scene104 ある雨の日
それほど広くはない敷地に、白い塗装の剥がれ落ちかけているこじんまりとした二階建ての建物。セントラルシティの郊外の一角。そこにクライスト孤児院は建っていた。そこに住む孤児達の人数は十数名。保護司の人数は三名。どこにでもあるような至って普通の孤児院だが、他のそれと決定的に違うことといえば、個人経営だということである。
大方の孤児院は、正確にはこのクライスト孤児院を覗いた全ての同施設は、行政による手当てを受け運営されている。だがここの経営者は、保護司の一人でもあるクラムエドールその人だった。
「せんせぇー」
無邪気な子供たちの声が響く。クラムエドールは特に子供達に好かれていた。そのため経営に、子供たちとの対応にと、大忙しながら彼にとってとても充実した生活を送っていた。
そしてこの孤児院で暮らす子供たちの中でも、特に大人しい男の子がいた。クラムエドールはいつも彼のことを気にかけていた。
「ファイヤー、ほら、皆楽しそうに鬼ごっこしてるぞ。混ざんないのか?」
「いい。俺やらない」
バスケットコートくらいしか広さの無いグラウンドだが、子供たちにとってはそれでも充分な遊び場だ。大半は鬼ごっこになるのだが、いつも彼はそれには加わらなかった。孤児院の建物に寄りかかりながら、それをただ無表情で見つめている。
この少年ファイヤーは、この施設では丁度中間くらいの年齢で、年長の子が年少の子の面倒を見るという自然な流れにただ一人取り残されてもいた。決して仲間外れにされているわけではないが、ただファイヤーはその輪の中に入ろうとはしなかった。
「何で?」
「だって、おもしろくないんだもん」
「え、おもしろくない――?」
言いかけてクラムエドールは言葉を止める。そういえばと、ファイヤーがここへと来た経緯を思い出した。
彼はどちらかといえば貧しい家庭に生まれ、治安の悪い町に住んでいた。そしてある日、突然強盗に襲われ両親を殺害された。その現場を目撃し、強盗に見つかって命からがら逃げ出し警察に保護されたのだ。
ファイヤーは両親が亡くなったことは理解しているが、事件のことはショックによって何も覚えていない。恐らく彼にとって鬼ごっことは、その事件のことを思い出させるのだろう。そして本能的にそれが嫌いなのかもしれない。
「じゃあファイヤーは何が楽しいんだい?」
「強くなるために体をきたえること」
クラムエドールを見上げたその小さな瞳は珍しく輝いていた。
「きたえて、強くなって、せいぎのみかたになるんだ」
小さな男の子なら大抵の子が一度は憧れる正義の味方。しかし多くは幼い頃の憧れで終わってしまう。だがクラムエドールはファイヤーのその瞳に、決して消え失せない強さを持った決意を感じ取った。そして、魅力的な言葉を投げかけた。
「よし、オレの弟子にでもなるか?」
クラムエドールもそれほど本気の特訓をするつもりは無かった。特訓という名目で、友達と一緒に遊ぶ楽しさ、交流を取り戻そうと画策してのことだった。
「なる! 俺をきたえて、ししょう!」
思った通りの返答が、思った以上の輝いた瞳で返ってきた。
それから二人の師弟関係が始まった。最初は軽いストレッチを含めながら、遊ぶのも特訓だと、ファイヤーと他の子供達とを一緒に遊ばせるようにしていた。しかし徐々にその口実にファイヤーが気付き始め、疑問を投げかけることもあった。その度にクラムエドールは質問を回避してきたが、徐々に姿を現し始めていたファイヤーの身体能力の高さに、彼は目を付けていた。
「ファイヤー、本格的に特訓を始めてみないか?」
その時ファイヤーは十一歳になっていた。初めの頃にやっていたストレッチも、今は本格的な筋力トレーニングになっている。
「やっぱり」
クラムエドールの誘いにファイヤーは開口一番そう言った。クラムエドールはその言葉の意味が分からない。
「何がやっぱりなんだ?」
「ししょう、やっぱり今まで本気トレーニングじゃなかったんだね」
「え、な、何を言ってるんだファイヤー」
クラムエドールは目に見えて戸惑っており、それを見てファイヤーは軽く笑う。
「まぁ、もうそのことはいいけど、今度は何について教えてくれるんだ?」
クラムエドールの顔を見てみると、今度は真剣な顔をしていた。この孤児院の土地目当てで援助や買収に迫ってくる連中の対処をしているときと、同じくらいの眼をしていた。
ファイヤーもこの表情から、彼の言う本格的なトレーニングが生半可なものではないと感じ取る。
「ファイヤー。お前の身体能力は同年代の平均よりずば抜けている。だから基本的なトレーニングはもう終わりだ。そして今から教えようとしていることは、俺以外の誰にも話してはいけない」
日が沈みきったこの時間帯、他の子供たちは建物の中で各々の時間を過ごしている。グラウンドの隅で話している二人の声が彼らに届くはずは無いが、クラムエドールは自然と小声になっていた。
「近代の様々な製品は、動力源が魔力になりつつある。それが魔法石の力であることはもちろん知っているな?」
ファイヤーは無言で頷く。
「実はこの魔法石は動力源としてだけでなく、使い方によっては人が魔法を使えるようになる」
「え!?」
ファイヤーは思わず大きな声を出してしまい、慌てて両手で口を塞ぐ。だが当然のことながら、その声が聞こえる範囲に人はいない。
「それを一つ、お前に貸してやる。名前は”リトルファイア”。火の力を持つ魔法が使えるようになる」
