scene123  既知の真実による終幕

 ベルナークを抱え上げ会場まで戻る間に、これまで分からなかったことをアシアスとガラウに尋ねた。
 アシアスの父ガラウは、アシアスの成人と同時にこの街を出て行ったのだが、この大会が行われる度に街に帰ってくる。それは自らの意志ではなく、警察からの要請によるものである。いくら大会を追放されたとはいえ、その常軌を超越した体術は、警備上とても有力だとして雇われているのだ。
「アシアスさんとこっそり話していたのは?」
 そのエミの問いに、ガラウはこう答えた。
「内部で起こった事件や、外の状況などの個人的な情報交換だ」
 そのため魔法石強奪事件が発生したことも把握しており、アシアスと共に考えるうちにベルナークが怪しいとも踏んでいた。そのため、途中からはベルナークの行動を監視することも多くなっていた。
「だからベルナークが次の王様を助けた時に近くにいたのか」
 トオルは一人頷いて得心する。トオルがベルナークの魔法石を確認するきっかけになったあの事故のあと、トオルが彼を見かけたのはそういうことだったのだ。
「実はあの時、きみに見つかって向きを変えたんだが、どうやらそこで目を離しているうちに魔法石の受け渡しが行われていたようだ」
「え、マジで?」
 つまりはあそこでトオルが気がつかなければ、ベルナークと実行犯たちの密会現場を押さえられたかもしれない。だが今はもう関係ない。
「あ、アシアスさん試合は!?」
 トオルが気付いて大声を上げる。アシアスは苦笑する。
「もういいさ、仕方ない。こちらのほうが優先すべきだと、俺は思ったから」
 ベルナークが逃走したあと追跡はトオルたちに任せ、メイリに決勝戦に出るよう促されたがそれを放り出した。そのままガラウに状況を伝えに行き、アシアス自身はトオルたちの足跡を辿ってきた。警察への連絡は情報を受けったガラウが行い、そして彼も森へと入った。
「私たちはありがたかったですけど、でも試合には出て欲しかったです」
 メイリは目を合わせずに言う。うつむき気味の彼女の背中からは、物足りなさが感じ取れた。
「仕方ない。こっちのほうが大事なことだろう」
「それでも、です。きっとクレアさんにとっては不満なんじゃないかと思います」
「クレアが?」
 アシアスは意味が掴めていないようだったが、メイリは、はい、と言うだけでそれ以上言葉を続けなかった。この言葉の裏には、クレアがアシアスに直接勝ちたいという思いの他にも、別の意味も含ませていた。
「ベルナークが気付いたようだな」
 ガラウの言葉で空気が変わる。見てみれば、肩に担がれているベルナークは足取りを合わせている。まだ手助けなしでは苦しいようで、動線や歩幅が安定していない。
「お前を警察に引き渡す、文句はないな?」
 ガラウに問われ、ベルナークは力なさげにうなずく。
「こうなったんだから当然です。それに、あなたから逃げるのは無理ですからね」
 ベルナークからは覇気が失われ、ほとんど流れに身を任せているようだった。

 森から抜けて会場前へと出ると、複数人の警察官と、未遂に終わった二回目の犯行時に現場にいた、捜査責任者のロベルトがいた。
「お疲れ様です。ご協力痛み入ります」
 彼は丁寧な例をすると、ベルナークの正面に立つ。
「ベルナークさん、あなたは魔法石強奪教唆の容疑がかかっています。警察署までご同行願います」
 ベルナークが無言のままうなずくと、ガラウの肩から警察官へと渡される。彼はそのままベルナークを連行しようとする。
「ちょっと待ってくれ、ベルナークに訊きたいことがある」
 その警察官を引きとめたのはトオルだった。二人とも振り返り、警察官はどうぞとトオルを促した。
「さっき、なぜ俺たちには手加減して、アシアスにもとどめを刺さなかった?」
 森の中で対峙した時、魔法石の能力を発動して三人を倒し、アシアスにもすぐに大ダメージを与えれば、余計な時間は取られずに済み、あわよくばガラウと出会わずに逃げ切れた可能性もある。
「別にそこまでする必要ないだろ?」
 さも当然のように返答するベルナークに、トオルは一瞬戸惑う。
「もう一つ、継王を助けたのはなんでだ。護衛に任せればいいし、そうすれば魔法石だって俺に見られなかったのに」
 それが重要な証拠となり得て、もしその行動をトオルが見ていなければ、ここまで追い詰めることも難しかった。それを味方のミスのように責める姿勢になっていることに、トオルは気付いていない。
 だがこれに対しても、ベルナークの返答は気が抜け落ちそうになるものだった。
「なんでって、継王を助けようとするのは国民として当然じゃないか」
 この回答にはエミとメイリも開いた口が塞がらなかった。しかしすぐに納得する。この第二二番界プリズネイトは、義の世界だ。だがまさか、悪党までもがここまで当然のように義に篤いとは思ってもみなかった。
 トオルたち三人以外はこの質問の意図が全く分からないようで、誰もがみな不思議そうに見つめてくる。思わぬ注目に柄に合わず気恥ずかしくなったトオルは、もう大丈夫と警察官に手で合図を送る。ベルナークは警察官に担がれて、護送車両の待機のために一旦会場内へと入っていった。この様子なら、間違いなくこれ以上の逃走もないだろう。

