scene105  消沈

 クラムエドールの口から出た”オレを殺せ”という言葉は、非常に受け入れ難く、しかし彼らしさがよく表れていた。
 ファイヤーはその頼みを聞いた瞬間、不覚にも思考が停止した。それは本当に刹那の間だったが、これまでの生活からその様なことはあり得なく、いつぶりか久しい感覚にそちらに気を取られた。
「ファイヤー」
 クラムエドールの呼びかけに、ファイヤーは意識を目の前の状況へと引き戻す。
「――できねぇよ師匠。師匠を殺すなんてできるわけないじゃんか……」
 クラムエドールはやっぱりな、という顔で軽く笑みを浮かべる。
「けどなファイヤー。これは決まってるんだ。オレはここで死ななければならない。じゃないとこの身体の元々の持ち主であるジュラって子もキルに殺される」
 ファイヤーは先ほどから俯いたまま顔を上げない。
「オレは――もう十分生きた。知ってるだろ? 九〇〇年も生きてるとしんどいんだよ」
 クラムエドールのその言葉は、ファイヤーにとってはためらう気持ちをほぐすために使われたようにしか聞こえなかった。そうなると余計ファイヤーは行動に移すことができない。
「そんなこと言わないでくれよ師匠……。俺にはもう、師匠しか身内がいねぇんだよ……」
「ファイヤー……」
 ファイヤーとクラムエドールは本当の身内ではない。だが、この二人が共に過ごした時間はとても密度が濃く、お互いに家族のように思っていることも間違ってはいない。しかしファイヤーも、クラムエドールの生きてきた長さと、その間の経験を知っている。依存しきらないようにと理性がセーブをかける。
 しばらく沈黙の時が流れた。二人ともどんな言葉を発すればいいか分からない。考えもまとまらない。
 そしてその沈黙を破ったのは、ファイヤーだった。
「ごめん、師匠」
 クラムエドールはそれを、やはり自分を殺すことはできない意思表示をしたと受け取った。
 ファイヤーは続ける。
「師匠はこれまで、俺の想像を超える努力をしてきてるのは知っている。だから尊敬もするし、師匠の言うことは正しいって分かってる」
 ファイヤーはここまで言うとグッと息を飲み込んだ。
「俺はまだそんな覚悟持てないけど、師匠が言ってるんだから、師匠の言うとおり、師匠を殺す……」
 予想と反した最終回答に、クラムエドールは少し驚きながらも、ファイヤーに笑顔を向ける。死を受け入れたからでも、ファイヤーの決意に対してでもなく、家族同然として可愛がってきた愛弟子の成長を喜んでのことだった。
「でもどうすればいい。師匠が今使ってる身体は別人だし。そいつはどうやって殺さずに――」
「この身体の持主の精神は、既にキルに殺されている」
 えっ、と、ファイヤーは声にならない声を出す。
「気にするな。ジュラは昔の俺の友人だ。気心も知れてるし、あいつはこの状況を見れば怒らないだろう。ジュラには俺から言っとくよ」
 ジュラに直接言うということは、すなわちクラムエドールの死をもってのこと。もうこの事実は揺らぎはしない。二人は別れを惜しみたくても、言葉が見つからなかった。
「あまり感傷に浸ってる場合じゃないな」
 クラムエドールはそう言うと、脇に放られた鞄の中をあさる。
「これでお前ともお別れだ。最後にオレからお前へ託さないとな」
 その鞄の中から、高貴な褐色の輝きをもった、地属性の真魔石を取り出す。
 ファイヤーは、そういえばこれの気配につられてジュラ――クラムエドールに声をかけたのだと思いだす。
 これを受け取った瞬間、師匠との時間は終わる――。ファイヤーはそれを感じ取っていた。七年前、突然絶たれ、そして再び動き始めた刻は、自らの手で今すぐ終わらせなければならなくなっている。
 受け取らない選択もできた。しかし、ファイヤー自身は既に決心をしていたし、ここで真魔石を受け取ってクラムエドールを殺すよりも良い策が見つからなかった。
 ファイヤーはゆっくりと手を伸ばす。クラムエドールは差し出された手の上に、そっと真魔石を置く。所有者が変わった地属性の真魔石は、ファイヤーが所持している炎属性の真魔石と共鳴してあやしく光る。
「じゃあファイヤー、始めてくれ」
「…………、わかった――――」
 そっとうつむいたクラムエドールと、自らの手に収まった地属性の真魔石を見て、ファイヤーは遠い空間を見つめながら空しく思った。
(ああ、師匠はこの真魔石で自分を殺せたのに――――)
 殺せたのに、最期をファイヤーに託した。

 その瞬間は、あまりにもあっという間だった。
 灼熱の炎を浴びせたジュラの体は、水蒸気となりながら空気へと還って行った。
 しかし、消えていくそのほんの一瞬の間に顔をあげ見せた、クラムエドールの最期の優しい笑顔があまりにも刻銘にまぶたに焼き付いた。
 ファイヤーは思わず叫ばずにはいられなかった。
 残ったのは地属性の真魔石と、古傷よりも深く心をえぐったクラムエドールの最後の笑顔。彼の脳はここで論理的思考を停止した。
 ただ腹の底から声を発しながら、闇の中へと彼を走らせるだけだった。

