scene32  Sudden despair[dark] -前編-

 すっかり夜も更け、辺りは静まり返っている。夜空には暗雲が立ち込めており、今にも雨が降り出しそうである。
 この深夜に、住宅街を徘徊する人影。余所見もせず、真っ直ぐと目標に向かって歩く姿。金色の髪に、首からは紅いペンダントをぶら下げている。その紅い光は、見るものを虜にするような光で、光源の無い夜陰の中でも、自ら輝きを放っている。所有者は軽装で、道の中央を歩いている。
「ここか。金融庁金融大臣、ミケランジェロ・グスタフの家は……。派手に装飾しやがって。総資産二〇〇億ゲルクの半分以上が、財政費の横流しで蓄えてるのは知ってるぜ」
 堅牢な鉄門の前で歩みを止めたその人物は、大窃盗犯ファイヤー・エドウェイズ。数々の窃盗を犯し、被害総額は一兆を超えると言われている。その用途は不明。
「馬鹿じゃねぇか? 門番の一人も置かずに」
 外見からも、元々派手好きのファイヤーだが、侵入方法はもっと派手だ。紅に輝く炎の真魔石の力を使い、高温の炎で鉄門を溶かし切ってしまった。まんまと侵入に成功したファイヤーは、全速力で駆けて、邸宅へ向かう。門から家屋までの距離は、およそ一〇〇メートル。正面玄関の前まで来るとそのまま踏み切り、高く飛び上がり空中で一回転すると、二階建ての屋根の上へと降り立つ。
 魔法石を使うと、それの能力の他にも基礎身体能力が上がる。真魔石は、それの割合も高い。
 この世界には珍しい瓦葺の屋根を駆けて、予め調べておいた保管庫の置いてある部屋の真上に来た。
「さあ、この辺かな」
 振り上げた拳を力一杯、瓦に叩きつける。同時に噴き出した炎は屋根を軽々焼き破り、それは一階まで貫いた。裂帛が轟き、住人が目覚めない筈が無かった。ファイヤーはさっさと開いた穴から一階まで飛び降り、当然の様にその部屋にある金庫に手を掛けた。保管庫は大きく、かなりの量が入るものだった。ダイヤルに手を掛け、溶かそうとした時、その部屋の入り口が開いた。
「誰だ!」
 服装から警備員と分かった。それが三人、四人と、続々と集まってくる。ファイヤーは気付いていながらも、鉄で出来た頑丈な保管庫の扉を焼ききった。中にはたくさんの貴金属、札束が積まれていた。保管庫の中に一歩足を踏み入れた途端、警備員がファイヤーに覆い被さった。
「ファイヤーを捕獲しました!」
 警備員の一人が大声を上げる。すると保管庫室の出入り口から、寝巻き姿の太った男が姿を現した。ついさっき起きて来たようだ。
「お前がファイヤーか。こうも簡単に捕まるとは。思ってたより、やわいのう」
「ミケランジェロか。てめぇが横領した金は、全部で一〇〇億を超えるらしいじゃねぇか」
「よく知ってるなぁ。でもそんな無様な姿で、君なんかに言われても何だって話しなんだがね」
 そう言ってミケランジェロは高笑いする。
「この程度で俺が捕まったと思うなよ」
「はっ――!?」
 言って間も無く、ファイヤーの身体から火の手が上がる。覆い被さっていた複数の警備員は、突然の炎に驚いて、ファイヤーから離れてしまった。身体を押さえつける重りが外れ、ファイヤーはおもむろに立ち上がる。余りにも隙だらけで、ゆっくりとした動きにも拘らず、ミケランジェロと警備員は静観していた。やがてファイヤーは完全に立ち上がり、眼光炯炯とミケランジェロの前に立つ。余りの迫力で一歩も動けなかった。
「――……ぁ……っ」
「お前はクズだ。何においても」
 はっと我に返った警備員が、ファイヤーに飛び掛る。屈強な男の振り上げられた右拳を、片手で掴み取り、握り締める。この屋敷内では一番力を持つ男が、ファイヤーの握力に負けている。後方に居た残りの警備員たちは、その有様を見てたじろぐ。ファイヤーは、掴んでいた男を振り飛ばす。見ると他の男たちは皆、こちらに銃口を向けている。
