scene114  盗まれた魔法石

 当日参加組によるバトルロイヤルが終わると、そのままなだれ込むように第二回戦へと突入する。ここからは事前申し込み組が参加して、同じようにバトルロイヤルを繰り広げる。今度はフィールドの全域を使い、二千人近い数での戦いになる。前大会の優秀成績者はシード権によりまだ登場しないが、実質ここからが大会本番であるといえる。
 トオルとメイリはそれらを順調に勝ち抜き、無事一日目を終了した。それを見届けるとクレアとは別れ、エミはベルナークに連れられて観客席を離れ、出場選手控室の方へと向かい始めた。

 トオルは久しぶりに心地が良かった。殺伐としていない、スポーツらしい格闘。精一杯戦ったうえでの清らかな勝利。地球を離れてから久しく感じていなかったすがすがしさに、思わず気分は高揚する。笑顔が止まぬまま、同じく勝ち抜けた者たちの集団に混じってフィールドを後にする。しかし途中でトオルとメイリを含む二十名ほどが列を離れ、別室へと向かう。彼らは皆、試合開始前に運営側に魔法石を預けていた者たちだ。
 魔法石には二種類あり、世界間をワープするためだけのもの、特殊能力があるものとある。前者はワールドリンクトラベルの資格さえあれば比較的安価で購入可能である。しかし後者は誰しもが手に入れられるわけでもなく、使いこなすにも訓練がいることもあり、所持者はそれほど多くはない。ちなみにその特殊能力を持った魔法石のことを、“正魔法石”とも呼ぶ。
 トオルらが保管室へと訪れると、責任者風の正装をした人たちと、地球のそれとよく似た制服を着た警察官が数人部屋中を歩き回っている。すみません、と集団の先頭にいた男が声をかけると、責任者風の男がこちらを振り返り、狼狽した顔をしてこちらに頭を下げてきた。
「私は大会運営責任者のボドルと申します。申し訳ありませんが、皆さまにお詫び申し上げねばなりません」
 一同が一様に首をかしげる間もなく、彼は頭を下げたまま言葉を続ける。
「当方でお預かりしていたあなた方の魔法石が、何者かの手によって盗まれてしまいました」
 誰もがあり得ないという表情を見せ、一瞬事情が呑み込めなかったのか一呼吸置いてから怒号が飛び交った。
「な、なんだと!?」
「どういうことだ!」
「ふざけるな!」
 この声にボドルはただひたすら謝るだけだった。
「言い訳のしようもございません。こちら側のミスでございます」
 多くが声を上げる中、集団の後ろの方にいる数人にはそのような様子が見られない。憤っているのは確かなようなのだが、あえて黙っているように見えた。そしてその内の一人が声を上げる。
「一体何がどうして、こうなったんですか?」
 ボドルは後ろにいた警察に眼を配らすと、一人の中年の警官が電子手帳を開きながら歩み寄って来た。
「どうやら、第一回戦、第二回戦の間に数名の窃盗グループが持ち去ったようです。警備員は瞬時に催眠剤で眠らされており、犯人の捕縛は困難だったと思われます」
 この説明に先程まで威勢よく声を上げていた者たちも大人しくなった。警備が疎かだったわけではなく、窃盗犯たちの手際が良かったのだ。正魔法石の所持者たちは憮然としている。トオルとメイリは声を上げた内の一人だったが、その説明で周囲と同じく黙り込む。
 その時ちょうど、向かいの通路からエミと見知らぬ男が歩いてくるのが二人の眼に入った。ざわめく集団を抜けて、二人はエミの許へ向かう。
「よう、エミ。なんか魔法石が盗まれたらしい」
「え? ど、どういうこと?」
 エミもベルナークも、こちらへ向かう通路に時折見かける警察官を不思議に思っていたところだった。メイリは溜息をついて、怒気がこもった口調で話し始める。
「あのね、どっかのバカが、試合中に警備員を眠らせて参加者の魔法石を丸ごと持ち去ったらしいの」
「へぇ、大胆な犯行だなぁ」
 エミの隣にいる見知らぬ男が突然口を開いたので、メイリとトオルは怪訝にベルナークの顔を見上げる。それに気づいて、エミはベルナークを紹介する。
「こちらは前大会優秀成績者のベルナークさん。観戦中にこの大会のことを色々教えてもらったのよ」
 トオルとメイリが挨拶をすると、彼も人の良さそうな笑顔で挨拶をする。エミは言葉を続ける。
「それでね、前大会準優勝のクレアさんとお話ができたの。ベルナークさん、知り合いらしくて」
 トオルとメイリは軽く目を見開く。試合前にアシアスと口論していた女性こそが、クレアだからだ。忘れかけていたことがよみがえってきて、同時に理由が何によるものなのかも気になって来た。メイリがそのことを話そうとする前に、エミは問いを投げかける。
「ところで、魔法石は奪われたままなんですか? 犯人の目星とかは付いてるんでしょうか?」
 当然ながら捜査内容は知りえるはずもなく、メイリはうーんと首をひねるしかなかった。
「訊いてみようぜ。魔法石がなかったら俺ら、何も出来なくなるじゃん」
「そうね。――あれ、手に入れるまでどれだけ苦労したことか!」
 メイリの口調はまた強くなる。近くにいた警察官に話を聞こうとしたが、捜査内容のことについては何も教えてくれず、そもそも下っ端の自分に訊いても権限がないという。二人が周囲に目を向けると、先程の中年警察官に向かって数人が声を荒げている。風体から彼が現場監督の立場にあるように見えた。
「ですから、心情はお察ししますが、捜査内容を話すわけにはいかないのです」
「俺の魔法石が盗まれたんだ! なぜ被害者が現状を把握できないんだ!」
 どうやら彼らも、トオルたちと同じ感情の下で詰め寄っているらしかった。神妙な面持ちをした警察官は、頑なに情報を公開しようとしない。トオルとメイリの心には、訴えるだけ無駄かもしれないという感情が広がっていった。

