scene119  三日目にしてとうとう……

 大会三日目は、個人でのリーグ戦が行われる。前日を勝ち抜いた一〇〇名が、五名ずつ二〇リーグに分けられ各リーグのトップ成績を目指す。その後、リーグのトップ成績者二〇名は再び五名ずつ四リーグに分けられ、また各リーグでのトップを目指す。そして最終的残った四人が、翌日の準決勝へと進むことができる。
 アシアス、クレア、ドーラン、メイリは別々のチームに分かれ、トオルとベルナークは同リーグへ割り当てられた。
 この日の試合から、道具の使用が可能となる。しかし武器とみなされるものは使用できない。当然ながら、剣術練習用の短い木剣も使用不可だ。
「んーじゃあ俺はこれにしようかな」
 自前の道具の持ち込みは可能だが、大会側からの貸し出しもされている。試合開始前、入場待合室の貸し出しブースでトオルが選んだのは、皮とゴムでできた弾性のあるボールだった。それは大きさといい弾み具合といい、サッカーボールのそれに酷似していた。中学時代にサッカー部のキャプテンの経験があるトオルにとって、これ以上扱いやすい道具はない。
「お、トオルはボールを使うんだねぇ」
 隣からのぞきこんできたのはベルナークだった。大会で使用する道具は事前申告制で、試合前に審判と対戦相手に示すルールとなっているため、ここで知られたとしてもどのみち同じことである。ちなみに、道具持ち込みの対戦相手は、それを持って既にこの待合室で入場を待っている。
「ベルナークさんは自前?」
「いや、おいらもここで借りようと思ってね」
 そう言ってベルナークは、貸し出し物一覧が列挙されたシートを確認して、係りの人間に貸し出しを申請する。係りが奥から持ってきてベルナークに手渡したのは、顔を拭くような時によく使われる、ごく普通のハンドタオルだった。
「……それでいいのか?」
「これでいいんだよ。なんてったって、汗をかいた時にも役に立つしね」
「はぁ……」
(なんか変わってんな、この人)
 いまいち意図が見えない道具の選択に首をかしげつつ、三日目のプログラムがスタートした。

 この広い会場に十メートル四方の小さなフィールドがいくつも区切られ、中には盛土や縄やら、最初のバトルロイヤルを思い出させるような障害物が並ぶ。上空から見ればまるで盤の目のような各フィールドへ選手が入っていく。
 この試合は各リーグ五名が総当たりを行い、一人四試合の総合得点で争われる。選手はいくつかのパッドがついたベストとサポーターを装着する。これに付いているパッドに打撃が決まることで、加点されていく。
 このような試合形態のため、それまでに体得してきた武術によって有利不利が出るとの懸念が出され、数年前から審判による技巧点が追加されることになっている。これは技が決まらなかったとしても、その流れや創意工夫度、発想を客観的に評価した点数だ。
 トオルとは違うリーグで一試合目を戦ったメイリは、打撃点こそ僅かに足りなかったものの、技巧点の加点で合計点数が相手を上回り、一勝目を挙げていた。一方トオルも、サッカーボールで相手の動きを翻弄し、技巧点を稼いで一試合目を勝利した。
「楽勝ー。この調子でいかなきゃなー」
 この時点でトオルには迷いも心配ごともなかった。元々自分の実力を量るために参加したこの大会だが、気付けば二〇〇〇人の参加者のうちのベスト一〇〇に残っている。そしてこのリーグ戦でも一勝を挙げた。もちろん初戦で敗退する気はなかったが、予想以上に勝ち抜いていることに、浮かれはしなくとも不満はなかった。
「Fリーグ、次の試合は、ミヤザキ・トオル対ベルナーク・C・エピクリア」
 アナウンスと共に、二人はフィールド内へと入る。一試合につき制限時間は五分となっており、その間に出来るだけ点数を稼げばならない。しかし無理に打撃点を取りに行き攻撃が乱れれば、技巧点での得点アップは望めない。
 試合開始直後、ベルナークは躊躇いのない歩みでトオルとの間を詰める。トオルは間隔を測り、適当な距離になったところでボールを前方へと向かって蹴りあげる。これで相手の視界を奪い、そのまま間を詰めて打撃を狙いに行く作戦だ。
 しかしその戦法は先の試合で披露しており、ベルナークはあっさりとボールの影から姿を現すと、トオルにカウンターを仕掛ける。
「っぶね!」
 間一髪で攻撃を避けると、二人の位置は入れ替わり、トオルはワンバウンドしたボールを捕らえ再び自分の支配下に置いた。
「意外と反応いいんだねぇ。結構こういう経験あるんでしょ?」
