scene108 ダークインパクト (2)
メイリとエミが閉じ込められた部屋はワンフロアぶち抜きになっており、三階部分の全面積で一つの空間だった。道路側と思われる方向には窓があるようだが、コンクリートで塗り固められている。
反対側には簡単なコンロ、水道、数個の食器と小道具が置かれた棚。その脇には開封された二つの段ボール箱があり、非常食と印刷されているとおり、そのものが中に入っている。
「はぁ。気付かれないように出るのはちょっと厳しいかしら」
「そうですね」
唯一の扉は分厚い鉄製。鍵は南京錠。部屋一面、床も天井も含めてコンクリート製。扉から外に出た場合、途中で通る二階のフロアは常駐する人間がいるようで、見付からずに通り過ぎることは不可能な構造になっていた。
しかし幸いなことに魔法石は奪われていない。その力を借りればこの部屋からの脱出自体は容易なのだが、確実にそれを察知されてしまう。そうなってしまうとさらわれたとき同様、魔法石で強化された身体でさえ容易に抑えられる力を持った男に再び捕らわれるだろう。
「綱渡りなところが多いけど、不可能ってわけじゃないのよねー」
「でもやっぱり危険じゃないですか?」
「うーん……。でもエミちゃん、このままでいるわけにはいかないでしょ」
焦りを感じながら、メイリはかつて窓があった壁へと歩く。電灯が中央部に一つしかないフロアの隅は薄暗く、不気味な雰囲気を醸し出す。何歩か進んだところで、段ボールの陰に隠れていた時計が姿を現し、午後十時五十分であることを示している。
(もうこんな時間。やつらが今日中に何かするならあと三、四時間しかない――)
犯行グループの活動時間帯は夜と相場が決まっている。タイムリミットは刻一刻と迫っている。
「メイリさん」
エミの呼びかけにメイリは振り返る。
「とりあえず、何か食べません?」
笑顔のエミの手には、段ボール箱に入っていた非常食の袋があった。緊張感のなさに、メイリは思わず脱力する。
「エ、エミちゃん……、今はそんな場合じゃないのよ」
苦笑いを浮かべながらメイリはエミの許へと歩み寄る。確かに昼から食事を摂ってはいないが、この状況ではそのようなことなど忘れていた。空腹でもなく気にも留めていない。
しかしエミは、すこし真剣味を帯びる。
「こんな時だからこそですよ。このあと戦うなら、それ相応の準備が必要でしょ?」
「ん、……まあ、そうだけど……」
メイリは納得しつつも釈然としない。しかし異論は見つからないので、とりあえず食事を摂ることとなった。
それはシンプルなビスケットのようだったが、数種類の味が揃っていて飽きることはなさそうだった。
「で、この後どうします? メイリさん」
「そうね。やっぱり脱出しないことには何も始まらなさそうだし。何か策があればいいんだけど――」
メイリは一つ策を見出すが、それには欠陥があった。だがそれを承知で提案してみる。
「天井がコンクリートだし、もしそれほど薄くないなら私の魔法石のトンファで壊せると思うんだけど――」
「あ、それでいいじゃないですか」
エミは打開策に賛同するが、メイリは渋い顔をする。
「でもね、破壊するときの音で気付かれるからダメなのよ」
「大丈夫ですよ。さっさと壊してそこから出ればいいじゃないですか。上に出ても四階の高さだし、メイリさんなら飛び降りれる高さですよね」
メイリの魔法石の特性は、常軌を逸した強靭な脚力を生み出すもの。エミの言うとおり、四階の十メートル程度の高さなら何の問題もない。
「確かにそうだけど、エミちゃんは無理でしょう? だからダメよ」
「いいんですよ。メイリさんが先に出て助けを呼ぶなり、ここの人たちを一人一人捕まえるなり。私は大丈夫です」
「何言ってんの。そんなわけないじゃないっ。今回の犯人は強姦、殺人、人身売ばっ――」
言いかけてメイリはハッとする。これは不必要にエミを怖がらせないように伏せていた情報だ。しかし焦るメイリをよそに、エミは顔色一つ変えずにいる。
「そうなんですか。でも大丈夫です。行ってください。じゃないと二人ともそんな目に遭うんじゃないですか?」
