scene111  ダークインパクト (5)

「やった!」
 トオルのその一撃がゲイルを捉えた時、メイリは小さくそう声に出した。傍から見ていてもそのスピードと重さが分かるくらいで、並の人間ならばその一発で起き上がれなくなってしまうこと請け合いだろう。だが相手は、これまで悪事を積み重ねてきた賞金首。先ほどのトオルとの交戦を見ても、まずこの一発で決まることはないだろう。
 その推測通り、殴られた勢いで一歩後ろに下がったがゲイルは倒れない。だがゆっくりあげられたその顔に、ダメージを受けたような表情は見受けられなかった。
 それを確認したかどうかは分からないが、トオルは一呼吸を置いて今度は左手でゲイルの頬を狙って殴りかかる。だが今度は腕を出されてしっかりとガードされた。しかしトオルはそれを読んでいたようで、もう一度右手で腹部に拳を入れた。
 その瞬間、ゲイルの体からまるで蒸気が噴出するがごとく、濃い殺気が勢いよく放たれた。トオルもその殺気を感じ取ったのか、すぐさま身を引く。すると彼の目の前を熱を帯びて光る何かが鋭く横切った。
「意外に素早いな」
 ゲイルは独白して舌打ちをする。トオルは数歩退いてゲイルの右手に注目すると、そこには赤く輝くナイフが握られていた。そしてすぐに、そのナイフがなぜ赤く怪しく光を放っているかを理解した。
「――熱そうだな……」
 それに対するゲイルの言葉はない。順手にナイフを持って、再び力なく腕を下げる。彼は戦闘の際に構えないようだった。むしろその構えない姿勢が、ゲイル特有の戦闘体勢なのかもしれない。その不気味な姿勢から次は何を繰り出してくるのか、攻撃を仕掛けてくるタイミング、むしろ攻撃を仕掛けてくるかどうかさえも分からない。
 その異様さから、メイリはいまだに隙を窺い続けている。
(あいつの考えが読めない……)
 彼女にとっての攻撃をするタイミングがなかなか訪れないのだ。トオルが積極的に仕掛ける攻撃に対して反撃はするものの、自発的な動きをする気配が感じ取れないのだ。メイリはいつチャンスが訪れてもいいように、すぐに前へ踏み出せるように姿勢を整える。
「おい、てめぇからも来いよ」
 トオルはゲイルを軽く牽制するが反応はない。いつまでもかかってこないゲイルにトオルはいよいよ苛立ちが募って、またもや突進するように攻撃を仕掛けた。
 その瞬間、ゲイルは赤く燃えるナイフを大きく振り回す。トオルは慌てて勢いを止めるが、今度はゲイルのほうから向かってくる。大きな一振りをかわしたものの、トオルは体勢を崩す。途端に力強く蹴りあげられて瞬間的に無防備になると、赤いナイフがトオルの背中に向かって振り下ろされる。
「はぁっ!!」
 その刃がトオルを襲う直前に、メイリの渾身の力を込めた一撃がゲイルの後頭部を直撃した。メイリは魔法石のトンファを出現させ、ゲイルがトオルに注意を向けている間を狙った。そのトンファは、帯電する能力も持ち合わせており、ゲイルを殴打した瞬間に放電することによって、彼の動きを一時的に止めることができた。
(チャンス!)
 感電による麻痺でゲイルの体が一瞬止まることを見抜いたメイリは、すぐさまもう片手に持ったトンファで連続攻撃を仕掛ける。しかしメイリの予想以上に早くゲイルの体は自由を取り戻し、メイリの攻撃を容易くかわすと、ナイフを持っていないほうの腕で力強く彼女を叩き払った。着地姿勢を取れずにメイリはコンクリートの床に叩きつけられる。
「甘いな……」
 ゲイルは小さくつぶやく。なおもあの冷酷な表情を崩していない。
「ざけんじゃねぇぞ!」
 突然トオルの大声が響き渡り、しゃがんだ体勢からの蹴りがゲイルの膝を直撃した。ゲイルは反動でよろめくものの、全く痛がる素振りもなく、すぐさまその蹴られた側の足でトオルを蹴りあげる。それは空を切ったが、ゲイルには全くダメージがないように思われた。
(くっそ、本気で入れたのに……)
 トオルはまたもや突進して殴りかかる。それと同時に、起き上がったメイリがゲイルの背後へ襲いかかる。前後から同時に攻撃を仕掛け、いわば挟み打ちのような状況になったが、そこから打撃が加えられるまでのほんの刹那の間にゲイルは薄く笑いを浮かべる。
 そこからはまるで、トオルとメイリの二人の動きが完全に分かっていたかのようだった。トオルの右拳を腕で受け流すように払いながら、逆側ではメイリのトンファを紙一重でかわす。そしてそのまま、二人の懐に向かって手を伸ばし、首元をしっかりと捕獲した。予想外で無防備な首元を掴まれて、途端に失神寸前まで追いやられる。しかし一瞬にして呼吸ができなくなった形になり、二人は状況を理解するのに一瞬を要した。
「トオル、メイリさん!」
 エミの叫びはゲイルには無視される。二人はほとんど爪先立ちの状態で、あと少しでも持ち上げられれば首を吊られているのと同じ状態になる。
「あ……ぐっ……――」
 トオルは声が出ないながら、両手でゲイルの腕を掴んで振りほどこうと必死になっているが、一方のメイリは抵抗しようとしていることは分かるが、まるで身体に力が入っていないようで、両手に握っていたトンファを落としてゲイルの腕を掴もうと必死だった。
「とんだ時間の無駄だな」
 ゲイルは軽くため息をつく。
 その言葉を聞きながら腕を振りほどこうと必死だったトオルは、あることに気付いた。
(こいつの体、熱くねーか……!?)