「考え方がせせこましいなお前らは。最初は覆い被さって、その次は拳。それが敵わなければスポットガン。頭使えよ。コンビネーションもばらばらだし、やり口が余りにも単純すぎるぜ」
「くくく……。ファイヤー、お前も手緩いぞ。後発組の俺らだって、役に立つときはあるのさぁ……」
 狂ったような笑いで自分を見ているその男に、ファイヤーは何も返せなかった。気付いたときには既にこの状況であった。後ろに振り払った大男が、同じくスポットガンを向けている。
「左手さえ使えれば、銃は撃てるんだよ……」
 そして右隣に居るミケランジェロからは、銃口をこめかみに当てられていた。こればかりは、寝起きだから武器は携帯していないという、ファイヤーの思い込みから来る失態だった。
「詰めが甘いな。お前も終わりだ。BE社に突き出して、懸賞金を頂くとするよ。――まぁ、君程度なら数億にしかならないだろうけどね」
 ファイヤーは三方向をスポットガンに囲まれた。
 スポットガンとは、対犯罪者用に造られた、警備員専用の拳銃のことである。撃たれた対象は、その命中した箇所から下の神経の電気信号が遮断される。但し、生命維持に必要な機能に障害は発生しない。
(久々に……大ピンチだな)
「降伏するなら、このままBE社に突き出してやってもいいんだぞぉ?」
「誰が諦めるか。お前らを振り切るなんてのは、朝飯前なんだよ!」
 ファイヤーはミケランジェロのスポットガンを叩き落し、大男の方を向く。
(これは、俺にとっても大きな賭けだ)
 そのまま大男に向かって突進する。大男はスポットガンを乱射してくるが、自身に到達する前に全て焼き落とした。弾切れというものが無いスポットガンは、無限に発射出来る。一〇〇以上の銃弾を焼き落としながら、大男に到達し、右拳を炎で纏い殴りつけた。大男は気絶し、倒れた。身を翻し、残りの警備員の始末に掛かるところだった。
 触れた感覚のその後、右足が動かなくなった。不意の出来事にバランスを崩し、転倒した。何故かはすぐに分かった。スポットガンが撃ち込まれたのだ。膝から下が動かない。
「ファイヤー、君はやはり詰めが甘いねぇ。スポットガン、弾いただけじゃ拾い直して撃つことが出来る」
 動く右足の上腿で膝を着き、左足のみで立ち上がる。右足の下腿は動かない。これでは歩くことすら困難である。
「さあ、BE社に届け出よう。これじゃ殺される心配も無いし、ゆっくりでも大丈夫だなぁ」
「――お前らも甘ぇよ」
 ファイヤーの呟きが聞こえた後、男どもの叫び、呻き声だった。衣服は焼け焦げ、体はすすまみれになっている。
「なっ……」
「俺を誰だと思ってる。この程度でやられるようじゃファイヤー・エドウェイズの名折れだ。今すぐお前も焼いてやるぜ」
「くっ!」
 ミケランジェロは慌てて銃を構えるが、ファイヤーの炎よりも早く攻撃することは出来なかった。構えた手が燃える。これまで生きてきた中で一番の痛み。熱いなんて通り越している。彼はすぐに銃を捨て、ただひたすら水を求めて屋敷のどこかへと走り去ってしまった。
「ちっ、やっちまった」
 ファイヤーは四つん這いになり保管庫の中へ入る。立った状態では、動くのに非常に不便であるからだ。幸い膝に着弾したので、脚自体は動かすことが出来る。ただ、太股の先に重りがぶら下がっているような感覚はある。
(無様だな。とにかく持てるだけ持ってさっさと出よう。あいつは火を消した後、BE社に連絡するだろう)
 ファイヤーは保管庫の物色を始めた。

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