「アシアス!」
 ベルナークたちと入れ違いに会場外に飛び出してきたのは、目つきを鋭くしたクレアだった。
「なんで決勝に出なかった!」
 試合終了直後なのか、戦闘着のままで汗だくになっている。小雨を吹き飛ばすような怒気は、アシアスだけに限らず他の者たちにもひしひしと伝わってくる。
「仕方ないだろう。ベルナークを捕まえることの方が優先だ」
「何があったか知らないけど、わざわざアシアスが行くことはないだろ」
「いや、魔法石を盗んだ奴を目の前にして、黙ってなんかいられない」
 ここでクレアは目を見開く。どうやら、ベルナークが犯人云々よりも、窃盗事件が起こったこと自体に驚いているようだった。だがこの事件は、被害者と現場に居合わせた者以外には情報が伏せられており、そのどちらでもないクレアが知らないのも無理はない。
「だ、だけど、やっぱり警察に任せるべきだった」
「いや、クレアちゃん。アシアスがいなければ、私が加勢するまでの時間は稼げなかった」
 クレアは大きく息を呑む。ここに来てようやくガラウの存在に気付いたらしい。クレアから見れば、父親が死ぬ前に最後に戦った相手であり、その当人と対面したせいか、一度顔を背ける。
「よく分からないけど、つまりアシアスが時間を稼がないと逃げられてたってこと?」
 ガラウを意識して緊張しているのか、先ほどよりも勢いが落ちている。
「そういうことだ」
「アシアス、よく自分で返事ができるね。あんた自身で捕まえられないなら、大会に出ときなよ」
「そういう問題じゃない。これはモラルの問題だ」
 この言葉を聞いたクレアは顔を上げ、消沈していた怒気を再び勢いよく燃え上がらせる。地響きがすると思わせるほどの威圧を背負ってアシアスに歩み寄ると、感情をあらわにした顔で見上げる。そこには怒りが満ち溢れ、同時にどこか泣きそうな顔でもあるように思えた。
「あたしを避けるくせに都合よくモラルを語るなっ!!」
 腹の底から噴き出した大声は、その場の空気を震わす。
「何を言ってる、避けてなんかないだろう」
「そっちこそ何を言ってるんだ!」
 間髪入れず言葉を返したクレアは、その後も止まることなく言葉を吐き続ける。
「お父さんが入院したときは励ましてくれたのに、死んだ途端にそっぽを向いて、ごめんごめんとしか言わない! あたしが話しかけても、前みたいに本心でしゃべってくれない! 明らかにあんたから近づいてくることはなくなったじゃないか!」
 息継ぎもほとんどせずに今まで溜めこんでいたであろう言葉を吐き出すと、堪えていた感情も抑えきれなくなったのか、彼女の眼から涙があふれ始めていた。それを隠すようにクレアはうつむいて言葉を続ける。
「お父さんが死んだとか、そんなこといちいち、気にすんなよ――……」
 クレアはいよいよ嗚咽で言葉が続かなくなる。アシアスは息が詰まるような思いで、クレアの肩に手をかけた。
「クレア、すまない。――けどやはり、クレアの父さんは――」
「それをやめろってんだ!」
 クレアは勢いよく顔を上げて、頭一つ分高いアシアスの顔をねめつける。今度は泣き顔を隠さない。
「いつまであんたたち親子は自分のせいにするんだ。関係ないことくらい知ってるんだから……」
「えっ?」
 アシアスと同じく、そばで経過を見ているトオルたちからも声が上がる。ガラウは声を出さずに顔を背けた。
「お父さんは、元々病気だった。そりゃ最初はあんたたちを恨んだけど、お父さん、あたしに病気のこと隠してたんだ……」

