scene107  ダークインパクト (1)

 不意に襲った衝撃に、トオルはそれを知覚すると同時に気を失った。その瞬間を目撃したエミとメイリは、あまりに突然の出来事にただ目を丸くしていた。そしてすぐに危険な状況に置かれたことに気付く。
 しかしそれに気付いて動き始めようとしたときには、既に男たちに後ろから回り込まれた後で、口を塞がれ、腕を拘束され、なす術がなかった。魔法石所持者であるトオルたちをあっさりと制圧した男たちは、かすかな笑いを浮かべた。
「さあ、さっそく連れて行こうか」
 まだ意識を残されているエミとメイリにはその言葉がはっきりと聞こえた。
(私たちはどうなるの――?)
 二人の頭には同じ考えがよぎった。突然強襲されたトオルはいまだに目を覚ます気配はなく、その男たちに軽く足蹴にされる。
「早く乗せろ」
 リーダー格のような男の指示で、二人を捕らえた手下は機敏に動きだす。リーダーを含めて仲間は全部で五人。皆が手馴れた感じでエミとメイリを車へと押し込める。
 車道が地下にあるのは都心部のみで、このあたりでは地上を普通に自動車が走っている。
 車のドアは乱暴に閉められ、直後に急発進した。押し込められた後、二人は即座に身体の自由を奪われた。両手両足首を縛られ、口には粘着テープ。誰もが容易に想像がつく拉致スタイルだ。
 見たところこの拉致グループのメンバーは二〇代から三〇代位の集団に見える。リーダーの男だけが金髪だ。
 男たちはいやらしい目でエミとメイリを見下ろす。手は出してこないが、きっと目的はそういうことなのだろう。
 今まで経験したこととは全く違う恐怖に、二人は完全に戦意を喪失してしまっていた。
 男五人、そしてエミとメイリを乗せた車は、都市部から離れた方向へと走り去っていった。

「大丈夫!?」
 トオルははっと目を覚ます。あれからどのくらいの時間が経ったか。起き上った時の後頭部の痛みから、そこを強打されたことはすぐに理解した。
 しかし、目の前にはエミとメイリはいない。
「あいつらー、俺を放ってどこいったんだー?」
 トオルは直感で、敵を追ったか、追い払ってさっさと帰ったかの二択に絞った。しかし、どちらかは判断できない。
「君、大丈夫なの!?」
 トオルはその声に気付いて驚いて素早く振り返る。それに驚いたのか、相手も驚いて声をあげる。
 見ればそれは中年の女性警察官。彼女が着ていた制服は、地球のそれと酷似していた。
「救急車呼んだから。もうすぐ来ると思うわ」
 彼女の話の意味を考える。確かに頭は殴られて痛いが、それほど大事ではないはず。そう思いながらトオルは殴られた箇所にそっと手を当てる。
 様子が違うのはすぐに分かった。自分の手を確認すると血が付いている。それも少しではなく、手のひら一面真っ赤に染まった。
「げ、まじかよ」
 トオルは驚きと共に、またか、と溜息をつく。中学で喧嘩をした時にもこのような出血で救急車を呼ばれたことがある。
「平気平気。この程度どうってことねぇって」
「何言ってんの。これだけ血を流しているのに」
「いや、だから」
「ほら、もうすぐ救急車来るんだから安静にしてなさい!」
 立ち上がろうとしたトオルを、彼女は押さえつける。ちょうどサイレンが聞こえてきていた。

