scene121  言葉からのぞき出る影

 前日から降り続く雨は、勢いが弱いまま今日も地を濡らす。湿った空気が身体にまとわりつくようで重さを感じる。しかし会場内に重苦しい空気は漂わず、むしろ熱気が渦巻いていた。決勝戦の開始まであと十分ほどとなった。
「おーし、準備は良いか?」
 警備員室では、若い男が三人掛け声を交わす。ここは、会場グラウンド内への各入口や、預かった魔法石を警備する者たちの控え室となっている。男たちが警備服を取り出しながら、足下を見やると、そこには三人の男たちが倒れていた。
「しっかり眠っているな」
 ここに倒れている三人は、本当の警備員。今警備服を着用しようとしている三人は、彼らを眠らせて再び凶行に及ぼうとしている。彼らは魔法石強奪を犯した張本人たちだった。
「しかしあと一人はどこへ行った?」
「気にするな。戻ってくるまでに準備して出ろ」
 せわしなく着換え出したとき、扉の開く音がした。
「な、なんなんだ!?」
 警備員室のドアを開いたのは、本物の警備員の残りの一人だった。彼は、仲間たちが床に倒れているのと、見知らぬ男が警備服に着替えようとしている光景を目の当たりにし、一呼吸の混乱が襲ったが、息を吸って吐く間に身体が勝手に動き始める。
「お前らっ!」
 迷うことなく走り出し、右拳を大きく振りかぶって窃盗団の一人に殴りかかる。警備服の袖に片腕を通している状態の男は回避が遅れたのか、右胸部に痛撃をくらい倒れ込んだ。
「何をっ」
 振り返ったその瞬間には、そこにいたはずの他の男二人はドアから外に駆け出していた。思わず顔をしかめるが、そこで一人殴り倒したことを思い出して背後の足元を見ると、弾丸のように迫る拳が見えた。すかさずのけぞるようにそれをかわすと、そのまま体勢を崩し後ろに倒れ込む。その瞬間、最後の一人が部屋から逃げていく姿が見えた。
「っ……待て!」

 トオルら三人がいるのは、関係者専用出口の玄関口。弱い雨を眺めながらエミとメイリは他愛もない会話をしていたが、しかし三人にはどことなく張りつめた雰囲気が漂っていた。決して期をうかがっていたわけではないが、いずれは自ら向かおうとした事象が突如として起きた。
「誰か! そいつらを!」
 男の叫び声が聞こえてきた。それと同時に、複数の地面を叩くような足音が近づいてくる。通路の奥には中途半端に警備員の服を着た若い男たちと、それを追いかける壮年の男の姿が見て取れる。
(まさかあいつら)
 警備員を襲ってすり替わろうとした、トオルはそう直感した。そしてその光景はエミとメイリにも同じ思考をもたらす。エミは誰よりも先に全速力で疾走する男たちの前に立ちはだかる。
「インパクトリフレクション!」
 ピンクのバリアが、窃盗団の男たちとエミの間に張られる。このバリアに衝撃を加えれば、それと同じ衝撃が対象者に跳ね返る。
「どけぇっ」
 先頭を走っていた男は大きく腕を振りかざす。
「スティファン!」
 その掛け声とともに男の右腕は一瞬で漆黒に染まり、不気味な光沢を表す。助走がついた体勢から全体重を乗せた拳が放たれると、フロアの隅々にまで広がるようなけたたましい破裂音と共に、エミのバリアは破裂した。
 同時に両者はその場からはじかれる。男はよろめき後ろに倒れ込む。一方エミは数メートルはじきだされてしまった。
「エミ!」
 トオルは名を叫びながら、エミの代わりに男たちの進行方向に立ちはだかる。メイリもそれに続いた。バリアを破った男の腕は既に普通の状態に戻っている。何かを拾い上げながらすぐさま立ち上がって走り出す。あとを追う本物の警備員との距離はだいぶ縮まった。
(ここを押さえれば捕まえられる)
 しかしそのトオルの考えはすぐに消し飛んだ。先頭の男の腕は再び怪しげな黒に変わり、トオルとメイリを襲う。エミのバリアを破ったその拳を受ければ、間違いなく致命傷を受けるだろう。
 なんとかここを通すまいと正面に居続けようとしたが、二人とも今は魔法石を奪われている身である。なす術もなく道を譲ってしまった。
「くそっ」
「追いかけましょう!」
 メイリの掛け声で三人は一斉に走り出す。エミも、はじき飛ばされた衝撃が大きかっただけで、バリアの効果によって傷を負うことはなかった。
 既に息を切らして汗を流していた私服姿の警備員は、頼む、という言葉と共に足を止めた。

