scene103 それはようやく光を見出し
ホテルを出て、なるべく人通りが少なく、ネオンもないような道を選んで歩いていった。自分に残されたあと僅かの命を惜しむように、ジュラはただ暗い世界を歩き続けた。どれだけ遠回りをしていてもよかった。ジュラは日の出と同時にボートの許を訪れるつもりでいた。そのジュラの心境を表すように、暗雲が立ち込めていた空はとうとう耐え切れずに雨を降らしだす。
「おい、そこのお前」
突然、ジュラは後ろから何者かによって呼び止められた。誰なのか確認する気もなかったので、振り向かずに立ち止まる。
「ここいらは物騒だからな。夜中に一人で徘徊してたら、俺のような不良に身ぐるみはがされるぜ?」
ジュラはふっと笑みを浮かべる。
「そうか、じゃあお前は不良で、オレを襲いに来たのか」
これに対して相手の男から返答はない。その男は右手を軽くポケットに入れると、ジュラがなかなか振り向かないことに少し居心地の悪さを感じていた。もしジュラが自分のほうを振り向けば、すぐに驚いて逃げると思っていたからだ。
この男とは、世間を毎度騒がせている世紀の大窃盗犯、ファイヤー・エドウェイズだった。ジュラに話しかけたのは襲うわけでもなく、ただ絶望を背負って歩いているのが気になったのと、ファイヤーが所持している炎の真魔石が反応したこともあった。
「……お前、もしかして真魔石持ってるだろ?」
「そうか、じゃあお前は不良で、真魔石を奪うためにオレを襲いに来たのか」
ジュラはほとんど棒読みで、なおも振り向かずに低い声で返す。ファイヤーはいい加減辛抱しきれずに、自分の正体を示唆する。
「まあ、不良に違いはねぇ。だが誰もが知ってる大泥棒だ」
「そうか、それはご苦労なことだ」
ここでジュラは、いっそのこと真魔石をこの大泥棒というやつに渡してしまおうかと考えた。別れ際にエミに渡してもよかったのだが、そうすると結局は自分が死んでもボ-トは彼女らを追うことになるので、渡せなかったのだ。
(知らないやつならいいか……。――やっぱオレはそんなやつかな……?)
他人ならばいいという自己中心的な考えに自嘲しながら、ジュラはゆっくりと後ろを振り返る。そしてファイヤーに向かって足を踏み出す。まだ暗くて顔はよく見えない。歩き出して徐々に鮮明にはなっていくものの、その顔に見覚えはない。
「悪い。知らないな。なんて言う泥棒だ?」
自ら歩み寄ってくるジュラに一種の不気味さを感じながらも、その問いに対しては少し肩を落とす。
「なんだ、知らねぇのかよ。――ファイヤーって名前、テレビでバンバン流れてっから知名度百パーだと思ってたのにな」
その言葉に、ジュラの足はぴたりと止まった。それはあまりにも唐突で、再生されているビデオの一時停止ボタンを押したときのように、動作の余韻もなく完全に動きが停止した。ファイヤーが不審に思うとまもなく、ジュラは持っていたバッグを地面に落とし両手の平を顔の前に持ってくる。
「ファイヤー…………」
この反応に、ファイヤーはようやく自分のことに気付いたかと思うが、すぐにそれは違うことが分かった。
「ファイヤー……ファイヤー……、エドウェイズ……、真魔石…………愛弟子――」
ファイヤーは最後の愛弟子という言葉に反応した。
「ま、愛弟子だと……!? お前、なんなんだ……!?」
愛弟子という言葉は、ファイヤーの過去の出来事における大きなキーワードだ。彼自身そのことを誰にも話したことはないし、ましてや他から漏れるなんてことは状況的に決して有り得はしなかった。
「うううう……ファイヤー……愛弟子、師弟……――真魔石――」
ジュラはうめき声を上げ始めた。頭を抱え、地面に膝をつく。傍から見れば単なる急病人のようだが、二人においてはそれとは大きくかけ離れていた。
(おいおいおい、この男。……俺の何かを知ってんじゃねぇか!?)
