見る。ベッドに座ったまま、彼はテレビから視線を逸らさなかった。
 先程訪れたインターネットカフェで、パーチハワードビルの場所を調べ終え戻ってきた。真魔石の情報は一切調べていない。それはまさしく、これまでに調べつくしたから。テレビをつけたのは何となくだ。ただ粛然とした部屋では落ち着かず、テレビ程度の騒音が欲しかった。静かなところが落ち着けないのは、暫くぶりだった。
 そして、昼前のニュース番組が始まった頃だった。
「レイト!」
 突然ドアを開ける音がし、その声が飛び込んできた。聞いてすぐに分かった。それはトオルの声だということが。早足にレイトの横までやってきたトオルは、真っ直ぐ彼を見下ろした。そしてレイトも、真っ直ぐトオルを見上げる。静かな間が流れた。テレビの音が、いささか小さく聞こえるようだった。
「何でもねぇ」
 トオルはそう呟くとそのまま真っ直ぐ歩いて行き、窓の側に立つ。そして街の向こうを眺める。
 何が起こったのか全く理解できていない二人は、ただ首を傾げるだけだった。動きの無いままのトオルとレイトを見送りながら、やがてエミとメイリは部屋を後にした。
 レイトがリモコンでテレビを消した後も、終始二人は無言だった。トオルは依然窓の外を眺めている。トオルが見ているのは、街でも空でもなかった。空と地面の境界線、霞がかったそれは見えるものではなく、必死に探して見つかるものでもなかった。西のほうから暗雲がやってくるのだけは、簡単に確認できた。
 レイトはその静けさの中、何故かニュースの言葉を思い返していた。ニュースの途中、自分は行かないと告げた、故意に自分の声をかぶして聞き取れなくした部分。
 ――被害者の話に寄ると、突然乱入してきた少年が、無差別に刃物で斬りかかったとのことです。証言を元にすると犯人は、青い髪をしており、目も青。身長は一七〇センチから一八〇センチと小柄で、異世界から来た人間と見られます。魔法石を所持しており、手に空気の刃を作ることが出来ます――。
(全員生かしてただけあって、正確な情報だ)
 報道された内容からは、巨漢達の悪は出てきていない。彼らは自分達が無理矢理レイトを連れてきたことは、証言していない。至極当然のことながら、真実と報道との齟齬が無性に可笑しくなり、思わず付いて行ってしまった自分に対しても嘲笑した。
「なあ、レイト」
 沈黙を破ったのはトオルだった。何? ――とレイトは返事をする。
「初めて会ったとき、レイトは言ってたよな? エレベーターでの殺しは、”仕方なく”だって」
 レイトははっとしたが、訊き直した。
「それについて、本当に知りたいかい?」
「ああ」
 レイトは内心複雑だったが、これは彼と出合った翌日に決めたことだ。”トオルに何か言われるまでそれを背負い続ける。例えその時別れることになっても、その時まで一緒に居たいから”。今はその時以上に絆は深まっている。
「”仕方なく”は、姑息な言葉だったんだ。本当は、――”復讐”」
 この発言に対し、トオルは微動だにしなかった。それは最初からその理由を想定していたかのように、彼の目は一点を見つめ続けている。
(参ったな、動じないなんて……)
 ほんの少しだけ考えて言葉を発する。
「僕の過去を話そう」
「えっ」
「それを聞いてもらえれば、僕がどのような人間かが解るから」
 その時の彼の眼は、何かを覚悟したような色を持っていた。しかしトオルはその言葉を受け入れない。
「話さなくていい。誰であろうと過去には、話したくない出来事も含まれてる。レイトが俺らと一緒に旅をすることにした理由は、”復讐”なんだろ? レイトは両親が亡くなってるって言ってた。単純な理由じゃなさそうだ」
 この時のトオルはいつに無く頭がきれていた。この推察はまさに的を射ていた。
「そうだけど、――聞いて欲しいんだ」
「――……」
「トオルに、僕のことをもっと知って欲しいから」
 トオルは暫く考える素振りを見せたが、その後深く頷いた。
「じゃあ話そう。僕が今まで見てきたこと、してきたことを――」

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