scene117  再度の襲撃

 第二試合終了後に二時間ほどの昼休憩を挟み、昼過ぎから第三試合が開始された。この試合にはベルナークが参戦しているため、トオルらは観戦席へと向かう。それと同時にドーランたちとの調査を進めるために、積極的に周囲に話しかけていく心づもりでいた。
 あえて試合開始後に観戦席に現れたのは、既に客席に人がたくさん入り、いろんな人に話を聴きながら移動するのには都合がいいからだ。
「エミちゃん、トオル、どうする? 情報集めるんだったら三人で分かれたほうが効率がいいとは思うけど」
 競技場内部から観戦席に至るまでの通路で立ち止まり、大きな歓声に負けじと普段より大きな声で話しかける。
「そうですね。確かにその方がいいかもしれませんね」
「いいんじゃねーの?」
 二人の即答にメイリはうなずき、それぞれに指示を出した。特に熱狂的な観客が身を乗り出しながら大声を上げている下段をトオルが担当し、人の数がまばらで空席がちらほらと目立ち、座って大人しく見ている人が多い上段がエミの担当。そしてメイリは中段を回ることとなった。
 情報収集といっても、ドーランからはあくまでも目立ちすぎないように念を押されているし、話を聞かないにしてもいつまでも歩き回っていては不審に見られることもあるため、きりのいいところで切り上げて観戦することも申し合わせておいた。
「じゃあ、第三試合終了後にここに集合ね」
 メイリの合図とともに三人はそれぞれに分かれて行った。

「そうか、感謝する。また皆で集まった時に報告しよう」
 競技場内の一角にある男子控え室には、第四試合出場のために準備するドーランがいた。そこへ魔法石窃盗事件の被害者で、独自調査に参加していた者が報告に来ているところだ。
「はい。他には情報は集まってますか?」
「あんたの他に二件報告を受けた。どちらも不審者の目撃情報だが、報告される人数が合わなくてな」
 ドーランはどこかまずそうな顔をする。公にされていない事件の調査は予想以上に難航し、先に入った二件の情報も信頼性はあまり高くない。当時魔法石の警備は三人も付いており、かつ魔法石を保管する部屋へは鍵がなくては入れず、保管ケースも頑丈なものだったと聞いている。それほどの堅牢な守備を突破するのに、人数や装備が目立たないはずはないと彼は考えていた。
「では、俺の報告も無駄ですかね……?」
「いやいや、ないよりはましだ。ご苦労だったな」
 報告をしてきた者は苦笑を浮かべながら控室を後にする。まだ第三試合は始まったばかりで、第四試合に出場するためにこの控え室にやってきている者はドーランただ一人だった。自分の呼吸の音のみが聞こえる部屋の中で彼は大きく息を吐く。

