scene52  落ち着かない気持ち

 辺りには血の臭いが立ち込めている。レイトはその空気の刃、エアカッターを消す。
(少し、落ち着いたかな……)
 だがレイトは、誰一人殺してはいない。地の臭いと共に、男達の呻き声も聞こえる。その呻き声は、とても弱々しいものではあるが。彼自身致命傷を負わせたつもりはない。だが場合によっては、失血によるショックで死ぬ可能性はある。その為放っておくことは出来ない。
(本当に危ない人だけ、手当てしておこう)
 実際レイトにとってここで手当てをすることは、自分にとって不都合にしかならない。だがやらなければならない。それは彼自身の誓いに基づいている。
(意識を失っている者は……)
 そこで意識不明の者を一人見つけ、その男の首から掛けていたタオルを傷口に巻いた。隣で意識のある男がそれを見ていたのに、レイトは気が付いていなかった。
「お前、斬った奴を手当てするなんて、意味わかんねーよ」
 声も切れ切れだったが、男はしっかりと言葉を発する。その声に驚きはするものの、その声の出所を認めるとタオルを更にきつく縛る。手当てが終わると、その男のほうを向く。
「……おい、何故だ」
 問いを投げかけてくる男に目を合わせたまま、レイトは答える。
「貴様に教える気はない」
 冷たい目で彼を一蹴し、しゃがんでいた体を起こすと、向こうに妙な物が見えた。その答えを聞く為、男にこちらから問う。
「あれは何だ?」
 レイトの問いかけに、男は痛みで動かす気の起こらない体を少し捻り、眼の端で彼の差すものを捉える。そして鼻で笑うと、口を開いた。
「お前が答えないなら、俺も答えねぇ……と言いたいところだが、そんなことしたら何されるか分からねぇ。あれはお前が来る直前に屠殺した牛だ。欲しいならやるぜ」
 最後のほうは、男は苦笑しながら言った。恐らく冗談か、嫌味のつもりで言ったのだろう。
「なら貰う」
「え!?」
 レイトは間を挟まず返事し、男を驚かせる。レイトはそのまま真っ直ぐ歩き、牛の目の前まで来た。
(丁度いい。今から、やろう)

 暗い部屋に戻ってきたレイトは、明かりを点ける。
「トオル、起きて!」
 声を上げながらトオルの体を揺さぶる。いきなりこれだけ賑やかになれば、起きない者はいない。何なんだ――と寝惚けながらも、トオルは体を起こす。
「今すぐ来て欲しいところがあるんだ」
「え? なんかあるのか?」
「ああ、とりあえず急いで」

 閑静とした繁華街の脇道。少し行った先に寂しげに空き地がある。そこに連れてこられても、まだトオルには何があるのか理解できない。この空き地の向かいには古びれたバーがある。
「トオル、あれを見てくれ」
 レイトが指した先には、ブルーシートにくるまれた何かがあった。結構大きなものが中に入っているようだが、形を見ただけでは何かは分からない。
「魔法石は持ってきた?」
「ああ」
「なら、剣を出して」
 トオルは言われるがままに剣を出す。これで一体何をするのか。
「じゃあトオル、あのブルーシートの中にあるものが入っている。それを斬って欲しい」
 えっ――と、トオルは振り向く。
「何でそんなことを――」
「いいから、これは君の未来に関係することかもしれないんだ」
 トオルは首を傾げる。ブルーシートにくるまれている物体を斬ることが、なぜ己の未来に係わるのか。レイトの目を見ると、別段ふざけている様子はない。自分には理解できない、難しい理由があるんだと割り切り、トオルはブルーシートの前に立つ。そして剣を振りかぶり、思い切り振り下ろした。
 その感触の気持ち悪さは、この上なかった。そして、音もそうだった。
「う、……うああぁぁ!」
 斬ったところから、赤い液体が流れ出た。それは、暗くても血と分かった。思わず後ずさりしたトオルは、剣を落とす。
「レ、レイト。俺に何を切らせたんだぁ!」
 その叫びにレイトは無言のままだった。するとゆっくり歩を進め、ブルーシートの端を持つ。その手を思い切り引くと、物体は中で回転しながら全てのブルーシートが引き剥がされた。そして中身は元の形のまま地面に落ちる。トオルは思わず目を覆うが、その物体が何か分かったとき、その手を離した。
「――……牛?」
「そう、牛さ。感触はどうだった? トオル」
 トオルはそっと両掌を見つめる。とても嫌な感触だった。肉を断つ、柔らかくてそれでいて重く、絡め取られて止まりそうで滑らかに通る。骨を断つときは硬いものに当たった感覚の後に、勢いでへし折った感触。耳に入ってきた音も、水気を充分含んだスポンジを搾り出すようだった。それは筋肉から吹き出る血の音だと分かった。斬った部分はもものところらしいが、この嫌な記憶は簡単には消えない。
「これは屠殺して間もない牛。まだ死後硬直も始まっていないから、生きている状態の体に近い」
「何故、俺にこんなことをさせた……?」
 トオルの問いかけには、彼は黙っている。そしておもむろに右手を差し出すと、エアカッターを出す。するとレイトは、牛の四本の足を全て切り落とした。断面は余りに綺麗だったが、その部分をトオルは直視することが出来なかった。
「――いずれ、君はこういう場面が来るかもしれない、だから。――経験しておいたほうがいい、覚悟が出来て」
 トオルは全く理解が出来なかった。それよりもレイトが牛を斬ったことに対し、平気なのかどうかが疑問だった。エアカッターで手を覆っているから平気なのかと、その時はそう理解した。

 ホテルに戻ると既に午前〇時半を示していた。帰るとすぐにベッドに入ったトオルとは対照的に、レイトは再び窓の外を眺めだした。その行動は彼にしては異様であり、トオルは気になって寝付けなかった。
「レイト、何かあったのか?」
「……いや、何も」
「そうか――」
 トオルは気を遣ってかそれ以上のことは問わず、レイトに背を向ける。
 それから数十分、彼は寝たのかは分からない。だがレイトは未だ窓の外を眺め続けている。
(気持ちは、幾分か落ち着いた。恐らく完全に落ち着くことはないな。――しかし明日、すこし慎重に行動しないとな……)
 また暫く思考を止めたまま外を眺めた後、レイトはベッドに入るのだった。その時彼は、久々に夢を見ていた。

 ――男の後を付いて周り、エレベーターに乗る。そして少年と出会う。自分は少年の前で人を殺してしまい、後にその行動を自分は悔いることになる。そして彼の口から問い質されたときに、答えることを決める。そして彼と、彼の仲間と共に旅を始める――。
 何故そのような夢を見たかは分からない。彼はトオルに逢ったことは、人生の中でも貴重な出会いだと信じている。今日になってそのことを再び反芻するような夢を見たのは、何らかの予兆なのか。それともこれから起こることに対しての、揺るぎない思いを確固たるものにさせるための補強だったのか。夢の中に居ながらこれは夢だと気付いたレイトは、そこで再び考えることになり、休息のときは訪れることがなかった。

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