エミの動じない精神に、メイリは思わずたじろぐ。この状況で冷静になるべきは自分だと自覚した。だがそれでも、エミの落ち着きようは驚異に見えた。
「いえ、でも無理は無理。一人になったら余計に抵抗できないでしょ」
「つまり、メイリさんが助けを呼んでくるまで気付かれなければいいんですよね?」
「そうだけど、それは無理よ」
「大丈夫です」
エミがまた、大丈夫という言葉を使う。メイリにとってこの状況で大丈夫なことなど見つからない。
「さすがにこの状況は大丈夫じゃないわ。それに気付かれないなんて無理よ」
エミの顔はまだ笑っている。ここまで来てメイリは、彼女にも何か策があるのだと悟った。
「私の魔法石の能力、バリアを作ることは知ってますよね。これで音も衝撃も遮断できます」
エミの説明によれば、穴をあける部分と自分たちのいる空間を防音バリアで覆い、破片の落下地点を衝撃遮断バリアでクッションのように受け止めるとのこと。上手くいけば物音ひとつ立てずにことを遂行できる。
「けどエミちゃん。やっぱりあなた一人を置いていくことは――」
そう言いかけたメイリの言葉を遮るように、エミはすっと立ち上がる。そしてフロアの空間ができてる所へ行き、さっさと二つのバリアを出現させた。
「ちょ、エミちゃんっ」
「お腹もいっぱいになりましたし、さっそく脱出ですよ、メイリさん」
メイリも立ち上がって、エミの許へと駆け寄る。
「エミちゃん、まだそうと決まったわけじゃ――」
「さあ、メイリさん急ぎましょう。時間がないです。このバリアもずっと張り続けると消耗しちゃいますから」
メイリはやはり釈然としないもやもやとした気持ちが残る。本当にエミをこの場に残して行ってもいいのか。エミの自己犠牲の精神と、答えの出ない悩みにメイリは声を上げる。
「あ~もう! 派手にいくよっ!」
メイリは素早く大型のトンファを出現させて、力を込めて天井を叩き上げる。衝撃を受けたコンクリートは豆腐のようにえぐり取られ、一撃で空を露出させることに成功した。たったの二度叩き上げるだけで、人が一人充分通れるほどの穴をあけることができた。
メイリは軽くジャンプして屋上へと出ると、穴からエミを覗き込む。
「ごめんエミちゃん。急いで助けに戻ってくるから!」
「大丈夫ですよ。万が一の時はこのバリアがありますから」
エミはまた笑顔を浮かべる。メイリはそれを確認すると、表情をこわばらせたままうなずいて、そのビルを後にした。
残されたエミはバリアを解き、一人だけになったフロアを見回す。バリアを使っての作戦は成功したようで、階下から人が上がってくるような気配はない。軽くため息をつくと先ほど食事をしたところまで戻り座り込む。
(あとは、トオルとメイリさんを信じて待つだけ……)
立てた両膝に、エミは顔を埋めた。
行くあてもなく走り続けたトオルは、自分でもどこにいるのか分からなくなっていた。
「くっそここどこだっ」
まったく見知らぬ場所で、いまだ二人の行方は見当がつかない。そもそも手がかりも何もないのにそう簡単に見つかるはずがない。
「エミたち、加勢待ってんなら合図くらいしてくれたっていいのになぁ」
トオルのなかで二人は、賞金首を追っているということになっている。ここでトオルは、一つの考えに行き着いた。
(待てよ、追跡中ってことは合図したら敵にもバレてまずいんじゃないのか?)
そしてもう一度ハッとする。
(そうか、合図を出せない状況なのかっ。じゃあこっちから合図をすればいいんだな!)
「さすが俺、頭いいな。よしっ、いくぜ!」
自画自賛をして、魔法石を手に取る。トオルの予測通りだとしても、向こうが合図を返せない状況だということには気付いていない。
「らぁっ!」
トオルは特に何も考えずに、空へと向かって魔法石の力を解放した。トオルが脳に描いたイメージを具現化する能力のこの魔法石――ゲイヴンシェイプ――は、何のイメージも与えられないまま効力を発揮する。具現化する対象のないその力は、一筋の赤い光となって夜空に一本の柱を建てた。遥か遠く、宇宙にまでその光は届いていそうにも見えた。
(よし、あとは返事を待つだけ!)
