scene106  Sudden despair[deep night]

 年に二度だけやってくる、限りなく闇に近い夜。街を照らすのはほとんど人工の光だが、それさえも今日は少ない。
 いつもは賑やかなセントラルの街は、まるで闇に脅えてどこかに隠れてしまったかのような静寂が覆っていた。
 それは”ディープナイト”と呼ばれ、そらに浮かぶはずだった複数の大きめな惑星が、軌道の関係で姿を現さない日。地球で言う新月のようなものだ。この日は街中が夕方には家に戻り、静かに暮らすという習慣がある。
 その音のない街を、ファイヤーは靴音を立てながら独り歩いていた。
 ジュラの身体の中に入っていたクラムエドールを見送ってから、既に数日が経過した。未だ傷は癒えないが、それでも気力は戻っていた。
(進む先はここしかねぇ。全ては、ここに集約されるっ)
 ファイヤーは足を止めて、目の前にそびえる大きな影を見上げる。それは、天高くに背を伸ばすBE社屋。
「準備は整った。――俺から先手を仕掛けようか」
 正面玄関を見据えながら、当然そこから入る気はない。ファイヤーは地面を力強く蹴りあげると、その身体は十数メートルも浮き上がる。そのままビル壁面の凹凸に手をかける。そしてそのまま、腕の力と足の蹴りあげのみを利用してビルの上層階まで行く。そしてベランダに降り立った。
 ここまで人間離れした動きができるのは、所持している炎属性と地属性の二つの真魔石の効果による。そしてその炎の能力を使い、窓ガラスを溶かして侵入する。ディープナイトのこの日は、守衛はいるだろうがもちろん社員など残っていない。警報装置などが作動する雰囲気もなく、難なく侵入に成功した。
(変だな……いくら何でも易々と行き過ぎる)
 異常なほどの順調さに、ファイヤーは違和感を覚えた。あのBEが、ここまで警備が薄いはずがないと。
(むしろここは、いつもより慎重に行ったほうがいいな)
 そのファイヤーの慎重さとは裏腹に、警備らしい警備も、罠らしい罠もなく、いとも簡単に奥へ奥へと進むことができた。廊下に浮かぶ緑の非常灯と一組の足音が作り上げる緊張感も、極度に張り詰めるまではいかない。
 やがてファイヤーは、今回の目的であるキルの仕事場、統長室の前へと辿り着いた。
(なるほどな。そりゃあ一般人にはわからないな)
 ファイヤーがその部屋を探し当てるまでに十五分かかった。しかしこの統長室は、職員の誰もがその場所を知らないと言われている場所である。
 その部屋に扉はない。しかしそこにその部屋はある。
(ここまで来ても全く奴の気配はねぇな。本当にいねぇみたいだが、これほどの無防備さは誘われたとしか言えねぇな)
 ファイヤーは何もない壁に向かって歩く。するとその壁をすり抜けて一つの部屋に出た。そここそが統長室だ。真魔石を持っている者だけが入室できる特別な部屋、ファイヤーはそう分析する。
 明かりの点いてない部屋は本来は暗い。しかし、部屋の奥にあるデスクの空中にスクリーンがあるかのように画面が投影されている。
「――っ。気に入らねぇが、仕方ねぇな」
 ファイヤーは軽く舌打ちをする。その画面はまるで、見てくれと言わんばかりにこちら側に向いている。明らかに、ファイヤーが来るのを見越して準備していたとしか思えない。加えてキルが用意したものを見せられる。
 この日ここに忍び込んだのは内部情報を掴むためであり、秘密裏に進めている計画等を暴くためであった。特にそのような噂があったわけでもなく、近頃動きが大人しいことからの勘でもあった。
 投影された画面に近づけば近づくほど内容が鮮明になってくる。そしてそこに記されている内容を読むほどに、ファイヤーの血の気が引いていった。
「マジかよ……。冗談じゃねぇ……――」
 ファイヤーは思わず足を止める。画面の内容から目が離せなかった。そこに書かれていたことはあまりにも衝撃的な内容だった。
「真魔石を……生成するだと……!?」
 キルが現在所持している真魔石は、光属性、風属性の二種類。そのうちの光属性の反発作用を利用して、闇属性の真魔石を生成すると、その画面には記されている。
(そんなバカなことが出来るはずがないっ。真魔石は自然界が生み出したものだ)
 自然界に現れた奇跡の石、真魔石。それを模して造られたのが魔法石。もちろん魔法石にも自然発生したものはあるが、真魔石の持つ力とは比べものにならない。
 もし真魔石を生成することができれば、それは自然の理を崩すことにもなりえない。さらに、強大な力を持つ魔法石が増えることで、力の均衡に歪みが起こらないとも限らない。
(それでもし、キルがこれ以上真魔石を持つことになれば……)
 キルが何を企てて真魔石を収集しているかはわからない。ファイヤーが今まで見てきた彼の凶行の数々は、一般人には微塵も確認できない。誰に聞こうとも、大手優秀警備会社のトップという答えしか返ってこない。感謝すれど、恨みを持つなどあり得ない立場の人間なのだ。
 もしキルが世界の破滅を望んでいたとして、真魔石の生成に成功し、三種類所持することになれば、十日も経たないうちに一つの世界が滅びることになるだろう。
 ファイヤーは画面に映された内容を一通り読み終えると、踵を返した。あえてこの部屋を捜索せず、今夜はここを去ると決める。
(来ることが分かっていた上にこんなものまで用意して、目ぼしいものをここに残しているわけがねぇ)
 それを悟ってからは大雑把だった。作動しているであろう監視カメラも気にせず、廊下の真ん中を歩き、エレベータを使って階下へと降りる。そして正面玄関から堂々と退出する。
「今度はてめぇのつら、拝みに来るぜ」
 軽く後ろを振り向き、無人のビルにそう吐き捨てた。
 おもむろに歩き出し、ふとそこに考えが至った。
(奴は何が目的で真魔石を集めているんだ……?)
 今回の侵入で分かったことは、キル自身が暴露した闇属性の真魔石の生成のことのみ。探索してそれ以上の情報が出るはずもないと理解しながらも、あの部屋にはまだヒントがあったのではないかと勘ぐってしまう。
 真魔石の生成をするということは、少なくとも強力なエネルギーを必要とする何か。光属性と風属性の二つで足りないというのならば、一体どれほどの事態を起こそうと考えているのか。
(あいつは本気で世界の破滅でも考えているのか……?)
 そうとは思いたくないが、しかしその可能性を否定できなかった。ただそこに、キル自身をも危険に身を置かなければならないという点が残る。
(分からない。しかし狂った考えのような気がしてならねぇ……)
 ファイヤーは駆け出した。
(あいつが事を起こしてからでは遅いかもしれねぇ。早く復讐への準備を整えねぇと!)
 そして、クラムエドールのことを思い出す。
(師匠が遺してくれたものを――守り抜かなきゃならねぇんだ――っ)
 ファイヤーにとっての宝、それはクラムエドールが遺したすべてのもの。本当の両親の記憶はほとんどない。その代わり子ども時代のすべての穴を埋めてくれたのが彼だった。
 そのクラムエドールが遺したもの、炎属性の真魔石。そして、クラムエドールと共に過ごしたクライスト孤児院。ひいてはセントラルに存在するすべての孤児院。この世界にある孤児院は、ほとんどがクラムエドールによって設立されたものだからだ。

