scene110  ダークインパクト (4)

 男の視線は一斉にメイリに向けられる。逃げ出した人質が自ら帰ってくるこの状況が、魔法石を所持している自信からだと男たちが理解するのに時間がかかっている間に、メイリは天井の穴からフロアへと飛び降りる。
「メイリさん……」
 エミはそう発したつもりだが、まだ声は出ないようだった。弱々しいエミを見て、メイリはひとまず男二人を無視して、すぐさま駆け寄る。
「ごめんエミちゃん、遅くなって。ごめん、ごめんね……」
 悲痛な表情で謝るメイリに、エミは首を振る。そして一呼吸おいてトオルのことを尋ねる。うまく声は出せなかったが、メイリには伝わった。
「あいつは屋上まで上れないから、中から来る」
 トオルの名前が出た時に、メイリが一瞬見せた苦い表情をエミは見逃さなかったが、ここでは声が出ないこともあってあえてそのことを指摘しなかった。
「なにうだうだやってんだよ!」
 スキンヘッドの男は苛立ちが頂点に達する。元々彼らがメイリの戦闘態勢が整うまで待つ義理はない。ここまでの数十秒の会話が、彼を暴発させるのには充分だった。むしろこの間待機していたことに疑問が残る。
 男はメイリに向かって足を振りあげるが、メイリはそれをかわす。男の体勢が崩れたところで、メイリは腹に蹴りを入れた。
 メイリが所持する魔法石は三つ。その内の一つは特別な能力を持たない代わりに、下半身の身体能力を強化することに特化している。いかなる魔法石でも、身体能力を向上させる効果はあるが、それに加えての前述の効力があるため、メイリの脚力は凄まじく強靭なものになっている。
 その蹴りを受けたスキンヘッドの男は、なすすべなく数メートル弾き飛ばされた。エミがバリアではじき返したとき以上の威力である。身体全体がはじかれたその時とは違い、今度は腹部の一点に攻撃が集中している。強靭な耐久力を持った男でも、呼吸を必死に求めるしかなかった。
 その屈強なスキンヘッドの男が蹴り飛ばされるのを見て、残っているもう一人の男は、軽く舌打ちをして背を向けて部屋から出て行った。メイリはその姿を見て小さくため息をつく。
「メイリさん」
 後ろからエミのか弱い呼びかけが聞こえた。すぐさまエミの元に駆け寄ってしゃがみこむ。エミは軽く息を切らしながら上体を起こす。
「大丈夫エミちゃん? 無理しないでいいのよ」
「ありがとうございます。でも、早く逃げなきゃ……」
 メイリはエミに無理をさせたくなかったが、この状況では一刻も早くこの場を離れることが優先される。小さくうなずくと、メイリは手を差し出す。エミはその手伝いでゆっくりと立ち上がる。
 すると開いている扉の向こうから、一つの足音が階段を駆け上がってくる。
(トオルだ――)
 二人はそう思った。まだ頭のゲイルが帰ってきた様子もないし、さっきの男にしても仲間を連れずに戻ってくるとは思えない。しかし、姿を現したのは、先ほど背走した男自身であった。
「大丈夫そうです!」
 その男は階下に向かって叫ぶ。するともう一つ、ゆっくりと階段を上ってくる音がした。やがてフロアに姿を現したのは、ゲイル本人であった。
「へぇ。やるじゃねえか」
 驚きつつも見下したような表情を浮かべ、彼はメイリ達を見据える。
「大丈夫か?」
 ゲイルはそう声をかけた。顔の向いている方向はメイリ達の方ではなく、先ほど彼女が蹴り飛ばしたスキンヘッドの男。
「ああ、一応な……。けど効いたぜ」
 のっそりと起き上がった男は、まだ腹に手を当てている。
「お前一応賞金首なんだからよぉ、ガキ相手に飛ばされんじゃねぇよ。ドードー」
「悪い。だが二人とも魔法石の所持者なんすよ」
「へぇ。驚いたな」
 ゲイルは、今度は本当に驚いたような顔を見せる。
 スキンヘッドの男、ドードーの名を、メイリは聞いたことがあった。彼は本当に賞金首である。賞金額でいえばゲイルよりも低いが、同じく強姦、殺人、人身売買の罪に問われている中級賞金首だ。
(顔を知らなかったのは失敗……! 中級クラスの賞金首が二人手を組んでいるなんて……)
 手負いのエミと、相手は実力のある賞金首二人。一人で立ち向かうにはかなりの困難が安易に予測できた。むしろ、このまま彼らの手に掛かってしまうことの方が実際に起こりそうで、メイリは軽く唇を噛む。
