scene46  intention (3)

 既に外は暗くなっており、歩く人影もまばらになってきた。先程から何もやることがなく、手持ち無沙汰なメイリは、外に出て街中を散策していた。落ち着き始めた街は、街灯によって照らし出されている。
(地球とは大違いね。普通ならこのくらいの時間から賑わい出すのに)
 確かに人が居ないのは、地球から来た彼女にとって、奇妙に映っただろう。だが彼女もそれは知っていた。
 セントラルシティでは日が沈み始めると、人々は地下街に集まる。地下街と言っても、地球のような、店舗が連なり地下道のような構想ではなく、名前の通り、街がそのまま地下にもあるのだ。だが地上と全く同じに再現されているわけではなく、地上から地下まで建物が続いているものもあれば、新たに地下に店舗を構えている店もある。私有地の規則から、地上と同じ場所に同じ店はあるものの、外観は全く違っており、新たな街が造られている。
 しかし彼女は地下には行かず、そこと違って暗くなった地上を歩いていた。彼女は賑やかなところは嫌いではないが、今は何となく静かなところに居たい気分だった。前から歩いてくる人影、これだけ空いていてもすれ違うことはある。しかしその人影――男が、メイリは妙に気になった。距離が徐々に縮まって行くと、歩調を会わせるかのように、メイリの顔から血の気が引いていった。自分でもそれが分かった。メイリは立ち止まり、彼と丁度すれ違ったときに呟いた。
「何で居るの……?」
 通り過ぎた彼は立ち止まり、こちらを振り返る。動揺など微塵も無い、まるで誰かに話しかけられるのは、予想の範疇だったかのように。
「別に、居ても構わねーだろ?」
 言葉が返ってきて、更にメイリは寒気を感じる。答えが質問にそぐっており、更に事実を肯定しているような言い方だった。何もされていなくても戦慄を感じる相手。問いを投げかけた以上、彼がどれだけの強さかを戦わずして感じ取っても、振り向かないわけにも行かない。
「構わなくないわよ、死んだ人間が居るんだから……。ファイヤー……」
「へぇ、知ってて堂々と訊いて来たか。度胸あるじゃねぇか」
 メイリの振り向いた先には、間違いなく彼が居た。ファイヤー死亡のニュースが流れたのは、もう十日前のこと。BE社から公式に発表されたので、真実だと思っていた。しかし、ファイヤーはここに居る。
「誤報――だったってことかしら?」
 メイリは恐る恐る尋ねる。これには勿論、肯定の言葉が返ってくると思った。現に居ると言うことは、それしか答えはないからだ。だが、彼女の予測は外れる。
「いや、あれは真実だぜ? 認めたくねぇが、俺は死んだ」
「な、何ふざけたこと言ってんのよ、それじゃああなたは霊だとでも言うの?」
 ファイヤーはふっと笑う。メイリはそれが怪しく見えた。
「信じられねぇか、そりゃそうだろな。俺は死んで、霊魂になって、人間に取り憑いてやったのさ」
「何を言い出すかと思えば、とんだ大嘘ね。もしあなたが憑依したファイヤーだとしたら、そのあなた自身の体はどう説明するつもりよ。魂だけが入り込んだって、体まで生前の姿になるなんて有り得ないわ」
 メイリは言って、それで冷や汗をかく。そう、生きているとしか考えられない。ならば、目の前に居るのは本物のファイヤー。攻撃された時は、太刀打ちできない。
「それな、俺も不思議だったんだ。何でだろうな?」
 ファイヤーは余裕からか、少しおどけた仕草を見せる。そして言葉を続ける。
「今からこいつの体から抜けて、霊魂だと言うことを証明することは容易いが、一度出てしまった奴には再び取り付くことが出来ねぇんだよ。――お前が後釜になるってんなら、見せてやっても構わないけどな……」
 彼のその眼が鋭い眼光に変わったとき、メイリは切先を眉間に突きつけられたかのような感覚があった。例えその話が真実であろうと虚偽であろうと、この場から逃げおおせるのは容易ではなくなったことを理解できた。
「と、ところであなた、この街中でそんなことをペラペラと喋ってもいいの? 他の人に聞こえたら、ただじゃ済まないわよ?」
「けっ、俺と分かってて攻撃仕掛けてくるような根性ある奴は、この街にゃいねぇよ。どいつもこいつもクズだろ」
 何か言い返すつもりで居たが、言い返せる言葉が見つからず、メイリは黙っているしかなかった。
「まあお前はそこそこ根性あるな」
「今更褒めたって遅いわよ」
 ファイヤーは鼻で笑い、メイリに背を向ける。
「話は終わりか? 俺はやりたいことがあるんでね」
「やりたいこと? 何をするつもり?」
「――詮索が好きだな。知られてどうこうなることじゃねぇし、教えてやろうか。復讐に行くんだよ、キルに……!」
 その瞬間、ファイヤーの気の流れが変わった。強烈な威圧感がメイリを襲う。
(何なの、この迫力は……!?)
「キルだけは絶対許せねぇ、絶対に殺してやる!」
 その言葉を言い残すと、ファイヤーはその場を離れて行った。”キル”とは一体誰なのか尋ねようにも、気持ちが昂っている彼に話しかけるのは、相当危険な行為であった。本能的にそう感じたメイリは、口篭るしかなかった。