 二日前、また一つの孤児院が閉鎖された。そこには十数人の孤児が収容されていたが、里親に引き取られることが決まっているのはまだ二人だけだ。
(また、一つ――)
 ファイヤーは嘆いた。またクラムエドールが生み出したものが消えた、自分のせいで。
 ファイヤーの死後、BEの決死の捜索にもかかわらず、盗難被害にあったすべての金品は発見されなかった。
 特別な場所に隠していたわけではない。ファイヤーは盗んだものをすべて裏ルートで換金し、各地の孤児院に寄付していた。世に言う義賊というものである。
 当然ながら生きていくために私服の肥やしになったものもあるが、大半は孤児院へと送られた。ファイヤーは逃亡生活のため家を持たず、食に困らなければ着る物もこだわらない性格なので、一度の窃盗で複数の孤児院の経営を数か月持続させることもできた。
 状況が変わったのはファイヤーの死後である。以来十件近くの閉鎖が相次いだ。彼の悪名と福祉施設の孤児院とは大方が結びつくとは思っておらず発覚には至ってないが、“あしながおじさん”がいなくなったショックは計り知れない。
 憑依したことによって活動を再開してはいるものの、一度死んでいるために以前のように堂々と姿を晒すようなやりかたはしなくなった。そのため自然と標的のランクも下がり、一度に盗める額も減ってきているため、複数の孤児院を救うのには無理がきている現状だ。
 加えて霊体である自分がいつ消滅するかもわからない状況で、復讐を焦っていることも否めない。
(俺は片方を選んでるわけにはいかねぇんだよ!)
 憑依を始めてから身体は三回ほど変えた。個体によってまばらだが、一定期間以上憑依が続くと元の精神が死んでしまうらしい。
 彼の誓いには”無関係な人間を殺さない”というものがある。彼は大盗賊ということに、誇りと嫌悪の両方を持っている。クラムエドールから得たものを汚さないように、それにかかわる自分の身を今以上に汚さないように心に刻んでいるのだ。
「待っていろキル。お前のせいで不幸になった全員分の恨みをぶつけてやる!」
 ディープナイトの中を、それよりも暗い影をまといファイヤーは駆け抜けていった。

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