scene51 血に染まる隼
この世界の夜は早い。体が大きい所為なのか、平均睡眠時間も三八界の中で一番長いのだ。午後十二時前にして、街は静かだ。歩く人もまばらで、虚無感を与える。大きい建物が妙に不気味で、それをより一層大きくする。
(全てのものが大きいって言っても、夜空の星までが大きいわけじゃないんだな……)
自分の思ったことに微かに笑みを浮かべ、やがて商店街から繁華街へと差し掛かる。夜も賑やかな筈の繁華街は、この世界だけは別らしい。
(人、少ないな……。特異な世界だな)
すると前から、この世界でも一際大きな男が歩いてくる。するとあちらも気付いたようで、レイトを注視してくる。レイトは目を逸らし、真っ直ぐ歩き続けた。すると目の前に大きな壁が現れる。男が立っていた。
「お前、この世界の奴じゃねぇな……。丁度いい、今はそういう奴らに対して頭に来てんだよ」
この巨漢は今朝、別世界から来た子供に軽くいなされた。自分にとってあれほどの屈辱はなかった。その自分を倒した少年達が、この少年と同行している者だとは、男は全く知らなかった。
「おいガキ、ちょっと俺と一緒に来いよ。嫌だとは言わせないぜ」
「――分かりました」
レイトは物怖じせず、さらりと返答する。
(面白いな。何があるのだろうか――)
繁華街の脇道に入り、すこし古びれた街並みになってきた。男が止まったのは、既に潰れたバーの前だった。先に入りな――と促され外廊下を歩くと、バーの勝手口の横に、地下へと続く階段が目に入った。恐らくこれだろうと、躊躇することなくそれを降りていく。
階段を降り切った時に目に入ったのは、紛れも無い賭博場だった。ルーレット、カード、ダーツ、ビンゴなど、ありとあらゆるものが取り揃っている。対して広くない、バスケットボールコートくらいのスペースに全てが収まっている。
「お、ディプラー。今日の対戦相手は見つけて来たのか?」
「ああ、他の世界から来たガキだ」
「おいおい、それじゃ賭けにならねぇぜ!」
二人を見て、ここに居る二十余名の大の男達は口々に言う。この大男の名前は、ディプラーと言うらしい。男達が騒ぐ中、賭博場の端にあるステージに上がらされる。ステージと言っても、ほんの三十センチほど高くなっているだけである。
「皆、メインイベントが始まるぜ!」
ディプラーが叫ぶと、男達は一斉に大声を上げた。一体これから何が始まるのか。すると脇から、刀剣を二つ持った男が現れた。そして二つともディプラーに渡す。
「ガキ、ルールは簡単だ。どちらかが戦えなくなるか、降参したほうの負けだ。だが降参した場合、その後の身の保障はないぜ。まあ、それ以外は至ってフェアな遊戯さ。勝負が付いたら返してやるよ」
言い終わると、持っていた二つの刀剣の内、一つをレイトに渡す。両方同じもので、武器によっての差は無かった。そして互いに数歩下がり、戦闘態勢に入ったところで、ディプラーはあるものに気付く。
「その首に掛けてるのは魔法石か? 魔法石は使用禁止だ、外しな」
レイトは直立し一瞬止まった後、無言でペンダントを外す。そこには手を出した男が立っている。ステージに上がってなお、彼のほうが背が高い。
「そいつに渡しな。そうでなければこの場でお前を斬るぜ」
レイトは未だ黙ったまま、彼に魔法石を預けた。
「……始めるぜ」
ディプラーが言うと、会場は一気に静かになる。そして両者構える。そして側に居たスターターが、空き缶を放り投げた。空中で幾度も回転する缶は、ゆっくりと地面へと引き寄せられていく。
軽い金属音がすると同時に、ステージ上の二人が踏み出した。先に刀剣を振るってきたのはディプラー。素早い太刀筋を軽く避け、レイトは刀剣を振り上げる。
(――重い!)
