scene125  決意の礎

 話しかけてきた中年女性から告げられた事実は、あまりに唐突だった。単純に考えれば――というよりこうとしか考えられないが、パフに戻るにはあと一ヶ月待たねばならない。
 驚きのあまりにあげた三人の声に気付いて、数人の住人がこちらを振り向くが、何事もないと確認するとさっさと各々の用事に戻って行く。
「あら、みんな大丈夫?」
 表情を動かせずにいた三人は、女性の言葉で我に返った。一ヶ月はここから出られないという状況は、どう考えても決して良いとは言えない。
「あの、他に帰る方法はないんですか?」
 エミは焦りを抑えて訊き返すも、彼女はゆっくりと首を横に振る。メイリは坂の前まで駆けて行って港を見下ろすが、彼女の言う通り定期船の姿はなく、そして周りには一隻も船は見当たらない。それどころかその小さな港は、船さえなければただの廃墟同然だった。
 肩を落として戻ってくるメイリを見て、エミもただため息だけが漏れる。トオルだけはなぜかこともなげな顔をしているが、それも見栄を張っているだけで、内心では動揺して出す言葉も見当たらない。だがこの重い雰囲気を払拭しようと思い、持ち前の後先を考えない言葉を絞り出す。
「よ、よし、こうなったらサバイバルだ!」
 希望があるかのように振舞うためにガッツポーズまで作ったものの、エミとメイリには白けた目で見られ、すごすごとその腕を下ろす。
 明らかに暗くなった三人を前にして、中年の女性は笑顔を崩さないまま、救いの女神のように手を差し伸べた。
「行くところがないのなら、うちにいらっしゃい?」

 この中年女性の名はキワと言った。小柄で、決して太ってはいないが華奢な印象は受けない。狭い台所で手際良くカップやらティーポットやらを用意すると、使いこんだふうの盆に載せてそれらを持ってくる。
「紅茶でいいかしらね?」
 既に準備がされているので断われはしないが、三人がうなずくのを確認すると、キワはそれぞれのカップに少しずつ紅茶を注ぎ始める。
 トオルたちはキワの厚意に甘えて彼女の家にやってきた。それは例の中小採掘会社の関係者が入居する、古びたアパートの一室だった。古い外装に反せず内装も古かったが、手入れが行き届いているようでその古さを感じることはない。
「すみません、突然押し掛けてしまって」
「あら、いいのよ。わたしがお誘いしたんですから。それに、泊まるところがないんでしょう?」
 エミは恥じるようにそれを肯定する。
 ある意味ここに厄介になれるならそれは幸運なことだ。この宿泊施設がない島で、厚かましいながら単純に一ヶ月過ごす場所が見つかったわけだし、それ以外の理由もある。親族を訪問しに来たというテジックに付いた嘘を、ここの家だったとごまかすこともできる。実際もう一つの大手であるベーリック・ジュエリー社ではないが、不審に思われることはないだろう。
 早々に紅茶を飲みほしたトオルが、カップを置きながら彼女に尋ねた。
「なあ、キワさんは一人で住んでるのか?」
「いいえ、わたしの夫がね、この山で働いているのよ」
「そうなんですか? じゃあ私たちはお邪魔なんじゃ?」
「いいのいいの、なんとか言っとくわ」
 メイリの心配そうな顔をよそに、キワは目を細めながら穏やかな笑い声をもらす。
「そうだ、トオルくん、エミちゃん、メイリちゃん。あなたたちも手伝ってくれないかしら?」
 キワに連れて行かれたのは、林立するアパートの山側の端にある平屋で、彼女の家よりも格段に広い。と言っても、せいぜい学校の教室二つ分くらいの広さしかない。
 ここは普段から集会所として使用されている場所のようだ。そこには十数名の女たちが談笑しながらも、隅の小部屋にある台所では何かを作り、並べてあったであろう脚を折りたためる長机を端に寄せている。椅子も同じように追いやられて、クッションが何列かに分かれて並べられていった。
「夜になったら現場からみんなが帰ってくるの。今日はちょうど月に一回の宴会の日だから、そのお手伝いをお願いしたいんだけど、いいかしら?」
 申し訳なさそうに頼むキワだが、三人はこれからお世話になる身であり、当然断ることなど出来はしない。
「わかりました、お手伝いします!」

