scene116  第三の視点

 女子控え室では男子以上に歓喜と悲嘆の差が大きかった。喜びの声は男子のそれと大差がないが、敗退したチームのメンバーは、疲弊しきってまるで生気が削げ落ちたかのような有り様だった。試合終了直後はそんな感じだったがそれも徐々に見えなくなってきている。今では新しい仲間の、お互いの連絡先を尋ね合ったり、世間話などで盛り上がっている。
 この世界の事情がよく分からず、また定住することもないであろう土地の話題にメイリは付いて行けず、軽く愛想を振りまいて一人になる。
(嫌だな、この感覚)
 かつて、三八界に放り出され独りで生き抜いて来た頃の思いがよみがえる。
「お疲れ様、メイリ」
 声をかけられ振り返ると、そこに立っていたのはクレアだった。メイリは驚きつつ挨拶を返す。
「きみエミちゃんの友達だってね」
 メイリは、ベルナークの仲介でエミが紹介されたと聞いたことを思い出す。
「そうですよ。あ、クレアさん、さっきはありがとうございました」
「さっき?」
「試合中に、私の腕章が取られそうになった時です」
「ああ、気にしなくていいよ。こちらこそ礼を言うよ。あたし後ろの奴に気付いてなかったからね。メイリが来なかったらポイント取られてたよ」
 クレアは見る者が魅せられるような凛々しい笑顔を浮かべる。謙遜ではない率直な感想が、メイリの心の奥に響く。その笑顔に魅入られていると、クレアは、あ、と何かを思い出したような顔をする。
「そういえば、初日に廊下ですれ違ったの、メイリだよね?」
 メイリは思わず肩に力が入った。初戦の集合場所に向かう途中に遭遇した、クレアとアシアスの口論。その後エミから聞いた二人の関係から、安易に深入りしてはならないような気がしている。ここで違うと言い切ることも出来るが、彼女の罪悪感がそれをさせなかった。
「はい、すいません……。声が聞こえたんでつい――」
「ああいや、それはいいとしてさ。あの時一緒にいた男の子がトオルって子?」
「え、あ、はい」
 気にかかっていたことがあっさりと言い流されて、一瞬でメイリの肩の力が抜ける。
「エミちゃんから聞いたよ。きみたちレイトサイトから来たんだってね。それでよく頑張ってるよ」
 クレアは底抜けに明るい笑顔を見せる。そこには父の死の影など微塵も感じさせなかった。エミを通して聞いたベルナークの話が、たちの悪い冗談だったのではないかと思わず疑うほどだった。
「なんでこの大会に出たの? レイトサイトから来たんじゃ、暮らしてくのも大変だろう。あそこは随分と文明が未熟と聞くし」
「最初は戸惑いましたけど、もう一年ちょっと経ちますし慣れましたね。それに、レイトサイトに魔法石はないですけど、あとはこの世界ともあまり変わりませんよ」
「え、そうなの? 電気が発見されて間もないって聞いたけど」
 メイリは苦笑する。あまりにも乖離した偏見だ。しかし魔法石での行き来がなく、遠い離れた星の文明がどうであるかなど、当然知っているはずはない。だが、メイリはここでふと疑問が湧き起こった。
「クレアさんは、レイトサイトのことをどうして知ったんですか?」
「え? それは中学で習うことだし――みんな知ってる常識だな」
 三八界は人の行き来があるため、教育方法はどこも似通っており、また年数も統一されている。六歳で序学に入り、中学、高学と四年ずつ計十二年間の教育期間がある。
 メイリはますます疑問が深まる。中学で教わり、高齢者までみんな知っている事実。それほどの昔からこれらの世界が、どうして地球を迎え入れないのか。
「メイリ、そろそろ出ておこうか」
 考えを遮るように声をかけられ、メイリはそのままクレアの後について行った。入れ違いに、二回戦出場の選手が控え室に入って行った。

 会場の内部通路には出場者用の専用通路がある。その出口付近は広めの部屋となっていて、選手の家族や友人などと待ち合いをする人が大勢見られた。その中にエミが一人でたたずんでいた。
「よう、エミ」
 彼女が出口遠くの窓際にいるのを、トオルはすぐに見つけた。軽く手を上げると、エミも小さく手を振り返す。横にはメイリとクレアの姿も目に入った。クレアは、アシアスとの口論後に部屋から出てきた時と同じように、目尻を上げている。
「なんであんたが来るんだ!」
 突然大声を上げたクレアに、そのフロア中の会話が止み、視線が一斉にその方向へと集中した。トオルたちはそこで失態に気付き慌てる。よもや両者ともに彼らを連れてくるとは思っていなかった。アシアスはクレアを直視しながら、無表情のまま沈黙している。クレアの方は鋭い眼光を向けながら、溢れ出しそうな言葉をこらえているようにも見えた。
 間もなくクレアは視線を反らす。
「ごめん、メイリ。今日は失礼する」
