scene120 駆け巡る七つの思い
大会は四日目を迎える。この日は今までとは違い薄い雲が空を覆い、元気だった太陽を邪魔している。天気予報では、この後雲が流れてきて、この地域一帯はしとしとと雨が降るという。そのような少し気分を変え始めている空に対して、この日も会場の熱気は渦を作っていた。
間もなく準決勝が開催される。準決勝に残った十五名は、間もなく始まるバトルロイヤル形式の試合に向けて緊張を高めている。この試合では三つのグループに分かれ、各グループのトップだけが決勝に進むことができる。
詰めかける観客は三万を超え、立ち見の観客もちらほら見かける。トオル、エミ、メイリの三人ももちろんその中にいる。
試合開始が迫るなか緊張が伝わったのか、トオルは手洗いに行く。そしてその帰り、見慣れた大きな背中を見つけた。
「アシアスさん」
「うん? トオルか」
彼は多分、控え室から入場待機室への移動中なのだろう。
「応援してるから、絶対勝ってくれよな!」
「ありがとう。頑張るよ」
準決勝ともなれば、アシアスのような入賞常連者でもちょっとした油断で足をすくわれかねない。かつて油断からくる敗戦を経験したことのある彼には、それが骨身にしみていた。
「ところでアシアスさん、ちょっと気になったんだけどさ。――戦う目的ってあるのか?」
アシアスは意外な問いに思わずトオルの眼を見るが、そこには真剣さが見て取れた。
トオルにとって、これは決して興味本位からの質問ではない。かつて対戦相手に重傷を負わせた男の息子であり、その相手の娘も参加しているこの状況。アシアスの性格ならきっと心の底から謝意を持っているに違いないが、しかし遺恨のあるこの大会に出続ける理由とは。残された側――クレアがつらいと感じるのならば、それに触れないでおくのが正しいのではないのか。
「クレアのためだ」
なのでこのアシアスの回答は、それだけではトオルには納得がいかなかった。
「なんでわざわざ、思い出させるようなことを?」
「思い出させるためさ」
トオルはますます首をかしげる。
「俺の成績は、まだまだ全盛期の父に敵わない。しかし、クレアの父親は互角に戦ったんだ。それを忘れてほしくない」
アシアスを見上げると、どこか悲しそうな眼をしている。
「今あいつはいちいち俺に突っかかってくる。そうではなく、強かった父親に誇りを持って欲しいんだ。こうやって大会に出るあいつなら分かってくれると思うのだが……」
「そう……か」
トオルはうなずく。彼が放った言葉はトオルにとって変化球であったが、それでも心にすっぽりと収まる。
「俺、今までそんなこと思いつかなかったぜ……。さすがだな、アシアスさん! 絶対優勝してくれ!」
アシアスは笑みを浮かべる。
「トオル、これは誰にも話さないでくれ。あいつが自分で気付かなければならないからな」
トオルは、ああ、と小さく返事をした。
入場口前の待機室には、既に第一試合に出るほとんどの選手が集まっていた。
最後に、ドーランとベルナークがほぼ時を同じくしてやってくる。二人は軽く目礼すると、そのまま選手たちの中に紛れる。
「うん? ベルナークあんた、魔法石持ってただろ? 早く預けないと始まるぞ」
「今日は持ってきてないんですよ。やっぱりね、二回も事件あったらなかなか信じられないですしねー」
「……そうか」
二度目は犯人のうち一人を捉えたとはいえ、まだ残党がいる。二度も同じような事件が起こるなら、確かに信用しきれない部分もあるかもしれない。しかしドーランは、違和感を覚えていた。二日前に起こった二度目の事件を思い出しながら。
出どころの分からない違和感をドーランは抱えたまま、準決勝は開始した。この準決勝では昨日の試合のように、得点パッドのついたベストやサポーターを装着しての試合となる。ただ前日と違うのは、三グループに分かれた五人ずつが一斉にバトルロイヤルを開始する点だ。前大会で結果を残しているものほど、序盤で他の参加者から狙われやすい。
三つのグループのうち、アシアス、クレアはそれぞれ分かれ、ドーランとベルナークが同じ組になった。各グループから一人だけが決勝進出となるため、必然的にドーランかベルナークのどちらかはこの準決勝で敗退となる。そしてこの第一試合でそれが決まることになる。