 日が落ちてから数時間が経ち、宴会の準備も先ほど整ってゆっくりとしていたところに、集会所のドアが勢いよく開けられる音が響いた。
「できてるかい!?」
 かっぷくのいい男たちが次々と押し寄せる。既に入浴は済ませたようで、それまでに採掘現場でつけたきた汚れは全て洗い落としていて不潔な印象はない。だがぼさぼさの髪や伸びたひげ、シャツにハーフパンツの男がほとんどで、腕や脚に時折見かける傷跡が、彼らの仕事の厳しさやまた男臭さを強調している。
「よぉし、プレバロック、バングン、デーヴィスのやつらも全員そろってるか?」
 一番上手に座った男が立ちあがって声を張る。右手には酒の入ったコップが握られている。彼の声に応えるように、六十余名の野太い声が部屋中に響く。
「よーしっ、みんなお疲れ! 今夜は飲むぞ! 乾杯!」
 外にいてもけたたましく感じられたのではないかというくらいの猛獣のような雄叫びがあげられ、採掘作業員の酒宴が始められた。
 命の危険が伴う現場で日々精神を削りながら作業する男たちの、その何もかもから解放されたような笑い声は、まるで無邪気な子供たちが集まってはしゃいでいるようだ。酒や食べ物をこぼしたりするなんてそこらじゅうであり、女たちが雑巾を持ってそこへと駆けつける。軽く謝る男たちに対しても笑顔でその始末をする女たちは、男たちの月に一度の楽しみを優しく見守るようだった。
(すげぇ迫力だなぁ)
 追加で作られた料理の大皿を運びながら、トオルはその屈強な男たちを見回す。まだ十五歳のトオルが体格的に敵うはずはないが、それでも腕の太さを比べてしまう。どうみてもトオルの腕のほうが華奢だ。
(この先、もしこんなやつが敵として出てきたら……)
 空になった皿を洗い場まで持っていき、もう一度自分の掌を見る。マメも傷もなく、それはトオルにとって戦っていない者の手に見えた。

