scene124  潮風に乗る感情船

 澄み切った空気は、はるか遠くにある山脈の稜線まではっきりと映し出す。深い緑で覆われた肌はとても健康的で、それこそ自然が生み出す目の保養剤となっている。
 第二二番界プリズネイトに来て一週間経ち、トオルたち三人はプリズネイトマスターフェスティバルが行われていた街を離れ、ドーランから得た情報を元に、天然の魔法石が発掘されることもあるという、ディガップ島の鉱石採掘場へと行くことにした。その島へ向かう船に乗るため、今はパフと言う港町へと向かっている。
 規則的に音を立てながら、街々や自然の中を走り抜けて行く列車に揺られながら、穏やかな空気の中で三人は目的地への到着を待っていた。
「わりかし遠いんだなー、パフって街は」
「そうね。でものんびりできていいじゃない」
 対面式の座席の窓側で、トオルは頬杖をつきながら景色を眺めている。緑樹が林立するなかに、柵で規則正しく区切られた住宅が並ぶ。そのどれもが広い庭を擁していて、改めて今まで過ごしていた環境とは違うことを認識させられる。トオルの家は一戸建てではあったが、この辺りの家とは比べるまでもなく小さく、庭も猫の額程度だ。トオルが見ているこの景色は、テレビの中で紹介されるアメリカやヨーロッパを思い出させる。

「ところでトオルにメイリさん、ベルナークさんと戦った時のコンビネーションは見事でしたね」
 エミの唐突な発言に、二人は思わず目を白黒させる。
「なんだってんだいきなり?」
「なんだって、私はあの時は二人とも息が合ってたね、って言ってるのよ」
 エミがとぼけたようにトオルに言い返すのを見て、メイリは合点が行ったのか柔らかな笑みをこぼす。
「そうね。あんときはお互いに動きが良く見えてた。――ね、トオル?」
 エミが仕掛けた思惑にメイリは乗っかる。エミは二人の仲直りを狙っている。エミとメイリの拉致事件以来険悪だったトオルとメイリの仲は、プリズネイトマスターフェスティバルの大会期間中は一旦修復しかけたものの、クレアの家に招かれた際に、些細なことから再び溝は深くなっていた。
 出来るだけとげが立たないように。そう注意してトオルに投げかけたメイリの言葉。
「まあ。そうだな。――次に何するか分かったけど」
 トオルは視線を外に向けたまま答える。トオルの言葉にも、拒絶の意志は含まれていなかった。これを聞いたメイリは次の言葉を切り出した。
「ごめんねトオル。感情的になりすぎて」
 亀裂の原因となった場面。トオルがエミの拉致を知らなかったことに対して、メイリが本気で怒りを現したこと。彼女はそのことについて謝った。
 この言葉が発された時、トオルは僅かながらに肘を浮かせたが、すぐその場に下ろした。
「俺が悪かったよ。……知らなくて――」
 トオルはそう言うと、今度こそ頬杖を解いて体の向きを車内へ戻す。視線はメイリに真っ直ぐと向けられる。
「だから、もうこんなめんどくせー感じ、やめようぜ!」
 わざと声を荒げるように言ったトオルの顔はどこか不真面目な感じで、どうやらそれは照れを隠しているようだった。
 その瞬間、メイリもエミも堪え切れずに噴き出す。軽やかな笑い声は、上部が僅かに開いている車窓から入り込む風と混じり合う。二人の反応にトオルは口を尖らせながら、ぶつくさと文句を垂れている。しかしその声は周りの音によってかき消された。
「だけど本当、もうちょっと上に行きたかったな」
 メイリははにかむ。
「でも三回戦まで進んだじゃないですか。ベスト一〇〇に残ったんだから凄いですよ」
「そうなんだけどね。けど出たからにはやっぱり優勝したいじゃん」
「俺もそうだな。結構いけると思ったんだけど」
「そうよねー。ま、私はトオルより上に行ったからそこはちょっと満足かな」
「なにぃ! 勝ちの数は一緒で、ポイントがちょっと多かっただけじゃねーか!」
 メイリの売り言葉に、トオルの買い言葉の応酬。そこに険悪なムードはなく、姉弟喧嘩を思わせるようないつもの言い争いに戻っていた。いつぶりかのその光景に、エミはほっと胸をなでおろした。
 さほど時も経たないうちに二人のいさかいは終わり、メイリは窓の外に視線を移して一息つき、やおら想いを吐く。
「早く帰りたいなー……」
 トオルとエミはその言葉に薄く反応して、彼女と同じように視線を窓の外に向ける。
「――せっかくのオリンピック出場のチャンスなのに……」
「…………はっ!?」
 メイリが続けて放った“オリンピック”という言葉に、トオルとエミは思わず気の抜けた声が出た。
「メ、メイリさん……オリンピック出場って言うのは……?」
「あれ、言ってなかったっけ? 私オリンピックの候補選手なのよ」
「えええっ!?」
 二人のあげた車内中に響き渡る驚愕の声で、周りの乗客の視線を集める。三人は慌てて頭を引っ込め、会話も自然と小声になる。
「オリンピックって、あのオリンピックだよな?」
「うん。アテネオリンピック」
「と言うことはメイリさん、もしそれまでに帰れなかったら……」
「そう……ね。出られないかも」
 押し留めていたであろう悔しさが、メイリの言葉からにじみ出す。それを感じ取ったエミは、かがめていた背筋をしっかりと伸ばして笑顔を作る。
「きっと戻れますよ。私たち、今まで立ち止まってたわけじゃないんですから」
 柔らかくても芯のあるその言葉に、メイリも自然と穏やかな表情になった。
「あ、あれじゃね? ディガップ島」
 トオルが突然声を上げ窓の外を指す。いつの間にか海が広がるその先に、霞みがかって輪郭ははっきりしないが、確かに一つの島が浮かんでいる。
 それと同時に、車内には停車駅の案内がアナウンスされる。それが目的の駅名であることを聞き届けると、三人は下車支度をしながら、遠くに見える島を見据えた。

