scene129  地鳴る衝撃

 どれだけ扇いでもその場にどしんと居座り続けそうな雲が、見上げれば地面以外の端から端まで広がっている。海側は完全に連綿とした雲に占拠されていて、山で隠れている反対側もそのような空が広がっているんじゃないかと思わせる。
 昨晩からこの島一帯を襲っている暴風雨は、まだその勢いの衰えを見せる気配はない。空の分厚い雲がところどころ白、灰色と明度を増すが、それでもほとんどはどす黒く濁ったままだ。時刻は午前十一時半を指す。
「午後から作業できっかなー」
 トオルは窓から外を眺める。その窓も外の景色を眺めるのには機能しておらず、叩きつける雨が絶えずガラスを流れ伝い、吹き付ける風でガタガタと音を立てる。
「トオル、雨が弱くなったら現場に行くから、とりあえず出る準備だけはしときな」
 デーヴィスはテレビを見ながら言い放つ。視線はトオルへ向いておらず、画面に映る天気予報を眺めていた。
 この日はこの天候により一同自宅待機となっている。トオルたちがこの島へ訪れてから明日でちょうど一ヶ月となり、いよいよこの日が最後の作業日となっていた。一ヶ月前訪れたときのように夜は宴会を行って、デーヴィス採掘の作業員たちの間ではそれを送別会としてやろうとも盛り上がっていた。だがこのような外に出るのもはばかられるほどの荒れ模様では、集会所に集まることでさえ難しいかもしれない。
(あと少しでも、少しでもここで鍛えておきたい……)
 トオルの思いはそれただ一点だった。宴会などはあってもなくても構わない。ただこれほどまでに体を酷使する環境は、この旅においてほとんどなかった。だからここは基礎体力をつける場所として大きな可能性を持っている。その鍛錬になる時間を、少しも無駄にはしたくない。
「これじゃあ私の出番もなしかー」
 ダイニングの椅子にもたれながら、メイリはため息交じりの声を出す。
「あら、そうねー。午後から作業があるにしろ、なしだったしても、お弁当の配達は必要ないわね」
 デーヴィスとトオルの弁当箱を棚にしまいながら、キワは笑顔で答える。
 ここ二週間ほど、メイリは作業員たちの弁当の配達をしていた。きっかけは、トオルが弁当を忘れて作業に出たときに、その健脚を活かしてお昼休みに弁当を事務所まで届けたことから始まった。
 温かな気候とはいえ、ご飯は冷たいよりも温かいほうがいい。そう考えた一部の作業員や主婦たちが、お昼休みの前に温かな弁当を届けるように頼んできたのだ。メイリとしても走りたい思いと鍛えたい思いもあり、それを快く引き受けたのだ。それから、温かな弁当、時には弁当に似使わない料理などを配達するようになっていった。
 魔法石の力を使うとはいえ、大きな衝撃を与えないように手早く険しい山道を登っていくので、体のバランスを鍛えるのに有効であったとメイリは考えている。この島でのやりたいこととやるべきことを模索していた彼女にとって、この仕事を任されたことには満足感があった。
「おぉし来たぁ!」
 テレビを見ていたデーヴィスは突然大声をあげて立ち上がる。あまりに突然だったので、トオルたちは驚いて彼のほうを見やる。
「昼過ぎから雨も風も弱まるとよ! 午後から作業行くぞぉ!」