 会場グラウンド内への待機室へ、アシアスは到着した。しかしどうにも様子がおかしいことに気付いた。やけに人が少ないのだ。クレアとドーランは別の場所から入場するからいなくて当然であるが。
(警備員がいない?)
 選手入場時刻は目前に迫っていながら、この事態は何かがあったのではないかと勘繰り、時間がないのは承知ながらアシアスは警備員室へ足を向けた。
 さほど遠くない場所にその部屋はある。開きっぱなしになっているドアから中を覗くと、そこには私服姿の警備員が三人倒れていた。
「な、なにがあったんですか!?」
 驚いて一人に駆け寄ってゆすってみるが、目を覚ます気配はない。かといって気絶するような外傷は見当たらない。
(催眠スプレーか……)
 アシアスは先の事件の手口を思い出し直感した。
「アシアスさん!」
 声をかけられ後ろを振り向くと、汗を流しながら男が入ってきた。息を切らし、疲弊しているようだった。
「あなたは警備の係りですよね? 何があったんですか?」
「――おそらく奴らです。三人逃げました。今、少年たちが追ってます」
 真剣な表情と曇った声に、アシアスは大体の内容を把握した。
「俺も追います」
 眉間にしわを寄せ、即座に走り出したアシアスに警備員は声をかけようとするが、彼はその暇を与えなかった。

 トオルたちが窃盗団を追う間に、数々の人たちが逃走を止めようと試みたが、全て失敗に終わった。さらに相次ぐ曲がり道や進路変更でその差は離れていく。もとから健脚のメイリと、魔法石を所持しているエミに比べ、トオルは若干遅れをとっているが、それでも決して男たちから目を離さないように走り続けている。
 走りながら、トオルは記憶を巡らす。
(奴が使ったあの技、倒れた時に拾い上げたもの……あれは、あの時見たものと同じだ!)
 記憶を合致させ分岐路を曲がると、メイリとエミはそこに立ち止まっていた。
「どうしたんだ?」
 走るのをやめて手を膝に着く。軽く息切れする。この世界に飛ばされる前、所属していたサッカー部の試合などでスタミナは鍛えられていたが、それよりも今の方が息切れが少なく感じた。
「見失った――」
 メイリの言葉と同時に頭を上げると、ここは選手用会場出入口と気付く。以前次王と遭遇した場所とはまた別で、こちらは選手とその関係者が出入りできる場所だ。加えて大会関係者もここを使うことがあるため、それゆえ常にそこそこの人通りがある。
 エミが何人かに行方を聞いて回るが、姿は見たものの逃げ去った方向まで確認している者はいなかった。
「ごめんなさい、見失いました」
 あとから駆けつけてきた数人の大会関係者にエミは頭を下げる。悔しさをにじませながらもエミたちを責めはせず、彼らはその場を引き上げる。
 それと入れ替わりに、その場に姿を現したのはアシアスだった。
「アシアスさん!? どうして――」
「警備員がやられたと聞いてね。犯人たちは――」
 彼が言葉の続きを言い終わる前に、三人は頭を横に振り目を伏せる。アシアスは結果を察して言葉を出さなかった。
「おーみなさんお揃いで」
 片手を軽く上げて、小雨で少し身体を濡らしたベルナークが入ってきた。語気は明るく、つい先ほど起こった事件はまるで知らないようだった。
「どうしたの、暗いね? あとアシアスさんは、もうすぐ試合なんじゃあないですか?」
 アシアスは小さくうなずく。メイリが口を開いた。
「すみません、三人組の男が走り去るのを見ませんでしたか?」
「うん? いや、見てないけど」
 不思議そうに小首をかしげながら、何かあったのか問いた気な表情をする。
 その表情に対してアシアスが返答する。
「先ほど、警備員が三人組の男に襲われたんだ。――俺の推測では例の窃盗団かと思うのだが」
 その言葉に、ベルナークはふーんとだけ返した。そしてそのアシアスの言によって、トオルたちの中に、あれが窃盗団である可能性というものが強く認識された。
「ベルナークさん、一ついいっすか?」
 トオルは頭を掻いて、片眉を上げてベルナークをねめつける。一人の人間が奥のほうに歩いて角を曲がる。その瞬間、この選手用出入口の人流れが何故か止まる。
「ベルナークさん、継王を助けましたよね」
 ベルナークは軽く笑みを浮かべてうなずく。
「そのときあんたが使った能力と魔法石と、さっきの窃盗団の男が使ってた能力と魔法石、まったく同じなんだけどどういうことだ?」

