scene100  決心

 トオルらがトーラーへ出かけている頃、セントラルシティでは何も変わりない日常が続いていた。全てが、いつもと同じ風景。街を行き交う人々、地下を走る車、高架トンネルを走る列車。歓声に沸くスポーツスタジアム、若者で賑わうヤングロード、大人たちが集う繁華街。都市にそびえ立つ巨大なビル群、風にそよぐ木々。そして、堂々と自己主張をするBE社屋。それは、いつもと何も変わらない光景。しかしその中に一人だけ、久々にセントラルシティに足を運ぶ女性がいた。
(――本当に、いつ振りかしら……)
 小荷物を持っただけの女性は、迷うことなくビジネスホテル街へと向かう。昼過ぎはあまり人は通らない。むしろ夜が賑わうここに、太陽が出ているうちから用があるのは、店を出している人くらいだ。しかし茶髪でラフな服装の彼女は、そのような風には見えない。
(ここにしましょう)
 女性はある小さなホテルの前で向きを変えて中に入る。トオルらが泊まっているホテルとは三軒隣だ。変わった時間のチェックインに、気を抜いていたカウンター係が慌てて応対する。女性はそれに動じずにさっさと貸し出された部屋へと向かう。ドアを開けて乱雑にショルダーバックをベッドに投げ出すと、備え付けの電話の前に立つ。そしてゆっくりとボタンを押し始める。ショートカットボタンとして存在しているそれは、数秒長押しするだけで特定の場所に繋がる。
『はい、こちらバッドネス・エクスターミネーターです。緊急でしょうか?』
 聞いているだけで落ち着くような女性オペレーターの声がする。
「いえ、デート統長にお繋ぎしてもらえるでしょうか?」
『申し訳ございません。その類の用件はお受けすることが出来ません』
「では、”ありがとうございました”とだけ、お伝えください」
 女性は淡々とした声で電話を切る。申請が通らなかったことには何の感情も持っていない。むしろ、それがいつもしていることのようだった。すると電話が鳴り響く。女性は素早く受話器を取る。
「もしもし」
『ユカか、ご苦労。わざわざセントラルシティまで来たのだな』
 電話をかけてきた相手はBE社統長のボート。そしてホテルにいる女性は、トオルらに魔法石の指南や真魔石の存在を教えたユカだ。
「すみません、見失ってしまいました。異世界へワープした模様です。しかしホテルに荷物は置いてあるようなので、戻ってくるかと」
『ああ。こちらでも確認は取れている』
 ボートの声は気迫が篭っている。いつもどおりの何気ない会話の中にも、溢れ出る威圧感は隠し切れないらしい。しかし電話という利器を通して声を聞いているからか、ユカの動揺は限り無く少ない。
「ジュラは、カーシックという少年を殺したと聞きましたが?」
 ユカは言い分にそれとなく毒気を入れて言葉を発する。ボートはそれに気付いたのか、軽くふっと息を漏らす。
『ああ。私の注文どおりだ。そつなくこなしてくれたよ』
「そろそろ私にも計画を教えてはいただけませんでしょうか?」
 ユカは語気を強める。ボートは微塵もいら立つことは無く、力のないものが必死に強がりを見せる、ユカはそれだと確信していた。またユカも、歯が立たない相手に精一杯の抵抗をしているつもりだった。
『まあ、そろそろ教えてやってもいいだろう。私の計画は、単に競争相手を消す計画だ』
 もったいぶらずに、重要な事項も些細なことのように淡々と話し、加えて極めて滑らかで穏やかな語調。そのせいか、最後のほうで聞き取った言葉が余りにも強烈で、耳の奥に刺さるのではないかと感じた。
『ユカ。お前があいつらに指導をしたのを知っているからこそ、あえて計画を話さないでいたのだがな』
 並べた言葉は気遣っているように聞こえるが、すぐに建前であると分かる。ちょっとした優しさというオブラートの膜の下には、どろどろとした醜い感情が渦巻いているのが分かった。
「分かりました。お心遣い感謝致します」
『それよりも、ジュラだ。あいつがその任務を三日以内に遂行しなければ、無理矢理にでもやらせろ。身分を明かしてもいい。――まああいつのことだ。二日目くらいまでにはやると思うがな』
「はい……」