第一試合に出場する五人が入場すると、会場は大いに盛り上がる。何の気もなしに観客席をぐるっと見回すベルナークは、そこにトオルたちの姿を認めて視線が止まる。
(おー見てくれてるんだね。トオルなんか既に立ちあがってるじゃないか)
ベルナークは小さく噴き出す。親しい友人はいるが人目を嫌う者ばかりで、このような大会には滅多に顔を出さない。しかし、出会って数日の彼らが応援してくれることに、おかしくなり、そして少し嬉しさがあった。
試合開始のブザーが、大勢の観客の声を遮り、空を覆う薄い雲を払拭させるようにけたたましく鳴り響く。試合の展開は大方の予想通り、前大会三位のドーランに四人が攻撃を仕掛ける構図となった。得点パッド付きのベストを着ているが、ルールは今までと違ってパッドを叩くことによる得点はなく、装着しているパッドがすべて叩かれると敗退となる。よって、この戦法は余計に定石となっていた。
一対四の構図にドーランは慌てない。これまで幾度となく似たような場面を迎えている。即座にその場を移動して、向かってくる四人との間合いに差を作る。ほぼ斜め一直線に近い形態となる。
(これであんたらは一斉攻撃は出来ない。さあ一人ずつ掛かってくるがいい)
大歓声の会場は次第に静けさを取り戻すが、熱気は今でもこもっている。第一試合が終わり、興奮気味に話す者、用を済ませに席を立つ者、一時帰途に着く者、様々だ。第二試合が開始するのは正午を回ってからだが、多くが席を立つもまたここに戻ってくる。
出番となる第三試合まではまだまだ時間に余裕があるが、軽いウォームアップのために、アシアスは一旦控え室を出る。会場内の関係者用通路を歩き、一角に設けられているトレーニングルームへ向かう。その途中、先ほど第一試合を終えて決勝進出を決めたドーランと出くわした。
「おおアシアス、調子はいかがかな?」
「俺は順調です。それより決勝進出おめでとうございます。ドーランさんも調子が良いようですね」
「お陰さまでな」
ドーランは口角を挙げてニッと笑う。二年連続で決勝に進出した会心がそこに見て取れる。それより、とドーランは話を始める。
「ベルナークのやつ、今日は調子が悪そうだったな。動きが鈍かった」
「確かに。試合を見てましたがそんな感じでしたね。二年連続で決勝進出を逃してさぞかし悔しいでしょうね」
「だろうな。――ただちょっと気になることがあってな」
「え?」
いまひとつ解せない表情を浮かべながら話を始めるドーラン。その内容はアシアスもどこか腑に落ちなかった。あるのかないのかはっきりしない、クラゲのように指の間からするりと抜ける違和感。
(待てよ、そう言えばあの時もこんな違和感が……)
一つ二つと発掘される違和感に、これは幻ではないと徐々に確信を固めてゆく。アシアスの頭の中には、一つの疑念が湧き始めていた。
第二試合が始まる頃に厚さを増した雲は、それが終了する頃には太陽の光をしっかりと遮っていた。いつ雨が降ってもおかしくない状況に、スタジアムは解放していた開閉式の屋根を閉じる。
第二試合終了直後に、メイリはエミを連れ出してクレアのもとへと向かった。礼儀的にトオルも誘ったが、トオルはいいと一言返すだけだったので、二人で向かうこととなった。
「クレアさん、おめでとうございます!」
突然控え室に飛び込み、大声を出す。タオルで汗をぬぐっていたクレアは手を止め、驚いてこちらを見ている。
「び、びっくりした。どうしたの、急に?」
「クレアさんが決勝進出を決めたので、おめでとうって言いたくて来ました」
メイリは笑顔を浮かべる。
「そうなんだ、わざわざありがとう」
しかしそのメイリと、釣られて笑顔になっているエミとは対照的に、クレアはそれほど高揚していないように見えた。試合前に見せるような鋭い瞳が、重要な決戦前の緊張を思わせる。
このクレアの表情に、エミはその緊張に気付く。
「あ、すいません。次が決勝戦だから、騒がない方がいいですよね」
焦りを交えた配慮をすると、メイリもそれに気付いたかのように気まずそうな表情になる。しかしクレアは、話の内容が理解しきれていないような、間の抜けた驚きを見せた。
「ああそうか、そういえば明日決勝だったな……」