 クレアの父タガは、感染症にかかっていた。それは左膝に出来た小さな切り傷が発端だったのだが、あれよあれよという間に、それは全身を蝕み始めた。決定的な治療法もない中で、タガは無理をして大会に出場した。しかしその頃、罹患場所の左膝はもう限界に近かった。
 決勝の試合中、お互いに間合いの取りあいでこう着した時、ガラウはタガに話しかけた。
「タガ、お前の膝は限界のはずだ。大人しく治療を受けたほうがいい」
「膝どころじゃないさ。――もう次の大会に出られるかも分からないのに、治療なんか受けていられない」
「バカを言うな。これほどの実力を持つお前なら病気にも打ち勝てる」
「ははは、何の関係があるんだよ」
「笑い事じゃない。タガ、奥さんやクレアちゃんをどうする気だ」
 会話はそこで一度途切れ、タガは小さな笑みを浮かべる。
「――そうだな。寂しいが、最期に楽しい思い出でも作ってあげないとな」
「……。――タガ」
 ガラウがタガの名前を呼んだ時、一気に間合いを詰めて、タガの左膝を打ち破った。タガは仰向けに倒れ込み、少し首を起こして逆に曲がった左膝を確認した。
「やられたな」
「タガ、今はバカを言う時ではない。何が最期だ。しっかり治療して、治して、生き続けろ。――それが私や仲間たちと、そしてなによりも家族にとっての幸せじゃないのか」
 タガは小さくうなずいて、そのまま気を失った。
 直後にガラウの反則失格が告げられ、会場中で大ブーイングが起こる。タガが運ばれていく中、ガラウは淡々と会場を後にする。数時間後にタガが目を覚ました時に事の顛末を語ったことによって、大会関係者や警察は事実を知るが、ガラウは頑なに公表を止めた。
 なぜなら、試合の結果は二人には見えていた。実力が拮抗している者同士なら、手負いの方が明らかに不利だ。試合中ガラウは病気を治せと言ったが、奇跡が起きない限り治ることはないことを彼は知っていたのだ。そのため、“実力でも優勝できた”という世間への認知を消すことを厭ったのだ。

「翌日、お父さんとお母さんから事実を聞いた。アシアスのお父さんから謝罪があったことも聞いた。あたしはそれで終わりだったのに、あんたはずっとあたしを避ける!」
 クレアの涙は少しずつ乾いてきている。過去の話を語っている間に、少しずつ冷静さを取り戻してきているようだ。しかし怒りはさほど収まっていないようだった。
 アシアスは目を閉じて、クレアの肩に片手をかけたままうなだれる。
「済まなかった……。クレアはずっとそのこと知らないかと思っていた。俺が悪かっ――」
 はたくような音がしたと思えば、クレアはアシアスが言葉を言い終わる前に、肩にかけられていた手を力いっぱい振り払う。
「だから! やっぱりあんたは分かってない!」
 アシアスは目を丸くする。彼自身としてはしっかり反省している。クレアがここで怒る理由を掴めていなかった。
「アシアスあんたは、事実を知ってるか知らないかで態度を変えるのか!? あたしはそれに対して怒ってるんだ!」
 アシアスは目を見開く。おそらく無意識にしていたことで、自らの愚かさを認識する。クレアはなおも言葉を続ける。
「あたしは事実なんかなんだって関係ない! アシアスがそばから離れて欲しくないだけなんだからっいい加減気付け!」
 叫び終えてからクレアははっとして両手で口を塞ぐ。そして次第に頬が紅潮していく。再び涙がこぼれ出し、そちらの方を隠すようにアシアスに背中を向けた。この言葉に、ガラウは背を向けて数歩その場を離れる。メイリとエミはお互いに手を口に持って行っているが、トオルには何も反応が見えない。
 アシアスは再びうなだれて、背を向けたままのクレアに声をかける。
「そうだな、事実なんて関係ないな。俺が悪かった、自省して態度を改めるよ」
「――――鈍感……。」
 クレアが独白してため息を漏らすと、メイリとエミからもため息が漏れて、トオルはその二人を不思議そうに眺めていた。