 ユカは何事も無かったように、無感情に決まった礼を言う。ボートはその返答に、無理をするなという嘲笑を含んだ返答して、通信を切った。それを認めたユカは、ゆっくりと受話器を置くとその瞬間、雪崩の如く身体を落とす。膝をがっくりと地面に付き、両手で電話の乗っている台の縁に掴まらなければ倒れてしまうくらいに絶望する。やがて嗚咽が聞こえ始める。目からは久々の涙がこぼれ始める。
「ごめんね、ごめんね、トオル、エミちゃん……私、やっぱり、どうにも出来ない……っ」
 両手で顔を押さえ込みながら、ユカは座り込んだままずっと泣いていた。

 夕空のオレンジが目に染みて、心地よい感触を思い出させる頃、トオルたちはトーラーからセントラルに帰ってきていた。
「にしても、ジュラがあんな台詞を言うとはなー。ちょっぴり驚いたぜ」
「本当ね。私本当にちょっと見直したのよ」
「ジュラさんはやっぱり嘘のつけない人なんですね」
 三人は墓石の前でのやり取りをまだ引きずっている。ジュラは嬉しいやら罪悪感やら複雑な胸中だった。しかし罪悪感があるというのは、ジュラにとっても意外だった。
「みんな、その話はやめようぜ」
「何でだよ、いいじゃんか」
 ジュラが話を遮ろうとすると、三人は笑顔で話の続きを請うような台詞を投げる。あまりの笑みに、ジュラもなぜか言葉を返せずに暴走を許してしまう。さっきからこのやり取りが三回は続いている。結局、ホテルに戻ってお互いの部屋の前に行きつく前までそれは止まない。
(よし、ここで終わるか!?)
 分かれて部屋に戻って、そこで話はおしまいとようやくジュラは胸を撫で下ろす。しかしトオルは、自室の前では止まらずに女子たちの部屋へと向かう。
「お、おいトオル、どこへ行くんだよ?」
「あ、わり。俺こっちで話してるわ」
 ジュラは思わずガクッとしてしまう。そのようなノリは、自分でも初めてだった。同時に、なぜだかとても懐かしくて楽しい気分になる。
(また分からないオレがやってきたか)
「じゃあ、オレは部屋に戻るぜ」
 ジュラは三人と別れて部屋へ戻る。壁一枚隔てただけで隣にいる三人の、喋り声こそは聞こえないものの時々出る大きな笑い声は壁を通しても聞こえてくる。それに憔悴しながらも、気を紛らわすために備え付けのテレビの電源を入れる。夕方のこの時間は、大して面白い番組などやっていない。大方ニュースか、ドラマやバラエティなどの再放送である。仕方なしにニュースをつけたまま、ベッドに仰向けに寝転がる。
『続いてのニュースです。本日未明、アリア市にあるポコテン・カンパニーに、マスコットである猫の銅像が建てられ――』
 ジュラは目を閉じて耳だけに集中する。すると隣からの会話が微かに聞こえた。
「私、提案なんだけど。やっぱりジュラと情報を交換しない?」
「あ、私も丁度そう思ってたとこです。やっぱりいい人ですもんね」
「ほら、だから俺が最初から言ってたろ?」
 ジュラは会話を聞いて苦笑する。
(まさかオレがボートの手先だなんて、思ってないんだろうな)
 トオルたちの本当の仲間との会話。そこに嘘が紛れ込むとは考えにくい。本心から信頼をしてくれたとも取れる会話内容に、軽い達成感を覚えながらも、充実感がそれを覆う。しかしそれは、テレビから流れてきたある単語によって、急速にかき消されてしまう。
『続いてのニュースです。また赤字経営での閉鎖です。これで今年に入って、七件の孤児院閉鎖となります。しかも今月に入ってからは五件目と、非常事態です』
 体が勝手に起き上がって、視線もテレビに釘付けになった。気になるニュースだったわけではない。体が意識の外で活動を始めたのだ。視線も意識も全てそこに集約されて、身動きが取れない状態になる。思考も停止して何も考えることが出来ず、ただテレビの画面とキャスターの声を必死に聞いていた。
『この度閉鎖したのは、セントラルシティ内でも大きな、サンクチュアリ孤児院です。収容孤児は約一〇〇名もおり、行政は孤児の保護活動をどうするかで検討しています』
 このときジュラは、別の自分が頭の中で叫んでいることに気付いた。
(なぜ閉鎖なんだ! どうせ孤児を放って置く気なんだろ、行政は!)