 昼食を摂った各作業員は作業場へと向かっていく。この日の天候から他の中小企業も午前の作業を見送ったらしく、山道では違う作業着の人も作業場に向けて歩を進めていた。その中には、初日の宴会時に集会所に集まっていた、他の中小企業の制服も見られる。そしてテジックの着ていたものと同じ、プレイスメント工機の作業員も見かける。唯一見慣れない制服は、もうひとつの大手企業ベーリック・ジュエリー社のものだろう。
 一瞬、ベーリック・ジュエリー社の作業員と目が合う。彼はトオルと目が合うとすぐに視線をそらす。トオルは気にもせず前を見て歩き続けるが、ベーリック社の作業員はその後もちらちらと視線を向けていた。
 作業場の前に到着するころ、風雨は弱まっているものの、天候はまだ回復したわけではない。だがもう傘は差さずとも平気で、体をよろめかせるような強い風もない。
「社長、ちょっと危険かもしれません」
 坑道の入り口でマスマティが歩を止める。
「昨日の雨で地盤が緩んでいるかもしれません。安全確認をしてから作業したほうがいいと思いますが」
 マスマティのすぐ後ろには、サンドスがいつものように顔色を窺うように立っている。この助言はおそらく、危険性に気付きながらもデーヴィスに直接話すことが苦手なサンドスが、マスマティを通して進言しているのだろう。地質鑑定の担当に割り当てられているマスマティの言のため、デーヴィスも足を止める。何度かあごの無精ひげをなでると、軽くうなずく。
「そうだな、安全確認をしてから作業にかかったほうがいいだろう。マスマティ、ちょっと調査に行ってきてくんねぇか?」
 マスマティは歯切れのよい返事をすると、サンドスを引き連れて坑道の中へと入って行った。マスマティが当然のようにサンドスを連れていく光景をデーヴィスは不思議に見つめながらも、何も言わずに見送った。
 その間も雨は止まないが、風は次第に弱くなっていくのを感じる。風が弱まったことで、耳元で響く風音はほとんど姿を現さなくなる。そのおかげで、ここから上のほうの山の露台でたくさんの人がたむろっていることに気付く。
 山の頂上方向に視線辿った途中にそれはある。ここから見て標高にさほど違いはないが、あちらのほうが広いスペースがあり、事務所もプレハブなどではなく木造のしっかりしたものだ。以前デーヴィスから、あそこはプレイスメント工機の作業場だと聞いている。ということは、あそこにはテジックがいる。
(そういえば、雰囲気だけで仲悪いと思ってるけど、大企業と中小はなんで仲が悪いんだろ?)
 そんなことを考えながら、いつもと違う雰囲気のプレイスメント工機の作業現場を見上げる。
「社長、このまま天気が回復に向かうなら問題なさそうです」
 坑道からマスマティとサンドスが出てくる。彼らの言葉を聞くや否やデーヴィスは作業員に開始の合図を送る。
「っし、行くか!」
 トオルは自らに気合いを入れ作業に臨む。今日はこの採掘場で作業を行う最終日。基礎体力をつける絶好の鍛錬場での仕事もこの日で終わりなのだ。そう、このメンバーで一緒に一日を過ごすことも。

 この日の作業も滞りなく進んでいる。天気もそれから悪くなることもなく、小雨がまだぱらついているもののそれほど心配する必要もない。デーヴィスが見ていた天気予報は当たったようだ。
 作業をしながら他のことを考える余裕もでき始めていた。トオルはこの一ヶ月を思い返す。なにも知らずにこの島に来たせいで帰れなくなり、しかしキワが手を差し伸べてくれたこと。デーヴィスが気を利かせて、まだまだ子供にも関わらず採掘作業のメンバーに加えてくれたこと。他の作業員たちとの親交。地球を離れてからずっと各地を旅し続けてきたトオルたちにとって、この島での一ヶ月は限りなく日常生活に近付けた期間でもあった。この日の作業が終われば、それを手から離さなければならない。一抹の寂しさを覚えつつも、ここを離れて旅を再開しなければ、本当の故郷へは帰れないと言い聞かす。
(この島の人たちの恩を無駄にしないように、俺たちは一生懸命にならないといけねぇんだ!)
 今はもう、掘り出した土砂を坑道の外に出すトロッコを一人で押せるようになった。腕力がついたこともあるが、それよりも力の入れ方のコツを覚えることのほうが重要だということを学んだ。
 坑道の外へと押し出したトロッコから土砂を指定の場所へと放棄する。空になったトロッコを押して坑道内へ戻ろうとしたとき、よく見知った一人の男に声をかけられた。
「トオルくん」
「テジックさん、どうしたんだ?」
「僕をデーヴィスさんのところへ案内してくれませんか?」
 テジックは営業スマイルでトオルに頼む。この笑顔はビジネス用の作りもので、本心では笑っていないのではないかという疑念が、あの日以来トオルにはある。そう疑ってしまえば、もうそのようにしか見えない。
「わかった、聞いてくる」
 トオルはトロッコを押して坑道の中へと入る。なんの用件で彼がここにやってきたかは知らないが、この前の事務所に訪ねてきた件の続きだということはわかった。初めてテジックが事務所に訪れたのを見てから、その後二回ほど事務所を再訪している。きっとまだ話がついていないのだろう。内容はわからないが、今日で作業が終わる自分には関係のないことだと、このときトオルは考えていた。

