scene101  ユカとジュラ

 BE社屋のどこかにある統長室。上層部の社員ですらその正確な位置を知らず、付き人と専属の秘書しかその場所は知らない。しかし彼らすら部屋に入ることは許されず、統長室はボートしか立ち入れない領域だ。その部屋はいつも重苦しく、煌々と照る電灯も淀んだ空気に負けてぼんやりとしているように見える。ボートは窓際にある大きなプレジデントチェアに腰掛ける。
(あれから三日。ジュラから任務完了の連絡は入らない。そればかりかユカからの連絡も無い――)
 ボートはきっと唇を噛んだ。
(あいつら、ついに事を起こしたか……)
 ゆっくりと立ち上がって窓の側まで歩いていく。朝日の光までボートに萎縮する。しかしその顔には怒りと共に、僅かな喜びが滲んでいた。重要な手下が次々と離反していくこの状況は明らかにマイナスであり、それだけこれからの計画には不利益を被るものだ。しかしそれで口先だけでも敵と宣言した相手が手ごわくなり、力の差が縮まって戦いが緊迫するものになれば、ボートにとってはそれも一興だった。
(しかし雲行きはよくない。ここで奴らを潰さねば、動きにくいことこの上ないからな)
 トオルたちはボートが真魔石を収集していることを知っている。それが世間に知られれば、真魔石の使い道について言及されるだろう。そして目的が漏れれば、糾弾、抵抗、謀反は必至だろう。しかし今のところ、ボートの真魔石収集の目的は、彼が話した相手がいないことから誰もいない。
(だから、今のうちだ。――ジュラを呼ぶか)
 ボートは眼下の街を一望してから身を返し、机の電話機に手を伸ばした。

「え、なにかあったんですか?」
「いや、統長直々の命で来たまでです。騒がしくなると思いますが、ちょっと失礼します」
 ホテルのロビーには派遣員が六名やってきて、オーナーと会話をしている。レストランの客たちからはそのやり取りが見えており、なんだなんだと少しずつ騒ぎ始める。派遣員たちはジュラの部屋番号を聞きだし挨拶もそこそこにロビーを後にすると、トオルらの泊まっている三階に上がる。
「じゃあジュラはこっちから回って――」
 四人はトオルとジュラの部屋に集まって、賞金首を捕らえる算段を立てている。昨夕賞金首リストを調べてターゲットを絞り、試行錯誤の結果昼に実行することになった。そしてこの日の昼に作戦を実行するための最後の打ち合わせの最中だった。突然大きな音を立てて扉が強く開けられる。四人は驚いた後に、現れたBEの派遣員たちに身構える。
「ジュラ。統長直々にお前に呼び出し状が出ている。抵抗すれば無理矢理にでも連れて来いと書かれてあるが、どうする?」
 六人いるうち上官らしき人物は、薄気味悪く口許に笑いを浮かべながら述べる。ジュラはその笑顔をじっと見据え、他の三人は一斉にジュラを見る。ジュラは何も言わずにスッと立ち上がる。
「分かったよ。行けばいいんだろ」
 ジュラは覚悟を決めた、それでもどこか諦めを含んでいるような表情を浮かべる。トオルたちは何度もボートと対面して、迫力を知っている。無理に止めてしまえばどれだけの被害を受けるか想像に及ばず、ここは大人しく従ったほうがいいと結論付ける。そのせいで、ジュラを止めようとする気持ちが足踏みしてしまう。
(なぜか分からねーけど、あいつの許に行けばジュラが危ねぇ気がする!)
 しかしトオルたちは止めようとするも、派遣員がジュラの周りを囲んでしまってどうしようも出来ない。そしてそのまま、ジュラは連れられていってしまった。
「い、行こうぜ」
 トオルはエミとメイリを促す。こういうとき臆せずに行動を起こすきっかけを与えてくれるのは、トオルにしか出来ない芸当だ。BE社屋までついていくのを派遣員は制しなかったが、建物に入ろうとするとそれを拒否された。三人は仕方なく外で待つことを余儀なくされた。