 とても遠くて小さくて、今どうするべきかは考え切れなかった。やがて孤児院閉鎖のニュースが終わると呪縛が解ける。何が起こったのか、まだ理解しきれていない。
『続いてのニュースです。先程お伝えした孤児院のオーナーをやっていた、評議員議員のパワフリー氏が暗殺されました』
 ジュラは固まり続けたことによって疲労しており、続きのニュースをまともに聞く余裕がなくなりかけていた。
(そういえば、議員のクレニケロも暗殺されたってこの前言ってたっけ……)
 この前のニュースを思い出したところで、原因不明の頭痛がしてきた。その痛みは頭の奥から響いてくるようで、とても重かった。テレビの音にも反応し、とても耐え切れなくなって電源を切る。丁度そこへトオルが部屋に戻ってくる。
「どうしたんだ? ジュラ」
 様子のおかしいジュラを見て、即座に状況を尋ねるトオル。ジュラはなんでも無いよという意味で手を振りながら答える。
「頭が痛いだけだよ――悪い、オレ横になってる」
 このままでは歩くこともままならず、ジュラはそのままベッドに転がり込んだ。さっきよりも頭痛は酷くなってきているようで、寝ることでその痛みを感じなく出来るのなら、一刻も早くそうしたいという表情だった。
「そうか。俺らは下で飯食ってるから、気分が治ったら来いよ」
 ジュラは適当に相槌を打つ。そしてトオルは部屋を出て行く。ドアの閉まる音を耳で聞いたあと、ジュラは頭痛に引き込まれるように深い眠りへと落ちた。

 ジュラは見知らぬ土地に立っていた。しかしそこはどこか懐かしく、思い出せはしないものの、全く知らない場所ではないと確信できた。見渡せば何かの施設の敷地内らしかった。バスケットコートくらいの広さの土のグラウンドに、二階建ての横に広い建物がある。白い塗装が施されているが、ところどころ剥がれ落ちてひびも入っている。そのグラウンドの中心ほどに、ジュラは佇んでいた。
 すると突然建物からベルの音がする。それは学校などが、授業の開始や終了の合図に使うそれとよく似ていた。そのベルが鳴り終わると、建物の玄関から、次々と小さな子供が飛び出してきた。見た感じでは十人弱くらいいる。皆、男女、年齢にもバラつきがある。その子供たちに共通して言えることは、あまりいい服を着ていないことだった。子供たちは次々と玄関から飛び出してきた後、真っ先にジュラのほうへと向かってきた。
(おいおい、なんなんだ? わけわかんねーぞ)
 咄嗟に逃げようと思ったが、体が言うことを聞かない。それどころか子供たちのほうを向いて膝を曲げ、両手を広げる。
「ほーら、倒してみろぉ」
(何言ってんだよオレは!)
 子供たちは順番にジュラへと飛び込んでくる。ジュラは感情とは裏腹に、笑顔で子供たちを迎え入れる。子供たちは純粋で屈託のない笑顔で見上げてくる。
「せんせぇ、今日は鬼ごっこやろ! 鬼ごっこ!」
「えー。あたしかくれんぼがいいー」
「せんせいこないだなわとびやろーって言ったー」
 小さな子供たちが次々に自分のやりたいことを叫ぶ。比較的年齢が上の子――それでも十一歳くらい――が、それを何とかなだめながら意見を統一しようとする。ジュラはそんな光景を見ていると、いつしか流れに身を任せるようになっていた。
「じゃんけんぽんっ」
「あちゃー、先生が鬼だ。よーし十数えるからなー。その間に遠くに逃げておくんだぞ。それ、いーち、にー……」
 数を数え始めると小さい子はどんどん遠くへ逃げていってしまう。ちょっと大きめの子や、活発な男の子はあまり離れすぎず、こちらの動きを見て逃げようという作戦らしい。鬼ごっこは結構頭も使う。
「じゅう! さー捕まえてやるぞ!」
 始まりを皆に伝えるためにわざと大きな声で言う。そしてようやく中距離で様子をうかがってた子らも逃げ出す。ジュラは嬉々として参加していたが、すぐに自分が遊んでいるわけじゃないと気が付く。感情だけを乗せておいて、身体は適当に力を抜く。それでも走り続けている。
(ここは、もしかして夢の中か? しようと思ってないことを、勝手にし始めるなんて)
 そう気付いたとき、ここに突然現れた理由や、先生と呼ばれているのが、夢という脳が勝手に構成した空想だからと理解した。しかしそれにしては幾分現実味がありすぎる。夢の中といえば、思いも寄らない展開や突拍子も無い組み合わせで、全く辻褄が合わなくなって矛盾だらけで目が覚めるのが通常だ。ジュラにとってもそれは例外ではない。
(あの光と、関係があるのか……?)