 こじんまりとした駅舎から出ると、ふわりと潮の香りが漂う。暑すぎず寒すぎない気候の中で、その香りはいやらしくなく、むしろ清涼感さえある。
 駅の周りには前方と左右に向かって数メートルの商店街が形成されていたが、数店舗を除いて営業している雰囲気はない。人気もなく空虚が漂い、それを認識した途端、潮風が遠くから荒廃を運んで来ているように思えた。そういえば、三人を除いてこの駅で下車した者はいない。
 トオルたちは辺りを見回しながら、数少ない開店中の商店へと足を向けた。
「すみませーん」
 エミが声をかけながら、三人は足を踏み入れる。道路と壁で区切られていないその店舗にはいくつかの商品棚が置かれていたが、そこにはほとんど陳列物はない。三つある電灯も点いているのは一つだけだ。
「いらっしゃい」
 奥から店主と思しき、杖をついた初老の女性が姿を現す。笑顔でもてなすようなことはせず、しゃべりかたもどこかぶっきらぼうだ。
「なんか買うのかい」
「いえ、お尋ねしたいことがありまして」
「なにさ」
 不機嫌なのか、その女性店主は隅に置いてある簡易椅子に座りこむと足を組んだ。
「ディガップ島への行きかたを教えていただきたいのですが――」
 エミがその島の名前を出した瞬間、女性店主は目を見開いて三人を凝視したあと、重たい口調で言葉を吐く。
「あんたら、あの“大手”のどっちかの人間か……?」
 毒々しさも交えながら先ほどよりも鋭い目つきの女性店主に、エミは思わず物怖じしてしまう。だが彼女のこの言いぐさから見ると、その“大手”をとやらを毛嫌いしていることは分かる。ディガップ島の名を出してこの話の流れだと、大手の採掘業者が嫌いなのか。
「知らねーよ、どっちでもいいだろ。行きかた教えてくれって言ってんだ」
「ちょ、バカ」
 エミが思考を巡らせている間に、トオルは不遜に返答する。メイリが焦ってたしなめるが、その頃にはもう女性店主の顔つきは変わっていた。
「その態度、やはり大手のやつらだな! この街から出て行きな、あんたらに教えるもんは何もないよ!」
 大声を荒げながら、彼女は持っていた杖を振り回した。それはあまりの元気の良さに杖が不必要に思えるほどだ。
 彼女は杖を振り回しながらトオルたちに向かって行く。トオルたちはただそこから逃げるしかない。駆け足でその場を離れるが、女性店主はそれでも杖を振り回して追ってくる。彼女の足はそれほど早くないが、このままではきりがなく、仕方なく走ってその場から遠ざかる。数十メートルの差が開いた時、ようやく彼女は追跡を諦めて、背を向けた。
「なんだよあのババァは」
「トオル、言い方考えなさい。あんたのせいなんだからね」
「は? 俺ぇ?」
 メイリの指摘に、トオルは濡れ衣を着せられたかのような不満を表す。
「だけど、結局行き方訊けなかったし、他の人に訊くしかないですね……」
 エミは小さくため息をつく。それは切れかけた息を整えさせる目的もあり、またこのことがこの先の旅程を若干不安にさせたことも混ざっていた。