 魔法石盗難事件が発生してから、大会参加者の魔法石保管の際の警備が厳しくなった。警備員は六人に増え、うち二人が保管室前に立ち、さらにもう一人は保管ケースの目の前に配備されている。警察のメンツもあるためか、彼らは鼠一匹も侵入させないという気概で神経を尖らせる。
 保管室の扉の前は出場選手用の待合室となっているのだが、大会運営に必要な用具も多少置いてあったりするので、人の往来がない場所ではない。第二試合もようやく半分程を消化した頃合いだった。用具が必要になったのだろうか、四人の男が駆け足で入ってきて声をかけながら用具を物色し始める。
「おい、そっちは?」
「大丈夫です!」
「こっちも大丈夫です!」
 必要な用具が見つかったのか、お互い確認し合う。
「じゃあ行くぞ!」
 そのうちの一人が声を上げると、なぜかその四人の男たちは用具を何も取り上げずに走り出す。しかし走り出したのは出口の方ではなく、保管室への扉に向かって行く。扉の前の二人の警備員は、彼らが用具係りの者と思いこんでいたので、突如向かってくる様子に一瞬理解が遅れる。何も持っていないと思われたその四人の男は懐からスプレー缶を取りだし、すぐさま警備員に向けて噴射した。
「うわぁぁ!」
 六人のうちの警備員は待合室の出入り口に配備されていたので、突然警備の内側で起こった出来事に瞬時に緊張が全身を這う。彼らが見たのは、四人の男が保管室を守る警備員二人にスプレーを吹きかけている状況だった。そして三人は直感する、あいつらが件の窃盗団だと。
「お前らか!」
 窃盗団は二手に分かれ、三人は警備員と対峙し、一人は保管室へと入っていく。見れば扉の前を守っていた警備員はその場に崩れている。それは窃盗団が持っているスプレーを浴びれば、瞬時に戦闘不能となることを意味していた。
 警備員たちは犯行を阻止すべく窃盗団に猛進する。窃盗団は容赦なくスプレーを吹きかけてくるが、そう簡単には浴びるまいと身を避ける。警備員たちは装備している警棒を素早く取り出すと、まずは窃盗団の手に握られているスプレーをはじき落とすために集中力を高めた。
「魔法石はいただくぜ!」
 保管室内に忍び込んだ窃盗団のうちの一人は声を上げ、服の背部に隠していた鉄棒を取りだし振りかざす。それは鋭利ではなかったものの、四角い柱状で先端がノミ状にカットされている。
「現行犯で逮捕する!」
 警備員は大声を上げて即座に警棒を取り出し、振り下ろされた鉄棒を受けはじく。その体勢から警備員は殴打にかかるが、その瞬間、顔面目がけ白い霧状のものが噴射された。すると途端に視界が歪む。緊張していた身体は風船になったかのように軽くなり、ぬるま湯のようなものに包まれた意識は一瞬のうちに遠くへ消えていった。
「おやすみー」  窃盗団の男は見下すように警備員を鼻で笑う。目の前には警備員が守っていた保管ケースがある。だがケースというには頑丈な作りで、簡易金庫とも呼べそうな感じの鉄箱だ。その上部屋の壁面にしっかりと設置されているため、持ち出しはなかなか難しい。
 すると男は攻撃に使った鉄棒をケースの扉と枠の隙間に入れ込む。しっかりと差し込むとそれから手を離しても棒は落ちない。男は一息つくと数歩離れる。
「あんたら! 何をしている!」
 突然野太い大声が響いた。同時に大きな足音が迫ってくる。窃盗団が声に気付いてその方向を見れば、目前にまで迫ってきていたのはドーランだった。
「退くぞ!」
 窃盗団の一人がそう叫ぶ。ドーランはこの一言で全てを理解する。その場に崩れ落ちている警備員、手に持たれたスプレーと、扉が開いている保管室。間違いなく、この男たちが魔法石を盗んだ犯人だと。
「逃がすかぁ!」
 腹の奥底から怒りとともに吐き出した声で、窃盗団の動きが一瞬止まる。その瞬間を見逃さず突進を仕掛ける。ドーランは確実にそれで仕留める気でいたが、窃盗団は素早くドーランに向かってスプレーを噴射する。紙一重でそれを交わすが、スピードに乗った身体を再び戦闘体勢に向けるまでは数秒かかる。
 ブレーキをかけて窃盗団の方に向き直った時には、三人はすでに通路の方へ分かれて駆け出していた。ここからでは通路に入るまでには追いつくことはできない。通路は横幅がそれほど広くないため、そこで後ろを追ってもスプレーを相手にしては迂闊に近づくことはできない。
 ドーランが軽く舌打ちをすると、真横の保管室の扉から一人の男が飛び出してきた。ドーランは彼も窃盗団の一味と直感する。
「お前だけでも!」
「くっ!」
 必死によけようとする男の体を、ドーランが伸ばした腕はしっかり捕らえた。窃盗団の男は勢いづいた身体を制御することができずに、その場で真後ろに倒れた。ドーランはすかさずその上から彼自身の巨体で押しつけ完全に捕獲した。