 トオルには掴まれた時点より高く感じたが、それは間違いではなかった。徐々に首を掴んでいる手と、トオルが掴んでいる腕がやたらと熱くなってきたのだ。やがてそれは火傷でもしそうなほどになってくる。意識が底に沈みかけているメイリもそれを感じ取っていた。
(こいつのナイフと言い、体温といい……まさか……魔法石――?)
 実際その予測は当たっていた。ゲイルは熱をコントロールすることができる能力の魔法石を所持していた。しかもそれはどうやら魔法石の中でも高等な部類らしく、体温をコントロールしても本人への影響は少なそうに見える。能力を発動中のゲイルは暑そうに汗をかき始めているが、身体に重篤な支障は出ていないように見えた。
(このままじゃまずい……)
 徐々にトオルも意識が遠くなり始めていた。ゲイルの体もいよいよ触れているのが苦痛になるほど熱くなってきていた。ここでトオルは、自身の魔法石の能力でどうにかできないか考え始める。
(熱い、苦しい……冷たいもの……冷たいもの……)
 トオルの魔法石は想像を具現化する能力だが、あまりに抽象的だとその効果はおそらく得られない。術者自身が具体的に想像しなければ、それを実際に表現するのは不可能だ。
 その二人の力が徐々に抜けていくのを黙ってみていることに、エミはいよいよ耐えられなくなった。二人の実力から、いずれはゲイルの手から逃げだすだろうと思っていたが、どうやらその様子が見られないからだ。エミは力を振り絞ってバリアを張りながら突進を仕掛けるが、ゲイルに容易く蹴り返され、それきりバリアを出す精神力は尽きてしまった。
「トオル! メイリさん!」
 エミの、心を揺さぶるようなその叫びに二人は反応する。メイリは遠のいた意識を手近に呼び戻す。そしてトオルは、想像を結論付けた。
(冷たいもの! 氷だ!)
 その瞬間、ゲイルの頭上に二メートル四方程度の氷が姿を現し、間髪いれずに彼の頭上めがけて落下を始めた。ゲイルはすぐそれに気付き、トオルとメイリから手を離してすんでのところでそれを回避した。床に落ちた氷は、大きく重い音をフロアに響かせ、細かくバラバラに砕け散った。
 ゲイルの手から解放された二人は、一気に意識を取り戻して息を切らしながら深く呼吸をする。メイリは氷の欠片を拾って首に押し当てる。二人の首は真っ赤に熱を帯びていたが、トオルはそれに構わなかった。
「てめぇ、ざけんなよっ!!」
 見るとトオルの手には、長さが五〇センチほどの鉄製のような棒が握られていた。持ち手は剣の柄のようにできていて、それは剣の刀身が棒にに変わったよう形だった。トオルが武器を想像によって具現化したのは実に久々のことだった。
「面白い能力だな。物体を出すことができるのか」
 殺気を放ち始めてから、ゲイルは初めて言葉を投げかける。それは純粋な感想に聞こえた。
「ぜってぇにぶちのめす!」
 トオルの怒りは完全に頂点に達した。すぐさま走り出し、その剣棒を両手で大きく振りかぶり、ゲイルへ目掛けて思い切り振りおろす。易々とゲイルはそれを避けてカウンターを繰り出そうとするが、トオルはすばやく薙ぎにかかる。先程は見られなかった素早い動きにゲイルは焦ってかわすと、思わずバランスを崩す。トオルはそれを眼の端で捉えて再び剣棒を振りかぶるが、ゲイルがとっさに突き出したナイフをよけようとのけぞる。その間にゲイルは体勢を直すために数歩後退した。
「くそっ……!」
 舌打ちをしながら思わずゲイルはそうこぼした。だが姿勢を直しているその隙を狙って、トオルは再び踏み込む。ゲイルは再びナイフで払ってきたが、トオルはそのナイフを持っている手を剣棒で一撃を入れる。鈍い音ともにそれを打ち消すような軽快な音を立てて、ゲイルの手からナイフが弾き飛ばされた。
「これでお前の武器は無くなったな!」
 トオルはそう言いながら自らの具現化した剣棒を消して、素手で殴りかかっていった。不良でありいくらも喧嘩をしてきた彼には、一番最後は殴り倒したいという希望があるようだった。
「武器捨てるとか、やっぱガキはバカだな」
 ゲイルはそう言い捨てると、素早く蹴りだしてきた。トオルは身体を引くと、すぐさま踏み出してゲイルの脇腹を殴打する。ガードの間に合わなかったゲイルは一瞬表情をしかめるが、すぐにトオルに殴りかかる。トオルはそれをもろに腹に食らって、思わず膝を付いてしまった。
「ガキはガキか――」
 そう言った刹那に真後ろからの気配に気付き、素早く体勢を低くしながらゲイルが振り向くと、彼の頭上すれすれをメイリのトンファが通過した。
(外したっ!)