 背中を向けたままうつむき加減でそう言うと、メイリが止める言葉を躊躇っている間に、クレアは歩き出してしまった。それからはアシアスを一瞥することもなくフロアを出て行ってしまった。そこからぽつぽつと各所で会話が戻り始める。
「えーっと……」
 戸惑いながら、トオルは後ろに立っているアシアスを振り仰ぐ。そこにはまだ無表情のままの彼がいた。
「トオル。悪いが、先に失礼させてもらう」
 語気には怒りはなく、決してトオルが気分を害するような感じではなかった。しかしそれでいてその場を辞したからこそ、それがこの確執の根の深さを物語っている。アシアスが去った後、三人は深くため息をつく。
「ところでエミちゃん、ベルナークって人は?」
「ベルナークさんとは一緒に観戦してましたけど、試合の準備のためにさっき会場を出て行きましたよ」
「そっか。でもまさかあの二人を鉢合わせさせてしまうなんて、迂闊だったわ」
 メイリは軽く首を振る。トオルももう一度ため息をついて口を開く。
「んとに。メイリが連れてくるからこんなことになったんだぜ」
「なに言ってんの。あとから来たのはそっちじゃない」
「と、とにかく二人とも移動しましょ?」
 徐々に雰囲気が穏やかになりつつあったトオルとメイリの空気が険悪になりかけ、それを阻止するためにも口を挟む。アシアスとクレアを連れて来たからか、周囲の視線がたびたびこちらに向けられるのも、エミには居心地が悪かった。

 三人は会場を後にする。第二試合は特に注目すべき選手もおらず、ベルナークが出場する第三試合までも時間がある。手持無沙汰のまま会場内をうろついていても仕方ないため、気分を変える目的もあった。
「いたいた、君たちも被害者だったよね?」
 突然数名の男たちに話しかけれられる。トオルらは一様に驚くが、すぐさま思い当たる節に辿り着いて声を上げる。
「ああ、魔法石を盗まれた人らか。そうだ、俺も被害者だぜ」
「そうか。ちょっと来てくれないか? 今向こうで被害者たちが集まっているんだ」
 そう言うと男たちはさっさと歩き始めてしまった。何かを焦っているのか、わりと早歩きだ。トオルらは疑問に思いつつも彼らの後を付いて行く。するとすぐにその集団へと到着する。見回せば、確かにあの事件が発生した時にあの場に居合わせた面々が揃っている。表面上は皆笑顔を見せているが、しかしどこか空気はピリピリしていた。
 その中でただ一人、あの場では見かけなかった男がいた。
「よし、揃ったな。早速話を始めようか」
 箝口令が敷かれているこの事件が周りに漏れないよう、全員に伝わる限界の大きさの声で男は話す。
 独特のハスキーボイスに、アシアスに見劣らない筋肉質の体躯。整えられたあごひげを蓄えるおおよそ四〇歳くらいのこの男に、三人は見覚えがあった。
「知らぬ者はいないと思うが――、わしの名はドーラン・メルビリオンだ」
 開会式で前大会の優秀者が紹介された際に、アシアス、クレアに続いて並んでいた三人のうちの残りの一人だ。なるほどやはり相応の威圧感を持っており、その射殺すような眼光は意思が弱い者ならば一睨みで戦意が殺がれてしまうだろう。
「あんたらが悔しい思いを味わっているのは知っておる。警察も捜査状況を報告するとおっしゃっているが、いまだに報告がないところを見ると難航しておるのだろう」
 ドーランはやや語調を強めて続ける。
「そこで、わしらも独自調査を行うことを提案したいのだがいかがか?」
 その言葉が発せられると同時に、各人から小さく簡単の言葉が漏れた。ある者は唾を飲み、ある者は目を輝かせる。警察を信頼し職分を侵さぬよう抑えてきたが、彼らの心の中でも、自らが動かないことをもどかしかったのだろう。
「いいのかよ、んなことして」
 戸惑いを隠せない様子で声を上げるトオルに、ドーランは真摯な目を向ける。
「完全な善とは言えんだろう。しかしあくまで独自調査だ。彼らの邪魔をせず、何か手掛かりが見つかれば即座に提供する。事件の解決は両者が望むことだ、禁忌を侵すことにはならん」
「そうなのか――?」
 ドーランの言は、トオルには理解できなかった。完全な善とは言えない、禁忌を侵すことには――。耳慣れないその言葉が、トオルのボキャブラリーに含まれていなかっただけの話だ。しかしメイリとエミが何も言わず、周囲の人間が彼に同調しているのなら間違いがないのだろうと納得する。
 ドーランが各々に指示を出し、そして一人一人この集団から離れていく。新情報が発見されるまでは警察にも秘密にして調査が行われる。全員で大々的に動くわけではなく、個人の行動範囲内での情報収集をメインに行わざるを得ない。
「やっぱ、自分で動かないといけないわね」
 ため息を吐いて、自嘲気味の声を漏らす。
「公安もBEも警察も、結局は捜査能力に限界があるわけだしさ。自分のかかわってる問題を他人に任せっぱなしってのはどうかしてるわ」
