scene118  過ぎたことと終わってないこと

 事件後も予定通り大会は続行され、第四試合目にはドーランが参戦し、大方の予想通り次の試合への進出を決めた。これでこの日のプログラムは終わった。
 第三試合の最中に起こった窃盗事件は、昨日の事件に続いて箝口令が敷かれて公表されることはなかった。この日の全試合が終了した後に一日目の被害者を含めた、事件にかかわった選手たちが全員集められて、警察から現状報告と犯人の一人が逮捕されたことなどが告げられた。今後は窃盗団の逃走中のメンバーの身元の特定を急ぎ、判明次第公開捜査に切り替えて指名手配する予定であることも付け加えられた。
 毎年約二〇〇〇人が参加するプリズネイトマスターフェスティバルは、二日目終了現在、残り一〇〇名まで絞られている。この辺りで勝ち残っている参加者のほぼ大半を大会常連が占める。その中でも当日参加者の割合は非常に低く、しかし今回はまれに見る残留数の多さとなっている。
 敗退した者はすぐに頭を切り替えて大会を楽しもうとし、勝ち抜いた者はここで気合を入れなおす。大会の雰囲気はこの日を境により一層熱気を増す。
 その熱気にあてられてかこの日の夜はいつもより暖かく、長袖のシャツでも充分過ごせるほどだ。大会中の夜は遅くまであちらこちらで夜店が出ているせいか、夜明けまで人気がなくなることがほとんどない。

「おおーいっぱいあるなー! 何食う?」
 会場のすぐそばにある自然公園の中央通りは、大会中の夜店の出店数が周囲で最多となり、一番の盛り上がりを見せる。青白くなった空を明るく照らさんがごとく、宙に漂う照明が煌々と点在する。オレンジ色に近い光は日本でよく見る夜店屋台を想起させるが、ここに並ぶ店はそれとはまた違う。
 トオルが辺りを見回しても日本で見かけるようなそれはない。
「なんか雰囲気違うけど、楽しい感じは変わらないな」
「そうね」
「本当綺麗ね。うちの元宵節に迫る勢いね」
 エミもメイリも意気揚々と嬉しそうに返事をする。やはりこの祭りの雰囲気の中では落ち付いてはいられない。
「メイリ」
 芋を洗うような人ごみの中、メイリの肩に軽く手が置かれる。振り返るとそこには、軽く息を切らしたクレアがいた。
「クレアさん、どうしたんですか」
「三人とも、食事はまだかな?」
「はい、まだですけど」
「良ければ、うちに来てくれないか? その、――詫びも兼ねて」
 メイリと同じく、エミもトオルも首をかしげる。食事に招待してくれるのは非常にありがたいことだが、彼女に詫びられるような覚えが三人にはない。メイリたちがいまいちその言葉を飲み込めないでいるのを悟ってか、クレアは慌てて言葉をつなげる。
「ほら、今朝のあの時、怒鳴って帰っちゃったからさ……」
 言われて三人は思い出す。トオルとメイリが申し合わせずアシアスと引き合わせてしまったため、クレアは激怒してその場から去ってしまった。
 しかしそのことに関して言えば、メイリらの方が申し訳ない気持ちでいっぱいであり、トオルもメイリも互いに連れてくるとは知らなかったとはいえ、クレアたちの関係を考えれば考慮が足りなかったと悔いている。だが逆にクレアに謝られてしまっては立場がない。
「そんな、むしろ私たちが軽率だったんで――」
「いや、あたしがあの場の雰囲気をぶち壊したんだ」
 クレアは右手を左胸に当てる格好で頭を垂れる。背が高い彼女のうつむいた顔はメイリからよく見えて、夜店の照明によって出来た影がより一層表情を曇らせて見える。まさにこの世界の特徴である、義を貫く姿勢そのものだ。
 メイリは迷った挙句、一息ついて口を開く。
「クレアさん、忠義平穏でしたか?」
「え?」
 予想外の言葉にクレアは大きく戸惑いながらも、慣習に従って言葉を返す。
「はい、正道を保ってます。貴君はいかがでしょうか?」
「あなたと同じく」
 柔らかい笑みを浮かべるメイリとは対照に、どこか気の抜けた表情をクレアは浮かべる。
「いいんですよ、クレアさん。私たちは気にしてません。こちらこそ軽率な行動をしてすみません」
 メイリが軽く拱手すると、後ろの二人も軽く頭を下げる。しかし顔を上げた三人の顔は清々しく、今まで何もなかったかのような雰囲気をまとっており、クレアはそこでようやくメイリたちが何も気にしてはいないのだと理解した。
「ありがとう。気にし過ぎだったみたいだね。――ところで、うちには来てくれるかい?」
 クレアは、本来の闊達さを取り戻し、メイリらは迷うことなく笑顔で返事をした。