「おお! バングンの勝ちだ!」
 宴会場からドッと歓声が上がる。トオルが調理場から顔を出すと、半分以上の男が部屋の一角で固まっているのが目に入った。中にいる男はしゃがみ込み、外側の男は背伸びをして中を覗き込もうとしている。
 トオルが歩み寄ると、そこには隅に片付けていた机が一脚持ちだされ、二人の男が相対して肘を付けて手をしっかりと握っている。それは地球で行われるものと全く同じ腕相撲だった。
「バングン、わしと勝負だ」
「お? デーヴィス、やるか?」
 彼ら二人は、この採掘場で作業をしている中小企業四社のうちの、二社の社長同士だ。手前にいるデーヴィスという男は特に大きな体をしている。その二の腕は、トオルの太ももくらいあるのではないか。
「レディ……ゴッ!」
 スタートとともに長机が軋む。お互い顔にまで力を込めて、全体重をその組んだ右腕にかける。どちらも屈強な男ゆえ接戦になると思ったが、確実にデーヴィスの腕が相手を抑え込んで行く。相手も十秒粘ったが、その拳は机上に沈んだ。
 その瞬間周囲はドッと沸く。
「さすがデーヴィスだ!」
「この現場じゃデーヴィスに敵うやつはいないなぁ」
 どちらも筋肉の鎧をまとったような大男。特にデーヴィスの体は驚くほどに鍛え上げられているが、決して人間離れしているわけではない。BE統長のキルに比べればその体は小さい。
 しかしだからこそ、その腕相撲の試合を見ていたトオルには、確かめられずにはいられなかった。
「俺も、勝負してくれ!」
 男たちの顔が一斉に一人の少年へと向けられる。見かけない少年がいるのを、男たちはここでようやく気が付いたようだった。男たちは一様にキョトンとしている。
「――ボウズ、誰だ?」
「俺はトオル。パフに帰る船を乗り過ごして、キワさんのところに世話になってる」
「キワだと?」
 デーヴィスの太い眉がピクリと動く。
「おぅい、キワぁ」
「はいはい、なんでしょう?」
 給湯室の奥からキワが笑顔でやってくる。
「このボウズ、うちに来るのか? 聞いてねぇぞ」
「ええ、ついさっき声をかけたのよ。いけなかったかしら?」
「いやぁ、別にわしは構わねぇよ」
「よかった、この子のほかにまだ二人いるのよ」
「何ぃ? 寝るとこどうすんだよ、うちそんな広かぁねぇぞ?」
 二人が会話している間に、先ほどデーヴィスと対戦したバングンという男が手招きする。
「よお、まずはオレとやろうや。オレに勝たないとデーヴィスにも勝てないぞ?」
「よしっ、やってやる!」
 トオルは気合を込めてバングンの向かい側へと回る。二人を取り囲む男たちは再び気勢を取り戻す。
「ボウズ、バングンに勝ったら快挙だぞ」
「頑張れよ、ちょっとは粘りな」
「バングン手加減してやれよー?」
 外野が騒ぐ声は、次第にトオルの耳には聞こえなくなっていった。手をしっかりと握りしめると、目の前の相手に集中する。トオルにとっては単なるレクリエーションなんかではなく、自らの力量を試すための真剣勝負だ。
(この間の大会では中途半端だった。実戦じゃなくて、単純に俺の力はどのくらいなんだ……?)
 トオルに笑顔を浮かべる余裕はない。
「レディ……ゴッ!」
 スタートの合図がかかった瞬間、トオルは全身全霊を右腕に込める。
 トオルは魔法石を持っている。魔法石は所持しているだけで対象者の基礎体力が向上するが、意識することでその恩恵をシャットアウトすることも可能だ。逆に能力発動時などは、所持者の能力解放の意志によって呼応している。
 この瞬間、トオルは魔法石の恩恵をシャットアウトしていた。完全な自力のみでの対戦。トオルの拳は徐々に机の面へと近づく。相手のバングンは余裕を含んだ顔をしていた。
「バングンの勝ち!」
 周囲の男たちはおもしろい余興だったと盛り上がる。皆が笑顔なのに対して、トオルだけが冴えない。そのトオルの表情にバングンは気付く。
「ボウズ、いくつだ?」
「十五」
「ほお、十五でこれだけ強いのか。気落ちするなよ、ボウズなら数年でオレらを負かすくらい強くなれるさ」
 彼は励ますために声をかけてくれたのだろう。しかしトオルにはその言葉はなんの励ましにもならない。むしろこの先の光がしぼんで行くように感じる。地球に帰るために、何年もかけていられない。だからトオルはこの手で確かめたのだ。自分の素地の力がどれほどあるのかを。
 結果、負けた。魔法石の恩恵を受ければ彼には勝てるだろうが、彼と同じ体格を持った人間が魔法石の力を使ってトオルに向かってくれば勝てないだろう。ましてや、キル相手になど。
 カーシックの遺体が発見されたあの日、前日まで行動を共にしていたとして、キル本人から事情聴取を受けた。その時に分かった、彼が敵だということは。彼にはまず歯が立たないだろう。魔法石や真魔石など関係なく、生身の戦いにおいても。彼は、目の前のバングンよりも大きな体のデーヴィスを凌ぐ、まるで大山のような身体をしているのだから。