そう独りごちると再び真剣な表情に戻る。クレアは手近な長椅子に腰かけると、タオルで顔を覆いながら膝に肘をつく。メイリたちが次の言葉が出せないでいると、タオルでこもったクレアの小さな声が聞こえてきた。
「次の試合、アシアスが勝たなければ意味がないんだ……」
次の試合とは、数十分後に始まる第三試合のことだ。
「どうして意味がないんですか? クレアさんは、アシアスさんに勝つのが目標なんじゃ」
「成績だけじゃない。直接戦って、直接勝たなければ意味がないんだ」
クレアは覆っていた顔を上げ、横にいるメイリたちには向かず、正面を見据える。
「あたしは、あいつの眼を、覚まさせないといけないんだ」
メイリとエミには、最後の一言の意味が汲み取れなかった。しかしそこには、直接顔を合わせていた時のような怒気を探し出すことはできなかった。
この日の試合日程は、滞りなく終了した。最終的に決勝へ進んだ三人は、大方の予想通り前大会の上位三人、アシアス、クレア、ドーランだった。その三人が出揃うのを待っていたかのように、試合終了直後に灰色の空からは雨が滴り落ちてきた。
そんな中、トオルを含んだ魔法石盗難被害者全員が、警察によって会場の一室に集められた。捕らえた犯人は犯行を認めたものの、奪った宝石の隠し場所や仲間の素性についての供述は一切していないこと。魔法石保管庫から魔法石を奪うための道具は、確保時に現場にあったものとは別のものが使われた可能性。など、捜査進捗の報告が行われた。
粗雑な犯行方法ながら、不審者の有力な目撃証言が得られてないことから、警察は内部犯の可能性もあるとみているが、容疑者を絞り切れないでいるとのこと。
警察は始終真摯な態度でいたが、被害者側の我慢もそろそろ限界に近付いている。人によれば命の次に大事な魔法石が奪われているのだ。時折怒りのこもった質問がなされることもあった。
しかし本当に憎むべきは犯人であり、それを分かっていながらも警察にしか当たることができず、どうしようもない思いから諦念を帯びてきている者もいる。
だがそんななか、不思議とトオルとメイリにはそれほどの悪感情は表れていなかった。当人たちも疑問に思いつつ、説明会は続けられる。それは、アシアスやクレアの応援、ベルナークやドーランとの交流によって、二人は無意識のうちにその問題から遠ざかることができていたからだった。
すっかり日も落ち切った闇夜に月光はなく、弱い雨がしとしとと降りしきる。いつものようにホテルに付属しているレストランで、トオルたち三人は遅めの夕食を摂っていた。この日の専らの話題は、明日の決勝戦の行方だ。
「三人とも強そうだし、誰が勝つかわかんねーな」
「そうね。こうなると、誰かが負けることになるのが惜しいわね」
「まあそれが勝負ってものだからねー」
三人は目の前の皿を空にすると席を立つ。部屋に戻る間も話題は続く。
「ただ、やっぱ応援するならアシアスさんだろうな」
「何言ってんのよ、クレアさんに決まってるじゃない」
エレベータを下りて、茶色のドアが点々とする廊下に出る。
「決まってねーよ。俺はアシアスさんが一番なんだよ」
「ああそう、じゃあそうすればいいじゃない。私はクレアさんよ、ねーエミちゃん?」
「エミはどうなんだ?」
いつものように始まった言い合いから飛び火しエミは困惑するが、ちょっと考えると結論を出す。
「クレアさんかな」
「えーなんでだよ」
「ほらね。クレアさんの境遇を考えれば当然の思考よ」
飽きずに二人は口撃しあうが、エミはそれを黙って見ている。エミがクレアを応援するのは、彼女の境遇を聞いたことも大きいが、クレア宅訪問時から再び深まった溝を埋めるための、トオルに対するショック療法的な意味合いもあった。エミとメイリは、アシアスの意志を聞いていない。
ただそのこととは関係なく、エミは考えていた。複数の気にかかっている点、それがもしかしたら今度の魔法石強奪事件につながっているのかもしれないと。
各々の宿泊している部屋の前に着くと、エミは二人を呼びとめる。
「二人とも、これからちょっと大丈夫?」
「ああ、構わないぜ」
「どうしたの? エミちゃん」
エミは一呼吸置き、真剣な目で二人を見据える。
「魔法石が盗まれた事件について、ちょっと話があるの――」
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