scene112  第二二番界プリズネイト

「おかしいなぁ」
 エミは電話口でそう言葉をこぼす。横に数機並んでいるものと違って、エミの使っている電話機は一回り大きい。ボタンも余計にたくさん付いていて一見すると使いにくそうだが、二つ手順を経るだけで、それは簡単に他の世界へ電話をかけることができる。
「トオル、ユカさん電話に出ないわ」
「ふーん。買い物にでも行ってるんじゃねーの?」
 少し心配そうな顔をして振り向くエミに、トオルは何でもないような返事をする。この前、リシア・シルファ村からセントラルに戻って来た時に、ユカから連絡を入れるように頼まれていた。今回はその限りではないが、ワープして他世界に来たので一応連絡をしてみたのだが、このような結果だ。
「そのユカさんって人、リシアさんの友人だった人よね。何やってる人なの?」
 メイリにそう尋ねられて、エミは返答に窮した。よくよく考えてみればまだ旅を始める前にユカの家に滞在していた頃、食糧などはある程度自給していたが、どこか外へ仕事をしに行く様子は特に見受けられなかった。
「あー、知らないですね……」
「そっか。でもそこまで深く心配することはないんじゃない?」
 エミはそうですね、と軽く笑って頷く。
 三人は今、第二二番界プリズネイトとという世界に来ている。ジュラが残した情報ではこの世界には真魔石は存在していない。それは承知の上で、かといって唯一所持者のいない水属性の真魔石を早々に見つけられるはずもないと、とりあえず目に付いた世界にやって来ただけのことである。
 ワープポイントに隣接するインフォメーションセンターを出ながら、横を歩くエミにトオルは話しかける。
「この世界ってめちゃめちゃ法律が厳しいんだっけか?」
「どうだったかな。義を重んじる文化があるって説明はあったけど」
「義かー。難しいな、よく分かんねーけど、礼儀正しくしてればいいのかな?」
「そうね、それに越したことはないんじゃない?」
 この世界に来てから、いや、あの夜以来、トオルとメイリは滅多に目を合わせない。会話も必要最低限、両手で数えられるくらいしかしていないように思える。特にトオルは露骨に接触を避ける。
 二人の仲が穏やかでなくなった理由は、あの日の事件の後にメイリから聞いた。トオルが勘違いを起こした経緯は、エミならば多少は想像できる。しかしトオルの言い分にエミが激高したのも理解できる。状況からいえばトオルが謝れば丸く収まるだろうが、トオルの頑固な性格から簡単に謝らせることは出来ないだろう。
「なあ、あれなんだ?」
 トオルはおもむろに遠くを指す。規則正しく並んだ樹木と背の低いビルが並ぶその向こうに、幅の広い弧を描いた屋根と、淡く輝いて中に浮かぶ球体が眼に入った。地球で例えるならアドバルーンのようだが、地に繋ぎ止める綱はなく、表面は鉄ともプラスティックとも言えない光沢を放っていた。それらは青い空をバックに、赤、黄色、橙と、存在感をアピールしている。
「エミちゃん、多分これなんじゃない?」
 トオルが気付いたことに対し、メイリはエミに返事をする。
 メイリが示したのは、後ろを振り向いて既に数十メートル離れたインフォメーションセンターに掲げられた、電光掲示板――電光なのかどうかは分からないが――に表示されている内容だった。そこには“第二六回プリズネイトマスターフェスティバル”と銘打たれた大会の告知がされていた。日程は翌日からとなっている。
「わりと大きな催しみたいね。期間が五日間もあるし」
 ふと辺りを見渡せば、街中の目立つところに広告が掲げられている。歩き出してもそれは途切れるところなく次々に姿を現す。
「……なんか、人少なくね?」
 やおらつぶやいたトオルの言の通り、両側に商店がいくつか並んでいるそこそこ大きなこの通りに見合った人波ではない。まるで平日のテーマパークのような寂しい静けさを持っているが、それでも時折見かける人々の表情は、その雰囲気を中和するほど明るい。
 その人々の歩みは、方向が違えど、ほぼ同じところを起点にしているようだった。それに気付いたエミが、その起点を見つけ出して、あっ、と声を出す。同時に指をさした方には、人だかりができている。