 宴会は明け方まで続いた。途中で抜けるものもおれば、寝入ってしまうものもいる。だが見かけに負けず酒に強い者も多い。最後まで男たちの笑い声が途切れることはなかった。
 女たちは、子供のいる家庭から優先的に帰宅していた。デーヴィス夫妻には子供はいないため、キワは休みを取りながらその場に残っている。しかし彼女が気を利かせ、エミとメイリは彼女の家で先に休んでいた。トオルも同じく休むよう促されていたが、眠くもなかったし、そんな気分でもなく断った。
(俺は、今までこんなに弱いのに気付かなかったのか……)
 部屋の隅にもたれ、立てた膝に腕を乗せる。男たちの酒の進みとつまみの減るスピードは落ちており、もう手伝いもほとんど要らない。女たちも交代で休みながら、ひと眠りする者、談笑する者がいる。
「トオルくん」
 キワが声をかけてくる。
「もう休んでなさい?」
 空は薄青ににじんできている。間もなく陽が昇り始めるだろう。だが不思議と、トオルは眠気がなかった。
「大丈夫っす。眠くないし」
「あら、そんなこと言っちゃって。だめよ、子供は寝ないと強くなれないわよ?」
「強く……」
 子供扱いされるにはそろそろ抵抗したくなる年になってきていたが、今はなぜかそれが出来なかった。
 トオルは腰を上げる。眠れる気はしなかったが、男たちの屈強な身体を見ていると、何度も自分の無力さを感じてしまうので、それをあまり考えたくなくなっていった。
「じゃあ、戻ります」
「あら、よかった。家の場所はわかるかしら?」
 トオルは、はいと頷くと、騒がしい宴会場を後にする。
 潮風は涼しくて心地よかった。アパートが林立する向こう側には、広大な海と、パフの街がある陸地が小さく見える。そのさらに向こうにある山の稜線から、陽が顔を出し始めていた。
(そういや、こっちじゃ太陽ってなんて呼ぶんだろ。あれって太陽じゃないんだよな)
 柄にもなくそんなことを考えつつ、デーヴィス夫妻宅へと入る。奥の部屋には布団が三揃い並んでいて、そこにエミとメイリが寝ていた。隣のさらに小さな部屋には、部屋の大きさぎりぎりに布団が二揃い敷いてあった。
(そういや三八界に来てから布団で寝るのって初めてかも)
 トオルは最初、空いているエミの隣の布団の前まで来たが、何かに気づいたように体の向きを変え、小さな部屋の布団にもぐりこんだ。
(でもあんまり眠くないしな――)
 そう思いつつも、目を閉じると意識は自然に体の底へと沈み込んで行った。

 トオルは大きないびきで目が覚めた。隣を見るとデーヴィスが何もかけずに横になっていた。意識し始めて初めて、酒臭さに顔をしかめて体を起こす。
「くっっせぇ~」
「あ、トオルおはよ」
 居間に出てきたトオルに、エミは笑顔で話しかける。
「よく眠れた? あ、あとね、キワさんに教えてもらいながら、メイリちゃんと一緒にスープ作ったんだけどいる?」
「うん」
 トオルは寝ぼけ眼で洗面所に向かう。顔を洗いながら自分の顔を見つめた。
(このままじゃ、いけないよな――)
 濡れた顔を拭き居間へと戻ると、ちょうどエミがテーブルへスープの入った器を運んできた。
「ほらほら、どう?」
「エミ、お前なんかテンション高くないか?」
 エミは動きを一瞬止めると、素早く首を横に振る。
「そ、そんなことないよ! そう見える?」
「いやまあ勘違いなら良いけどさ」
「……トオル?」
 どこかいつもと違うと、エミは感じる。明確にどうとは言い切れないが、言葉、動き、すべてが見慣れてきた今までのトオルとは違うように思う。表面的な違いではなく、どこか奥底のほうで。
 後ろで物音がした。気付けばいびきがやんでいる。小部屋からのそっと大きな体が出てきた。
「うぅぃ、飲みすぎたぁ……」
 デーヴィスは頭を押さえ、眉をひそめながら居間へとやってくる。
「おはようございます」
「ん? あぁ、おはようさん」
 エミの笑顔の挨拶を一目すると、彼はけだるそうな返事だけをしてキッチンに入る。そして手近にあったコップを手にとって、蛇口をひねって水を注ぐとすぐにそれを飲みほした。そしてそのまま洗面所へ駆け込み、勢いよく顔を洗う。
 一通りの作業をし終えて居間へ戻る頃には、さきほどの表情とは打って変わり、昨晩見た覇気に満ちた顔に戻っていた。
「改めておはようさん。悪ぃな、飲み明かした翌日ぁしゃっきりしなくてよ」
「デーヴィスさん!」
 突如、トオルは両手でテーブルを叩いて立ちあがる。トオルに出すためのスープを持ったまま、エミはそばで硬直する。突然のことに驚いて固まったが、トオルの表情に鬼気迫るものを感じ取り、エミの表情もややこわばる。
「俺を――雇ってくれ!」
 決して大声ではなかったが、その声に潜んだ決意は非常に重く、身体の芯にまで響いてくるようだった。
 いつからこれほどまでに重々しい声を発することが出来るようになったのか。エミにとってその声は、今まで聞いたことのない声だった。
 その言葉を正面から受け取ったデーヴィスは、真顔でトオルを見下ろしている。

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