scene113  掴めない心境

 トオルとメイリはエミと別れ、当日参加者の集合場所へと向かっていた。集合場所は会場の建物内の一室らしく、参加証を持った人間しか立ち入ることが出来ない。あとは廊下の案内板を頼りにそこへ辿り着くしかない。
「なんで案内係とかいねぇんだよ」
 トオルは愚痴をこぼす。メイリはさあね、と答えるが、トオルは言葉を続けない。
「ええと、こっちね」
 メイリが歩いて行く方向にトオルはついていく。案内板はもちろん三八界の言語で書かれているが、トオルには読めない。こちらで数年過ごし文字を読むことができるメイリを頼るしかない。幅が広くて長い廊下は、会場の形に合わせて緩やかなカーブを描いていて、ある程度先の方は壁に隠れて見通すことができない。両側の壁にはいくつもの分かれ道や扉がある。
「なんとか言え!」
 とある道から小さく声が聞こえた。
「メイリ、ちょっと待った」
「え? う、うん」
 メイリは、突然名前を呼んで話しかけてきたトオルに驚いて、思わず理由を問い返すことを忘れたが、そばによるとトオルが自らそれを話した。分かれ道の先には、数メートル先に扉が付いている。
「あそこから怒鳴り声が聞こえたんだ」
 メイリが見ると、部屋には“控え室”と書かれた札が掲げられていた。耳を澄ましてみると、確かに怒鳴り声が聞こえる。二人は物陰から窺うような姿勢になっており傍から見れば怪しさ満点だが、幸い今のところ通路を通る人影はない。
(でも、おかしい……)
 どれだけ耳を澄まして聴いても、その怒鳴っている女の声に対しての返答がない。二人以上いるとするならば、片方が一方的に声を荒げていることになる。
「もういい!」
 今度ははっきり聞こえたと思ったら、勢いよく扉が開いて一人の女が出てきた。まずいと思ったのも束の間、女は大きな音を立てて扉を閉めて、怒りをあらわにした表情で大股でこちらに歩き出す。素早い動作に逃げる暇もなかったが、女は二人に気付いたように一瞥すると興味なさげに目を反らし、あっという間にそばを通り過ぎて歩いて行ってしまった。
「何だったんだ……?」
「さあ……」
 二人が呆けているとまた扉が開く音がして、男が一人出てきた。今度は呆けていて姿を隠すのを忘れていた。男はトオルたちを見つけると、気まずそうな顔をして脇を歩き去ろうとする。
「なにかあったんすか?」
 トオルはその男に話しかけると、彼は立ち止ってこちらを振り返る。しかしメイリはトオルの暴挙に慌てる。
「ちょ、あんたなにやってんのよ」
「いいじゃんか、気になったんだから」
 興味本位丸出しの回答にメイリは溜息を付きながら、男に対して弁解を始める。
「すいません、その、怒鳴り声が聞こえてしまったもので――」
「いや、いいさ。あれだけの大声なら、聴かれても仕方ないと思っていた」
 衣服の上からでも分かる均整のとれた筋肉質の体型。それでいて背も高く、腕や顔などには細かな傷跡がある。
「もしかして、今日の出場者の方ですか……?」
 メイリは恐る恐る尋ねた。
「ああそうだ。君たちもか?」
「ああ。俺たちは当日参加枠で出るんだ。そっちもそうなのか?」
 トオルの呼び方にメイリは注意をするが、男は気にすることなく微笑する。
「そうか、君たちはきっと遠いとこから来たんだろうな。俺はアシアス・オーデリアという」
「俺はトオルだ。よく俺たちが遠くから来たって分かったな」
「まあそうだな。しかし、当日参加組ならもうすぐ集合時間じゃないのか?」
 慌ててメイリが近くの時計を確認すると、集合時刻まであと五分に迫っている。
「ちょ、トオルっ、時間ない!」
「お、おう」
 すぐさま走り出そうとしたメイリはあることに気付いて思いとどまり、アシアスの方を振り向く。
「メイリと言います。先程は失礼しました。すみませんが急ぎますのでこれでっ」
 早口で言葉を述べておざなりながら拱手をすると、トオルを連れてすぐさま走り出した。常人ではない早さで走り去る二人を見て、アシアスはふっと深みのある笑みを浮かべる。
(あの脚力……彼ら、正魔法石の使い手か。まだ子供だというのに――)