ファイヤーは目の前でうずくまっているジュラを見つめる。もし何か自分に関しての重要な秘密を握られているとしたら、それを世にばらされるわけにはいかない。しかも彼は、『愛弟子』という自分にとって一番流れ出してはいけない情報の糸口を持っているのだ。
――殺してしまおうか――。
凶悪な考えが脳裏を過ぎる。ファイヤーは一歩一歩とジュラとの距離を縮める。目の前に立って、ジュラを獲物を見る目で見下ろす。
(――いや、だがしかし……)
仮に自分の秘密を知っていて、漏れたことのないそれを何故目の前の人間が知っているのか、それは非常に気にはならないだろうか。ファイヤーは一旦出てきた感情をしまい込み、ジュラの目の前にしゃがむ。
(まずはこいつの意識を覚ます。どうするかはそれからだ)
「おい、しっかりしろ! お前、俺の何を知っている?」
ファイヤーはジュラの肩を揺する。しかし聞き取れないほど小さな声で何かを呟きながら俯いたままで、ファイヤーの呼びかけに一切反応を示さない。
「おい、聞こえてるか!?」
なおもファイヤーは声をかけ続ける。他人に対してこれまで興味を持って接したことなどほとんどなく、それが自分にとってとても珍しく、経験が乏しかったものということに全く気付かないことに。
ファイヤーと邂逅してからジュラの頭の中は、噴出する湧水のごとく、封じられていた脳の開かずの扉から記憶が溢れ出していた。そして視覚、聴覚をほとんどを途方もない記憶の再生に占領されていた。そのような状態でファイヤーの声が耳に入るはずもなかった。
(なんなんだ、これは……、この感覚は……)
見たことはないが、見覚えのある、見知らぬ記憶。その勢いは次第に弱まり、一旦途切れたと思いきや、突然最後に強烈な一撃がジュラを襲った。体中に電気が流れたような衝撃と共に、彼にとって大事な記憶が蘇った。
そしてジュラ……いや、彼は、顔を覆っていた手をゆっくりと下げた。
「ありがとう、ファイヤー。おかげで全部思い出せたよ」
突然変わった口調にファイヤーは驚き、それと共に不可思議な懐かしい気分もした。
ファイヤーがただ黙っていると、彼はゆっくりと立ちあがる。ファイヤーから殺気は完全に消えている。それどころか、生き別れになった親を見るような眼で彼を見ている。
「何年振りだろうな、ファイヤー。覚えているよな? お前の師匠……クラムエドールだよ」
「師……匠――……」
ファイヤーもゆっくり立ちあがった。
「い、今までどこへ行ってたんだっ。俺は、師匠がいなくなったとき、俺は……っ!!」
「ああ、ごめんな。――ただ、オレの力でもあいつはどうにも出来なかった……」
「――あいつ……?」
ファイヤーは息を呑む。だが、大体誰のことを言っているかは察しが付いていた。
「ボート・キル・デイトか」
「ああ」
ここでも奴が関わってるのか。ファイヤーはそう声に出さずに呟いた。自分の進む道全てに、彼が関わってくる。
「――オレが姿を消したあの日。あの時はどうしようもなく迂闊だったんだ。ただ目の前にあいつが現れただけで動けなくなった。そして瞬殺された。気付けば数年の時を経ていて、この体に入れられて記憶も封じられていた」
クラムエドールは目を閉じて空を仰ぎながら言った。そこには感情は篭っておらず、ただ事実を淡々と述べているようだった。
「良かったことは唯一つ。その直前にファイヤー、お前に炎の真魔石を託していたこと」
ファイヤーは真魔石を取り出してそれを見つめる。クラムエドールはそれを優しい眼で見る。
「まだ持っていたんだな、それ。良かったよ。あいつに取られてなくて」
あいつとは勿論、ボート……キルのことを指している。
「当然だ。今までこれを護らなければと、結構努力してきたんだぜ?」
「ああ、それは見た感じで分かるよ。すっかり大きくなってな――」
そう言ってクラムエドールは、ぽんと、ファイヤーの頭の上に手を乗せて撫でる。
「子供扱いすんなよ! 俺はもう十九だぞ」
そう言いながらもファイヤーはまんざらでもなさそうで、少し頬を赤らめながら口を尖らせる。
「じゃあその子供じゃないファイヤーに、頼みがある」
「なんだ?」
クラムエドールはファイヤーの頭から手を下ろし、一息間を置いた。
「オレを――、殺せ――――……」
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