「デーヴィスさん!」
 作業現場に戻ってきたトオルはすぐにデーヴィスの許に駆け寄る。掘削機の轟音が響く中、目の前まで行かないと声は届かない。デーヴィスはなおざりな受け答えで、視線も前からそらさずに機械を動かし続けている。
「テジックさんが坑道の前まで来てんだけど!」
 その言葉を耳で受け止めたデーヴィスはすぐさま手を止める。エンジンはアイドリング状態だがそれでも声は遠い。
「なんだとぉ? ――追い返しな」
「でも用があるんじゃ」
「用件はわかってる。だが今は仕事中だ」
 デーヴィスは眉にしわを寄せて右手で追い払うようなしぐさを見せる。間違いなく門前払いになるだろうとトオルが思ってた通り、デーヴィスには最初から相手にする気がないように思えた。
「デーヴィスさん、なぜ作業をしているんですか?」
 その大きな声は、デーヴィス採掘のどの作業員からも発せられた声ではなかった。坑道の入り口の方向を作業員が一斉に振り向く。そこに認めたのはテジックの姿だった。
「てめぇ、部外者がここまで入ってくるたぁどういう了見してんだぁ? 大企業さまよぅ!」
「無断で立ち入ったのは申し訳ありません。ですが、こちらも職務上の緊急措置として動いているのです」
「緊急措置だぁ?」
 テジックは、はいとうなずくと、作業着の左ポケットから折りたたんだ一枚の紙を取り出す。それを広げると文章の書かれた面をデーヴィスのほうへと突き付ける。テジックとは距離があるので細かな字は読み取れない。
「何度もお願いしているでしょう、今日はここで作業を行わないでくださいって」
 テジックの言葉に作業員は一同怪訝な声を上げる。理由を告げていないので、彼の言ってることの意味が分からない。理由が分からなければそれは単なる横暴だ。それについてみなが聞き返すまでもなく、テジックは言葉を続ける。
「弊社の採掘作業において今日は発破を行います。その発破地点からこの坑道は近く、影響を受ける恐れのあるために一時的な退避をお願いしているのです」
 テジックは言葉を告げながら近づいてくる。同時にノードらデーヴィス採掘の作業員が、おもむろに彼の持っている書類を確認するために歩み寄る。トオルもそれに倣って歩を進める。ジョージ以外の三人は首をすぼめてその文字を追う。マスマティはそれを声に出して読み上げる。
「“午後二時より発破作業を行う。よって発破地点より近隣のデーヴィス採掘の各位におきましては、当日の作業の中止と、坑道よりの退避を求める”……。確かに書いてあるな」
 全員その内容に驚きを隠せない。理由を読んでみればそれは間違いなく横暴だ。こちらの操業に支障が出るような作業を勝手に決定し、さらに一方的に一時中止を求めてくる。あまりに乱暴な対応に、マスマティら一同は怒りよりも先に呆れてしまう。
 だがトオルはその驚きや呆れとともに、一つ奇妙な点に気付いた、気づいてしまった。それはおそらく、トオルにしか気付きえないことだ。
(この文字……英語なのか……?)
 見なれたアルファベット、読めはしないが教科書で見たようないくつかの単語、勉強が苦手でもさすがにbe動詞はそれだと理解できる。
(おかしくないんだけど、変だ。だって、セントラルで見た文字は読めなかった)
 この書類の文字は明らかに英語で、しかしこれまで見てきた文字は三八界特有のものだったはず。
(プリズネイトマスターフェスティバルの会場だって、知らない文字がいっぱいだったのに……)
 これまでの記憶を掘り返す。数字は地球と同じだったが、文字まで一緒だったろうか。しかし三八界で英語が表記されている光景には思い当たらない。ただ意識せず見落としているのだろうか。