 メイリが空振りを悔やんだその一瞬に、鈍い音ともに、トオルの一撃がゲイルの下あごを捉えた。
「うっ……」
 見ればトオルは素手での打撃では敵わないと見たのか、右拳を魔法石で具現化した硬質のグローブのようなもので武装している。先程と打って変わって連続で襲ってきた前後からの攻撃に対応できず、ゲイルはその一撃によってよろめく。そしてその瞬間をメイリは見逃さなかった。
(死ね)!」
 身体を素早く半回転させると、華麗な後ろ回し蹴りでゲイルの頭部に会心の一撃を決めた。魔法石で強化された彼女の脚力をもってして、ゲイルはその衝撃に気を失って倒れた。
 ゲイルが再び起き上がって来ないことを確認して、トオルとメイリは喜びよりも先に溜息が出た。興奮で気にしていなかったトオルの首は、今になってヒリヒリしてくる。
「痛ぇな。首に火傷とかさせやがって」
 そこらに散らばったままの氷の欠片を拾ってしゃがみこみ、首を冷やしながら、トオルは自分の右手を見ながら武装したグローブを解除する。
(こんなことしなきゃ、倒せないのか……)
 これまで素手での攻撃がこれほどまでに効かなかったのはトオルにとって初めてであり、魔法石所持者の耐力と、己の無力さが予想以上にあることを思い知った。
 メイリはエミに歩み寄り、大丈夫? と声をかける。エミは笑いながらうなずく。
「大丈夫です。ありがとうございます」
 最後にゲイルから蹴り飛ばされたダメージは軽微なもので、バリアを出す力はないものの、ドードーから受けたダメージも幾分回復して歩くことに支障は無くなっていた。
「トオル」
 エミはトオルのそばまで行って、彼と同じようにしゃがみこむ。
「お疲れ様、大丈夫?」
「おう、こんくらい平気だ」
 実際は首にヒリヒリとした痛みがあり、打撃を受けた個所は軽くあざができていたが、トオルは強がった返事をする。それを分かった上で、エミはそっかと微笑む。
「それよりこいつらを早くBEに引き渡しましょう。いつか眼を覚まされても困るし」
 フロアにはゲイルとドードー、二人の気絶した男と、ゲイルを引き連れてきた例の男は逃げてしまったようでどこへ行ったかわからない。ただこのグループの中で比較的まともな見た目だったので、単純に背走しただけだろう。
「ねぇトオル、来るのが遅かったのはなんで?」
 エミが大方のトオルの回答を予想して質問する。
「下に何人かいたんだ。そいつらぶっ倒したんだけど、ここの来方が分からなくてさ」
 それはエミの予想通りだった。エミは立ち上がってメイリのほうを振り向く。
「それにしてもよくトオルを見つけられましたね」
「え、う、うん。まあね……」
 エミは純粋に感想を交えた疑問を言っただけなのだが、メイリは苦笑いを浮かべて眼を反らしてしまった。
「トオル、どうやって見つけてもらったの?」
 これに対してのトオルの返事はなく、ただそっぽを向いて首を冷やし続けていた。この二人が軽い言い争いをすることはよくあるが、それとはまったく違って、今回は重たく淀んだ空気が二人の周りに感じられた。エミは敏感にその気配を察したが、いつもと違いすぎる雰囲気に、とうとうその続きを聞くことができなかった。

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