 クレアが試合で、アシアスから直接勝ちを取ることにこだわっていたのは、強さを見せつけて父の死を引きずっていないことを示したかったからだったそうだ。その他、何かにつけてアシアスに絡んでいたのは言わずもがなだ。
 大会が終わったこともあり、事情を知らない観客たちと鉢合わせになるのを懸念したガラウはこの場を去った。その後クレアは一旦会場内へと戻り、大会上位入賞者たちと共に表彰式を行った。彼女は表彰台の一番高いところにあがっていた。
 警察署に連行されたベルナークは、促されるよりも先に窃盗の計画犯であることを自供し、ベルナークが逮捕されたことを知った実行犯たちも、連行時は完全に無抵抗だったそうだ。そして全員が事件の内容を詳細に話し、盗まれた魔法石の保管場所もすぐに判明した。
 捕まれば無駄に足掻かずに全てを話す。義の世界ならではの現象だろう。犯人逮捕後に事件の全容が解明されなかったことは、有史以来でも数えるほどしかないようだ。
 大会の閉会式が終わった後には窃盗被害者たちが集められ、魔法石が返却された。かつての怒りはどこへやら、喜々とした表情を浮かべ警察を労う者が多く見られた。事件の解決にガラウがかかわったことはおろか、アシアスやトオルたちの手があったことも明かされなかったからだ。
 それらも解散する頃、小雨は既に止み、空をどこまでも覆っていた灰色は隅の方に追いやられ、代わりに茜色に濃く染まっていた。
「ほうなるほど。本当はガラウ氏が捕らえたということなのだな」
 トオルたちは、ドーランにだけは事実を伝えた。被害者でないにもかかわらず、警察とは別に集団を組織して捜査をしたこともあるが、アシアスらと近しいからというのが一番の理由だ。
「ああ。でさ、ちょっと訊きたいことがあるんだけど」
 トオルは思い出したかのようにして辺りを見る。今はドーランと、アシアスとクレアの三人がちょうど居合わせている。大会も終わり、無事魔法石が手元に戻り、そして実力者が揃っているならばこれを訊かないわけにはいかない。
「実は俺たち、真魔石を探してるんだ。何か知らないか?」
 アシアス達は一様に驚くが、それに対してすぐに納得したような顔を見せる。レイトサイトから来た者が真魔石を探していると言えば、答えは一つしかない。魔法石で移動できるのはレイトサイトを除いた三八界しかない。
「あたしは分からない。魔法石自体も高価でなかなか縁がないから」
「俺も知らないな。魔法石を持ってもいないし。すまないな、力になれなくて」
 いやいやとトオルたちは首を振って、ドーランに目を向ける。
「わしも魔法石を持っとらんしな――」
 トオルたち三人は、またかと首を落としかけたが、だが、とドーランが続けたので、素早く顔を戻す。
「ディガップという島がある。そこにある採掘場で稀に天然の魔法石が採れるという話を聞いたことがあるな」
「本当ですか!」
「ああ。真魔石の情報があるとは限らんがな。東にあるパフという街の港から船が出ているはずだ」
 三人に希望の光が見えてきた。これまでどこで聞き込みを行っても、有力な情報が出てくることはなかった。今回とて直接真魔石につながる情報ではないにしろ、天然魔法石が採掘された実績がある場所と言うなら、これまでの中で一番の収穫とも呼べる。訪れない手段はない。
「ありがとうございます! 行ってみたいと思います」
「ああ、いい結果があるといいな」
 ドーランと共に、アシアスとクレアも笑顔で返す。
 そろそろ外の夕焼けも星空に変わりつつあり、時間的に見てもトオルたちの出発は早くて明日になる。初めての有力な情報に心は浮き立つが、ここはじっと抑え、明日からの旅の再会の準備をしなければならない。三人が踵を返そうとすると、ドーランがそれを止めた。
「あんたら、明日すぐに出発するのか?」
「ええ、多分そうなりますね」
 エミが言葉を返した。ドーランは腕を組むとアシアスとクレアを一瞥する。二人はドーランに笑顔でうなずく。それを確認してドーランは豪快に口角を上げながら言葉を続けた。
「腹も減ってるだろう。せっかくならわしらと食事にでも行くか?」
「きみたちには、事件のことでも色々と迷惑をかけたしな」
「前途を祝しての送別会ってのはどう?」
 ドーラン、アシアス、クレアがまるで打ち合わせでもしていたかのようにぴったりとあった息で誘いかける。小難しい理由などそこには存在しなく、その誘いを受けないはずがなかった。
「行きます!」
 トオル、エミ、メイリは無邪気に笑い、声を揃えた。

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