クラムエドールの差し出した手の上には、ファイヤーと同じ名を持つ魔法石が輝いていた。両尖塔形の赤く透明度のあるそれは、自分の親指の先ほどしかないにもかかわらず、高貴な存在感を漂わせていた。
「これは一つ間違えると凶器だ。決して遊び半分で使ってはならない」
「ししょう」
ファイヤーは不安を隠しながら、それでも表情を崩さないようにクラムエドールに話しかける。
「何でこれをを俺に貸してくれるんだ? そんなに危ないならこんなガキに持たせないでくれよ」
クラムエドールは一瞬黙り込む。けどそれは返答に困ったからではなく、今から口に出そうとしている言葉に重みを持たせようとしたからだった。
「時間がなくなってきたんだ、色々とな――」
その言葉と同時に一瞬見せた遠い目を、ファイヤーは見逃さなかった。
ファイヤーが魔法石での特訓を開始してから、数ヶ月が経過した。雨季に突入したこの地域は、三日に二日は雨が降った。この世界では技術的に天気のコントロールは可能だが、必要に迫られない限り自然の流れに逆らわない形を取っている。
この日も雨天で、火を使うファイヤーの魔法は外では使えない。だが孤児院の建物内で特訓など、防災上も機密上も行うことは出来ない。なので今日は特訓は休みだ。
このところ雨での特訓休止が続いており、ファイヤーは少し苛立っていた。
「くっそう。今日も休みかー。何しようか……」
元々、あまり他の孤児たちと接して来なかったこともあり、孤立はせずともなかなか親友と呼べる者は出来ていなかった。他の子供たちは、各々仲良し同士でお喋りなどを楽しんでいる。
そこへ一本の電話が入った。しばらく綺麗なメロディを奏でた後、女性の保護士が受話器をとった。
ファイヤーは最初からその電話など気にせず、気だるそうに窓際の壁にもたれかかっていた。
「えっ……そんな……う、嘘じゃないですよね……?」
大声はあげなかった。ただ声音の変化に、ファイヤーと他の年長組の子供たちがその声の主の方に振り向いた。
彼女は虚ろな目で、ただ不定期に、はい、はい――と言葉を繰り返していた。そこに注目している誰もが、本当に電話の相手の話を聞いているのかどうか分からないような、彼女の姿をそこに見ていた。
やがて電話が終わると、異常に気付いた数名だけを別室に集めた。
そこで、堰が切れたように大粒の涙を流しながら、事実を話した。
「クラムエドール先生が、亡くなった……って――」
数秒の間を置いて、語られた内容を理解した子供たちが、涙をこぼし始めた。男の子も女の子もすすり泣く。保護士の女性も両手で顔を覆っている。ただ、ファイヤーだけが泣いていなかった。
(は? どういうことだよ――――……)
あまりに唐突な訃報に、状況が飲み込めずにいた。つい昨日、明日こそ特訓ができればと話していた。この数ヶ月間、付きっきりでファイヤーを鍛えていた師匠。
(なに? しんだ? ”し”って、なんなんだよ……)
ファイヤーは状況が飲み込めない――脳が、幼き頃のショックを思い出させぬよう必死に感情を抑え込んでいた。だがしかし、今度の大きなショックは、その堅牢な堤防を破壊した。
(「死」…………――――)
ファイヤーの目から大粒の涙が流れ始めた。体験した事のないほど、大粒で大量の涙が零れ落ちた。嗚咽が止まらない。ひときわ大きな声で泣くファイヤーに、他の子供たちもつい彼を注視してしまう。普段親交もなく、そんなに感情も無い子供だと思われていたから。
ファイヤーはその後のことは覚えていない。気付けばベッドの上におり、保護士から丸二日眠り込んでいたことを教えられた。
(あれから、二日か……)
別段気にする事でもない。そう、クラムエドールが死んだだけ――そのような諦観が彼を落ち着かせようとしていた。
「ファイヤーくん……」
部屋に入ってきて声をかけてきたのは、昨日訃報の電話を受けた女性保護士、カナだ。
「クラムエドール先生が亡くなる四日前、彼からこんなものを預かったんだけど……」
そっとファイヤーに手渡されたのは、彼の小さな手からちょっとはみ出るくらいの小包。丁寧に梱包されており、大切なものがしまってあるような感じがした。
「俺に何かあったらファイヤーくんに渡してって言われたの」
それを聞きながらファイヤーは包みを取る。中には白い紙製の箱と、表には一枚の手紙が付いていた。ファイヤーが手紙を開くと、そこにはたった数行の文章が書かれていた。
『魔法石を使いこなして、封印を解いてみろ。お前ならできる。クラムエドール』
不思議に思いつつ白い小箱を開けると、(ガラスのような)透明の立方体に埋まった、魔法石らしきものが姿を現した。しかし太陽の光に当てても輝こうとはしない。
(封印……)
ファイヤーは、クラムエドールが文字に遺した単語を頭の中で反芻する。そしてすぐに理解できた。今の魔法石よりも強力な魔法石を託してくれたのだと。
彼の気持ちは変わった。悲しみを、クラムエドールが遺した力を手に入れるために使うことにした。
のちにクラムエドールは何者かに殺害されたことを知り、さらにのちになって、封印を解いた魔法石は単なる魔法石ではなく、真魔石であることを知る。
そしてファイヤーは程なくして、クラムエドール殺害犯への復讐に燃えた大盗賊へとなっていった。
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