 会場から歩くこと約十五分、広い石畳の道路脇に連立している低層のアパートへと三人は招かれる。あまり綺麗とは言えないそのアパートの一階がクレアの自宅だった。呼ばれるまま家の中に入ると、クレアの母が笑顔で三人を迎えてくれた。
「いらっしゃい。クレアがお友達を連れてくるなんて珍しいわねぇ」
「うーん、友達と言うか……。まあいいや。さあ、入って入って」
 家自体はさほど広くないが、必要最小限のシンプルな家具が配置されており、丁寧に掃除されたリビングはこぎれいな印象を受ける。しかしやはりというべきか、アパート自体古いものなのか、僅かだが壁にひびが入っているところもあった。
「じゃあ三人とももうちょっと待ってて。あとは仕上げだけだから」
 そう言ってクレアはリビングに面したキッチンへと向かう。大会の会場では見なかったラフな私服の上から、使い古されたエプロンを付ける。
「クレアさん、私も手伝います」
「いいって。今日はお詫びの夕食なんだから、メイリたちは何もしなくていいよ」
 クレアはメイリの両肩を軽く叩いてリビングの方へ押し戻す。キッチンはクレアと母親の二人で既にいっぱいになっている。メイリが手伝おうにもスペースはなかっただろう。
 トオルがクレアの母親に許可をもらい、テレビのチャンネルを適当に変える。この日もどの局も大会のことを報道している。しかしどこを探しても魔法石盗難事件の報道はない。
「お待たせー」
 クレアと彼女の母親が、出来上がった料理を盛り付けた皿をリビングのテーブルに並べる。野菜を炒めてあんかけにしたものや、具だくさんのスープなど、色とりどりな料理立ちによってテーブルの上は一気ににぎやかになる。
 クレアが促すままに料理を口にする三人は、こちらの世界では滅多に口にすることができない家庭料理の味を堪能する。家庭料理を口にするのは、最近でも第十四番界フェアリーでのテネシーのもの以来だ。あれから早くも一ヶ月が過ぎている。
「それにしても今日はみっともない姿を晒してしまったな」
 クレアは苦笑いを浮かべる。
「あたしもまだまだ子供のようだ。心身ともに鍛え直さなければいけないな」
 その言葉に対してメイリはいいえと首を振る。
「私たちが配慮すべきでしたね。ただ、やっぱりトオルも連れてくるとは思ってなくて――」
「んだよ、俺だってメイリがクレアさん連れてくるとは思ってなかったし」
「だからお互いそうだって言ってるじゃない」
 まだ関係が完全に修復されたとは言えない二人のこれを危惧してか、エミはトオルとメイリの間の席に座っている。いつものように軽いトーンでなだめるとその場はそれで収まった。
「ところでクレアさん、こんなことを尋ねて申し訳ないんですけど、アシアスさんのお父さんは何をしたんですか……?」
 エミの思い切った真正面からの質問に、クレアは一瞬たじろぎながらも苦笑する。
「初めてだ、そんな直球に訊いてくる人は」
 エミはその瞬間、クレアの隣に座っている母親がどこか寂しげな表情を浮かべたことに気付いた。
「すいません。やっぱりいいです」
「いや、話すよ。そのことでまるで腫れものに触るようによそよそしい人ばっかりなんだ、あたしの周りには」
 クレアは、いいよね、と肯定を前提とした許可を母親に求め、彼女は何も言葉を発さずに微笑みながら静かにうなずいた。