 トオルとメイリは刻限とほぼ同時に集合場所へ到着し、危うく失格の難を逃れた。それからは簡単な健康診断や体力測定などを行った。基本的に申込者は全員参加が可能なため、これによって試合での評価に優劣がつくわけではない。その後簡単な説明と、大会規約やルールが書かれたブックレットが配られた。口頭でもルールについて簡単に説明があると、いよいよ開会の頃となった。
(二人、もうすぐ出てくるのね)
 すり鉢状になっている会場は、地球でもよく見かけるような楕円形をしており、緩やかに弧を描いている側は直線になって正面とは平行に向かい合っている。陸上競技のトラックと同じ形だ。その直線区間に限っては二階席が設けられており、曲線区間には両側ともに大きな表示板がそびえていた。
「でも困ったなぁ。文字読めないのよね……」
 観覧者用に配られたパンフレットには、大会のプログラムや競技の説明が記載されているようなのだが、エミはまだこの世界の文字が完璧には読めない。
「おいらが説明してやろうか?」
 その声は明らかにエミに向けられていた。一階席の後方は、前方まで張り出した二階席が天井のようになって見通しが悪く、かつ全席自由席なために閑散としている。好んでそのような場所を選んだ者以外はその場所には来ない。そこには観覧が第一目的でない者も多い。ならば、彼もそのような一人か。
 しかしエミは大して気に掛けなかった。
「ありがとうございます。助かります」
 当日参加組の競技の説明や、簡単な大会の仕組みを説明してもらうと、男は別の話題を切り出す。
「嬢ちゃん、不思議な子だな」
「え、なんでですか?」
 エミはその言葉の意味を捉えきれなかった。
「身なりもいいし、観覧料も払える。教養もあるのに、文字が読めない。勉強できなかったわけではなさそうだけど?」
「ええ――。第三九番界レイトサイトから来――流されたんです」
 一瞬言うのを躊躇したが、答えた。ワールドトラベルできる三八の世界から漏れた一つ、ここではレイトサイト“遅れた地”と呼ばれている地球からと。
「へぇ、そりゃあ珍しい」
 男は本当に珍しそうな顔をする。言葉も本来なら通じないのだが、そこはエミ自身の努力によってカバーされている。実際に会話ができるのだから、それは充分に学習したという証左でもあった。監視した表情を浮かべる彼は、見れば歳の頃は二十代半ばくらいに思え、よく鍛えられた身体をしている。
「あなたは?」
「ああそうか、ということは知らないことになるか。おいらはベルナーク。去年の大会で入賞したんだぜ」
 この肩書にエミは思わず声を上げる。
「疑うってんなら証拠もあるけど、大丈夫そうだね、ありがとう。えーと、君はなんてんだい?」
「私はエミと言います。これから友達が参加するんですけども」
「ちょうどいいや。それならいろいろ教えてあげるよ」
 間もなくして開会式が執り行われた。界王、次王初め、様々な人物の挨拶が終わると、隅から三人の人影が姿を現した。
「彼らは前大会の上位三名だ。こうやって毎回、前大会の優秀者が呼ばれるんだけど、おいらは去年一歩手前で負けちまったよ」
 ベルナークがそう言って笑うと、エミもそれに合わせる。ふと表示板に目をやると、その優秀者の三人の顔が映し出されている。
「あの人たち、魔法石を持ってるんでしょうか?」
「え?」
 ベルナークは怪訝な表情を浮かべる。その不穏な様子にエミは慌てて取り繕うとしたが、彼はふと笑みをこぼす。
「どうなんだろうねぇ。持ってそうな感じはするけどね。どうしたんだい急に?」
「いえ、ちょっと……」
 初対面の人間にむやみに事情を開示するのはよくないと、エミは自制する。
「まあいいや。でも、あの二人には浅はかならない因縁があるんだよな」
「え?」
 ベルナークが示したのは、前回優勝者の男と、準優勝者の女の二人だった。
「女の方の名はクレア・スカーレット。十年くらい前かな。この大会の直後に父親を亡くしてるんだ」
「え、何があったんですか?」
「この大会はね、競技の性質上、人対人の格闘戦になることが多いんだけど、それでも相手を故意に傷付けてはいけないルールがあるんだ。だけどね、その反則によって彼女の父親は怪我を負って、その後亡くなったみたいなんだよ」
「そんな……」
「そしてその怪我をさせた奴ってのが、前大会優勝者のアシアス・オーデリアの父親さ。そいつは、二六回開催されているこの大会からの、唯一の永久追放者だ」
 エミは驚きよりも悲哀を大きく感じた。特にクレアと言う女性の方に。父を亡くし、そしてその死にかかわった者の息子の後塵を拝している現実。彼女自身の気持ちは知らないが、決して気に留めずにいられる状況ではないだろう。そのあとからベルナークは、それは決勝戦での出来事だと付け加えたことが、より一層その思いを強くした。