 朝もやが立ち込めて、白く淡く光る太陽がまだ朝になって間もないことを理解させる。
 時刻はまだ早朝八時。トオルにとっては登校日にしかお世話にならない時間帯。地球を出てからはあまり見ることのなかった時間でもある。
 そんな中、トオル、エミ、メイリ、三人とも起きてホテル一階のエントランスに向う。面持ちが神妙なのは、昨夜エミが意味深にジュラに渡された、パソコン用のメモリの中身を確認するからだ。
「秘密が全部入っている」
 ジュラにそう言われたメモリの中には、ただ一つだけの文書ファイルが入っていた。中には、自分がキルの手先であること、カーシックを殺害したこと、そのためだけに近づいたこと、途中で任務よりもトオル達のほうが大切になったことが淡々と綴られていた。
 そして最後に、すべての真魔石のありかが記されていた。
「おい待てよ、リシア・シルファ村の精霊達が言ってた予想とちょっと違わねーか?」
 ――真魔石の現在地、光、風、地はキルのところ。炎は賞金首ファイヤーのところ。残る水属性は、行方不明――。
「ええ確かに。けれど今は、これが真実かどうか見極めることじゃない? ジュラはキルの手先だったってことでしょ? だったら今も敵で、ここに書かれていることは嘘かも知れない」
 メイリは注意深く隅々まで見渡す。
「いえ、あの感じからは、私は本当のことを言ったと思います」
 エミはメイリの意見に反論する。断言する口調にメイリは目を丸くする。
「どうしてそう思うの?」
「口調がとても、哀しそうでした。あとは私がそう感じただけですけど……」
 メイリは少し唸ってから腕を組んで考え込む。エミの直感は今まで正しいことが多かった。もちろん全てというわけではないが、当てにしてもいいくらいの信用度があるのは確かだ。
「とりあえずさ、これしか情報ねーんだから、信じるしかないんじゃないのか?」
「アンタの言うことももっともだけどさ、賞金首ハンターの性質って言うか、にわかには信じきれないところがあんのよねー」
 メイリは軽く頭をかく。金に染髪した髪の頭頂部にはだいぶ黒髪が見えて、いわゆるプリン状態になっている。
「じゃあひとまずこれを参考にしてもいいわ。エミちゃんの感覚を信じましょう」
「ありがとうございます、メイリさん」
 エミは軽く頭を下げて笑顔を見せる。
 しかし三人にはまだ課題が残っている。探し求めている真魔石の在り処が全てわかったことはいいが、入手できるかどうかである。
 所有者がキルとファイヤーでは、三人の実力では奪取は難しい。そして唯一所有者のいない水属性の真魔石は、現在地不明。既に三種類の真魔石を揃えているキルでさえ見つけていないのならば、トオル達が探し当てることは相当な困難が付きまとうことが容易に想像できる。
「よっしゃあ。じゃあさっそく出発しようぜっ」
「え~。まだ早くない? もうちょっと休ませてよ」
 あからさまに気合の入っていないような声で、メイリは気乗りしないことを告げる。
「何言ってんだよ。せっかく真魔石の在り処が分かったんだぞ。さっさと見つけてさっさと帰ろうぜ」
「いくらなんでも気が早すぎ。昨日あれだけのことがあって、よくそんな元気があるわね」
「だからじゃんか。カーシックのためにも、キルを倒そうぜ」
「あんたさっきと言ってること違うわよ」
「馬鹿言うなよ、変わってねぇよ」
 いつものように子供っぽく喧嘩を始める二人をくすりと笑ってから、エミは優しく仲裁に入る。
「はいそこまで。私はメイリさんに一票。私ちょっと今日は熱っぽいから、出発は明日にしてくれる、トオル?」
 エミはトオルに笑顔を向けると、トオルは先ほどの勢いを弱める。
「そ、そうか。熱なら仕方ないな。じゃあ今日は……いいか……」
 怪訝な顔をしながらトオルは槍を引く。そして先に戻ってる、と言い残して部屋へと一人戻って行った。
「ありがと、エミちゃん。――熱っぽいって言うのは、やっぱり嘘?」
 メイリが首をかしげながら覗き込むと、エミは軽く笑ってうなずく。
「トオルはよく突っ走るから、無理にでも抑え込まないとね」
 それにメイリは腕を組んで深くうなずく。
「ああ、短い付き合いだけどそれは納得だわ」
「――それに、やっぱり一日じゃ、ちょっと短いですよね……」
 エミはそう言いながら悲しげな表情を浮かべる。メイリも同じような表情を浮かべ、小さく、うん、とうなずいた。立て続けに二人の仲間を失った衝撃は、そう易々と剥がせるものではなかった。
「カーシックは、私たちの知らない世界で、お母さんに会えたのかな……?」
 いつもの通る声とは違う、立ち消えそうな小さな声で、メイリは自分に尋ねるようにしゃべった。
「会えてると、いいですね……」
 エミもそれに釣られてか、か細い声で返答する。
 彼女たちもまた、知らない世界に導かれて、長い間家族と会えないでいる。エミやトオルに比べれば、メイリのその時間は圧倒的に長い。突然訪れた孤独を体験しているからこそ、独りの寂しさ、そして、自分を理解し共にいてくれる人がいる安心感、その気持ちが分かる。
 周囲からいじめられ、理解者が母親一人だったカーシック。そして母親を亡くし、知らない土地に訪れ、そして――。
「私たちは、あの子を今まで以上に不幸にしてしまったのかな……?」
 二人は終始無言のまま、部屋へと戻った。

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