第8部

『チャララ~ラ~ラ~…ピッ』
「はい、もしもし。」
おもむろに取ったその電話の向こうからは、思いもしない人の声がしてきた。
「絹ヶ谷か?高木智やけど?」
「え!?高木さん!?何で携帯の番ご…いや、それより、何で俺に電話を!?」
「いや、大した用じゃないんや。チーム関係無しで飲まへんか?あと誠…っと、今岡もおんねんけど。」
絹ヶ谷は少々考えた。いや、他球団しかも阪神の選手から誘われているのである。即断は出来ない状況である。しかし絹ヶ谷は高木なら、と思い、その誘いに応えた。
「いいですよ。場所は何処ですか?」
「えっとな…。」
―――。
「分かりました。すぐ向かいます。」
『ピッ』
「ふぅ。まさか高木さんから誘われるなんて。」
絹ヶ谷は携帯電話をバッグにしまうと、一息ついた。
(まあ、他球団の先輩から誘われる機会なんて滅多に無いし。)
絹ヶ谷はそう自分に言うと、高木の居る居酒屋に足を向けた。

絹ヶ谷が居酒屋に着くと、奥の座敷へと向かった。高木たちはそこに居た。
「よう、絹ヶ谷。」
「あれ、田中さんも居たんですか?」
「ああ、俺も呼ばれてな。」
高木と今岡の居る座敷には、横浜ベイスターズの田中一徳も居た。絹ヶ谷が不思議そうにしていると、今岡が説明した。
「一徳はな、俺のPL学園の後輩なんや。だからといって同じ時期に居たわけやあらへんけどな。」
「あ、そうなんですか。」
絹ヶ谷は納得した。そういえばチームメイトからも、同じ高校出身というだけで、高校時代お世話になってない先輩から、飲みに誘われたこともあった。

それにしても異様な光景である。ペナントレース中にも関わらず、偶然でなく呼び合って他球団同士の選手が杯を交し合っているのである。それも3球団も。ここでハッと、絹ヶ谷が高木に話しかけた。
「高木さん、今日の代打での一発おめでとうございます。」
「もう情報入ってんのかいな。最近はほんま早なったで。」
「高木さん、一つ訊きたい事があるんです。」
「なんや?」
「最近の試合での活躍、スポーツニュースでよく見させて貰ってますが、右足をかばって打ってるのは何故ですか?」
「え、智お前、どこか痛めとんのか?」
横から今岡が口を出してきた。田中も不思議そうな顔で高木を見ている。
「よう分かったな、せや、いま右足痛めとんのや。医者は酷使せん方がいい言うんやけどな、俺もプロやし、本当に危なくなるまでは休まん。6年目でやっと1軍に上がれたんや。こんなもんでまた2軍なんか行きたないんや。」
「高木さん、休んだ方がいいですよ。横浜にとって、とかではなくて。落ちたらまた上がってくればいいじゃないですか。怪我は一生ものですよ。」
今岡、絹ヶ谷、田中は、それぞれの思いを口にした。皆から出たのは『休養』の言葉。それも『怪我を治してまた1軍へ』という意味だった。しかし高木はそれをかたくなに拒んだ。
「いえ、休んだ方がいいですよ。田中さんの言うとおり、怪我は一生ものですし。例えどんな小さな怪我でも、放っておいたら大きな怪我に発展しかねません。」
絹ヶ谷は何故か分からないが、心からそう感じ、それを口にした。
「ああ、そうや。2~3mmの怪我でも菌が入ったらえらいことなるしな。でもな、俺はこの一年に全てを賭ける。そう決めたんや。」
もう誰も言い返さなかった。言い返せなかった。高木の決意はそれほど強固なものに感じられた。

そうこうしてるうちに周りがこちらをちらちら見てくるようになった。いくら座敷ごとにのれんが垂れていても、声は聞こえる。だから周りは何だ?何だ?という感じに気にし始めてきたのである。
「さ、周りが俺らに気付かん内にお開きにしよか。コーチとかに話が漏れたらお互いにやばいやろ。」
今岡がそう言いすっと立ち上がると、皆も立ち上がった。そして静かに会計を済ましに行く。しかしやはり田中以外は180cmもの大男。そんなのが3人も居たなら皆それに目が行く、が、幸いにも誰も気付かずに事なきを得た。

「じゃあ高木さん、ありがとうございました。」
「今岡さん、また誘ってください。」
「おう、今年阪神が優勝したらなんぼでもおごんで。」
今岡のその言葉を最後に、お開きとなった。絹ヶ谷と田中は高木と今岡とは反対の方向に歩いていった。

田中とも別れた絹ヶ谷は一人で電車に乗っていた。
(阪神タイガース。このまま独走させるわけには行かない。必ず、この俺が、堕としてやる!)
星の瞬く深い夜。ただ走る電車。この暗さが再び明るくなり、太陽が地上を照らす頃、野球人は新しい戦いを始める。

~続く~

<<<   >>>