「あれってさっきのでかいやつじゃねーか?」
 人が集まっているのは、先程見つけた大きなドーム型の建物の足元。今は目の前に見えるそれはとても大きく、サッカー場と同じくらいの大きさがあるのではないかとトオルは感じた。見れば、その建物の側壁には、“第二六回プリズネイトマスターフェスティバル”と堂々と掲示してある。
「ここが会場の国立競技場ね」
 人だかりはこの国立競技場の外周を覆うように存在しており、大多数は側面に広くとられた窓口に列を成しているが、ただ集まって談笑しているだけのような者もいる。
「総合格闘技の大会らしいわね。格闘大会だし、これだけ人がいれば何かしら真魔石探索に有益な情報があるかもね」
 近くにあった大会の広告の内容を読んだメイリはそう言うと、表情を少し強張らせて、拳を顎に当てて何かを考え始める。気付けばトオルも同様に何かを考えているような表情をしている。エミはその内容が何となく分かった。
「もしかしてメイリさんもトオルも……」
「あ、分かった? この大会、ちょっと観てみたいなぁって」
 エミは笑顔を浮かべると、トオルを見る。同時に彼は振り返り、真剣な表情で口を開く。
「エミ、悪いけどこれ出てみてもいいか?」
 観たいではなく、出たいであることに多少戸惑う。
「そっちなの? 観たい、じゃなくて」
「ああ。この間のゲイルとの戦いで思い知ったんだ。俺はまだまだ力が足りねぇ。真魔石探しは後回しになるけど、あんなことがこれからあって簡単に勝てねぇようじゃ、俺はだめだと思うんだ。だからこれに出て力を試してみてぇんだ」
 まっすぐな瞳にエミは思わず頷こうとしたが、一つ大切なことを思い出す。
「確かにそうかもしれないけど……、この大会今から参加できるのかしら?」
 え、とトオルは意表を突かれて間抜けな声を出す。出たいという考えで頭がいっぱいになり、出場資格があるかどうかまで気が回っていなかった。
「出られるみたいだけど」
 メイリの言葉に二人は振り向く。配布でもされていたのか、メイリが掲げていたフライヤーには、下の方に“当日まで参加受付中”と朱書きがなされていた。
「おっしゃ! 良いか、エミ? 俺は出るぞ!」
 そう言うと、エミの了解の返事を待たずに、トオルは列のできている窓口のほうへと駆け出して行った。
「ちょ、トオル!」
「いいじゃない、別に。私もトオルの気持ちが分からないわけでもないから」
 エミは無言でメイリの顔を覗き込む。彼女もまた、ゲイルには苦汁をなめさせられている。トオルと同じように、自分の力量を知っておきたく思っていた。
「メイリさんも、出場したいですか?」
「ちょっとね」
 苦笑いでメイリは答える。
「あの調子でトオルはもう申し込んでしまいそうだし、ついでに私も申し込んでみるわ」
 もうエミに拒否権はない。だがエミは拒否するつもりはなかった。笑顔でうなずいてメイリを送り出す。申し込みに行くためにメイリが数歩踏み出した時、エミはメイリを呼び止めた。
「あの、メイリさん……」
「うん?」
「トオルのこと、どう思ってます……?」
 トオルとメイリの仲はいつ元通りになるのだろうか。それを不安に思っての質問だったが、エミは直接的過ぎたと後悔する。ただ、少なくとも最近のメイリは、トオルに対しての悪感情は減ってきているようにエミには思えた。
「うーん……」
 少し考えるようにしてから、メイリは言葉を続ける。
「確かに頭にきたし、知らなかったとはいえトオルがなんであんなに悠長に構えてたか、今でも分からないけど、冷静になれなかった私も悪いと思うの」
 メイリは哀しげな笑顔を浮かべながらしゃべる。言葉が途切れた一瞬にエミが言葉をはさもうとしたが、その前にメイリが続ける。
「でも、やっぱりトオルがあんな態度のままじゃあね」
 そういうとメイリはそのまま窓口の方へと歩いて行ってしまった。
 最後の言葉から感じた印象からすれば、仲直りの時期は遠くないにしても最後のハードルが高いと、エミはそう感じた。だが決して絶望することではない。人の仲は時間が解決してくれることもあるからだ。
「私がトオルを何とかするしかないか……」
 エミは一人で軽くうなずいた。