「何があったのですか?」
 次に通路から姿を現したのはアシアスだった。声をかけられたベルナークは振り向いてその姿を確認するなり、困ったような顔をして声を上げる。
「参加者の魔法石が盗まれちゃったらしい」
「なんですって……?」
 アシアスは一気に眉をひそめた。
「ベルナークさん、どういう状況だか分かりますか?」
「いや、全然。今ね、この子の友達が訊きに行ってるよ」
 そう言ってベルナークはエミを指す。アシアスはベルナークの横で静かに立っている少女を見下ろす。それはいささか珍しいものを見るような目をしていた。
「この子も参加者なんですか?」
「いや、今状況を訊きに行っている、この子の友達が参加者だ」
 エミは周りの誰よりも頭一つ背が高いアシアスを見上げながら、ベルナークの話を思い出す。彼の父親が、クレアの父の死にかかわっていることを。
 ちょうどそこへ、警察官へ事情を聴きだすのを諦めたトオルたちが戻って来た。アシアスはトオルとメイリの顔を見るなり驚いた顔をする。
「君たちは――」
「あ、アシアスさんじゃん」
「え、トオル知り合いなの?」
「ん? いや、なんか試合前にたまたま会ったというか」
 こともなげに話すトオルに、エミはなぜか安堵したような溜息をつく。
 アシアスは、トオルとメイリに話しかける。
「ところで、きみたちも被害者なのか?」
「ああ、俺らのも盗まれた」
「詳しい状況を聞こうとしても、全然教えてくれないんですよ」
 二人は半ば諦めを含んだ語調で言う。
「俺も訊いてみよう。一応、大会側の者として顔は利くから」
 真剣な表情で突然そう言ったアシアスは、そのまま警察官の元へと向かって行った。別の者と対応中の間に割って入ると、警察官はさぞ驚いた顔をし、優先的にアシアスの話を聞いているようだった。しかしその間、他の参加者たちは微妙な面持ちでその光景を見守っていた。
 そのやり取りもそう長くはなく、間もなくするとアシアスは一礼をして戻ってくる。
「だめなようだ」
 アシアスの短い言葉に、やはりそうかという表情がトオル、メイリ、エミに表れた。
「なんで教えてくんねーんだよ、俺たちの魔法石が盗まれたってのに!」
 トオルは声を荒げるが、それに対しての返答は誰からもない。
 その時周囲がにわかにざわついた。焦りの色をひと際強くしたのは、現場監督の警察官と大会責任者のボドルだった。“執行部”と書かれた腕章を付けた男が彼らに話した内容は聞こえなかったが、近くにいた人たちが大いに騒ぎ始め、警察官とボドルは“どうしてそんなことに”と言わんばかりの表情をしている。
 声の聞こえないところにいた人たちは皆不思議そうな顔をしていたが、突然、来られたぞ、の声にそれが発せられた方向へ顔を向ける。その通路からは屈強な男たちと共に、優しそうな雰囲気を持った女性が現れた。その瞬間その場にいた全員が、左膝を立てたまましゃがみこみ右膝を床に付ける姿勢を取った。しかしトオルらはわけが分からずその場に立ち尽くしている。アシアスがそれに気付く。
「何をしている、早く跪拝をしろ!」
 小声ながらも険しい顔でそう言われ、圧倒されながら周りの人と同じように膝をつく。
 女性は薄笑みを浮かべてボドルの前まで進む。周囲が静かになったので、彼女らの会話はトオルたちにも聞こえた。
「継王様、この度は不祥事申し訳ありません」
「報告は伺いました。状況から見て、全てがあなたたちの落ち度だとは思いません」
「は、しかしながら、盗まれたという事実に変わりはなく、全責任は私めの方にあると考えております」
「確かに不意だったとはいえ、本来ならばそれを防がなければならないものですね」
「は、この度は誠に申し訳ございません。わざわざご足労まで頂きながら醜態を晒してしまい、弁解の余地もありません」
 会話から、彼女が次王だということがメイリとエミには分かった。次王は開会式で挨拶をしていたが、しかし、その時に壇上へ上がった人物は中年の男性であって、紛れもなく同一人物ではない。その矛盾に疑問を抱きつつ、会話を終えた彼女が部屋を出て行くのを跪拝したまま見送った。
 会話の中で、被害者にはすべて情報を開示するよう彼女が交渉したおかげで、その後すぐさま警察官から事件の詳細についての説明があった。しかし捜査が始まったばかりということもあってか、期待した内容ではなく、警察官の真摯な態度と懸命の努力、犯人逮捕への期待を確認しただけに過ぎなかった。