「ふっざけんなぁ!!」
 突如、デーヴィスの怒鳴り声が坑道内を響いて駆け抜ける。その声に驚いて、トオルの思考はそこであっさりと途切れた。
「おめぇらの都合を押しつけてんじゃねぇぞ! こっちだって毎日必死んなって仕事してんだよぉ! 保障すらねぇんじゃ話し合い以前の問題だ!」
「たかだか一日じゃないですか。この職種の特性上、大した損失にはならないでしょう?」
「この一日のせいで、あと一センチのところで作業を終わらなきゃなんねぇことだってあんだよ!」
「それならば最終日の前に余計に一センチ掘り進めればいいことでしょう。そんなことより早くここから出てくれませんか? 二時きっかりに発破作業を行いたいのです」
「出てくのはお前だけだ! そしてそっちの作業をわしらのいねぇ夜にでもやりゃぁいいだろぉが!」
「いけません。弊社の規則で就業時間は午前九時から午後六時までと決まっていますから」
「てめぇらは自分のことしか考えてねぇのかぁ!」
 デーヴィスがその場を駆け出してテジックに掴みかかろうとするのを、周りの作業員が一斉に抑え込む。お互いの意見の応酬で完全にデーヴィスの頭には血が上っているようだ。
「社長、手を出すのはまずいです!」
 間一髪でデーヴィスの手から逃れたテジックは少しおののいているようにも見える。だがそれを表に出すまいと必死になっている。作業現場まで来てから、彼は営業スマイルすら浮かべていない。
「これだから大企業はいけすかねぇ! プレイスメントもベーリックもそうだ! わしら中小のことなんか考えもしねぇ。自分の会社の利益のためならなんだってしやがる!」
「自社の利益のために動くのは当然でしょう。競合他社に気を遣っていてはシェアを奪われかねません」
「そのためにはパフをつぶしても問題ねぇってことかぁ!? あぁ?」
 デーヴィスの発言に作業員たちは、同意のまなざしで深く澄んだ憎しみをテジックに向ける。その目の奥にゆらぐそれを無数に浴びせられたテジックは、思わず唾を飲んだ。
 全員が押し黙って、掘削機のアイドリングが低く一定のリズムを刻んで坑道内に響く。その中で、トオルだけが唯一事情を呑み込めないでいた。
「パフをつぶす……? どういうことだよ……」
「――言葉通りだ」
 独り言のつもりで小さく吐いた言葉は、すぐ隣にいたジョージの耳に届いていた。手入れしていないにもかかわらずきれいに太く整った眉の間にしわを寄せながら、彼はトオルだけになんとか届く声で話した。
 この鉱山は当初、今も作業している中小四企業が合同で拓いたものだった。しかしまるで初期作業を中小企業にやらせて機をうかがっていたように、あとからベーリック・ジュエリー社、プレイスメント工機と大企業が入山してきた。彼らは最新鋭の機器でさっさと資源を掘り出していき、産業廃棄物をろくな処理もせず適当に棄てていった。資源を横取りされたふうの中小企業は思うように採掘で収入を得られず、さらに大企業の廃棄物によって島周辺の漁場も廃れていった。
 中小企業の作業員のほとんどはパフにゆかりのあるものが大半だ。パフは漁業で栄えていたのに、それが獲れなくなればさびれていくのも早かった。今やプレイスメント工機の子会社が用地をほとんど買収して、貨物用の港と化してしまった。そのため、地元住民始め中小企業の作業員などは大企業に激しい嫌悪を抱いている。
(だからあのババァはあんな反応してたのか……)
 トオルらが道を尋ねた、パフの小さな商店の店主。大手の関係者とトオルたちを疑い、杖を振り回して追いかけてきた。トオルらのような子供にもそれほど怒りをあらわにするということは、よほど恨みが募っているのだろう。

 ジョージの説明を一通り聞き終わる頃、デーヴィスとテジックの応酬はいつの間にか再開していた。しかし今は作業を止める止めない程度の内容しかない、テープのリピート再生を聞いているような言いあいでしかない。
「いいから早く作業をやめてここから――」
 テジックが切羽詰まったような大声を出した瞬間だった。けたたましい地鳴りと大きな揺れがその場にいる全員を襲った。それは掘削機の耳触りなアイドリングをかき消すほどの轟音で、とっさに耳を塞いでも体の中から全身を揺さぶらせる。その音と共鳴するように、振り幅は小さいが小刻みに激しく四方八方に地面が躍った。この雷が直撃したかのような衝撃に誰もが一瞬何が起こったのか理解できず、そしてすぐ後に誰もが何が起こったかを理解した。
 それらはほんの二秒程度のことだったが、これまでの何よりも強烈な刹那的恐怖を彼らに与えた。我に返ったテジックは慌てて腕時計を確認する。
「二時だ……やっぱり今のは発破だったんだ――!」
 テジックに焦りの表情がにじみ出す。対してデーヴィスは先ほどまで煮えたぎっていた心が急速に冷めていく。
「見ろ、なんともねぇじゃねぇか。帰れ、わしらは作業を続けさせてもらうからな」
「い、いけない……っ!!」
 突如声を荒げたのはあの気の弱いサンドスだった。しかし今の彼は様子が違う。これほどまでに大きな声を出すことは仕事上でもなかったし、表情も周りの様子をうかがってびくびくしている感じではなく、とてつもない恐怖を目の前にしているようだ。デーヴィスが一体何事かと聞き返す前に、サンドスは言葉を続ける。
「崩れるっ!!!」
 サンドスの叫びから間をおかずに、坑道の所々で水が噴き出す。そして吹き出し口を中心に、徐々にひび割れが広がっていくかと思えば、気付けば音を立てて坑道の壁が、天井が、木枠もろとも崩れ落ちた。坑道の先端にいるトオルたちに届いたのは、何度も坑道が崩壊していくような音と、地響きだった。

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