 三人が逃げ着いた場所では既に商店街は途切れていた。まだいくつか開いている商店はあったが、またあの女性店主に出くわすと厄介なので、引き返さずに人に尋ねることにした。
 商店街をの外には小さな倉庫や廃墟となったビルが点在しており、それ以上に空き地が多かった。その空き地もコンクリートで舗装されていて、ほとんど木々も見かけないこの街はまさしくコンクリートジャングルと例えることができた。
 この辺りでは潮の匂いも強く、灰色の視界の隙間からは、青い海と防波堤が見える。貨物工場らしき巨大な倉庫や、思わず見上げてしまう堅硬なクレーンも見え、絶えず響いてくる貨物船の汽笛や金属のぶつかり合う音が、港はすぐ近くにあるということを知らせてくれる。
 だが巨大な倉庫やコンテナが並ぶその中に、ディガップ島へと向かう船があるとは思えない。なぜなら、ドーランから聞いた情報によれば、元々ディガップ島に向かう人は多くなく、定期船もさほど大きな船とは思えないそうだ。
「あ、人いたぞ」
 トオルが前方に中年男性を発見した。三人は彼らに近寄る。
「すみません、ディガップ島への船ってどこから出てますか?」
 尋ねられた男は露骨に眉をひそめ、大手の連れは消えな、と言い捨ててどこかへ行ってしまった。あまりに一瞬で、そして予想外の返答に、三人はしばし固まった。
「あのババァか……」
 三人は辟易する。まず間違いないだろう。店に戻って、この辺りの人間に電話などで知らせるなど、簡単にできるだろう。
 それでも教えてくれる者はいまいかと数人に尋ねてみたが、結果は全て同じだった。
 一時間ほど経過して、そろそろ精神的に疲労してくる。ほぼ諦め気味に話しかけた、八人目の男性だった。
「それなら僕も行くところです、連れて行ってあげますよ」
 三人は目を合わせ、思わず歓喜の声をもらす。
「ありがとうございます、お願いします!」
 三十代半ばに見えるその男性は柔和な笑顔を浮かべる。これまで話しかけた人と違いその身なりは整っていて、髪にはつやがあり、服も汚れていない。その服はどことなくビジネス用にも見えた。
 定期船は周りの貨物船と比べれば大きくはないが、それでも学校の体育館ほどの広さはある。そこにトオルたち三人と、案内に応じてくれた男性、まばらに二、三人ほど乗り込んだだけで、あとは船上を占拠する勢いの貨物が詰め込まれた。
 船はほどなくして離岸する。エンジン音は聞こえず、モーターのような稼働音が響くだけだ。地球よりは技術が進んでいるのが分かるが、汽笛もスピーカーから流れており船らしさが乏しく思えるのは、きっと郷愁の念からなのだろう。
「ありがとうございます。おかげでこうして船に乗れて」
 エミは軽く会釈すると、男性は笑顔で謙遜する。
「礼には及ばないですよ。ということは、君たちはあの島へは初めて?」
「そうです。ちょっと用事があって」
「そうなんですか。君たちみたいな子供が、あの島に用があるなんて――そうか、採掘作業員に親族か誰かいるんですかね」
「あ、はい、そんなところです」
 エミは笑って、この男性の言ったことに乗っかる。真魔石の手掛かりを探しに来たと本当のことを言ってもいいが、それを目当てにあの島へ行くと理解されると、まるで鉱石をかすめ取ろうというハイエナのように扱われかねないと考えたので自重する。
「で、あんたは仕事で行くのか?」
 エミの後ろで話を聞いていたトオルが口を挟む。
「そうですよ。あの島で採掘している企業の一社員です」
 男性ははっと何かに気付いたような顔をすると、柵にかけていた手を離して、三人の方に向き直る。
「申し遅れました。僕はプレイスメント工機のテジックと言います」
 笑顔を浮かべ挨拶をするテジックに、エミたちも同じように返した。
 ちょうどその時、船内には間もなくディガップ島へ到着する旨の放送が流れた。