 二人は時間差で戻ってきた。あの列はやはり参加募集ではなく、観覧チケットを買い求める人たちだった。二人が受け取った参加証には、エントリーナンバーと集合日時が書かれてある。これで明日以降、二人が大会に参加し続ける限りはこの近辺に留まることとなった。参加費もいくらか支払ったが、ゲイルを捕らえた懸賞金を受け取ったのでしばらくは資金面での心配は要らない。
 その参加証と大きな会場を見比べて、トオルは一人で決意を心に留める。
(この大会で実力を知って、実力を付けて、今度からは絶対誰も死なせねぇ)
「トオル、置いてくわよー」
 トオルはすぐに後ろを振り向いて、既に数十メートル先を歩いているエミとメイリの後を追った。

 翌朝から街の空気はより一層熱を帯びていた。ホテルのテレビを付ければ、朝からずっとプリズネイトマスターフェスティバルの特集ばかりを放送している。国営チャンネルと民間チャンネルの合わせて四チャンネルともが、別角度ながら同じ会場を映し出して、色の違うリポーターがそれぞれ様子を実況している。
「まだ俺たちの集合時間でもねぇのにな」
 トオルは部屋で着替えながら独り言を口にする。トオルたち当日参加組の集合時間は午前九時。時刻はまだ七時を過ぎたばかりだ。
「トオルー、いい?」
 ドアをノックする音とともに、エミの声が聞こえてきた。トオルはエミを部屋に入れる。
「そろそろ朝ご飯食べに行かない?」
 Tシャツ姿だったトオルは、手近にある適当な上着を羽織って、部屋の外で待っていたメイリと共に三人でホテルの外へ朝食を取りに出かける。このホテルにはレストランや喫茶店などが併設されていなかった。大会の会場付近で部屋が空いているところがここしかなかったのだ。
「すぐそこの喫茶店でいいよね?」
 エミの言葉に二人は頷く。メイリが適当に決めたところだが、エミが発案した風にしなければトオルが納得しないであろう配慮からだった。店に入るなり適当な座席に案内されて座る。四人掛けの向かい合わせのテーブルに、当然のようにトオルとメイリは対角線上に座った。
「私さ、昨日この大会について調べたんだけどね――」
 やおらメイリがしゃべり出すと、トオルはつんと窓の外を見やった。メイリは横目でそれを確認しながら話を続ける。
「この大会、第二二番界プリズネイトで一番有名で、世界中の各所から腕自慢の強者が集まるらしいの。地球で言えばオリンピックのようなものね」
「そんなに大きな大会なんですか?」
「そうみたい。だから、それほど大きな大会なら魔法石とか真魔石の情報もなくはないと、私は思うんだけどね」
「そうですね。優勝者くらいだったら相当な実力者ですし、期待できますね」
 やがてそれぞれが頼んだメニューが運ばれてくる。その辺りから他愛もない会話に変わり始めた。おおよそそのような大きな大会に出る前の選手には相応しくない悠長な空気が流れた。
「――俺は、負けられない」
 軽食を摂り終わり一休みしている中、突如つぶやいたトオルに、ゆったりとした二人の会話が止まる。気迫のこもったその言葉に、一瞬にして穏やかな空気は消え去った。
「そうよね。トオルは負けず嫌いだもんね」
 エミの言葉にトオルはさっと顔を上げて、まあな、と笑って答える。
「それもそうだけど、もう誰にも死んで欲しくねぇしな」
 どこでもない眼をしてそう言ったトオルに、今度はエミとメイリの顔から笑顔が消えた。そろそろ行こうぜ、というトオルの促しに三人は席を立った。突然のトオルの重い発言に、エミとメイリの顔からは驚きが消えない。それに比べてトオルはいつもと変わらない表情で街を歩く。どちらかと言えば、これから始まる大会を楽しみにしているような、嬉しさが浮かんだ顔をしている。
「エミちゃん……」
 エミが返事をしながらメイリを振り向くと、メイリは前を歩くトオルを見つめたまま、眼を見開いている。
「トオルは、何であんなに強いの……?」
 エミはそれにすぐに返答できなかったが、メイリはそれをあまり気にしていないようだった。やがて、興奮の渦が巻き上がり始めている大会会場が目前に迫っていた。

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