充分に上まで振り上げられなかった刀剣は、そのまま反対方向へ流れ、レイトはそれに大きく体を揺り動かされた。バランスを崩しているところに、上から刃先が向かってくる。間一髪でそれを避けると、今度は真横に剣を振る。しかしそれは空振った。そしてそのまま体勢を引き戻そうとしたときだった。
(剣が、言うことを聞かない!)
剣の重みと遠心力によって、レイトの体は大きく横に振られる。しかし剣に何らかの仕掛けがしてあるわけではない。
(そうか、そういうことか――)
ディプラーはフェアな遊戯と言ったが、この状況から見て明らかにレイトが不利になっている。だが彼は嘘を付いていない。お互いに魔法石を付けてなく、お互いに同じ武器。レイトを不利にしているのは、単純に体の小ささだった。同じ重さの刀剣を使えば、体の小さいほうが重く感じて当たり前。この世界では極端に体の小さなレイトは、刀剣に弄ばれるのは分かっていることだった。
(他の世界では小さなほうじゃないんだけどな)
口許に薄っすらと笑みを浮かべると、ディプラーはそれを見逃しては居なかった。
「試合中に笑うもんじゃないぜ!」
その言葉の後に、真上から巨大な刀剣が降りてくる。それは牙を剥いた鮫のようだった。しかしそれは、魔法石の恩恵を受けていないレイトでも、軽く避けられるものだった。その身のこなしにどよめきが起こる中、既にレイトの手に刀剣は握られていなかった。ディプラーがそれを確認した刹那、レイトは跳び、ディプラーの顔面に拳を叩き込んだ。
だがディプラーは一撃で倒れるどころか、気を失いもしない。それを確認する間も無く、レイトは宙に居ながら膝も顔面に入れる。それを顎に命中させると、流石の巨漢もたじろぎ、そのまま失神して後ろにのけぞるように倒れた。
そして着地したレイトはギャラリーのほうを向く。
「僕の勝ちだ」
すると一人が叫んだ。
「ル、ルール違反だ! 剣を使ってねぇ!」
その叫びが聞こえると、他の男たちも歩調を合わせ、そうだそうだ、と野次を飛ばす。
「ルール説明に、剣を使って勝て、なんて言ってませんでしたけど?」
その反論も、文句を言うな――と返され、男達は声を上げるばかりだった。そして魔法石を預けた男が口を開いた。
「ルール違反でお前の負けだ。ここからは帰れず、魔法石は没収。そしてお前自身は、ここで俺達にボコボコにされる。残念だったな」
厭味な口調でそれを言い終わると、場内からは笑い声が上がった。そして笑い声が収まりかけたとき、俯いていたレイトが口を開く。
「……そう、一つ、言い忘れていたけど、今日の僕は凄く気持ちが昂ってるから、抑えられないんだ」
「は?」
男達が言葉を理解する前に、レイトはその場を踏み切って魔法石を男の手から奪い返す。そして素早く首に掛けた。
「てめぇ! 返しやがれ!」
「返しやがれ? これは僕の物だよ」
するとレイトは男の視界から消えた。そして激痛が走ったかと思うと、脇腹から赤い液体が吹き出てその場に倒れこむ。影だけが隼の如く走り、それが通り過ぎて行ったところにいた男達から次々と血が吹き出して、雪崩れのように人が倒れていった。その影の正体が、先程試合に勝った少年だと言うことは皆分かっていた。彼の素晴らしい身のこなしを見たが、今は魔法石の力を得て、先程よりも数十倍早い動きを見せている。
「い、一体何なんだ!? グア!」
叫んだ男が最後に倒れた。その間十数秒。この賭博場に居る二十余名の男達が、それだけの時間で全て血を流し、倒れた。
「”何なんだ”って? これはね、エアカッターって言うんだ。安直だけど、分かりやすいでしょう?」
レイトの右手には、空気の刃が作られていた。
<<< >>>