 それは十一年前、クレアはまだ十三歳だった。その年の第十五回プリズネイトマスターフェスティバルの最終日決勝戦で起こった。
 決勝ではクレアの父タガと、アシアスの父ガラウの一騎打ちとなっていた。十メートル四方のフィールドの中には盛土や、ロープが渡してあったり、はしごが立てかけてあるなど、今の大会の第一試合のフィールドによく似ていた。
 決勝戦では対戦時に道具の使用が可能で、その頃は現在よりも使用できる道具の規制が緩かった。そして当時一番はやった道具が木剣だった。当然ながら二人ともそれを選択していた。一見すると武器のようだが、この世界では木剣は剣術の練習道具として見られている。長さも四十センチメートル程度しかない。
 この第十五回大会の決勝は今まで以上に注目されていた。クレアの父タガ、アシアスの父ガラウともに、優勝経験が三回あり、勝った方が大会新記録である四回目の優勝を手にすることになる。どちらが勝っても歴史的瞬間なだけに、第二二番界プリズネイト中がその試合に注目していた。
 クレアとアシアスの両家は、二人が幼いころから親交があった。当然ながら二人は幼馴染である。その大会ではお互いの家族が隣同士の席で観戦していた。クレアもアシアスもとても仲が良く、一番の遊び相手であった。
 テレビでの観戦を含め数十万の観衆が見守る中行われた試合の、開始七分後、その出来事は起こった。
 この試合では、得点パッドを身体の各部位に付け、そこに打撃が加えられた際に加点され、最終的に獲得点数が高い方を競うものだった。当然ながら故意にパッド以外の場所を狙う、怪我をさせるなどは固く禁止されていた。
 しかし、アシアスの父であるガラウはそれを犯した。パッドを装着していない、膝に向かって強烈な一撃を加えた。木剣の両端を持ち、前面からタガの左膝を押しこんだのである。彼の左膝は逆側に曲がり、その場に倒れこんでしまった。数十秒ほど対峙した後に加えられた突然の禁止行為に、その試合を見守っていた全ての人間があっけに取られ、会場内は時が止まったかのような静寂が訪れていた。
 そして思い出したかのように試合終了のブザーが鳴り、即刻ガラウの反則とタガの勝利が告げられると、堰を切ったように会場中に悲鳴や怒号が飛び交った。それはこの大会のどの試合よりも大きな声の渦となって、大きな会場を揺らした。
 会場に来ていたアシアスとクレアの家族はただ絶句するしかなく、観客の時化の中、そこだけが凪いでいた。
 それから三週間後、クレアの父、タガは亡くなった。試合終了直後から湧きあがっていたガラウ追放論は一層支持を集め、その翌日、大会側から正式にガラウの永久追放が発表された。
 しかし当然ながら、クレアは心に大きな傷を負った。死して大会通算優勝記録に名前が刻まれるより、生きて父親としていて欲しかったのは言わずもがなだ。大切な父親を奪ったアシアスの父を、彼女は呪った。と同時に、急によそよそしく、クレアを避けるような態度を露骨に出すアシアスに対しても嫌悪が現れた。
 数日後、アシアスの母親だけがこの街から出て行き、父ガラウとアシアスだけがこの街に残り、アシアスが成人した際にガラウ自身もこの街を離れた。張本人は既にこの街にいないが、十一年経った今でも、彼ら親子に対しての風当たりは強い。