「ああ。喧嘩はいっぱいしてき――!?」
 質問に答えている間にベルナークはあっという間に距離を詰め、間髪をいれずにトオルの左肩のパッドに打撃を加える。速攻によろめいたトオルに対しもう一撃を加えようとするが、身体を回転させて振り上げられたトオルの足が胸の前を横切る。倒れながら放たれた蹴りは射程の明らかに外だったが、だからこそわざとその技を動きを止めるために繰り出した。例えそれがパッドに当たったとしたら、攻撃の威力から故意傷害の反則に抵触するかもしれなかったからだ。
 ベルナークが身を引く間に体勢を立て直したトオルは、側面にある自分の背を越える盛土にボールを蹴り上げる。そしてそのボールとは逆の方へ回り込んだ。
「まだ答えてる途中だったろ!」
 トオルは右拳をベルナークの腹部のパッドに向けて繰り出す。それと同時に、ベルナークの背後からは盛土に跳ね返ったボールが降ってくる。ルール上、道具によってパッドに攻撃が加えられた際も得点となるため、二つの攻撃に対処しなければならない。
「やるね」
 ベルナークは回転しながら拳に巻きつけていたハンドタオルの端を掴んだまま解き、なびいた布先でボールを絡め落とす。そのまま一回転すると、微妙な加減でタオルを操りトオルの拳に絡めさせ、軌道を変えて攻撃をかわした。
 驚いたような声をあげて、勢いのついた身体をよろめかせたトオルの後ろの首の付け根にあるパッドに、ベルナークは手刀で軽く打撃を加える。崩れかけていた体勢で打撃点を奪われたトオルはそのまま転ぶ。これは状況的に故意傷害とはみなされない。
「なかなかすごいけど、もうちょっとだったね」
 素早く立ち上がったトオルは、顔を挙げて軽く笑いを浮かべる。
「くっそー、やるなぁ。……でもこれからだぜ!」

 全リーグの試合が終了し、各リーグからトップの二〇名が後半から準決勝進出決定戦を行う。そこにアシアス、クレア、ドーラン、ベルナークの名前はあったが、トオルとメイリの名前はなかった。
 トオルはそのあともベルナークから打撃点を取られ続け、技巧点でも大差をつけられて敗れた。その後はそれが響いたのか精彩を欠き、結局最初の一勝に留まった。メイリは得点こそトオルより多かったものの、同じく一勝で敗退した。各リーグのトップは例外なく四勝無敗で勝ち進んでおり、力の差は明確だった。
 しかしトオルやメイリにとってこの戦績は予想以上であり、決して不満が残ることはなかった。だがここまで勝ち抜いてきたからには、これよりも上に行きたいという気持ちがないと言えば嘘になる。この先どのような現実が待ち構えているかわからない以上、それはごく自然な欲求だ。
 結局この日は、全プログラムが終了するまでに盗難事件は発生しなかった。初戦で奪われた魔法石が大量であり、前日に仲間が逮捕されたからなのか、窃盗団の存在すら臭わせなかった。
「ベルナークさん!」
 トオルは、会場の裏口から外へ出ようとしているベルナークを引きとめる。彼は足を止め振り返る。
 その車両の搬入出が出来るよう作られた大きな空間は、資材や道具の一時的な倉庫となっているようで、様々な箱や棒などが所狭しとうずたかく積み上げられている。まるで町工場の一角のように感じられる。
「お疲れ様です、ちょっと訊きたいことがあるんだけど」
「ん、なんだい?」
 声は少し響く。二人の横を大会の関係者が早歩きで通り過ぎる。ここは関係者出入り口としても頻繁に利用される。
「あのタオルの戦法、なんであんなことができるんだ?」
 トオルとの対戦で、ベルナークはハンドタオルでトオルが蹴ったボールを振り落とした。
「結構な勢いで蹴ったのに、あれでボールが落とせるとは思えねぇし」
「いいとこに気付くねー。確かに普通のハンドタオルじゃちょっと頼りないかも」
「じゃあ、なんでなんだ?」
「あれにはね、汗をしみ込ませたんだよ」
 トオルは思わず目を見開き、ベルナークはしてやったりという表情を浮かべる。確かに試合用の道具といえどタオルだ。ベルナークは汗拭きにも使っていたし、審判もそれを咎めたりはしていない。思い出せばベルナークは初戦でやたらと動いていたようにもみえる。
「ついでに言うと、試合開始の時に手に巻きつけていたのも、汗をしみ込ませるためさ」
「あぁ、そうかー!」
 タオルが水気を含むと剛性が増す。言われなくてもそれは分かる。しかし思い返せば、道具選択の時点でベルナークはその戦法を匂わせる発言をしていた。
「じゃあおいら、ちょっと用があるから行くよ?」