「面倒だな。下手に抑えつけたら労働力としての商品価値が下がりかねんな。とりあえず身動き取れないようにして、ワタ売りに変更だ」
 ゲイルの言った“ワタ”とは、内臓のことである。
「ゲイルさん、その前に一ついいすか?」
「何だ? ドードー」
「あの髪を結んでる方の女、売る前に食っちまっていいすか?」
「別にいいぜ。ガキの方は?」
「ガキには興味ねぇ」
 ドードーは不気味な視線と薄笑いを浮かべる。睨まれたメイリは背筋を下から上へと舐められたような悪寒がした。
「な、何を……」
 不利な状況で動揺していたメイリは、ドードーに気圧されてしまった。
 そのたじろぎをドードーは見逃さず、すかさず駆け出す。その急襲にメイリはその場を一歩も動けなかった。今は肩にエミを担いでいる状態。元々下手に動ける体勢ではなかったが、同時にエミをも危険に陥れたことに気付く。
「下手に暴れんなよっ」
 その言葉と同時に、メイリは首元を鷲掴みにされる。苦しいが、呼吸が出来なくなるほどではない。このことからもドードーが、幾度となくこの方法を用いて相手を抑えつけて来たかが分かる。
「メイリさんっ……」
 担がれていた右腕が、メイリから離された。暗に離れろと言われているとエミは感じた。ドードーを睨みつけようと思ったが、それが豆粒ほどの効果もないと悟り、すぐに諦める。
(トオルがまだ来ない……きっと下で――)
 メイリと二手に分かれて地上から潜入するはずのトオルがいまだ現れない。ゲイルも先ほどまで出かけていたという会話もあった。ならば鉢合わせないはずもなく、ますますトオルは既に倒れているという予想が強固になる。
 そんな考えが巡る頃、大きな音とともに、メイリがコンクリートの床に抑えつけられているのが目に入った。
「見たところ二十歳前ってところか。ますますいいじゃねぇか」
 ドードーは思わず生唾を飲む。先ほどまでの敵意と蔑視に満ちた瞳とは打って変わり、いやらしく、快楽を求めるような眼をしている。既に周りの者はほとんど映ってないようで、自分の体の下に横たわるメイリしか目に入っていないようだった。
「は、放して……」
「いやだね。もっと恐怖に震えてもいいんだぜ? 怯えるその顔が最高なんだよなぁ」
 メイリは完全に弱気になっていた。魔法石の力を使えば、ドードーを振り払ってまた蹴り飛ばす余力は残っている。しかし、彼女の闘争心はぐにゃりとへし曲がり、そのことを思考回路から排除してしまっていた。
「やめて!」
 エミはドードーを止めようと、傷んだ身体を起こして弱々しい体当たりをする。だがドードーには微塵も効果がない。片手で軽く振り払われて倒れこむ。

「何してくれたぁ!!」
 突然怒号が鳴り響いた。コンクリートに覆われたこのフロア内に軽く反響したその声は、その場にいた全員の動きを止めた。そしてその声の発生した方へ一斉に注目を集める。
「お前か。卑怯じゃねぇか。二度もいきなり後ろからとかよぉ!」
 ドアの間近に仁王立ちしているその声の主はトオルだった。そして彼が指を差したその先にいるのは、腕を組んで壁にもたれかかっているゲイルだった。
「二度? なんのことだ? 俺はさっきの一回しかやっちゃいねぇぜ」
「嘘つけ! 昼に一回、さっき一回、これで二回だ!」
 ゲイルは軽くため息をつく。
「いや、まあどうでもいいか。にしてもタフなガキだな。もう目が覚めたか」
 トオルはふんと鼻を鳴らす。怒りを全身で表わすように胸を張って、まるで威圧感を放っているかの様な堂々とした姿勢でいる。
「俺は堂々とやるぜ。来いよ。仕返ししてやるぜ!」
「はは。ガキが調子に乗って何気取りだよ。やるならやるぜ? ハンデさ、お前から来いよ」
 ゲイルは薄笑いを浮かべて、右手の人差し指でこちらへ来いと言わんばかりの仕草でトオルを挑発する。
 そのやり取りの間、周囲の視線はなぜかそちらに集中していた。それはエミにメイリとドードーも例外ではなかった。その集中からいち早く視線を現状へと取り戻したのはメイリであった。メイリは、トオルの出現によって多少落ち着きを取り戻した。そしてドードーに取り押さえられているこの状況を打破するために、再び蹴りあげれば済むことを思い出す。