 クレアが当時のことを語り終わると、僅かに残っていた冷めたスープを飲み干す。この家に訪れた時とはまるで違う重たい空気の中、三人はただ沈黙しているしかなかった。クレアとアシアスの両家に突然できた深い溝と心の傷、その顛末にこれ以上触れたくなかった。
「ほら、暗くならない。確かにあいつには腹が立つけど、今話した出来事は過去の出来事だ。父の死は受け容れてる」
 クレアは努めて明るく話す。曇りのない表情に、本当に過去の出来事として清算していることが見て取れるが、それでもアシアスとの不和は続いている。加えて三人も過去に、カーシックやジュラといった仲間を失った経験があり、もやもやは簡単には晴れない。
「とりあえず色々つらいんだなってことは分かった。まあ暗くなんなって言うんだし、今を楽しく過ごそうぜ?」
 トオルはにっと口角を上げながら、背もたれに深く体を預ける。クレアは微笑するが、メイリはそれにむっとする。
「いくらなんでもそれは軽く扱いすぎ。大切な存在が身近にいなくなって、現に苦労してるじゃない。この状況がそんな簡単で済むと思ってんの?」
「しょうがねーだろ、いなくなっちまったもんはいなくなっちまったんだ」
「あんたね、家族と離ればなれになっていつ会えるかも分からない状況なのよ。絶対にみんな心配してるわ。だからこうして頑張って、帰って、また会おうとしてるんじゃない」
「メイリさん、とりあえずそれくらいにしません? トオルも、熱くなっちゃだめよ」
 お互いに喧嘩というよりも持論のぶつけ合いに近く、声のトーンもそれほど強くない。しかしいずれは喧嘩に発展しそうな気を感じ、エミは仲裁に入る。しかし本当はもう一つの理由があったのが、ここではそれを口にしない。しかしトオルは、エミの制止を無視して言葉を続ける。
「当然頑張るさ。けど向こうからしてみればいなくなったのはこっちだろ。俺は、残された側がしんどそうにしてるのはやだな」
「トオル、もうそこまでにしよ?」
 エミの二度目の制止で、トオルの弁はそこで止まる。メイリは声を上げそうになっていたが、エミの言葉に遮られる形で発せられずに済んだ。
 そのやりとりを焦りながら見ていたクレアは、申し訳なさそうな声をあげる。
「なんだか、悪いね。あたしのせいでこんな――」
「いえ、大丈夫です。この二人はいつものことなんで」
 エミは笑って対処するが、トオルとメイリの仲はまた拉致事件直後のような険悪な雰囲気を醸し出している。その雰囲気に耐えかねたのか、それとも払拭しようとしたのか、クレアの母はお茶を入れると言って席を立つ。しかし決して広くないこの家では、リビングから立って数歩のキッチンまで空気が伝わっていることが、ぎこちないクレアの母の背中を見て取れた。
「すいません、結構です。そろそろおいとまさせていただきます」
 そう言ってエミは率先して席を立ち、両隣の二人を促す。クレアの母が本当にいいのかと尋ねてきたときには、メイリが笑顔を浮かべて丁寧に断ったのに対し、トオルは憮然としたままやおら席を立ちあがっていた。

「どうもごちそうさまでした」
「今日は来てくれてありがとう。また明日、いい試合をしよう」
 クレアは笑顔を浮かべて三人を見送る。数々の星が夜空に瞬く中、それと同様にまぶしい笑顔だった。
 しかしその帰路でも、メイリとトオルの雰囲気は悪いままだった。メイリはエミに対しては普通なのだが、トオルには全く話しかけない。そのトオルに至っては終始無言だった。
 この先にある会場前の夜店屋台の地帯は、夜もまだ早いためかとてもにぎわっており、それに対してこの道はとても人が少ない。時折見かける道路脇の店はことごとく休業しており、そのほとんどが屋台街に出店しているようだった。
 エミは何の気もなしにふと後ろを振り返ると、僅かに営業しているうちのとある店から、二人の男が現れるのを目撃した。その二人は店から出るとそれぞれ逆の方向へと歩き、あたかも他人同士であるかのような振る舞いを見せる。
 エミにはその二人が誰だか判別することができた。この日の昼ごろ、大会会場横の自然公園の中で密会していた、アシアスと右目に傷のある男、その二人だった。

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