 一瞬の間が流れ、各々の外見上の変化は見られないにもかかわらず、その場の空気が徐々に冷えていくのが感じられた。
「へーえ、珍しいね。いくら種類が多いとはいえ、偶然同じものあるもんなんだね」
 トオルはこの回答を予測していた。
 昨夜、エミからの発案で、魔法石強奪事件について話し合った。それぞれの情報を総合しまとめた結果、三人は一連事件にベルナークが絡んでいるのではないかと結論付けた。もちろん、トオルが今発した内容も共有している。
「私からも訊いていいですか? 二回目に起こった未遂事件――犯人が一人捕まった時です」
 今度はエミが切りだす。ベルナークの顔にはまだ笑みが浮かんでいる。
「試合終了後にベルナークさんたちが戻って来た時、私たちの間で話したのは“犯人が一人捕まった”ことだけです。なのにあなたは、逃走した残りの人数が三人だと知っていたのはなぜですか?」
 その瞬間、ベルナークの表情は一気に曇る。そしてアシアスが続ける。
「三人と言い切ったその言葉は俺も聞いたな。そして試合後のドーランさんから聞いたが、準決勝開始前に持っている魔法石を預けなかったそうじゃないか」
「ああ。それがどうした? 試合で使っちゃいないよ」
「わかっている。だがあの時、お前はドーランさんに言ったそうじゃないか。“警察が信頼できないから”と。二回目の未遂事件の時とは意見が全く逆なんだが、もしかしてお前はその時、犯行グループに魔法石を貸していたから預けられなかったんじゃないのか?」
 ベルナークはため息をついて両手を軽く広げる。呆れた表情だが、裏には緊張が見え隠れしている。
「意見なんてころころ変わるさ。あの時は信頼できる友人に預けてたんだよ」
「もう一つ、ドーランさんは言っていた」
 ベルナークは眉をひそめ、鬱陶しさを隠さない瞳を向ける。
「準決勝戦、お前は調子が悪くて負けたそうだが、実は違うな。対戦相手と絡んでいる時に隙を見て自分のパッドを叩いていたのを、ドーランさんは見ている」
 ベルナークは下唇を噛む。露骨に不快感を態度に表し、軽く舌打ちをする。
「ベルナーク。準決勝でわざと負けたのは一体――」
「めんどくせぇなぁ」
 アシアスの言葉の途中でその言葉を吐き捨て、ベルナークは身をひるがえして走り出す。とっさにトオルとエミが追いかける。メイリは一歩踏みとどまって後ろを振り返った。
「アシアスさんは早く決勝戦へ!」
 駆け出そうとしていたアシアスは足を止める。
「あ、ああ。しかし、大丈夫か?」
「わかりません。なので、警察の人を呼んでください」
 それだけを言い終わると、メイリは快足を活かしてトオルたちのあとを追い始めた。

 ベルナークが逃げ込んだのは、大会会場に隣接する自然公園内の森林。以前エミが、アシアスと謎の男との密会を目撃した場所でもある。
 自然公園内といえどこの森林が占める土地は広大で、数時間は歩ける散歩コースが設けられているほどだ。さらにそれも森林の一部にしかなく、闇雲に走っていて遭遇するほど狭くはない。毎年数人の行方不明者が出るくらいなので、実際は遊歩道がある一部の区域を除いては、ほとんどが立ち入り禁止区域だ。
「メイリさん!」
 速度を落として走っていたエミに追いついたところ、メイリは声をかけられた。
「アシアスさんも、まだ何を隠しているか分かりませんよ」
 メイリはうなずく。昨夜の話し合いで、エミから出された話題だ。人目に付かないところで、アシアスは右目に傷のある中年の男性と密会しているという。目的も理由も分からない。今はただ、逃げ出したベルナークを追うのみである。
 彼が事件に関連しているという証拠はない。エミとトオルに比べて、メイリは持っている情報が極端に少なかった。ただ二人の証言をつなぎ合わせれば、ベルナークに辿り着く。メイリはそう思って二人に推測を話し、この結論に至った。
(でも、アシアスさんも話に乗ったし、ベルナークさんの反応を見ると――)
 先の状況は、自信を持てなかったメイリの推測を強固にした。今は迷いなく、そのベルナークを追うことに集中する。
 昨夜から続く雨はいまだに止まない。時々ぬかるみで足を取られそうになるが、なんとか体勢を立て直して走り続ける。
 昼間だというのに暗く、生い茂る木々が一層視界を悪くする。ベルナークは見えないが、それを追いかけて前方に小さく見えるトオルとの距離を徐々に縮める。
 すると突然、トオルとの差が一気に縮まった。彼は足を止めていた。
「どうしたの?」
 数歩早く追いついたエミが声をかける。トオルは苦々しい顔しながら辺りを何度もうかがっている。
「――見失った!」

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