 ジュラはいつかの応接室に通される。部屋に入れられると派遣員は全員出て行く。奥を見れば、ボートが足を組んで座っている。電灯は部屋の半分しかついておらず、暗がりにいるボートの表情は読み取りきれない。
「よく来てくれたな。こちらに来て座れ」
 ジュラがボートのほうに歩いていくと、もう一人座っている人を見つける。薄暗かったのとボートに集中していたことで全く気が付かなかった。椅子は二つしかなく、仕方なくその人の隣に座る。そこへ来てようやく隣の人物が女性であることに気付いた。
「さてユカ、ジュラ。お前たちに聞きたいことがある。なぜ任務を遂行しない?」
 余りにも単刀直入で、言い訳の言葉を用意する時間さえ与えない。ユカもジュラもうつむいて押し黙ったままだ。だがジュラは目線をボートに向ける。明らかに睨みつけている格好だ。
「ほう、挑戦的な態度だな。だが、それで私が意見を変えると思ったなら大間違いだ――いや、ある意味正解か。お前を早く殺したくなるかもな」
 ジュラは黙ったまま苦渋の顔を浮かべる。
「時間を、くれ――」
 ジュラは声を絞り出す。額にはべとついた汗が滲み出ている。しんとした部屋に、数秒の無言。悠久を感じるような時の流れは、ジュラの魂が潰されそうになるほどだった。
「いいだろう。但し、次の日の出までだ。それまでに遂行しろ」
「分かった」
 ジュラは最後の請願が通ってほっとする。その横でユカは、膝の上で握っている拳をさらに固くした。ジュラの視界の片隅にその光景が入る。
「ということだ、ユカ。お前も手伝え。期限は同じだ」
 ユカは微動だにしない。ときどき深呼吸をする音が聞こえるだけで、まるで蝋人形のようだった。
「なあ、この女の人は誰なんだ?」
「ユカはあの子供らに真魔石探しをするきっかけを与えた奴だ。同時に、お前の動向の監視役でもある。任務を遂行しなかったら促すように言っておいたのだがな」
 ジュラは納得する。ボートは何もしていなかったわけではない。ただ、仲介役が自らの意思で接触を遮断していた。それはある意味では幸運だったかもしれない。トオルらの知り合いからジュラ宛に連絡があれば、トオルたちから質問の嵐が吹くのは間違いなかった。
「さあ、そうと決まれば各自さっさと戻れ。特にジュラ。お前は早く帰らんと怪しまれるからな」
 言われてジュラは無言のまま立ち上がる。ジュラが応接室のドアノブに手をかけた頃、ユカもボートに何か告げられた後に腰を上げる。廊下をイラつきを押さえながら歩いていると、肩を叩かれる。振り向くとそこにはユカがいた。
「話が、あるの」
 派遣員がいるところを避け、比較的人通りが無さそうな非常階段の踊り場で立ち話をする。
「あの子たちを、殺さないで!」
 ユカの悲痛な叫びだった。小声で言ったその言葉には、怒りや憎しみは勿論、悲しみや無念さも込められて、とても複雑な響きを持った。ジュラは頭をかいてから答える。
「オレもあいつらを殺す気はない。時間を貰ったのは打開策を見つけるためだ」
 ユカは目を見開いて話を聞き入る。そしてその後安堵の表情に変わり、目が少し潤む。
「良かった……」
「帰り際、なんて言われたんだ?」
 解放された後、ユカはボートに何かを告げられてから席を立った。ジュラは自分で言っておきながらも、時間を延ばした真意を喋ったのは迂闊だったと後悔する。これがもしボートの作戦だったとすれば、非常に恐ろしい。
「”お前はまだ利用価値がある。ジュラの遂行を見とどけたあと、戻って来い”って……」
 ジュラの真意を探るための指示でないことにほっとしながら、それでも事態の深刻さに気付く。
「あいつらになにか伝えることはあるか?」
 ジュラはユカに訪ねてみるが、首を大きく横に振る。ボートの言い草からすると、これ以後は著しく行動を制限され、その利用の時期が来るまでは厳しい時間が待っているだろう。ここで一度反抗しているので、次はそれすらも出来ないような強烈な脅し、監視、拘束が予想できる。しかしユカは軽く笑った。
「あの子たちに余計な心配かけさせたくない。ジュラが殺した子のことで、凄く落ち込んでいるだろうから」
 ジュラの罪悪感が甦る。もう不明瞭ではなく、全く鮮明な感情。
「分かった」
 話が一段落して、二人は階段をおり始める。十七階にいるのは分かっていたが、どうしてもこの時間をゆっくりと進めたかった。考えるための時間として。ユカのパンプスの靴音が非常階段に響く。それは刻々と過ぎる時を表すようで、足を止めれば止まるのは分かっていても、ただ降り続けるしかなかった。
「オレと一緒はまずいぜ。トオルたちは玄関前まで来てオレの解放を待ってる」
 一階の、非常階段からエントランスへ出る扉の前でジュラは立ち止まる。後ろのユカも靴音と一緒に足を止める。それでもやっぱり時間は止まらなかった。
「じゃあ、ここで一旦お別れね。何かの縁よ、あの子たちが全て終わらせたときにまた会いましょう」
 ジュラは微笑みながらドアノブに手をかける。そして柔らかい表情のまま言う。
「いや、多分これが最後だ。じゃあな、あいつらのことよろしく頼むぜ」
 そして扉を開けて出て行ってしまう。ユカはその言葉の意味が分からず追おうとしたが、そのドアから向こうはまだ立ち入り禁止区域。トオルらに姿を見せてしまえば、この出来事に関わっている全ての人の、何もかもが崩れてしまう。閉まった扉にすがって見えない向こう側の景色を、ただ祈るしかなかった。

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