 やがてドーランの大声を聞いた警察や大会職員、近くにいた関係者などが集まってきた。そこにはアシアス、エミも含まれていた。
「よし、立ちなさい。窃盗の現行犯で逮捕する」
 ドーランによって捕らえられた窃盗団の男は渋々立ち上がり、後ろ手に手錠をかけられた。これまで停滞していた事件が大きく動いたことにより、現場の空気は一瞬にして熱くなる。警察官たちには顕著にその安堵が見て取れる。
「ドーランさん、お疲れ様です。怪我はありませんか?」
「アシアスか。いや、何ともない」
 犯人捕獲の余韻のせいか、ドーランはまだ興奮が残っているように見えた。アシアスと共に何の気もなしにドーランのそばまでエミが寄ると同じくして、一人の警察官が歩み寄ってくる。エミはその顔に見覚えがあった。
(最初の事件があった時に説明してた人だ)
「ドーランさん、お疲れのところ申し訳ありません。私は今回の事件捜査の責任者、ロベルトと申します。犯人捕獲時の状況について簡単にお話伺えませんか?」
 ドーランが軽くうなずくと、アシアスが同席を求める。ロベルトはさも当然のようにうなずく。
「アシアスさんの頼みならいいでしょう。しかし、このお嬢さんは――」
 ロベルトは困惑したような顔で、目線だけをエミの方へ向ける。捜査上の機密となる情報を漏らさないのは警察として当然の仕事であり、エミ自身も遠慮してその場を離れようとするのをアシアスとドーランの両者が同時に引き留めた。
「きみはトオルたちのために話を聞いておいた方がいいだろう」
「その通りだ。ロベルトさん、あの子も同席させてやってくれ」
 警察官のロベルトは納得したふうにうなずいて、彼自身から感じられていた真面目さがますます強調されるように表情も真剣になる。犯人グループのうち一人を確保したこともあり、すぐにその場で簡易的な聴取が始まった。ロベルトの質問に対し、ドーランは一つ一つ淀みなく答える。
 第四試合に出場するために出場待合室に向かったところ、通路から警備員と窃盗団が揉める影が見えたため、声をかけて走りこんだ。警備員が倒れていたため賊と判断して攻撃を開始した。スプレーを持った三人相手には充分な策もなく逃げられたが、直後に保管室から出てきた最後の一人を捕らえることに成功した。
「なるほど、窃盗団は四人。四人中三人は現在も逃走中。対人用の武器はスプレーと。倒れていた警備員の様子や、前回の事件の証言から催眠スプレーでしょうな」
 ロベルトはうなずきながら電子手帳にメモを取る。そこからロベルトは具体的な犯人像を尋ねたが、ドーランも急なことであまりはっきりとは覚えていないらしく、大体の身の丈と体格程度の情報しか引きだすことができなかった。
 その聴取の間に一人の捜査官がロベルトに現場検証状況を報告する。エミとアシアスにもその内容は聞こえ、どうやら保管室から窃盗用の道具と見られる鉄棒が発見されたという情報だった。
 簡単な聴取が続く中もエミたちの周りでは捜査官が歩き回り、現場写真を撮影したり、壁にシートを押し当てて何かを採取したりしている。特に保管室への出入りは激しい。その中で、再び新たな情報がロベルトに飛び込んできた。
「みなさん、どうやら魔法石自体は無事のようです。保管ケースの中から不足なく発見されたようです」
 ロベルトがエミたちにそう話している最中に、後ろの競技場で入口の扉が開く。ぞろぞろと入ってきた第三試合の出場選手たちは捜査官だらけの光景に一様に目を丸くする。その中から試合開始前に魔法石を預けていた者、出場していた先日の被害者が呼ばれ、それ以外の者は速やかに退出を促された。
「まずはみなさま、第三試合お疲れ様でした。早速ですが、先ほど魔法石の盗難事件が発生しました。しかし犯行は未遂に終わり、犯人グループの一人を確保いたしました」
 その十名弱の中からはどよめきに似た歓声があがる。
「なんだ、驚かすなよ」
「やっと一人捕まったか……」
「なんて不届き者だ」
「犯人グループの一人ってことはまだいるのか?」
 様々な反応や質問が起こる中に、ベルナークの姿もあった。
「質問いいですか?」
 軽く手を上げるベルナークに、捜査官はどうぞ、と先を促す。
「そいつらが、昨日の事件の犯人と断定できますか? あと、グループの一人を確保と言いましたが、他のメンバーは逃走中という解釈でいいですかねぇ?」
「手口などから見て同一犯の可能性は高いと思えます。そして申し訳ないですが、犯人グループの捕獲した一人以外は逃走中です」
 最後の言葉に魔法石の所持者たちは再びどよめきだす。彼らの中には警察への不信感を示す者もいたが、警備員がいまだ眠らされている現場を見て、その声はすぐに立ち消える。
「混乱を招かないためにも事件のことは口外しないでいただきたい。ただ警察は残る犯人逮捕に尽力いたします」
 魔法石の所持者たちに警察の意向を酌みたい感情が溢れているのは、エミやアシアスからも感じて取れたが、それでも箝口令に対しては僅かながら漏れる愚痴と斟酌が聞こえた。
「事件を公にしなければ、捜査は消極的にならざるを得ないだろうに」
「けど犯人を逃がさないためには――ね……」
「本当に大丈夫か?」
 状況説明も終わり、順次納得した者からその場を離れていく。それでも唸りながら考え込む人も数名いる。ドーランやアシアスも、警察の方針には彼らのように両方の思いが混在する。そしてエミも同じであった。
「本当に大丈夫か?」
「俺たちでもなにかしたほうがいいんじゃないか?」
 その声を聞き、ドーランはその人たちに歩み寄る。彼が立ち上げた独自調査団に勧誘するためだ。
「大声では言えんが、それならわしたちも調査している。あんたらもやってみるか?」
 頼もしげな笑顔に一番反応を示したのはベルナークだった。
「ドーランさんそんなこともやってたんですか」
「ああ。結構な人数が集まっておるぞ。ベルナーク、あんたも一緒にやるかい?」
 ベルナークは口を歪ませて短く唸り声を出すと、頭をかきながら言いにくそうに言葉をひねり出す。
「あーおいらはいいっす。残りの三人くらいなら警察にお任せしよーと思います」
「そうか。無理にとは言わん、気が変わったらまた言ってくれ」
 ベルナークは申し訳なさそうな笑顔を浮かべる。
「じゃあおいらは用事があるので、お先に失礼しますねぇ」
 目礼をしてその場を後にしようとするベルナークを、思わずエミは引きとめた。
「ベルナークさん――」
「うん? あ、エミちゃん、どうしたんだい?」
 エミ自身、この行為は理由があってのことだったが、その本来の理由をあえて押し殺す。そして一呼吸ほどの間に別の理由を探し、また別の、しかし彼女自身気になっていたことを口に出す。
「すいません、試合最後まで見れてなくて――。勝ちましたか?」
「――ああ、無事に勝ち抜けたよ」
 お互いに、ほっとしたような笑顔を浮かべた。

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