そう意気込んで、トオルはしばらく光を放ち続ける。しかしすぐには返事は返ってこない。早くに返事が来るとは限らないとトオルは頷いて、またしばらく光を放つ。
「トオル!?」
どこからか声がしたと思うと、上から影が降ってきて真横に着地する。
「やっぱりトオルね!」
「メイリ」
いつも綺麗に二つに結ってあるメイリの髪は、ところどころ乱れている。
「俺の合図が届いたんだなっ」
「ええ、ありがとう。ところで事情は分かってる?」
「ああ、大体な」
このトオルの返事は、彼自身の中で結論付けた、賞金首を追っているという憶測に基づいている。
「OK、細かいことは移動しながら話すから、全速力で付いてきて」
トオルは軽くうなずくと、メイリと同時に駆け出す。魔法石の特性もあり、全速力で走ってもトオルの足はメイリのそれには及ばないが、それでも常人を遥かに上回る。メイリはそのトオルのペースに合わせる。
「今はとりあえず、エミちゃんが残ってる。あの子の魔法石は攻撃タイプじゃないでしょ? 多少時間は稼げてもあいつらの力の前じゃいつかは看破されるわ」
「え、もう戦闘に入ってるのか!? その状態で抜け出してきたのかよっ。合図してくれたらこっちから向うっての!」
「私が抜けた時はまだ何ともなかったわっ。それにあの状態で合図したらそれこそ見つかってたわよ」
トオルはそうかと納得する。二人はスピードを緩めないまま、どんどん人気のない方向へと走って行く。
「早くしないと――、助けないと――、怖がる素振りも見せないで――」
メイリは苦渋の表情を浮かべる。その普段では見せないような形相を、トオルは不思議に思う。
「おい、賞金首追ってて怖がるって一体どんな状況だよ。捕まったわけじゃないだろ?」
その瞬間、メイリは突然足を止める。トオルはメイリを少し通り過ぎて、よろめきながら精一杯加速しきった身体を止める。
トオルは怪訝な顔をして振り返ると、メイリは軽蔑するような顔でこちらを見ていた。
「何やってんだよ。急ぐんじゃ――」
「状況分かってないで勝手なこと言ってたわけ!?」
賞金首ハンターとしてレイトを襲ってきた当初のような、敵意も若干入り混じったような迫力に、思わずトオルは気圧された。
「エミちゃんは今一人で頑張ってるのよ! 襲われるかもしれない恐怖に、独りで立ち向かってるの!」
「待て、落ち着け。どういう――」
「落ち着いてられるわけないでしょ! あんたが無様に気を失ってる間にねっ、私たちは誘拐されたのよ! それも魔法石での腕力が敵わない相手よ! エミちゃんが一人で持つと思う!?」
トオルはその言葉の意味を一瞬取り損ねた。しかしその一息あとに、瞬時に頭の中を“誘拐”という言葉がめぐった。
「な、なんでそれを早く言わねぇんだよ!」
「あんたが状況分かってるって言うからでしょ!」
「んだとぉ」
「――あんたと喧嘩してる場合じゃないのっ」
その言葉と同時にメイリは再び走り出す。憤りは収まっていなかったが、言葉通り喧嘩している場合などではない。そして何よりも、潤んだ瞳から涙が零れ落ちる瞬間をトオルに見せたくない気分だった。
それでもメイリはトオルのスピードに合わせて走る。腕力でいえば三歳年下のトオルでも、自分より上だと見ている。その力がなければ、あの状況を打破することは難しいと考える。加えてその男たちを統括する賞金首、ゲイルの実力はまだ確認していない。
(間に合って――。間に合って!)
メイリは心の中で必死に祈っていた。
(くっそ、エミが一人で誘拐犯のとこに残ってるだと? なんでそんな状況に!)
しかし薄々感付いていた。自分が不意を突かれて気を失ったからだ。喧嘩慣れしており打たれ強さには自信があっただけに、少なからずショックはある。あまりにも突然のことだったので、殴られたことに対する怒りはほとんどなかった。しかし現状を知り、そのことに対しての怒りもふつふつと沸いてきた。
(くっそ。ぜってぇぶん殴り返してやる!)
エミを思う気持ちと犯人に対する怒りは同じなことに対して、二人の会話は先ほどから全くなくなった。それどころか全く目を合わせない。
やがて、メイリの目にエミが捕らわれているビルが見えてきた。
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