「あいつ、優勝者だったのか――」
 競技場のフィールドの入口には当日参加者たちが群れを作っており、その中にはトオルとメイリもいた。
「そうみたいね。あの女の人も……」
 前大会準優勝者の女性は、クレア・スカーレットと名を呼ばれた。痩身で背が高く、しかし袖口からのぞく腕はまさに鍛え抜かれていることがよくわかる。そしてショートカットに切れ長の目、間違いなく先程、アシアスと言い争っていた女性に違いなかった。
「ある意味ラッキーだな。知り合いになったら色々技盗めっかもな」
「そうね――」
 昨日までいがみ合っていた二人が、今では自然な会話が成立している。仲は時間が解決してくれるというのはこれほどにもあっさりと結末を迎えるものなのか。
「しかし、まさか魔法石なしの闘いになるとはなぁ」
「そうね、やっぱりちゃんとした自分の実力のみで勝負ってことね。さすが義の世界だわ」
「くそー。ほとんどのやつが持ってなさそうだから、結構上まで行けると思ったけど、魔法石なしじゃ筋肉ムキムキのやつに勝てるかわかんねーなー」
 魔法石は一通りの説明の後、運営側に一時的に預けられた。完全に己の体一つでの闘いとなる。実際トオルの言うとおり、かなり鍛え抜かれている身体つきのものも多いため、成長途中のトオルは抗うにはやや弱々しく見える。その間にも開会式は終わり、会場は初戦に向けて整備が行われている。しばらくすると点呼がかかり、約二〇〇名が入場を始めた。
 会場の半分のスペースに、柵で囲った大きな広場が形成されていた。大きさはサッカーグラウンドの半分ほどだ。中には二、三メートルの高さの小山に、その麓には洞穴や、たまにトンネルもあった。中空を広場の対角線上に横切る簡単な通路には、至るところにロープがぶら下げられており、それを支える柱には梯子が付いている。
 いわば広大なアスレチックグラウンドと言ったところか。全員がそこに入場しながら、入り口で腕章のようなものを受け取り装着していく。ルールは至って簡単であり、制限時間以内に相手の腕章を奪えば勝ち抜けである。しかし当然ながら、相手を故意に傷付けるようなやり方では失格になる。
 選手の入場が終わり、いよいよ試合開始が迫った頃、トオルは気合を口にする。
「よっし、ぜってー勝ち抜いてやる」
(そして、俺の実力がどのくらいなのか……)

「お、始まったみたいだねぇ」
 ベルナークの言葉にかぶさるように、開始の合図であるサイレンのようなものが会場に響き渡る。フィールドで東奔西走し腕章を奪い合う様子は、エミのいる場所からは蟻の喧嘩のように見える。早々と、四名ほどが脱落してフィールドの外へと出て行く。 弱いねぇと笑うベルナークの向こう側に、スタンドへと入って座席に腰掛ける女性をエミは見つけた。服装は先ほどよりもラフになっているが、前大会の準優勝者であるクレアに間違いなかった。
「ベルナークさん、あの人――」
 言われて振り向いたベルナークは声を上げて彼女の方に歩み寄って行った。エミは一瞬迷ったが、立ち上がる際にベルナークが促すような目を向けたので、あとについて行った。
「こんにちは、クレアさん。忠義平穏でしたか?」
「ベルナークさん。はい、正道を保っています。貴君はいかがでしょうか?」
「あなたと同じく」
 二人は右手を胸に当て柔らかく話す。エミがそのやり取りに首を傾げると、それに気付いたベルナークが説明する。これは第二二番界プリズネイトでの丁寧な挨拶の仕方であり、お互い義に背かずにいるかを確認する儀式のようなものらしい。
「後ろの子は誰ですか?」
「この子はエミちゃんって言って、レイトサイトから来たらしい。友達が今出てるんだって」
 へえと嘆息するクレアにエミは頭を下げると、彼女は穏やかに笑う。
「あたしはクレア・スカーレット。よろしくね」
 開会式の時に表示板に映った真剣な顔と、今見せた彼女の優しそうな顔は、受ける印象が全然違っていた。ベルナークから過去を聞いていたエミは、出来ればこちらのほうが彼女の本来の表情であればいいなと思っていた。

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