 閃けば単純なその解答にたどりついたメイリは、すぐさまドードーの、再び腹を蹴りあげる。不意を突かれたドードーは、ほとんど声になってない呻きをあげて天井近くまで打ち上げられた。その間にメイリは素早く体を起こす。そしてドードーが落ちてくると同時に、再び力強く蹴りあげる。彼の体はフロアの隅まで吹き飛んで、数回床を転がった後に壁に当たって止まる。今度こそは完全に気絶しているようだった。
 物音に気付き顛末を見届けたトオルとゲイルはすぐさま視線を向き直し、少しの間お互い眼で威嚇する。そして、ハンデの言葉を受けたからではないが、トオルがやおら一歩踏み出す。ゲイルがもたれかかっていた壁から背中を離すと、トオルは進むのをやめる。対峙し、闘志を体中からたぎらせ、戦闘体勢に入る。
 言葉も交わさずものも言わず、無音の中で一瞬の気配を感じ取り、二人は同時に相手に飛びかかった。お互いに拳を作った右腕を突き出してクロスカウンターのような格好になるが、かたや中学校を卒業したばかりのトオルは成長期の途中、ゲイルとの身長差もありリーチが足りない。しかしトオルは、その拳を紙一重で避ける。避けたことによってトオルの拳は空をかすめ、バランスを崩してしまった。よろめいたトオルの横っ腹に、ゲイルはすかさず左の拳を入れた。
「……っ!」
 声にならないうめき声とともにトオルは倒れこむ。そして間髪いれずにゲイルはトオルを蹴りあげる。防ぎきれずにトオルは数メートル飛ばされた。
「ガキが調子乗ってんじゃねーよ」
 ゲイルが放ったその言葉は無機質で、冷酷な感情そのまま詰め込んだように、冷たく恐ろしく聞こえた。
 トオルが蹴り飛ばされた瞬間にとびかかろうとしたメイリは、その言葉を発する瞬間の異様な雰囲気に手を出せなかった。ただ見ているわけにはいかない。エミもだいぶ落ち着いたとはいえ、まだ戦線に加われるような状態ではないように見えた。
「トオル! 起きなさい!」
 その声を発したのはエミだった。
「あんた一人遅れてきてやられるなんて格好悪いわよ! 根性見せなさい!」
 まだ戦線に復帰は無理かと思われていた、いや、丁寧で大人しい印象のあったエミが見せるやや粗暴な言葉に、メイリは驚かずにはいられなかった。メイリと合流以後、エミは一番非力な自分の立ち位置を考えて控え目に行動していたが、目の前で簡単に飛ばされたトオルの不甲斐なさに我慢が出来なかった。実力差があることはエミにも分かっていたが、それでも発奮のためにと声を荒げた。
「それでも喧嘩が一番強かったって自慢できるの?」
「うるせーなー。こんぐらいでやられるかっつーの!」
 愚痴をこぼしながらトオルは立ち上がる。その顔には微かに笑みを浮かべていた。
「さすがトオル。頑張って!」
「おう、言われるまでもねーよ。ちょっと効いたけど、全然いけるぜ」
 トオルはなおも笑みを浮かべながら、鋭い眼光でゲイルをにらみつけた。
「丈夫なガキだな。仕方ねぇ。本気出すのはダリーけど、調子に乗ったガキをいつまでも放っておくほうがいらつくからな」
 ゲイルはなおも真顔で、言葉とは裏腹にトオルに対しての感心はまったく持っていないようだった。その不可思議な雰囲気にメイリは攻撃の機会を慎重にうかがったが、彼と対峙しているトオルには全く問題にならないことだった。勇猛果敢なためではあるが、しかし鈍感なところも持ち合わせているので、それも影響しているだろう。
「相手が誰だろうと、絶対に勝つぜ!」
 トオルは意気込んで拳を打つ。先ほど横っ腹に拳を受けたことを感じさせないような元気を見せ、再び臨戦態勢に入ったかと思うと、ゲイルに近づいては離れと、間を取るような動きを見せる。その仕草はボクシングに似ているがやや不格好で、ゲイルに対する挑発が主たる目的のように思えた。
 しかしゲイルはそれを冷めた――、蔑むような眼で見ている。見ているというよりも、ただ視界に入れているだけで意識をしていないかもしれない。そう思われるほどに外見からは意思が読み取れない。
「らぁ!」
 トオルが大きな掛け声を出してゲイルに猪突猛進した時、メイリは彼の表情を初めて読むことができた。その瞬間のゲイルから読み取った感情は、相手を心の底から軽蔑しきった感情。加えてこの状況で、その中にはかなりの確率で殺意も混じっているだろう。
 そしてトオルが振り上げた拳は、ゲイルのみぞおちに強烈な一撃を叩き込んだ。

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