 トオルが礼を言おうとした時、外から数人の護衛を引き連れた中年の男性が現れた。トオルもベルナークもその顔には見覚えがあった。開会式の際に壇上に上がった次王だ。
 ベルナークがすぐさま跪拝すると、魔法石盗難時のことを思い出したトオルもそれに続く。
「ご苦労様です」
 男性次王は優しそうな笑みでトオルらに声をかけると、穏やかな足取りでその場を通り抜けようとした。
 その時、会場の外周を吹き抜けた強風が、この裏口に吹き込んできた。その強風に思わず目を閉じて頭を反らしたトオルの頭上で、からからと軽いながら芯のある物音が聞こえた。トオルが振り仰ぐと、壁に立てかけてある二階分の高さのある天井に届きそうな角材が倒れてきている。そしてそれは、すぐ横を通っている次王に降り注ごうとしていた。
 次王、護衛や、たまたまそばにいた職員が焦燥を表情に出し硬直している中、横にいたベルナークが駆け出していた。
「――!」
 トオルが声を上げようとする同時に次王の護衛は次王をかばおうとするが、角材はすぐ頭上に迫っており、それに間に合っていたのはベルナークだけだった。
「スティファン!」
 次王の前に立ち両腕でガードしながらそう叫ぶと、ベルナークの肘から先が一瞬にして漆黒に染まり、大きな裂ぱく音と共に角材をすべて受け止めた。
「継王様、お怪我はありませんか?」
「あ、ああ、おかげでなんともありません」
 ベルナークが角材を左右に振り落とすと、腕は元の通りに戻る。護衛が次王の周囲に集まる中、トオルもベルナークのそばへと駆け寄る。
「ベルナークさん、無事か!?」
「ああ、おいらはなんともないよ」
「そうか、よかった……。その、今のは魔法石の力か?」
 ベルナークは笑顔を少し固くする。
「うん、まあね」
 襟元から飛び出していた魔法石を、ベルナークはいつものように服の下へと戻す。それはくすんだ輝きを持つシルバーで、今まで見たことないような凹凸の激しい形をしていた。
 すると後ろから、もし、と次王に声をかけられ振り返る。
「その者、礼を言いいます。名はなんですか? これから話を聞かせてはくれませぬか。その素早い行動に興味を持ちました」
「私はベルナーク・C・エピクリアと申します。お誘いいただき誠にありがたく存じるのですが、このあと私用がありまして、申し訳ないのですがまたご機会を頂けるとありがたいのですが」
 次王直々の申し込みを断るベルナークに対し、護衛のうち数人は片眉を上げるが、次王はそれに対してにこやかな表情を浮かべる。
「それならば仕方ないですな。そういえば私も捜査状況の報告を聞かなければなりませんでした。また話を聞けることを楽しみにしていますよ」
 穏やかな笑顔を浮かべて、次王はその場を後にする。見た目は普通の穏やかな中年男性だが、やはりどこか気品が漂っている。
「じゃあおいらも行くね」
「あ、ああ」
 ベルナークは片手をあげて歩き出すと、足早に外へと出て行ってしまった。トオルも歩いて裏口から外に出て立ち止まる。ベルナークの姿はもう見えない。会場の周囲の木々の葉っぱは大きく揺れている。
「危なかったな」
 突然すぐ後ろから声がして、トオルは驚いて振り返る。そこにはアシアスが立っていた。
「近くにいたのか?」
「ちょうどそこで継王様とすれ違ったよ。命拾いしたと大層安心されておられた」
「あ、そだ」
 トオルは思いだしたように向き直ると、この世界特有の例の挨拶を交わす。突然のそれにアシアスは応えると軽く微笑する。
「別に毎回やらなくても構わないんだがな」
「いや、だって今日は初めて会ったんだし」
「親しい間柄なら、久々に会った時くらいでいいんだよ」
 トオルは心が熱くなるのを感じた。それはつまり、アシアスがトオルを友として認めたということだからだ。にやけながら照れ隠しに笑いながら顔を反らすと、その先に男が一人立っていた。視線が合うと、フードをかぶったその男は慌てて背中を見せて歩き出す。
「あれ、誰だ?」
 トオルに促されてアシアスもその男を見やる。
「……さあ、誰だろうな」
「右目に傷があるおっさんだったぜ」
「そうか。まあ……観客だろう」
 アシアスは初めて歯切れの悪さを見せる。どこか言葉を選んでいるようにも見えた。
「裏口は関係者か選手しか使えねーのに。あ、もしかして出待ちとかだったりして」
 トオルはいたずらっぽい笑いを浮かべるが、アシアスはそうだな、とあっさりとした同意の言葉を出すだけだった。

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