 いつか心の闇の奥底で見つけた、もう一つの自分を知るための手掛かりに見え小さくて眩しい光。掴もうと手を伸ばすと、解けない呪いのような紫煙が邪魔をする。
 子供たちと遊んでいると、感じるのは楽しさと嬉しさと愛しさ。縁のない感情は心地よくて、今なら光に届きそうな気がした。そして、この夢の真実はその光の中に隠されているのだと確信する。
 心の闇の中に出かけようと思ったが、ジュラはそこで目が覚める。部屋の明かりは消えており、時計は深夜の時間帯を示している。窓からは星明りだけが差し込んで、他のビルのネオンもそれに割り込んでいる。トオルは横で、掛け布団を蹴飛ばしてベッドの対角線になり斜めになって寝ている。
(なんか、こいつらと一緒にいると、あの子供たちと遊んでいるのと同じ気持ちになる気がするな)
 トオルらと過ごした僅かな期間。その間に感じた不思議な感覚。薄々感づいてはいたが、今それがはっきりした。心地よさにはまってしまっては、そこから抜け出すのはとても難しい。麻薬のように病み付きになる幸福感。それは悪いものではなく、むしろ身体にも心にもとてもいいもので、手放すのほうがよくない気がした。
(もう、任務なんざくそくらえだな。あいつに従わなくたっていいや。オレは自分で決める、こいつらと一緒にいたい)
 任務の重責と圧迫を気にしなくなった途端、とても心が軽くなった。反骨心を持っていながら従わざるを得なかった状況を、それでも抗うことに決めた今は、怖いものは何もないような気がした。
(例えオレの命が、あいつによっていかにでもなるとしても――)

 翌日、翌々日と、ジュラは任務を遂行しなかった。ずっとジュラの目の前で、トオルも、エミも、メイリも生き続けていた。ジュラが手を下そうと思えば、三人の命はとうに消えてなくなっていただろう。しかし、善悪の使者ジュラは、完全に善のほうへと振り切っていた。その間に通った情報屋や、情報を仕入れるためのインターネット、各世界情報を知るために訪れたワールドインフォメーションセンター。ジュラは積極的に、情報が手に入りやすい施設などに案内して、自身も見つけるといわんばかりに一緒になって探していた。
 そうして楽しさを感じながら過ごして、とうとう三日目が訪れた。
「トオル、そろそろ異世界へ行って、本格的な活動を再開してみない?」
「ああ、そうだな。一週間くらいずっとセントラルにいたもんな」
 昼食の席でエミは、何気なくそう切り出す。
「そうね。そろそろ軍資金もなくなってきたし、小物の賞金首でも狩ってみようか?」
 これはメイリの得意分野だ。自分と相手の力量を見極めて、その中で最高額の賞金首を狙う。とても効率的で、それによって裏世界へ姿を現す回数を極限まで減らしている。だから今でもその世界では知名度も低く、賞金首も油断して仕事がしやすい。初めてレイトと出会ったときに彼も知らなかったのが、知名度が低い証だ。
「まあオレは反対しないけど、一体どこの世界に行こうってんだ? どこからも情報は手に入れられなかったんだぜ」
 ジュラのその台詞に三人は押し黙る。どこを当たっても真魔石の情報などでてきはしない。それが調べてすぐに分かるのならば、真魔石を探している者はもっと多いはずだ。
「とりあえずさ、賞金首だけでも捕まえちゃおうよ。私がそいつ通して裏ルートでも探ってみるから」
「そんな、メイリさん。それは危ないですよ」
「何言ってんの。真魔石探しには、危険が付き物でしょう」
 メイリは笑顔で言う。
「じゃあそれでいいんじゃね? これから行こうぜ、これから。俺賞金首ハントって一度やってみたかったんだよ」
「ま、調べるのはこれからにしても、狩りに行くのは今日と決まったわけじゃないわよ。ターゲット決めて、相応の準備をして、一番やりやすい時間に狩る。私は慎重派だからねー」