 ファイヤーが去った後、その場の緊張はなくなった。その所為か、メイリの体は震えだす。
(この震えは……恐怖!?)
 今でも圧倒されそうな雰囲気が、彼女自身に残っていた。もうその場には、彼の跡形すらないと言うのに。
(落ち着け、メイリ! ――そう、このことは誰にも言わないほうがいいわ。ファイヤー自身、隠しているようではなかったけれども、口外したことが知られれば、あいつは私に何らかの行為をしてくることは間違いない。あいつには、係わらないほうがいい……)
 深呼吸をして、体の震えを抑える。でも簡単に震えは止まらない。
(落ち着け!)
 メイリは思った。自分はもしかしたら、大きな枷をはめてしまったのではないのだろうかと。ファイヤー自身はどうか分からないが、自分が同じ立場にあったら、話しかけてきた相手の顔は、決して忘れないだろう。もし彼もそれと同じだとしたら――、この先は全く想像が付かない。
 そうだ、これ程の戦慄。これはレイト以上だ、比べられるものではない。殺気を放出しきっていないのだろうがレイトのそれは、ファイヤーに遥かに劣る。
(何て奴。自分の身体じゃないくせに――)
 無意識に発した言葉だが、彼が霊体であることを認めていた。ここまでの出来事で、それは認めざるを得なくなっていた。
(本当に疲れた……最近こんなことばっかで)
 まだ外に出てから三〇分も経っていない。だが何時間も歩いた程度の疲労が、彼女を襲う。少し外を歩こうと出たことが、まさかこのようなことがあろうものなんて。心身の疲労で、今日はもう動く気力を無くしてしまった。
(ホテルに戻ろう。さっさと寝て、明日に備えたほうがいいわ)
 メイリはホテルのほうへ向かって歩き出す。夜が明ければ、いよいよ勧誘の返答日。決心はしているものの、やはり時間が経つにつれ、どこかぎこちなくなってくる。ふと時刻を確認すると、時計には十九時三八分と表示されている。
「まだ、十三分しか経ってなかったのか……」
 長い十三分だった。これから先は知らないが、今まででは一番長い十三分だった。

 昨夜はあれほど長い時を過ごしたと言うのに、今朝からは周りが早く動いているようだった。起床したのは八時十一分、それから五時間半が経過した。何も無い日と変わらぬ生活をしただけなのに、何かあった日よりも、時間が早く過ぎた。普通なら全く逆であろうが、それ程昨日は色んなことがありすぎたのだろう。
「あと、一時間半ね――」
 約束の時間は迫っている。状況は変わるものの、自分自身に変化が起きるわけではない。焦って構えても仕方がないのだ。

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