 ディガップ島へ到着すると、テジックはそそくさと船を下りる。港に上がった彼は後ろを振り向いて三人に目配せする。その意図を読み取って、エミを先頭にテジックの許へと寄る。
「僕について来てください。どこの会社にしろ、作業してる山は同じですから」
 三人はうなずいて彼について行く。見切り発車もいいところで、考えてみれば下調べは何もしていない。この島の地理どころか、船の乗り方すら分からなかった。だがテジックのおかげで何とかなりそうかもしれない。
 そんな考えを抱きつつ、港から目の前に見える岩肌の露出した山の、麓の坂道を登る。車が四台くらい並走できそうな道は簡単に舗装され、傾斜も緩やかで歩くのに苦はない。船が停泊するための桟橋だけが目立つ簡素な港から伸びるこの坂道に、同じ船で輸送された貨物を積んだ車が、ゆっくりとしたスピードでトオルたちを走り抜いて行く。
 坂を登りきると一転、アパートらしき建物が林立する光景が目に入る。お世辞にもきれいとは言えない古びた建物だが、そこには生活感が満ちていた。
「こんなとこにも、人が住んでるんだ――」
 思わず出た言葉にはっとして口をつぐむエミを、テジックは笑って返す。
「ここは中小様々な採掘企業の人たちが住むための賃貸住宅ですよ。僕たちの住む場所はもうちょっと上です」
 説明されながらさらに数分歩くと、そこには小奇麗なマンション数棟建っていた。山肌に沿うように白を照り返すそのさまはリゾート施設のようで、先ほど見たアパートとは格の違いを見せつけていた。
「僕の会社の従業員はここに住んでます。さっきのアパートも、うちが貸し出していますから」
 ここまでくればもう説明は要らない。ここは、大手の採掘企業の関係者のためのマンションで、つまりはテジック、彼は大手の社員だということ。
(パフの街の人たちが嫌ってた、あの大手の――)
 船に乗るまでの苦労をメイリは思いだす。しかし、あの街の人たちが嫌悪するような要素は、テジックからは見られない。彼が大手のどの立場の人間かは知らないが、ただ一部の人間が問題だっただけなのでは。そう思わざるを得なかった。
「ところで、君たちの親族はどこに勤めているんですか?」
「え……!?」
 来るとは分かっていても、来てほしくない質問だった。なぜなら、親族なんてどこにもいない。
「え……と……どこだっけ? ねぇ、メイリさん?」
「あーそうね……どこだっけ?」
 エミとメイリはしどろもどろになりながらも何とかごまかそうとする。
「君たちは見た目もきれいだし、中小の関係とは思えないんだ。プレイスメント工機とベーリック・ジュエリー社、どちらかですよね」
 エミとメイリはハッと目を合わす。
「二社、あるんですか……?」
「ええ。僕はプレイスメント工機だけど、親族が来るような情報は聞いてないし、ベーリックさんのほうですかね?」
 思わぬ助け船が出た。ここでテジックの会社と違う方と答えておけば、三人の嘘がばれることはない。
「ああーそうだったと思います、多分、きっとそうです!」
 メイリがまだ動揺しながらも答えると、テジックはまた優しそうな笑みを浮かべる。
「じゃあベーリックさんなら、一度この坂を下りてから、左手の奥に向かってください。そこからまた坂道があるので、それを登ったところです」
 彼は道順を丁寧に説明すると、小さく目礼をしてマンションの方へと歩いて行った。

「あっぶなかったねー」
「ですね。テジックさんがああ言ってくれなかったらどうなってたかわかりませんね」
 三人は坂を下って再びアパート群を歩く。テジックに嘘をつく必要はなかったが、嘘をついた後にばれるのは厄介だ。しかし結果的にそれは回避できたし、大手は二社あることが分かった。彼の人柄を見れば、嫌われるようなタイプではないし、パフの街の人々が嫌っている大手とはベーリック・ジュエリー社の方だろう。だとすればそのような噂の立つ会社に訪れようという気はしない。
「ところでさ、これからどーすんだよ?」
 柄に似合わず今まで沈黙を保っていたトオルが口を開く。それはエミたちも考えていたが、明確な答えは出ていない。
「そうだ、こんなのどうかな?」
 メイリが何かを思いつく。彼女の妙案に打開策がないかと、トオルとエミは期待の瞳を向ける。
「パフの街の人たちが大手を嫌ってるじゃん? ということは、逆に好きな会社聞いて、そこの人から情報を得るって言うのはどうかな?」
 納得したような感嘆の声を二人は漏らす。手間はかかるが、実行できる一つの手段と言えよう。テジックのアパートの説明の物言いから、中小企業は一社とは限らないと思えたし、ここで色々嗅ぎまわるのも怪しまる可能性がないとも言えない。
「よおし! じゃあ一旦パフに戻るか!」
 トオルの元気のいい声に、近くを通りかかった中年の女性が声をかけてきた。
「あらあら、あなたたちどうやって戻るの?」
 柔らかい笑顔で穏やかなしゃべり方の女性は、警戒心を湧かせる気も起きなかった。
「どうやってって、船に決まってるじゃん」
 トオルは何かおかしいことを言っているかと問うように返すと、彼女は表情一つ変えずに言葉を続けた。
「定期船は一ヶ月に一往復しかないわよ。それももう出ちゃったけど」
 潮風が一陣吹き抜ける。
「ええええええーっ!!」

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