 慣れた口調で喋るメイリは、コーヒーカップを口に付ける。それはメイリの狩りの手口だ。自分の手法を晒すのは、皆信頼できる仲間だからだ。そこにはもうジュラも入っている。
「じゃあ、午後の予定はこれで決定ですね」
 エミがその場を締めて、昼食の時間は終わる。トオルは素早く立ち上がって早く行こうと促し、エミはそれにはしゃぐ子供を見る親のような顔をして、後でねと言う。メイリは部屋で休むと言ってさっさとレストランを出て行く。ジュラは席に座ったまま頬杖をついてそれを眺めていた。
「仲いいなぁ」
 ジュラはぼそっと一言口にする。それはエミだけに聞こえ、彼女は頬を赤らめて大仰にジュラに振り向く。
「な、突然びっくりするじゃないですか」
「え? オレそんなに驚くようなこと言った?」
 エミはますます赤面して、なんでもないですとうつむいて身体を翻す。
「あの、私とトオルは幼馴染ですから、それで、ですよ?」
 確認するように顔だけを向けて一言付け加える。エミが耳を赤くしているのに気付くが、ジュラはあえてそれを見なかったことにする。
「そっか、分かったよ。――オレも幼馴染みたいな友達がいれば、さぞかし楽しいだろうにな」
 エミは不思議そうな顔でジュラを見つめる。ジュラはそれに気付くと慌てて視線を逸らす。それを見てエミは笑う。そして後ろを振り向いて、トオルがレストランから出て行くところを確認すると、ジュラに歩み寄る。
「ジュラさん」
 ジュラはエミに視線を戻す。真横に立ったエミは、座っているジュラよりも顔の位置が高い。
「これからは私たちが、そのお友達になりますよ」
 笑顔でそう言われ、ジュラは素直にお礼を言おうとする。しかしそれを言う前に、エミの言葉が続けられる。
「だから、包み隠さずに、全てを話してくださいね?」
 ジュラは一瞬、背筋に蛇が這うような感覚に襲われた。エミの目は、笑っているがとても瞳の色が濃く深くなっており、それによって真実が全て見透かされているような気がした。それはほんの一瞬のもので、エミのほうから視線を逸らす。
「いつでもいいですからね」
 いつもの可愛らしい笑顔に戻っていたエミは、踵を返してレストランを後にする。ボートの言っていたある台詞を、ジュラは思い出していた。
 ――洞察力と注意力が半端ではない。僅かな矛盾でも露呈すれば、嘘を見抜かれる――
 先程感じた寒気は、ジュラ自身の後ろめたさから来ているのが分かった。しかし、ジュラは確信した。
(いつまでも、隠し事を隠し続けられるほど、甘くはないみたいだな……)
 そしてそれと関連して、これほど緩慢とした仕事を放置しておくボートに疑問を感じた。彼が任務に対してここまでルーズなはずもなく、何らかのアプローチすらないのが酷く不気味であった。
(気付いてないだけ、これだけ遅くても構わないってことならまだいい。だが、違うとしたら……)

 ユカは今日もトオルらと僅か十数メートルしか離れていないホテルにいる。ニュース番組を見ながら、殺人事件のチェックをしている。
「よかった、今日も、ないみたい……」
 ユカはテレビを消してベッドに仰向けになる。もともとテレビで調べる必要はない。ホテル一階のレストランの窓の外から、トオルらが楽しそうに昼食を摂っているのをしっかりと確認ている。ボートからの指令の電話から三日目の夕方。監視しているジュラは、殺害の様子を全く見せない。
「どうやら、キルの予測は外れたみたいね」
 ユカは身体を起こす。そして安堵の表情を浮かべる。
(ジュラはキルに抗った。なら、私もキルに抗う。私はなにもしない。任務遂行を促す連絡も取らない)
 決意に満ちたユカの瞳は、何にも動じない強さを持っていた。ジュラの許に、その日の内にアプローチはなにもなかった。

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