「そんなことないんじゃないですか、メイリさん? 今までの世界と違って、ここは警察が信頼されているようですし」
 困ったように苦笑するエミに、メイリも同じような表情を見せる。
「確かに信頼は実績の裏付けよね。でもさ、故郷でもセントラルシティでも、ろくなことなかったからさ、私は」
「メイリさん――」
「ああ、分かるぜ、その気持ち」
 トオルは腕を組みながら大仰にうなづいて話に入ってくる。
「ポリの奴らはな、いちいち俺を怒鳴りに来てわざわざ学校に連絡までするんだぜ?」
「そーれーは、トオルが授業サボってコンビニの駐車場でたばこ吸ってたからでしょ?」
 エミの指摘に、トオルは格好はそのままに不満げに口をとがらせる。
「あんたらもいいか?」
 突然ドーランに話しかけられ驚いて振り向くと、既にそこにはトオルら三人以外残っていなかった。
「ええ、構いませんよ?」
 エミの応対にドーランはゆっくりと頷く。
 彼が話した概要は簡単で、積極的に他人と会話すること、怪しい人物を見なかったかそれとなく訪ねること、周囲を注意深く観察し違和感を見つけることだった。
「了解っす、ドーランさん」
「うむ、しかし見ない顔だな。名はなんと言う?」
「ミヤザキトオルだ。あ、トオル・ミヤザキか? まあいいや、トオルだ!」
 続いてドーランはメイリとエミの名も尋ねたため、二人は答える。
「ここらじゃ珍しい名だな。ラピッドから来たのか?」
「どこだそれ? 俺らはワールドトラベラーなんだ」
 ドーランは一瞬驚いたような表情を見せるが、すぐになるほどと豪気な笑みを見せる。先程の集会で先導した時とは違い、圧倒するような威圧感は消えている。
「なるほどな。ならばこの世界での丁寧な礼儀作法を知らぬだろう。せっかくなので教えてやろう」
「もしかして、忠義平穏で――ですか?」
 エミが笑顔で返すと、ドーランは感心したような表情を浮かべる。
「ベルナークさんに教えてもらいました」
「やつと知り合いなのか。それはまた、前大会の成績優秀者とよしみがあるとはやるじゃないか」
 エミが笑顔を浮かべると、隣のメイリが言葉を続ける。
「あと、アシアスさんとクレアさんとも何度もお話してますよ」
 ドーランは再び驚いた顔を見せると、今度は声を上げて笑い出す。
「かははは。あんたらはなかなかのやり手のようだな。調査について期待するとしよう」
 今後の集会は特に呼び出しがない限りは行われず、情報があり次第自分に報告するようにと付け加えられて話は終わる。三人が歩き出そうとしたところで、トオルがあぁっ、と、とても大事なものを忘れていたかのような大声を上げる。
「ドーランさん、ちょっと教えてくれねーか?」
 先ほどとは違った類の真剣な表情に、ドーランも眉をひそめる。
「さっきの試合が終わった後、チームのメンバーと楽しく話してたんだ。けど輪の外にいたアシアスを呼んだ途端、他の奴ら一気にトーンダウンしてさ、アシアスを混ぜんなって言ったんだ。あれは何でか知ってるか――?」
 問い終わると、その場の空気が一気に重くなっていくのが分かった。ドーランの表情も曇っている。彼がこのことについて知ってるかどうかの確証があったわけではないが、それでもトオルは尋ねずにいられない。
「やつの、アシアスの父上のことは知ってるか?」
「ああ、永久追放者っていうやつだろ」
「ならば話は早い、それが答えだ」
 トオルは小さく驚きの声を上げる。
「それ、おかしいじゃねーかよ。アシアス自身は関係ねーじゃんか」
「しかしやつの父上が相手を怪我させたのは事実だ。周りの者はそれだけでやつを避ける。これ以外理由はない」
 トオルは軽く唇を噛む。悔しさよりも、本人以外の理由で仲間外れにすることに対しての怒りが、そこに溢れているのだとドーランは感じる。
「わしはやつとよく話しているから、人柄もよく知っている。決して悪い奴なんかではない。だが世間は皆、本人を知る前に評判だけで判断してしまう。例えば“犯罪者の子供”、などと虐げられるのはよくある話だ……」
 トオルは不満ともどかしさを隠せない。周囲の評価と、本人と直接ではない事実とが一緒くたにされ、見知らぬ者から攻撃される。
「そんなの、関係ねーじゃんか……」
 その場の重い空気に沈みかけている時、エミは視界の端で二つの人影を捉えた。
(あれは、アシアスさんと……、あの人は……?)
 エミがそれを見つけたのは、会場と隣接する自然公園の人工樹林の中。お互い他人のように振舞っているが、エミには密会として捉えられた。
 間もなく二人は別々の方向に歩き出し別れたが、その時、アシアスと話していた相手の男の右目に傷の存在を確認できた。その顔は今朝、会場に訪れる時にすれ違った男に間違いなかった。

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