 嫌々病院に連れて行かれ簡単な治療を終えたあと、その女性警察官からいろいろと尋ねられた。頭から血を流して道端に倒れていれば、警察官でなくてもなにかの事件を疑うだろう。しかしトオルにとっては余計なお世話以外の何物でもない。
 正直に起こったことを話しては面倒くさいと感じ、適当にごまかしつつ話を進めたが、論理的な構成が苦手なトオルは話の矛盾に突っ込まれて、余計に時間を食ってしまうはめになった。
 やがて解放されたのは一時間後、疑問を残されつつも事件性はあるが大事ではない、と女性警察官は判断して、優先度の低い事件として処理されることとなった。
(マジで勘弁だ……。本当に大したことねぇってのに)
 トオル自身はそう思っているが、実際に起こっている事態はまだ把握してはいない。知らぬがゆえに焦っていない。
(さっさと帰って文句言ってやろう)
 二人は先にホテルに戻っているのだろうと予想したトオルは、足早に帰路に就く。
 頭に衝撃を感じた頃はまだ高かった日が、徐々に傾き始めている。
「帰ったら飯だな」
 呑気に言葉を漏らしながら、ホテルのあるだろう方向へと歩みを進める。救急車で遠くへと搬送され見知らぬ土地に来たが、女性警察官から聞いた地図を頼りに当てをつけて道を進む。
 いくらか遠回りをしながら、日が沈むころにトオルはホテルへと辿り着いた。そして自分の部屋へ戻る前に、エミとメイリの部屋のドアをノックする。しかし返事は返ってこない。
「ん? っかしいな」
 トオルはもう一度ドアをノックする。しかしまたもや返事はない。不思議に思い考えて、そして結論が出る。
(そうか、居留守で驚かせようとしてるのか?)
 ならばこちらもと、トオルはもう一度ノックをする。そして今度は声掛けもしてみる。返事がないことを確認して、トオルはドアノブを握りしめ思いきり押し込む。
「帰ってきっ……!」
 トオルの予想とは裏腹に、びくともしないドアに勢いのついた体が激突した。鼻を痛打したトオルは反射的に鼻を押さえ、うめき声をあげならしゃがみこんだ。
(……? いないのか?)
 それともまだいたずらが続いているのだろうかとも考えたが、この状態になった自分を、メイリは笑いに来るんじゃないだろうかとも思った。そして何より、エミが笑いを堪えながらいたわってくる姿が想像できたのだが。
(あれ? 本当にいねぇの?)
 トオルは彼女らの借りている部屋に目を向ける。人の気配が染み出してこないその部屋に背を向けて、トオルはすごすごと隣に借りている自分の部屋へと戻った。
「うーん。先に飯食っとくか」
 そう言うと一人で部屋を出て、ホテルの外へとファーストフード店を探しに出た。

「おい、目ぇ覚ませ」
 荒々しい男の声に、メイリははっとして目を覚ました。いつの間にか寝てしまっていたらしい。隣では同時にエミも目を覚ましたようだ。
 事件直後に感じていた息苦しさは消え、いつの間にか口を塞いでいた粘着テープが剥がされていることに気付く。
 どのくらいの距離を移動したのだろうか、二人の乗った車は動きを止めている。動力音もしていない。
(ここは……?)
 車の窓から見える景色は暗く、灯りの点いていない建物の中だということはわかる。その建物の窓から差し込む日がないことから、既に夜を迎えていることも推察できた。
 口に張られていた粘着テープが剥がされていた。声の拘束が解けているということは、大声を出すのが無意味である場所まで来たこと、会話を交わす機会がこの先あるかもしれないということを暗に示していた。
「こんな状況で寝るとはいい度胸だな」
 リーダーらしき男は、嘲笑しながら車を降りる。
「ゲイルさん、あいつらどうしますか?」
「あー、とりあえずまだ置いとけ」
 リーダーらしき金髪の男は、手下にそう呼ばれた。
 それを聞き逃さなかったメイリは、記憶を巡らす。
(ゲイル……。そんな名前の賞金首がいたわね。確か容疑は――)
 そこまで思い出してメイリはハッとする。ゲイルの容疑、それは強姦、殺人、人身売買。
 寒気がつま先から頭の先まで突き抜けた。これからこの場でどんなことが行われるのか、今までここでどれだけの人間が被害に遭ってきたか。
「メイリさん……?」
 強張った表情のメイリに、エミは心配そうに小声で話しかける。何かを問うような顔をしていたが、メイリは何でもない、と焦りを隠す。
「けどこの状況はやばいわね。なんとかしないと……」
 依然両手と両足はロープで縛られて身動きが取れない。車の両側のドアの前には、見張りとしてか、男が一人ずつ立っている。魔法石によって強化された身体能力を持ってすれば、ロープを引きちぎることは可能かもしれなかった。だが拉致の瞬間に力で敵わなかったことを考えると、ここで無理に動くことにはためらいを感じた。
(せめて車の外に出られれば――)
 車外ならば、抵抗の余地はあるかもしれない。しかし、無事に出る手段が思いつかない。
 横で、エミがぽつりとつぶやく。
「トオルが、助けにきてくれることを願いたいですね」
 メイリは小さくうんと頷く。しかしその望みが薄いことは、二人は気付いていた。
 殴られて無事かどうかもわからない。無事だとしても、果たしてどうしてこの場所を知ることができるだろうか。
 二人がうつむいて望みを失いかけたその頃、わずかに青かった空が完全な夜へと変わっていた。