 やがて正魔法石所持組は解散し、トオルたちも帰路の途に就くこととなった。ベルナークはその前に別れており、今はアシアスと一緒に競技場内にいる。出口へと向かいながら、メイリは先程疑問に思ったことを確かめてみた。
「アシアスさん、先程の次王様なんですけど、開会式で挨拶していた人が次王ではないんですか?」
 その質問に、アシアスはまるで想定外のように目を丸くする。
「知らないのか――。ということはやっぱりきみたちは他の世界から来たのか?」
 メイリは頷くと、エミがベルナークにした通りの説明をした。ベルナークにどの程度事情を説明したかは、既にエミからトオルらには話されている。
「ワールドトラベラーだから正魔法石を所持していたんだな。しかしレイトサイト出身か、ならば知らなくて当然だ、先程は失礼した」
 メイリたちは、次王の前で跪拝をせずに叱られたことを思い出した。アシアスは軽く頭を下げると、この世界の仕組みについて簡単に話をした。
 第二二番界プリズネイトは有史以来、一界一王制だった。三八界ではほとんどがそうなっており、ここも多分には漏れていなかった。しかし首都から遠ければ政治も情報も遅れるため、やがて二国分裂論が起こり始めた。現在は二国分裂が決定しており、現王が退位した後は次王がそれぞれ二つに別れた国を統治することになっている。派閥や思想の違いによる確執ではなく、純粋に施策の円滑化を目論んでの国家分裂という、地球ではまず見ない形である。
「ちなみに現在の王のことを親王、次の王のことを継王という」
「それで二人の継王がいらっしゃるということなんですね」
「けどよ、せっかく継王が頼んだおかげで捜査状況知れたのに、全然進んでなかったな。好きじゃねーけどBEに任せた方がいいんじゃねーか?」
「他界の人はそう言うが、この世界ではBE社よりも警察の方が圧倒的に信頼が篤い。検挙率が比較にならないほど違う」
 このアシアスの言に、三人は一様に口を開ける。かつてBEが警察に後れを取っている話など聞いたことがなかった。エミが戸惑いながらも理由を問いかけるとアシアスは答える。
「対応や対応地域が同じなら、検挙率が高く料金がかからないほうを選ぶだろう。ましてや警察は国営だからな」
 なるほど国家への信頼が篤ければ、国営機関にも信頼が篤いという道理である。三人は思わず納得するが、BEの検挙率が低いというのが引っかかっていた。他界ではそのようなことは聞いたことがない。
 出口の扉の前に到着すると、彼は歩みを止める。
「悪いがこの後用事があるんだ。今日はいろいろと済まなかった」
「いいえ、こちらこそ、いろいろとありがとうございます」
 アシアスは再び頭を下げると、トオルたちとは反対の通路へと歩いて行った。

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