(いくらなんでもあり得ねぇ……)
 時刻は午後九時を回っているというのに、エミとメイリが帰ってこない。トオルはようやく異変に気付いた。
(俺が殴られたときからいなくなってて、その時はまだ昼だった。もう半日くらい経つぞ)
 彼女らがここまで時間をかけて外出することは、今までなかった。トオルの頭の中には、現況がどうなっているのか、候補が三つ挙がっていた。
 一つは、今だにいたずらとして身を隠し続けているということ。二つ目は、賞金首を見つけて追跡または交戦中。三つ目は、何かしらの事件に巻き込まれた。
 しかし、トオルのイメージする彼女らの実力において、後者の二つの可能性は低かった。それなりの戦闘能力を持ち合わせていることはトオルも認めていること。易々と敵の有利を許すはずがない。
 だがそれ以上に、ここまでいたずらを続ける彼女たちでないことも、トオルは知っていた。
「まさか、何かあったのか……?」
 だとすれば、トオルの考えられることは一つだった。
(いい具合の賞金首を見つけたんだなっ)
 トオルは、エミとメイリが敵に捕らえられているという考えは持てなかった。
「当てはないけど、荷物はこのホテルにあんだ。そう遠くへは行ってないだろ」
 手で膝を叩いて勢いよく立ちあがると、加勢するためにホテルを走って出る。行くあてはない、が。
(まあ何とかなるだろ!)
 トオルは直感で走り出した。まずは自分たちが襲われた現場。
「あっ!」
 ここでトオルは、ある一つの仮説に辿り着く。
「俺らを襲ったのが賞金首だったのか? じゃあそいつらを見つければいいということか!」
 走りながらにやりと笑う。トオルは襲われた現場を素通りして、そこからは直感で走り出す。この時点では方角はあっているが、遠く離れたエミたちのところまで正確に辿り着ける可能性は低い。
(なんか合図とかあればいいんだけどな――)

 エミとメイリは依然黙り込んだまま、どのくらい時間が経ったのかもわからない。二人とも眠気はなく、たまに他愛のない会話を交わすだけで、おとなしく車の中にいた。見張りの男二人も互いに談笑する時もあり、脱出する隙は時間を追うごとに増えていったのだが、同時にエミとメイリの気力も削げ落ちていっていた。
 しばらくして一つの足音がこちらへ向かってきた。
「ゲイルさん、お疲れ様です」
 見張りがかしこまる。リーダーの男、ゲイルがこちらに歩いてきて、車のドアを開けた。
「おいお前ら、出な」
 もちろん解放されるわけではない。足首の縄だけ解かれ、素直に従って車から降りると、見張りの男にしっかり二の腕を掴まれた。
「よし、こっちへ来い」
 促されるままに歩きだす。無抵抗の意思表示をしているにもかかわらず、しっかりと腕を掴んだ男の手は力を緩めない。無抵抗でも拘束されるならと、メイリは気力を取り戻す意味も込めて質問する。
「ねぇ、私たちをこれからどうする気?」
「あぁ? うーんどうしようかねぇ。お前らどうされたい?」
 ゲイルの意表を突く逆質問に、メイリは返答に詰まる。
「はっ。まぁ楽しみにしてな。殺しはしねぇよ」
 ゲイルは左手を軽く上げて薄ら笑いを浮かべる。
 彼の言い分が正しければ、殺されはしない。犯歴から推測される選択肢は、強姦と、人身売買の二つ。殺さないならば、生存が必須の人身売買か。しかしまだ、両方という可能性が残されていた。
 先ほどから歩かされているこの場所は、街はずれに建っているビルだった。時折現れる窓から外を覗くと、閑散とした街の中にぽつりぽつりとビルがある。
「もうちょっとだ。しっかり歩けよ」
 コンクリートでできた手すりのない急な階段を上る。どうやらビルの裏口から入り、非常階段を上っているようだった。三階に着くと、古びた鉄のドアが開けられ、フロアへと入れられた。
 そこには誰もいないようで、乱雑に多数の段ボール箱が積まれ、片隅には簡易コンロ、水道の蛇口や棚など、一時過ごすのに必要な設備が整っていた。
「しばらくここにいろ。逃げようなんて考えはやめな。ま、逃げられねーだろうけど」
 そこで手の自由を奪っていた縄まで解かれ、身体を拘束するものはなくなった。
「しばらくってどれくらい?」
 メイリが尋ねると、ゲイルはさあな、とだけ言って部屋を後にした。
 鉄の扉が閉められると、南京錠がかけられる音が二回聞こえた。

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